グラミー賞 (グラミーしょう、英語 : Grammy Awards )は、ザ・レコーディング・アカデミー が主催する音楽賞。当初はグラモフォン・アウォード(Gramophone Award)と呼ばれており、現在は単にグラミー (Grammy)と呼ばれることが多い。アメリカ合衆国 の音楽産業 において優れた作品を創り上げたクリエイターの業績を讃え、業界全体の振興と支援を目的とする賞だが、今日世界で最も権威ある音楽賞のひとつとみなされており、テレビにおけるエミー賞 、舞台におけるトニー賞 、映画におけるアカデミー賞 と同列に扱われる。毎年2月に授賞式が行われ、著名なアーティストによるパフォーマンスや代表的な賞の授賞の模様が全米をはじめ世界の多くの国で放映される。
1959年5月4日、1958年の音楽業界での功績を称える第1回グラミー賞 (英語版 ) 授賞式が行われた。
1997年、ザ・レコーディング・アカデミーは当時のグラミー賞で十分にカバーできていなかったラテン・ミュージック部門の充実を目的とし、ザ・ラテン・レコーディング・アカデミー (旧ラテン・アカデミー・オブ・レコーディング・アーツ・アンド・サイエンス)を新たに設立。それにより2000年からラテン・グラミー賞 が始まる。
沿革
グラミー賞のアイコン
グラミー賞はハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム 計画から始まった[1] [2] 。ウォーク・オブ・フェーム委員会に選出されたレコード会社の重役達は、ハリウッド大通り に星を埋め込まれることのない音楽業界のリーダー達が数多く存在することを理解しており、ウォーク・オブ・フェーム の星に値する音楽業界の重要な人々のリストを編集していた。音楽業界の重鎮達はアカデミー賞やエミー賞のような音楽業界の賞を創立することを決心。これがナショナル・アカデミー・オブ・レコーディング・アーツ・アンド・サイエンス(現ザ・レコーディング・アカデミー)の始まりである。名称には蓄音機 を発明したトーマス・エジソン に敬意を表しエディー賞が候補に挙がったが、1958年、最終的にエミール・ベルリナー が発明した蓄音機に因みグラミー賞と名付けられた[3] [4] [5] 。
1960年代には「The Best on Record」というタイトルでNBC で放映されていたが、1971年にはABC にて生放映される。1973年からはCBS が放映権を取得している。
なお、日本 では「グラミー賞」創設に啓発されるかたちで、翌1959年に日本レコード大賞 が創設されている。また、1977年 イギリス において、音楽雑誌グラモフォン誌 が主催するクラシック音楽 の賞グラモフォン・アワード (英語版 ) と、英国レコード産業協会 が主催するポピュラー音楽 に関する賞ブリット・アワード が創設され、現在に至っている。
概要
毎年、米国 内でリリースされた楽曲とアーティストを対象に選考され、ザ・レコーディング・アカデミーの会員の投票によって選考され、第1回目でノミネート作品が選考され、第2回目で決定されている。
音楽業界で最も栄誉ある賞だとみなされ、受賞結果はセールスに多大な影響を与える。また、アメリカでは注目度の高い祭典の一つであり、2013年2月に行われた第55回グラミー賞の中継番組は2837万人の視聴者数を得た[6] 。これはスーパーボウル などNFL の一部の試合中継やアカデミー賞 授賞式中継などに次いで、全米で非常に視聴者数の多い番組の一つになっている。
売り上げが良くても確実にグラミー賞にノミネートするわけではなく、年間第1位の曲でも受賞を逃すことが多い。加えて、2000年に入ってから、その年に最多ノミネートした歌手が最多受賞を逃すケースが増えている。2009年 は7部門ノミネートのコールドプレイ を筆頭にイギリス 出身アーティストが多くノミネートされている。この年の最優秀レコード賞は全てイギリス出身アーティストによる作品が候補に選ばれた[7] 。
蓄音機形のトロフィー
金色の蓄音機を表現した金めっき のトロフィー はコロラド州 リッジウェイ (英語版 ) のビリングス・アートワークスにより手作りされている[8] 。1990年、オリジナルのトロフィーのデザインは改訂され、損傷を防ぐためそれまでの軟鉛からより強い合金 となり、トロフィーは以前より大きく壮大になった[9] 。受賞者の名前が刻まれたトロフィーは受賞者名の発表があるまで手にすることができないため、テレビで放送されるのは毎年同じ代用品である[10] 。
部門
以下の4部門は「主要4部門」として特に衆目を集める。これらの賞はジャンルで制限されない。
