グランドナショナル (Grand National )とは毎年4月にイギリス のリヴァプール 郊外にあるエイントリー競馬場 で行われる障害競走 である。
概要
距離は4マイル と2ハロン と74ヤード (約6,907メートル )、計16個設置されている障害を延べ30回飛越する。
イギリスでは最も人気のあるレースであり、馬券の売上額もダービーステークス やチェルトナムゴールドカップ を上回りイギリス国内最高を誇る。
ブックメーカーなどを含め、ベッティングに投じられた金額は、2007年で2.75億ポンド(約655億円)、2015年で3億ポンド(約540億円)に達すると推定されている。ロイターによると、2019年の売り上げは推定3億ポンド(約437億円)[2] である。年によっては世界一の馬券売上額を誇る日本 の有馬記念 を上回ることもある。
この競走はグランドナショナルミーティング のメイン競走としてハンデキャップ で行われる。
ほぼ毎年出走可能頭数の限界の40頭の出走馬を集めるが、年によっては完走頭数は10頭を切ることも珍しく無い事から世界一過酷な障害レースと言われている。
以前は発走の際スターティングバリアー の直後に整列していたが発走の遅延が絶えなかったため、2008年 より他の競走同様にバリアー後方から整列せずにスタートを行う方式に変更されたが、2021年より再び発馬機を使用するスタートに変更された。
このレースに範を取った「グランドナショナル」という名の競走は世界各地で行われている。日本では伝統の障害重賞である中山大障害 がこのレースに範を取ったものである。
2005年 からはビール 会社のジョン・スミスズ(John Smith's)がスポンサーとなっていたが、2014年 に酒造会社のクラビーズ(Crabbie's)に代わり、さらに2017年 からは、5年契約で化学検査会社のランドックス・ヘルス(Randox Health)がスポンサーとなった。
2017年 現在の賞金総額は100万ポンドで[注釈 2] 、障害競走としては世界最高の賞金額となっている。
出走馬は満7歳以上で、かつステープルチェイス競走で10勝以上の勝利があり、過去に3マイルのステープルチェイス競走で4着以内に入った実績を持つことが必要とされる(2012年より)。2011年までは年齢制限はなく、勝利数も「ハードル競走(en:Hurdling (horse race) )を含めた障害競走で15勝以上」という基準だったが、同年のレースで2頭の馬がレース中に亡くなった事故を受けて、出走基準が厳格化された[3] 。
2022年まではグレード3[注釈 3] の重賞だったが、2023年からハンデキャップ重賞の「プレミアムハンデキャップ」の新設によりPrH重賞となっている。
コース
コースの形状
この競走ではエイントリー競馬場のナショナルコースという特別なコースを2周する。このコースは4月開催でトッパムチェイス、フォックスハンターズチェイス、グランドナショナルの3競走、11月開催でグランドセフトンチェイス、ビーチャーチェイスの5競走のみに使用される。1周2.25マイル(3,600メートル)の周回コースであり直線距離は494ヤード(451メートル)。全体として起伏は少なくほぼ平坦となっている。
障害の形状
コース
グランドナショナルに使用される障害は英愛で一般的なものと異なり、トウヒ の枝を組み合わせて作られている。全部で16の障害が設けられ、ザ・チェアと呼ばれる障害と水濠障害を除いて2度飛越することになる。6番目(22番目)及び7番目(23番目)、8番目(24番目)、9番目(25番目)、15番目の障害にはそれぞれ固有の名称が付いており順にビーチャーズブルック(Becher's Brook)、フォイネイボン(Foinavon)、キャナルターン(Canal Turn)、バレンタインズブルック(Valentine's Brook)、そしてザチェア(The Chair)である。
最難関とされるのはビーチャーズブルックである。障害は踏み切り地点より着地側が低くなっているため、バランスを取ることが難しく毎年複数の馬が落馬する。またザチェアは踏み切り地点の乾壕をもち、そして最も高い障害である。そしてキャナルターンとフォイネイボンについては、前者は着地後に直角に曲がるコーナーがあり後者もカーブの途中に設置されているため馬が内側に密集しやすく年によっては多重落馬が発生している。
2001年のレースではキャナルターンで空馬が障害の手前を横切り、多重落馬が発生する大事故が起こった[注釈 4] [4] 。これ以降、キャナルターンの障害右手に退避通路が設置され空馬がレースの馬群に混ざらないように配慮されている。
全障害の規模
第1・第17障害(THORN FENCE) 4フィート 6インチ (約137センチメートル)
第2・第18障害(FENCE) 4フィート7インチ(140センチメートル)
第3・第19障害(WESTHEAD) 4フィート10インチ(147センチメートル) 飛越側に幅6フィート(182センチメートル)の乾壕
