フラワーボウル(Flower Bowl、1952年 - 1968年)とは、アメリカ合衆国のサラブレッドの競走馬、および繁殖牝馬である。とくに繁殖牝馬として優れ、アメリカ殿堂馬ボウルオブフラワーズなどの活躍馬を送り出した。
経歴
ブルックミードステーブル名義のもとで競走生活を送った馬で、競走馬時代にはデラウェアハンデキャップとレディーズハンデキャップでステークス競走勝ちを収めている。
引退後は1957年よりブルックミードステーブルで繁殖牝馬となった。この翌年に生まれた第1子がボウルオブフラワーズ(Bowl of Flowers)で、同馬は2歳時から活躍、翌年にはエイコーンステークスとコーチングクラブアメリカンオークスの牝馬二冠を達成する大きな成果を挙げた。
1962年にブルックミードステーブルの所有者であったイザベル・ドッジ・スローンが死亡すると、フラワーボウルはウィンストン・ゲストの手に渡り、その後キングランチを運営するジョン・W・ガルブレスに購入された。このガルブレスの牧場で最初に生まれた産駒がグロースターク(Graustark 1963年生、牡馬)で、同馬もまた競走馬として2歳から活躍した。クラシック出走前に怪我により引退したが、種牡馬としても成功し、ダービーダンファームの生産の柱となった。
フラワーボウルは1968年4月16日、グロースタークの全弟にあたるヒズマジェスティ(His Majesty 1968年生、牡馬)を産んで間もなく死亡した。ヒズマジェスティはグロースタークと同様に種牡馬として活躍し、リボーの系統を伸ばした代表的な種牡馬となっている。
フラワーボウルの子孫の牝系からは、まだこれといった著名な競走馬は出ておらず、ボウルオブフラワーズの子に種牡馬として成功したウィスキーロード(Whiskey Road 1972年生、牡馬 父ニジンスキー)がいる程度である。
フラワーボウルの遺骸はダービーダンファームの墓地の、アイドルアワーストックファーム時代の名牝ブロッサムタイムの隣に埋葬されている。
評価
おもな勝鞍
※当時はグレード制未導入
- 1956年(4歳)
- デラウェアハンデキャップ、レディーズハンデキャップ
表彰
血統表
参考文献
- Etched in Stone : Thoroughbred memorials [p.82-83] (2000 著者: Lucy Zeh、 出版: Blood-horse Inc. ISBN 1-58150-023-8)
外部リンク