Album of the Year (最優秀アルバム賞) - アルバム 演奏者および製作チームに授与される。
Record of the Year (最優秀レコード賞) - シングル 曲演奏者および製作チームに授与される。
Song of the Year (最優秀楽曲賞) - シングル曲の作詞者、作曲者に授与される。
Best New Artist (最優秀新人賞) - この1年で著しい活躍をみせた新人に授与される。正確な発売日やデビュー日時は考慮されない。
主要4部門の受賞者はグラミー賞受賞者一覧 を参照。
その他の賞はジャンルによってアートワークやビデオを含み演奏者や製作者に授与される。音楽業界へ長年貢献してきた者には特別賞が授与される。
2023年現在、84カテゴリーと膨大であり、様々なアーチストの演奏も行われることから、上記の主要4部門およびポップ・ミュージック 、ロック 、カントリー・ミュージック 、ラップ など最も人気のあるジャンルから1から2カテゴリーの授賞式のみテレビ放送される。その他の賞は授賞式当日昼間からテレビ放送前に授与される。
カテゴリー再編
2011年4月6日、NARASは2012年に行われる第54回グラミー賞のカテゴリーの多くの大幅な見直しを発表し[11] 、カテゴリー数は109から78に減少した。最も重要な変更点はラップ、ロック、リズム・アンド・ブルース 、カントリー、ラップで男女、コラボレーションおよびデュオやグループの区別がなくなったことである。また、インストゥルメンタルのソロのいくつかのカテゴリーがなくなった。これらのカテゴリーは現在他のジャンルの最優秀ソロに含まれる。
ロック部門ではハードロック とメタル は一緒にされ、最優秀ロック・インストゥルメンタル・パフォーマンス賞は演奏者の減少により削除された。
リズム・アンド・ブルース部門ではコンテンポラリー・リズム・アンド・ブルースと他のリズム・アンド・ブルースとのアルバムの差異はなくなった。現在どちらも最優秀リズム・アンド・ブルース・アルバム賞として授与される。
ラップ部門ではソロとデュオおよびグループは合併され、最優秀ラップ・パフォーマンス賞となった。
アメリカン・ルーツ・ミュージック 部門において大幅な削除が行われた。2011年まではハワイアン・ミュージック 、ネイティブ・アメリカン ・ミュージック、ザディコ またはケイジャン・ミュージック などアメリカ国内の様々な地域の音楽のカテゴリーがあった。しかしこのカテゴリーでの演奏者の数が常に少なく、2009年に削除されたポルカ と共に最優秀リージョナル・ルーツ・ミュージック・アルバム賞として統合された。
また同部門において、コンテンポラリー・フォークとアメリカーナ、コンテンポラリー・ブルースとトラディショナル・ブルースの区別がなくなってきたことから、ブルース のトラディショナルとコンテンポラリー、フォーク のトラディショナルとコンテンポラリーがそれぞれ統合された。ワールドミュージック 部門でもトラディショナルとコンテンポラリーが合併された。
クラシック音楽 部門では最優秀クラシック・アルバム賞が広義すぎるため、この賞に受賞したアルバムがクラシック部門の他のアルバム賞でも受賞し重複することが多いため削除された。クラシックのアルバムも現在最優秀アルバム賞を受賞可能である。
その他にもより自然に近い名前に変更されるなど、小さな改変がいくつか加えられた。ゴスペル 部門は「ゴスペル」という言葉がコンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック とかけ離れた伝統的なソウル・ゴスペルを思い起こさせるため、ゴスペル/コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック部門となった。
会場
1971年までグラミー賞授賞式は毎年違う会場で行われ、元々はニューヨーク市 とロサンゼルス が主催地であった。1962年、シカゴ が主催地に加わり、1965年、ナッシュビル が第4の主催地となった。
1971年、ロサンゼルスのハリウッド・パラディアム (英語版 ) で行われた第13回グラミー賞 (英語版 ) が、1箇所で行われた最初の授賞式となった。その後ニューヨーク市のマディソン・スクエア・ガーデン のフェルト・フォーラムに移動し、更にその後2年間はナッシュビルのテネシー・シアターで行われた。1974年から2003年、ニューヨーク市とロサンゼルスのいくつかの会場で行われた。主な会場はニューヨーク市のマディソン・スクエア・ガーデン、ラジオシティ・ミュージックホール 、ロサンゼルスのシュライン・オーディトリアム 、ステイプルズ・センター 、ハリウッド・パラディアムである。