第4・第20障害(PLAIN FENCE) 4フィート10インチ
第5・第21障害(SPRUCE FENCE) 5フィート(152センチメートル)
第6・第22障害(BECHER'S BROOK) 5フィート着地側は6フィート(213センチメートル)
第7・第23障害(FOINAVON FENCE) 4フィート6インチ
第8・第24障害(CANAL TURN) 5フィート
第9・第25障害(VALENTINE'S BROOK) 5フィート
第10・第26障害(THORN FENCE) 5フィート
第11・第27障害(BOOTH) 5フィート 飛越側に幅6フィートの乾壕
第12・第28障害(FENCE) 5フィート
第13・第29障害(FENCE) 4フィート7インチ
第14・第30障害(FENCE) 4フィート6インチ
第15障害(THE CHAIR) 5フィート2インチ(157センチメートル) 飛越側に幅6フィートの乾壕
第16障害(WATER JUNP) 2フィート9インチ(84センチメートル) 着地側に幅9フィート7インチ(297センチメートル)の水濠
障害の変遷
グランドナショナルのコースは初期に石壁障害が水濠障害に変更され、その後も幾度か障害の形状、大きさに変更が加えられている。初期は天然の障害も使用していたため18インチ(約46センチメートル)の土塁など小規模なものも存在した。1885年 の時点では最後の直線の3つの障害などで3フィート6インチ(約107センチメートル)のハードルを7基使用し計11回飛越を行っていたほか、現在では全障害の中で最も低い4フィート6インチ(約137センチメートル)のフォイネイボンが当時は5フィート6インチ(168センチメートル)と最も高い障害だった。
1888年 にハードルがフェンスに置き換えられ、そして20世紀 を過ぎると大幅な変更は行われなくなった。しかし1961年 に危険すぎるとの批判を受け、障害に傾斜そして踏み切り板を設けるなどの安全対策が行われた。その後も何度か障害の形状に変更が加えられ、1990年 にはビーチャーズブルックの着地側のスロープが埋め立てられた(これは、1989年 にビーチャーズブルックで2頭が死亡したことによる)。このため、ビーチャーズブルックをはじめ多くの障害がその難易度を低下させている。
チェッカーフラッグ
同じコースを2周するグランドナショナルだが2周目に入った際、1周目で多重落馬事故があり整理がつかない場所がある場合や故障した馬の処分をその場で行い、障害の飛越が危険であると判断された場合は障害前方で係員がチェッカーフラッグ を振る。その場合は障害横の退避通路を通り、障害をパスする事が許される。2011年 は2周目の20号障害・22号障害(ビーチャーズブルック)において故障馬が留まったため、ともにパスされている[5] 。
歴史
グランドナショナルは1836年 2月29日 にリヴァプールのホテル経営者ウィリアム・リンによってリバプール・グランドナショナル・スティープルチェイスという名で創設された。1839年 から回数カウントを始めているが実際は1836年から同等の競走が始まっており、1860年代 半ばまでは公式記録として認められていた。かつて1836年から1838年 までの3競走は以前はエイントリー競馬場以外で行われたと考えられていたが、現在はこれらもエイントリー競馬場で行われたことが判明している。
1839年、コンラッドに騎乗したビーチャー大佐が1周目の小川で落馬し、その小川が「ビーチャーズブルック」と命名された。
1862年 、グランドナショナルでは唯一となる騎手の死亡事故が発生した。
1928年 、キャナルターンで集団落馬が発生。出走馬42頭のなかで優勝馬ティペラリーティム(Tipperary Tim)のみが無事故で完走。そして2着に再騎乗のビリーバートンが入り、この2頭のみが完走した。
1929年 、前年の事故を受けキャナルターンの乾壕が取り除かれた。また前大会で全くの無名馬が優勝したため同年の競走は多数の出馬登録が行われ、グランドナショナル史上最多の66頭が出走した。完走は10頭。
1956年 の大会は競馬の歴史上でも最も不可解なレースの1つとして名高い。ディック・フランシス 騎手が乗るクイーンマザー(エリザベス王太后) 所有のデヴォンロック (英語版 ) は最終障害を大差でクリアーして楽勝するかと思われたが、残り50メートルに満たない地点で突然四肢を投げ出して座り込んでしまった。この際、特に故障などは何もなく直後に立ち上がっている。この事故が起こった場所は1周目に飛越した水濠障害のすぐ脇であり、この障害の影に驚いたのではないかと言われた。フランシス本人は大きな歓声に驚いてそのようになったと語っている[6] [7] 。
1964年 、エイントリー競馬場の所有者のトッパム夫人が競馬場を売りに出すと宣言し、以来1973年 にビル・デイビスが300万ポンドで購入するまで毎年が「最後のナショナル」と言われた。デイビスの所有時も経営はいま一つ安定せず1983年 にジョッキークラブ が340万ポンドで購入、これにより英国の競馬が続く限りグランドナショナルは存続することになった。
