フランク・ジュリアン・スプレイグ(Frank Julian Sprague、1857年7月25日 - 1934年10月25日)は、アメリカ海軍の士官、発明家で、モーター、電気鉄道、電気式エレベーターの開発に貢献した人物である。彼の発明は、交通機関の改善を通じて都市の規模を拡大することを可能にし、エレベーターを利用して超高層建築物を建設することにより商業の集積を可能にしたという点で、都市の発展に大きく貢献した。このため、彼は「電気駆動の父」(Father of Electric Traction)と呼ばれている[1]。
1883年、トーマス・エジソンの同僚のエドワード・ジョンソン(Edward H. Johnson)がスプレイグを、海軍を辞めてエジソンの研究所に来るように説得した。ニュージャージー州メンロパーク(Menlo Park)のエジソン研究所での彼の貢献の一つに、数学的手法の導入が挙げられる。彼が参加するまで、エジソンは費用の掛かる実験の試行錯誤をかなりの数で実施していた。スプレイグの方法では、数学を用いて最適な設定を計算し、不必要な繰り返し実験を大幅に省略することができた。また、エジソンが開発した中央変電所からの送配電システムの修正など、エジソンのために重要な貢献を行った。1884年、彼は電気の他の分野に関心を移し、スプレイグ電気鉄道・モーター会社(Sprague Electric Railway & Motor Company)を設立するためにエジソン研究所を離れた。
スプレイグはまた、路面電車用の架線から集電する方式も発明した。ばねの力を利用したトロリーポールは1880年に発明された[2]。竿状のポール本体先端の架線と接触する部分には、摺動によるスライダーシューではなくトロリー・ホイールと呼ばれる金属製の滑車を用い、走行中この部分が回転しながら架線と接触、滑車とその軸受経由で架線からの電力を車両に供給、帰線には車輪と線路を用いる構造としていた。1887年後半から1888年初期にかけて、このトロリーポールを用いてスプレイグは、最初に成功を収めた路面電車システムであるリッチモンド・ユニオン旅客鉄道(Richmond Union Passenger Railway)をバージニア州リッチモンド(Richmond)に敷設した。長らく交通の障害となってきた、リッチモンドの10%を超える勾配のある丘は、彼の新技術を他の都市に普及させるために優れた実証場所となった。
1892年、スプレイグはスプレイグ電気式昇降機会社(Sprague Electric Elevator Company)を設立し、チャールズ・R・プラット(Charles R. Pratt)と共にスプレイグ・プラット式電気エレベーターを開発した。彼の会社では、階床制御の自動式エレベーターや安全上のかごの加速度制御、多くの貨物エレベーターなどを開発した。スプレイグ・プラット式エレベーターは従来の水圧式や蒸気式のエレベーターに比べて速く動作し搭載能力も大きく、世界中で584台のエレベーターが設置された。スプレイグは1895年に会社をオーチス・エレベータ・カンパニーに売却した。
1896年から1900年まで、スプレイグはニューヨーク・セントラル鉄道(New York Central Railroad)のターミナル電化委員会に加わった。この仕事には、彼が路側信号機に列車が従うことを保証する自動列車保安装置を設計した、ニューヨークグランド・セントラル駅が含まれている。彼はスプレイグ保安制御・信号会社(Sprague Safety Control & Signal Corporation)を設立してこのシステムを開発・製作した。
1999年に、フランクとハリエットの孫のうちの2人、ジョン・L・スプレイグ(John L. Sprague)とピーター・スプレイグ(Peter Sprague)がテープカットを行い、ショア・ライン路面電車博物館の新しい展示品である1884年のスプレイグのモーターの運転を開始した。そこでは新しい常設展示として、「フランク・J・スプレイグ: 発明家・科学者・技術者」というコーナーが、電気が都市の発展に果たした役割と電気駆動の父が果たした役割を説明している。