セルゲイ・アレイニコフ(露: Сергей Евгеньевич Алейников - Serguei Yevgenyevich Aleinikov, 1961年11月7日-)は、ベラルーシ出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー(センターハーフ)。旧ソ連出身者としての史上初の国外移籍を行ったサッカー選手である[1]。 なお、Сергей Евгеньевич Алейников (セルゲイ=イェヴゲニイェヴィチ=アリェイニコフ)の綴りと読みは共にロシア語のものであり、ベラルーシ語では、Сяргей Яўгенавіч Алейнікаў (シャルヘイ=ヤウへニイェヴィチ=アリェイニカウ)となる。ただし、ロシア語の普及率が高いベラルーシにおいてはベラルーシ人が対外的にロシア語の名を名乗ることも一般的である。
1981年にディナモ・ミンスクでそのキャリアをスタートさせる。1989年まで同クラブに在籍し、1982年にはクラブにとって唯一となるソ連リーグタイトルを獲得した。ソ連代表としては、1984年3月28日に西ドイツ代表戦で国際Aマッチにデビューした。1986 FIFAワールドカップではハンガリー戦で大会のベストゴールのひとつにも数えられるゴールを決めるなど[2]、ソ連の決勝トーナメント進出に貢献、準優勝したEURO1988では、グループリーグのイングランド戦でゴールを決め、決勝トーナメント進出に貢献、決勝ではオランダに敗れたが、全試合に出場した。ユーロ1992にもCIS代表として出場した。
前年のEURO1988での活躍により[2]、1989-90シーズンにイタリアのユヴェントスに移籍、リーグ戦では30試合3ゴールの成績を残し、UEFAカップとコッパ・イタリアを獲得した[3]。その後セリエAの、USレッチェで2シーズンプレー、1993年に日本のガンバ大阪に移籍した。1994年5月4日のジュビロ磐田戦でJリーグ初ゴールを決め[4]、Jリーグでは通算83試合14ゴールの成績を残した[4]。その後はスウェーデンのIKオデヴォルドを経て、イタリアのセリエDのクラブで引退した。 2012年現在、日本のJリーグでプレーした唯一のベラルーシ代表選手である。
引退後は主に育成年代や下位リーグのクラブを指導している。2003年にロシアのトルペド・メタルルグ・モスクワ監督に就任したが、8試合で解任された。
2004年のUEFAジュビリーアウォーズにおいて、ベラルーシサッカー協会によって同国のゴールデンプレイヤー(過去50年間の最優秀選手)に選ばれた[2]。 2013年、ユヴェントス・レジェンズの一員としてベガルタ仙台との記念試合に出場した。
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