1967年 、馬群の先頭を走っていたカラ馬が23番目のフェンス直前で急にストップするというアクシデントのため後続の20頭以上の馬が落馬または立往生してしまい、先頭から50馬身近く離されていたフォイネイボン (英語版 ) だけがスムーズに追い越し、逆に後続に50馬身をつける独走態勢となる。結局そのまま後続を振り切って1着でゴールイン、101倍の配当となった[8] 。なお、この23番目(1周目は7番目)のフェンスにはこの年の勝ち馬の名前である「フォイネイボン」の名がつけられている。
1993年 、スターティングバリヤーの白いテープがうまく跳ね上がらず発走やり直し、2度目も馬や騎手がテープに絡まりスターターはフォルススタートを宣言したが合図の赤旗が誰にも目撃されることなく39頭中30頭がスタート。2周目のスタンド前で再び赤旗が振られたが反対派の抗議と解釈した[9] 多くの騎手はレースを続行し7頭が完走。J・ホワイト騎乗のエシャーネスが1位入線したが競走不成立により幻の優勝となった[10] 。これにより1993年のグランドナショナルは中止となり、翌1994年 からはスターティングバリヤーが手動式から電動式に変わるなど多くの改善がなされた。
1998年 、1周目の名物障害の1つであるビーチャーズブルックの前の障害で計3頭が死亡し、動物愛護団体が抗議行動を行った。
2001年 、1周目の名物障害の1つであるキャナルターンで空馬が障害の手前を横切り、多重が落馬する大事故があった。1着のレッドマローダー と2着のスマーティ が無事故で完走。3着に再騎乗したブローイングウインド、4着に同じく再騎乗したパピヨン が入り、この4頭が完走した。4頭が完走するのは、1980年以来21年ぶり。
2005年 、152頭が1次登録し、最多記録を塗り替えた。
2014年 、出走馬のうち1頭がスタートを拒否しそのまま走る事なく競走中止するアクシデントが発生した。
各種記録
レースレコード - 8:47.8 ミスターフリスク(1990年)
最多出走頭数 - 66頭(1929年)
最多完走頭数 - 23頭(1984年)
最少完走頭数 - 2頭(1928年)
最多勝利馬 - レッドラム 3勝(1973、1974、1977年)
最多勝利騎手 - ジョージ・スティーヴンス 5勝(1856、1863、1864、1869、1870年)
最多勝利調教師 - フレッド・リメル(1956、1961、1970、1976年) ジンジャー・マッケイン(1973、1974、1977、2004年)各4勝
最高齢勝利馬 - ピーターシンプル 15歳(1953年)
最高齢勝利騎手 - ディック・サウンダーズ 48歳(1982年)
最年少勝利騎手 - ブルース・ホッブズ 17歳(1938年)
歴代優勝馬
施行日
優勝馬
性齢
タイム
優勝騎手
管理調教師
馬主
1836年 2月29日
The Duke
騸7
20:10
M.Becher
W.Sirdefield
1837年 3月4日
The Duke
騸8
14:00
H.Potts
T.Chawner
1838年 3月5日
Sir William
牡7
A.McDonough
A.McDonough
以下より公式大会として回数をカウント。
回数
施行日
優勝馬
性齢
タイム
優勝騎手
管理調教師
馬主
第1回
1839年 2月26日
Lottery
騸9
14:53
J.Mason
G.Dockeray
J.Elmore
第2回
1840年 3月5日
Jerry
騸10
12:30
B.Bretherton
G.Dockeray
H.Villebois
第3回
1841年 3月3日
Charity
騸11
13:25
A.Powell
W.Vevers
Lord Craven
第4回
1842年 3月2日
Gay Lad
騸8
13:30
T.Olliver
G.Dockeray
J.Elmore
第5回
1843年 3月1日
Vanguard
騸8
T.Olliver
Lord Chesterfield
第6回
1844年 2月28日
Discount
牡6
13:58
H.Crickmere
Quartermaine
第7回
1845年 3月5日
Cure All
騸7
10:47
W.Loft
W.Loft
W.Crawford
第8回
1846年 3月4日
Pioneer
騸6
W.Taylor
Adams
第9回
1847年 3月3日
Matthew
騸9
D.Wynne
J.Murphy
J.Courtenay
第10回
1848年 3月1日
Chandler
騸12
J.Little
T.Eskrett
J.Little
第11回
1849年 2月28日
Peter Simple
騸11
10:56
T.Cunningham
T.Cunningham
T.Mason Jr.
