ショーン・テレンス・ヤング(Shaun Terence Young、1915年6月20日 - 1994年9月7日)は、イギリスの映画監督。映画007シリーズの初期の監督として知られる。
来歴
英国警察署長の父のもと、1915年、上海市の共同租界に生まれる[1]。英国で学び、ケンブリッジ大学を出る。大学ではテニス・ラグビー・クリケットが得意だった。大学新聞に批評を書き、夏はブリティッシュ・インターナショナル・ピクチャーズでアルバイトをし、卒業後脚本家となる。1941年、メロドラマ『デンジャー・イン・ムーンライト』の脚本家として注目される。
ヤングは第二次世界大戦後期のマーケット・ガーデン作戦の際、イギリス軍の戦車部隊長を務めており、激戦地のアルンヘムで砲撃の指揮をとっていた。後に「もう少し左を狙っていたら(当時同地に住んでいたオードリー・ヘプバーンを撃ってしまって)、今頃はこの仕事についていないだろう」とよく冗談を言っていたという[2][3]。
ロンドンで脚本家、助監督を経て監督になり[4]、1953年の『赤いベレー』でハリウッドデビューを果たす。
1962年には007シリーズ第1作『ドクター・ノオ』をヒットさせ、『ロシアより愛をこめて』、『サンダーボール作戦』の3作を監督した。映画を作るにあたり、無名だったショーン・コネリーを行きつけの高級テーラーに連れて行き、スーツを日常的に着させるところから始めたことから、ジェームズ・ボンドのファッションはテレンス・ヤングの嗜好が少なからず反映されているとも言える[5]。『サンダーボール作戦』を製作後、「最終作を撮る時は戻ってくる」と言い残して去ったが、結局最後までカムバックすることはなかった。
1994年にフランス、カンヌの病院で[4]心不全により79歳で死去した[1]。
主な監督作品
脚注
外部リンク
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