2004年、ステイプルズ・センターが恒久的授賞式会場となった。グラミー賞の歴史を振り返るグラミー博物館 がステイプルズ・センターの向かい側のL.A.ライブ に創設された。博物館の歩道にはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームのように毎年の最優秀アルバム賞、最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞の受賞者のブロンズ・ディスクが埋め込まれている。
受賞者
最多受賞者
ビヨンセ が史上最多の32回の受賞者である。
グループでは22回受賞のU2 が最多である。
日本人受賞者
批判
グラミー賞はミュージシャン や音楽評論家 から批判を受けることがある。
1991年、シネイド・オコナー は4部門でノミネート(1部門受賞)されたものの、商業的な祭典であることを理由に授賞式への参加を拒否した。これはグラミー賞史上初めての出来事となった[12] 。
1996年、パール・ジャム が最優秀ハードロック・パフォーマンス賞 を受賞した際には、リードボーカル のエディ・ヴェダー が「この賞に何の意味があるのか分からない。全く意味がないと思う」とスピーチし、物議を醸した[13] 。
同年、6部門にノミネートされていたマライア・キャリー が何も受賞できなかったことに論争が巻き起こった。彼女のアルバム『デイドリーム 』は全米で1,000万枚以上を売り上げ、ボーイズIIメン と歌ったシングル『ワン・スウィート・デイ 』が当時のビルボード Hot 100 で史上最長となる16週連続1位を記録するなど、評論家たちは彼女の受賞は間違いないものと予想していた[14] 。受賞を完全に逃した瞬間の彼女の落胆した表情がテレビ画面に映し出され、話題となった。
2021年にドレイク がグラミー賞にノミネートされるも、ドレイクはこれを拒否し取り下げを要求した[15] 。また、en:Rap-A-Lot Records のCEOen:James Prince は、2022年のグラミー賞授賞式と同日にヒップホップのイベントを開催するよう呼び掛けるなど、ヒップホップカルチャーでグラミー賞ボイコットの動きが見られている[16] 。
秘密委員会問題
秘密委員会は1989年に設置され、1995年から主要4部門の最終選考に関与していた。2019年にグラミー会長となったデボラ・ドゥーガンはノミネートの選考過程の見直しを唱えたところ、他の上層部からの猛反発を受け、2020年にグラミー協会から追放された[17] 。
2020年にザ・ウィークエンド のブラインディング・ライツ が世界的に大ヒット。グラミー賞主要部門を独占すると予想されていた[18] が、1部門もノミネートすらされなかったという事件が発生。これは、ザ・ウィークエンドが2021年スーパーボウル のハーフタイムショー に出演することが原因とも言われている[19] 。これを受けて、ザ・ウィークエンドはグラミー協会を猛批判し、今後のグラミー賞ボイコットを発表した。世論はザ・ウィークエンドを支持し、これを受けてグラミー協会は2021年以降の秘密委員会の廃止を決定した[20] 。
日本での放送
テレビ中継
1989年の授賞式まではテレビ朝日 系で放送され、翌1990年の授賞式からはテレビ東京 系に移る。その後、1990年代後半よりWOWOW で放送されている。生中継は同時通訳 を介して放送され、再放送 は字幕スーパーによる放送となる。
2017年の放送
案内役:ジョン・カビラ 、ホラン千秋
ラジオ中継
1980年に、FM大阪 が日本国内での独占放送権を獲得し、JFN 系全国ネットで放送された。なお、一時期阪急グループ がラジオ中継の冠スポンサーに付き、同グループと関係が深い高島忠夫 がメインパーソナリティを担当したことがある。その後、InterFM 、2008年はミュージックバード が生中継した。親会社のTOKYO FM でもその一部を放送した。2014年は新たにcross fm が時報、コマーシャル無しでの生中継を実施。
2007年の放送
2008年の放送
パーソナリティ:萩原健太 、荒ヶ田貴美
パーソナリティ:西任白鵠 (第1部)、Filiz (第2部)
パーソナリティ:タック・ハーシー
2009年以降の放送
2014年以降の放送
パーソナリティ:アリ・モリズミ 、南美布 / 現地リポーター:大友博
パーソナリティ:立山律子
脚注
関連項目
外部リンク
アメリカ合衆国の文化賞
著名な賞 映画賞 音楽賞 文学賞 その他の賞