第12回
1850年 2月27日
Abd-el-Kader
騸8
10:20
C.Green
J.Osborne
Wilson
第13回
1851年 2月26日
Abd-el-Kader
騸9
9:59
T.Abbot
J.Osborne
J.Osborne
第14回
1852年 3月3日
Miss Mowbray
牝8
9:58
A.Goodman
G.Dockeray
T.Mason
第15回
1853年 3月2日
Peter Simple
騸15
10:15
T.Oliver
T.Oliver
J.Little
第16回
1854年 3月1日
Bourton
騸11
9:59
J.Tasker
H.Wadlow
W.Moseley
第17回
1855年 3月7日
Wanderer
牡10
10:25
J.Hanlon
Dennis
第18回
1856年 3月7日
Freetrader
牡7
10:00
G.Stevens
W.Holman
W.Barnett
第19回
1857年 3月4日
Emigrant
騸11
C.Boyce
C.Boyce
G.Hodgman
第20回
1858年 3月6日
Little Charley
騸12
W.Archer
W.Holman
C.Capel
第21回
1859年 3月8日
Half Caste
牡6
C.Green
C.Green
Willoughby
第22回
1860年 3月7日
Anatis
牝10
T.Pickernell
W.Holman
C.Capel
第23回
1861年 3月13日
Jealousy
牝7
J.Kendall
C.Balchin
J.Bennett
第24回
1862年 3月12日
Huntsman
牡9
9:30
H.Lamplugh
H.Lamplugh
Viscount de Namur
第25回
1863年 3月11日
Emblem
牝7
G.Stevens
E.Weever
Lord Coventry
第26回
1864年 3月9日
Emblematic
牝6
G.Stevens
E.Weever
Lord Coventry
第27回
1865年 3月8日
Alcibiade
騸5
H.Coventry
C.Cornell
B."Cherry" Angell
第28回
1866年 3月7日
Salamander
騸7
A.Goodman
J.Walters
E.Studd
第29回
1867年 3月6日
Cortolvin
騸8
J.Page
H.Lamplugh
Duke of Hamilton
第30回
1868年 3月4日
The Lamb
牡6
G.Edwards
B.Land
Lord Poulett
第31回
1869年 3月3日
The Colonel
牡6
G.Stevens
R.Roberts
J.Weyman
第32回
1870年 3月9日
The Colonel
牡7
G.Stevens
R.Roberts
M.Evans
第33回
1871年 3月21日
The Lamb
牡9
9:35 4/5
T.Pickernell
C.Green
Lord Poulett
第34回
1872年 月日
Casse Tete
牝7
J.Page
A.Cowley
E.Brayley
第35回
1873年 3月27日
Disturbance
牡6
J.Richardson
J.Richardson
J.Machell
第36回
1874年 3月26日
Reugny
牡6
J.Richardson
J.Richardson
J.Machell
第37回
1875年 3月18日
Pathfinder
騸8
T.Pickernell
W.Reeves
H.Bird
第38回
1876年 3月24日
Regal
騸5
J.Cannon
J.Jewitt
J.Machell
第39回
1877年 3月23日
Austerlitz
牡5
F.Hobson
R.l'Anson
F.Hobson
第40回
1878年 3月29日
Shifnal
牡9
J.Jones
J.Nightongall
J.Nightongall
第41回
1879年 3月28日
The Liberator
騸10
G.Moore
J.Moore
G.Moore
第42回
1880年 3月19日
Empress
牝5
10:29 0/5
T.Beasley
H.Linde
P.Ducrot
第43回
1881年 3月25日
Woodbrook
騸7
11:50 0/5
T.Beasley
H.Linde
T.Kirkwood
第44回
1882年 3月24日
Seaman
騸6
Lord Manners
J.Machell
Lord Manners
第45回
1883年 3月30日
Zoedone
牝6
C.Kinsky
W.Jenkins
C.Kinsky
第46回
1884年 3月28日
Voluptuary
騸6
E.Wilson
W.Wilson
H.Boyd
第47回
1885年 3月26日
Roquefort
騸6
10:10 0/5
E.Wilson
A.Yates
A.Cooper
第48回
1886年 3月26日
Old Joe
騸7
9:14 3/5
T.Skelton
G.Mulcaster
A.Douglas
第49回
1887年 3月25日
Gamecock
騸8
W.Daniels
J.Gordon
E.Jay
第50回
1888年 3月23日
Playfair
騸7
G.Mawson
T.Cannon
E."Ned" Baird
第51回
1889年 3月29日
Frigate
牝11
10:04 2/5
T.Beasley
M.Maher
M.Maher
第52回
1890年 3月28日
Ilex
騸6
10:41 4/5
A.Nightingall
J.Nightingall
G.Masterman
第53回
1891年 3月20日
Come Away
騸7
H.Beasley
H.Beasley
W.Jameson
第54回
1892年 3月25日
Father O'Flynn
騸7
E.Owen
G.Wilson
G.Wilson
第55回
1893年 3月24日
Cloister
騸9
B.Dollery
A.Yates
C.Duff
第56回
1894年 3月30日
Why Not
騸13
A.Nightingall
W.Moore
C.Fenwick
第57回
1895年 3月29日
Wild Man
騸7
J.Widger
J.Gatland
J.Widger
第58回
1896年 3月27日
The Soarer
騸7
10:11 1/5
T.Kavanagh
W.McAuliffe
W.Hall-Walker
第59回
1897年 3月26日
Manifesto
騸9
T.Kavanagh
W.McAuliffe
H.Dyas
第60回
1898年 3月25日
Drogheda
騸6
J.Gourley
R.Dawson
C.Adams
第61回
1899年 3月24日
Manifesto
騸11
G.Williamson
W.Moore
J.Bulteel
第62回
1900年 3月30日
Ambush II
騸6
10:01 0/5
A.Anthony
A.Anthony
H R H Prince of Wales
第63回
1901年 3月29日
Grudon
牡11
A.Nightingall
B.Bletsoe
B.Bletsoe
第64回
1902年 3月21日
Shannon Lass
牝7
D.Read
J.Hackett
A.Gorham
第65回
1903年 3月27日
Drumcree
騸9
10:09 2/5
P.Woodland
C.Nugent
J.Morrison
第66回
1904年 3月25日
Moifaa
騸8
A.Birch
W.Hickey
S.Gollan
第67回
1905年 3月31日
Kirkland
騸9
F.Mason
E.Thomas
F.Bibby
第68回
1906年 3月30日
Ascetic's Silver
牡9
9:34 0/5
A.Hastings
A.Hastings
Prince F.Hatzfeldt
第69回
1907年 3月22日
Eremon
騸7
9:47 1/5
A.Newey
T.Coulthwaite
S.Howard
第70回
1908年 3月27日
Rubio
騸10
H.Bletsoe
F.Withington
F.Douglas-Pennant
第71回
1909年 3月26日
Lutteur III
騸5
G.Parfrement
H.Escott
J.Hennessy
第72回
1910年 3月18日
Jenkinstown
騸9
R.Chadwick
T.Coulthwaite
S.Howard
第73回
1911年 3月24日
Glenside
騸9
10:35 0/5
J.Anthony
R.H.Collis
F.Bibby
第74回
1912年 3月29日
Jerry M
騸9
E.Piggott
R.Gore
C.Assheton-Smith
第75回
1913年 4月4日
Covertcoat
騸7
P.Woodland
R.Gore
C.Assheton-Smith
第76回
1914年 3月27日
Sunloch
騸8
B.Smith
T.Tyler
T.Tyler
第77回
1915年 3月26日
Ally Sloper
騸6
J.R.Anthony
A.Hastings
M.Nelson
※1916〜1918年は第一次世界大戦 の影響でエイントリー競馬場 が戦争省 に徴発されたことにより、施行場所をガトウィック競馬場に移し、「The Racecourse Association Steeplechase」(1916年)、「The War Steeplechase」(1917年〜1918年)と異なる競走名で行われた。
施行日
優勝馬
性齢
タイム
優勝騎手
管理調教師
馬主
1916年 3月24日
Vermouth
騸6
J.Reardon
J.Bell
P.Heybourn
1917年 3月21日
Ballymacad
騸10
E.Driscoll
A.Hastings
G.Bullough
1918年 3月21日
Poethlyn
騸8
E.Piggott
H.Escott
Mrs. H.Peel
回数
施行日
優勝馬
性齢
タイム
優勝騎手
管理調教師
馬主
第78回
1919年 3月28日
Poethlyn
騸9
E.Piggott
H.Escott
H.Peel
第79回
1920年 3月26日
Shaun Spadah
騸7
J.Anthony
A.Anthony
T.Gerrard
第80回
1921年 3月18日
Althorp
騸10
F.Rees
G.Poole
M.McAlpine
第81回
1922年 3月24日
Music Hall
騸9
L.Rees
O.Anthony
H.Kershaw
第82回
1923年 3月23日
Sergeant Murphy
騸13
G.Bennet
G.Blackwell
S.Sanford
第83回
1924年 3月28日
Master Robert
騸11
R.Trudgill
A.Hastings
Earl of Airlie
第84回
1925年 3月27日
Double Chance
騸9
9:42 3/5
J.Wilson
F.Archer
D.Goold F.Archer
第85回
1926年 3月26日
Jackhorner
騸9
9:36 0/5
W.Watkinson
H.Leader
A.Schwartz
第86回
1927年 3月25日
Sprig
騸10
T.Leader
T.Leader
M.Partridge
第87回
1928年 3月20日
Tipperary Tim
騸10
W.Dutton
J.Dodd
H.Kenyon
第88回
1929年 3月22日
Gregalach
騸7
9:47 3/5
R.Everett
T.Leader
M.Gemmell
第89回
1930年 3月28日
Shaun Gollin
騸10
T.Cullinan
F.Hartigan
W.Midwood
第90回
1931年 3月27日
Grakle
騸9
R.Lyall
T.Coulthwaite
C.Taylor
第91回
1932年 3月18日
Forbra
騸7
T.Hamey
T.Rimell
W.Parsonage
第92回
1933年 3月24日
Kellsboro' Jack
騸7
D.Williams
I.Anthony
F.Clark
第93回
1934年 3月23日
Golden Miller
騸7
9:20 2/5
G.Wilson
B.Briscoe
D.Paget
第94回
1935年 3月29日
Reynolds Town
騸8
F.Furlong
N.Furlong
N.Furlong
第95回
1936年 3月27日
Reynolds Town
騸9
F.Walwyn
N.Furlong
N.Furlong
第96回
1937年 3月19日
Royal Mail
騸8
E.Williams
I.Anthony
H.Thomas
第97回
1938年 3月25日
Battleship
牡9
B.Hobbs
R.Hobbs
M.Scott
第98回
1939年 3月24日
Workman
騸9
T.Hyde
J.Ruttle
A.Maguire
第99回
1940年 4月5日
Bogskar
騸7
9:21 0/5
M.Jones
Lord Stalbridge
Lord Stalbridge
第100回
1946年 月日
Lovely Cottage
騸9
B.Petre
T.Rayson
J.Morant
第101回
1947年 3月29日
Caughoo
騸8
E.Dempsey
H.McDowell
J.McDowell
第102回
1948年 3月20日
Sheila's Cottage
牝9
A.Thompson
N.Crump
J.Procter
第103回
1949年 3月26日
Russian Hero
騸9
L.McMorrow
G.Owen
F.Williamson
第104回
1950年 3月25日
Freebooter
騸9
9:23 3/5
J.Power
B.Renton
L.Brotherton
第105回
1951年 4月7日
Nickel Coin
牝9
9:48 4/5
J.Bullock
J.O'Donoghue
J.Royle
第106回
1952年 4月5日
Teal
騸10
9:20 3/5
A.Thompson
N.Crump
H.Lane
第107回
1953年 3月28日
Early Mist
騸8
B.Marshall
M.V.O'Brien
J.Griffin
第108回
1954年 3月27日
Royal Tan
騸10
9:32 4/5
B.Marshall
M.V.O'Brien
J.Griffin
第109回
1955年 3月26日
Quare Times
騸9
P.Taaffe
M.V.O'Brien
W.Welman
第110回
1956年 3月24日
E.S.B.
騸10
9:21 2/5
D.Dick
F.Rimell
L.Carver
第111回
1957年 3月29日
Sundew
騸11
F.Winter
F.Hudson
G.Kohn
第112回
1958年 3月29日
Mr What
騸8
A.Freeman
T.Taaffe
D.Coughlan
第113回
1959年 3月21日
Oxo
騸8
M.Scudamore
W.Stephenson
J.Bigg
第114回
1960年 3月26日
Merryman II
牡9
9:27 0/5
G.Scott
N.Crump
W.Wallace
第115回
1961年 3月25日
Nicolaus Silver
騸9
9:22 0/5
H.Beasley
F.Rimell
C.Vaughan
第116回
1962年 3月31日
Kilmore
騸12
9:50 0/5
F.Winter
R.Price
N.Cohen
第117回
1963年 3月30日
Ayala
騸9
9:35 0/5
P.Buckley
K.Piggott
P.Raymond
第118回
1964年 3月21日
Team Spirit
騸12
9:46 0/5
G.Robinson
F.Walwyn
J.Goodman
第119回
1965年 3月27日
Jay Trump
騸8
9:31 4/5
T.Smith
F.Winter
M.Stephenson
第120回
1966年 3月26日
Anglo
騸8
9:53 0/5
T.Norman
F.Winter
S.Levy
第121回
1967年 4月8日
Foinavon
騸9
9:49 2/5
J.Buckingham
J.Kempton
C.Watkins
第122回
1968年 3月30日
Red Alligator
騸9
9:29 0/5
B.Fletcher
D.Smith
J.Manners
第123回
1969年 3月29日
Highland Wedding
騸12
9:29 4/5
E.Harty
T.Balding
T.McKoy Jr.
第124回
1970年 4月4日
Gay Trip
騸8
9:38 0/5
P.Taaffe
F.Rimell
A.Chambers
第125回
1971年 4月3日
Specify
騸9
9:34 1/5
J.Cook
J.Sutcliffe
F.Pontin
第126回
1972年 4月8日
Well To Do
騸9
10:08 2/5
G.Thorner
T.Forster
T.Forster
第127回
1973年 3月31日
Red Rum
騸8
9:01.9
B.Fletcher
G.McCain
N.le Mare
第128回
1974年 3月30日
Red Rum
騸9
9:20.2
B.Fletcher
G.McCain
N.le Mare
第129回
1975年 4月5日
L'Escargot
騸12
9:31.0
T.Carberry
D.Moore
R.Guest
第130回
1976年 4月3日
Rag Trade
騸10
9:20.9
J.Burke
F.Rimell
P.Raymond
第131回
1977年 4月2日
Red Rum
騸12
T.Stack
G.McCain
N.le Mare
第132回
1978年 4月1日
Lucius
騸9
9:33.9
B.Davies
G.Richards
F.Whitaker
第133回
1979年 3月31日
Rubstic
騸10
9:52.9
M.Barnes
J.Leadbetter
J.Douglas
第134回
1980年 3月29日
Ben Nevis
騸12
10:17.4
C.Fenwick
T.Forster
R.Stewart Jr.
第135回
1981年 4月4日
Aldaniti
騸11
9.47.2
B.Champion
J.Gifford
N.Embiricos
第136回
1982年 4月3日
Grittar
騸9
9:12.6
C.Saunders
F.Gilman
F.Gilman
第137回
1983年 4月9日
Corbiere
騸8
9:47.4
B.de Haan
J.Pitman
B.Burrough
第138回
1984年 3月31日
Hallo Dandy
騸10
9:21.4
N.Doughty
G.Richards
R.Shaw
第139回
1985年 3月30日
Last Suspect
騸11
9:42.7
H.Davies
T.Forster
A.of Westminster
第140回
1986年 4月5日
West Tip
騸9
9:33.0
R.Dunwoody
M.Oliver
P.Luff
第141回
1987年 4月4日
Maori Venture
騸11
9:19.3
S.Knight
A.Turnell
J.Joel
第142回
1988年 4月9日
Rhyme'n'Reason
騸9
9:53.5
B.Powell
D.Elsworth
J.Reed
第143回
1989年 4月8日
Little Polveir
騸12
10:06.9
J.Frost
T.Balding
E.Harvey
第144回
1990年 4月7日
Mr Frisk
騸11
8:47.8
M.Armytage
K.Bailey
L.Duffey
第145回
1991年 4月6日
Seagram
騸11
9:29.9
N.Hawke
D.Barons
E.Parker
第146回
1992年 4月4日
Party Politics
騸8
9:06.4
C.Llewellyn
N.Gaselee
P.Thompson
第147回
1994年 4月9日
Miinnehoma
騸11
10:18.8
R.Dunwoody
M.Pipe
F.Star
第148回
1995年 4月8日
Royal Athlete
騸12
9:04.1
J.Titley
J.Pitman
G. & L. Johnson
第149回
1996年 3月30日
Rough Quest
騸10
9:00.8
M.Fitzgerald
T.Casey
A.Wates
第150回
1997年 4月7日
Lord Gyllene
騸9
9:05.9
A.Dobbin
S.Brookshaw
S.Clarke
第151回
1998年 4月4日
Earth Summit
騸10
10:51.5
C.Llewellyn
N.Twiston-Davies
The Summit Partnership
第152回
1999年 4月10日
Bobbyjo
騸9
9:14.1
T.Carberry
T.Carberry
B.Burke
第153回
2000年 4月8日
Papillon
騸9
9:09.7
R.Walsh
T.Walsh
B.Morgan
第154回
2001年 4月7日
Red Marauder
騸11
11:00.1
R.Guest
N.Mason
N.Mason
第155回
2002年 4月6日
Bindaree
騸8
9:08.6
J.Culloty
N.Twiston-Davies
R.Mould
第156回
2003年 4月5日
Monty's Pass
騸10
9:21.7
B.Geraghty
J.Mangan
Dee Racing Syndicate
第157回
2004年 4月3日
Amberleigh House
騸12
9:20.3
G.Lee
G.McCain
Halewood International
第158回
2005年 4月9日
Hedgehunter
騸9
9:20.8
R.Walsh
W.Mullins
T.Hemmings
第159回
2006年 4月8日
Numbersixvalverde
騸10
9:41.0
N.Madden
M.Brassil
O.Carroll
第160回
2007年 4月14日
Silver Birch
騸10
9:13.6
R.Powerl
G.Elliott
B.Walsh
第161回
2008年 4月5日
Comply or Die
騸9
9:16.6
T.Murphy
D.Pipe
D.Johnson
第162回
2009年 4月4日
Mon Mome
騸9
9:32.9
L.Treadwell
V.Williams
V.Bingham
第163回
2010年 4月10日
Don't Push It
騸10
9:04.5
A.McCoy
J.O'Neill
J.McManus
第164回
2011年 4月11日
Ballabriggs
騸10
9:01.2
J.Maguire
D.McCain
T.Hemmings
第165回
2012年 4月14日
Neptune Collonges
騸11
9:05.1
D.Jacob
P.Nicholls
J.Hales
第166回
2013年 4月6日
Auroras Encore
騸11
9:12.0
R.Mania
S.Smith
D.Pryde, J.Beaumont, D.van Der Hoeven
第167回
2014年 4月5日
Pineau de Re
騸11
9:09.9
L.Aspell
R.Newland
J.Proven
第168回
2015年 4月11日
Many Clouds
騸8
8:56.8
L.Aspell
O.Sherwood
T.Hemmings
第169回
2016年 4月9日
Rule The World
騸9
9:29.0
D.Mullins
M.Morris
第170回
2017年 4月8日
One For Arthur
8
9:03.5
D.Fox
L.Russell
第171回
2018年 4月14日
Tiger Roll
騸8
9:40.1
D.Russell
G.Elliott
第172回
2019年 4月6日
Tiger Roll
騸9
D.Russell
G.Elliott
第173回
2020年 4月4日
新型コロナウイルスの影響で中止
第174回
2021年 4月10日
Minella Times
騸8
9:15.42
R.Blackmore
H.Bromhead
J.P.McManus
第175回
2022年 4月9日
Noble Yeats
騸7
9:03.6
S.Waley-Cohen
E.Mullins
第176回
2023年 4月15日
Corach Rambler
騸9
9:10.62
D.Fox
L.Russell
第177回
2024年 4月13日
I Am Maxiumus
騸8
9:27.68
P.Townend
W.Mullins
J.P.McManus
競走名:1836年〜第4回 「The Grand Liverpool Steeplechase」、第5〜8回 「The Liverpool and National Steeplechase」
日本調教馬の参戦
過去に1頭だけこの競走に参戦した競走馬がいる。日本の中山大障害を4勝したフジノオー である(1966年 )。
日本の障害チャンピオンホースとして参戦したフジノオーには当時の規定により最重ハンデの76.2kgのハンデキャップが与えられた。これは、イギリスにおいて必要な競走数をこなしていないため規定により最も重いハンデが課せられた(チャンピオンホースにはハンデを軽くすることは失礼に値するという紳士的な考え方に基づくものという説もある)。なおフジノオーは15番目の障害で馬が飛越を拒否、競走中止となっている。
また日本人騎手として1995年 には田中剛 がアイルランド のザコミッティ(The Committee)に騎乗、こちらも転倒により競走中止に終わった。
この他、グランドマーチス が挑戦する話があり一部新聞報道されたが計画が具体化する前に故障を発症して引退した。
バーチャルグランドナショナル
バーチャルグランドナショナル (Virtual Grand National)とは2017年 から毎年開催されているバーチャル版のグランドナショナルである。
歴代優勝馬
2017:Cause of Causes
2018:Tiger Roll
2019:Rathvinden
2020:Potters Corner
2021:Cloth Cap
各国の「グランドナショナル」
このグランドナショナルに倣って、各国でグランドナショナルの名称のつくあるいはそれに準じる競走が行われている。以下がその例である。
脚注
注釈
^ プレミアムハンデキャップの事。
^ イギリス障害競走で賞金総額第2位のチェルトナムゴールドカップ は57万5,000ポンド。
^ イギリスの障害重賞は"group"でなく"grade"で表記される。
^ この落馬もあって1周目を終えた頃には僅か7頭のみとなり、2周目での更なる落馬の結果2頭のみが無事故で完走。他に2頭が落馬後再騎乗してゴールインし、計4頭が完走した。
^ 2019年2頭、2021年1頭、2022年2頭。
^ 第1障害で飛越に失敗して予後不良 となったヒルシックスティーンを手掛けたサンディ・トムソン調教師は、発走が遅延している間にテンションが上がったと言い、抗議者たちの行動がヒルシックスティーンの競走歴初の飛越失敗の一員となったと感じた。
出典
各回競走結果の出典
レーシング・ポスト より(最終閲覧日:2017年8月16日)
1988 , 1989 , 1990 , 1991 , 1992 , 1994 , 1995 , 1996 , 1997 , 1998 ,
1999 , 2000 , 2001 , 2002 , 2003 , 2004 , 2005 , 2006 , 2007 , 2008 ,
2009 , 2010 , 2011 , 2012 , 2013 , 2014 , 2015 , 2016 , 2017 , 2018
2023 , 2024
外部リンク