ブルッヘ (オランダ語 : Brugge , [ˈbrʏʝə] 発音例 )(またはブリュージュ (フランス語 : Bruges , [ˈbʁyːʒ] 発音例 )、ブルージュ (英語 : Bruges , [ˈbruːʒ] 発音例 ))は、ベルギー 北西部、フランデレン地域 の都市で、ウェスト=フランデレン州 の州都。ベルギーの代表的な観光都市 の一つであり、2002年 には、スペイン王国 のサラマンカ とともに欧州文化首都 に選定された。
概要
ウェスト=フランデレン州 庁舎
名称
日本の百科事典や地名事典では「ブルッヘ」ないし「ブリュッヘ」が用いられることが多いが、観光業などの分野では「ブルージュ 」や「ブリュージュ 」も多く用いられている。なお、地名の由来は「橋」であり、市内に張り巡らされた運河に架かる無数の橋に因んでいる。
地理
近隣都市
近隣の都市としては、約40キロ南東にヘント 、90キロ南東にブリュッセル 、85キロ東にアントウェルペン が位置している。フランス共和国 のリール が約65キロ南に位置している。
歴史
沿革
9世紀 、初代フランドル伯 のボードゥアン1世 によって建てられた城塞が街の起源とされる。3代アルヌルフ1世 の時代に、聖ドナティアン教会や聖サルヴァトール教会が建てられ、城塞も強化された。
12世紀 に大津波が、海 から10km以上も離れたブルッヘを襲った。その時に残された大きな溝に運河 を作り、フランドル伯フィリップ・ダルザス のもとでズウィン湾 とブルッヘを結ぶ水路が整備され、町中に水路を張り巡らせ、船 での交易に便利な港町を作った。ブルッヘは北海 に出る玄関口として格好な場所となった。
イギリス や北欧 と内陸を結ぶ交易は、13世紀 になるとハンザ同盟 の在外商館がおかれたほか、1277年にジェノヴァ 商人が大西洋沿岸を経由してズウィン湾にまで訪れるようになり、金融・貿易の一大拠点として繁栄した。裕福になった市民 は、自分たちの成功の象徴として、町の真ん中に高い塔である鐘楼 を建てた。教会 が社会 を支配していた時代 、時を告げる鐘楼は、教会や王の権威や権力が強いところでは市民が建てることはできなかったが、ブルッヘの市民は自分たちで市場の開始の時刻を告げる鐘楼を建てることで、その自立を表した。それは資本主義社会の最初の拠点であるとされる。
15世紀 以降、運河やズウィン湾に土砂が堆積して大型船舶の航行に支障を来たすようになり、運河港としても経済の中心地としてもその重要性を失って、衰退していった。しかし、19世紀 に運河が再生され、美しい水の都として再び人々を魅了するようになり、中世の面影を残した町並みが現在まで残されることとなった。同世紀末には写真が挿入された小説『死都ブリュージュ 』で脚光を浴びた。
第一次世界大戦 ではドイツに制圧され、近隣のゼーブルッヘ地区やオステンド にUボート 基地が建設された。これらの町の港とは水路で繋がっていた事からイギリス軍の攻撃目標(ゼーブルッヘ襲撃 、第1次オーステンデ襲撃 )となるが、ブルッヘが直接攻撃される事は無かった。
経済
産業
伝統的なレース 産業のほか、造船 業も盛ん。ブルッヘ歴史地区 として世界遺産 にも定められたその美しい街並みは多くの観光客を集めており、観光産業も発展している。
ブルッヘ・ゼーブルッヘ港
旧市街から北海 の海岸沿いにあるブルッヘ・ゼーブルッヘ港 (オランダ語版 ) までは15キロ程度。この港は、ベルギーで2番目の大きさを誇る。ブルッヘまではボードワン運河でつながっている。ゼーブルッヘ (オランダ語版 ) は、海上のブルッヘ(Brugge aan zee[1] )が由来である。イギリスや人口密度の高い工業都市に近く、周辺へのアクセスも容易な地域であるため物流において重要な港である[2] [3] 。また、2013年 (平成 25年)7月 に、日本国 の名古屋港 と友好港提携を調印している。
交通
オステンド・ブルージュ国際空港
ブルッヘ駅
空港
最寄りの空港は、オーステンデ にあるオーステンデ=ブルッヘ国際空港
鉄道
ベルギー国鉄
50A号線
オーストカンプ駅 - ブルッヘ駅 - ファルエナーレ駅
51号線
ブルッヘ駅 - ブルッヘ=シント=ピーテルズ駅
66号線
ブルッヘ駅 - シント=ミッシェルズ駅
道路
高速道路
港湾
ギャラリー
観光
世界遺産
ブルッヘは3種の世界遺産登録物件を抱える都市であり、世界遺産都市機構 にも参加している。
スポーツ
サッカー
ヤン・ブレイデルスタディオン
ブルッヘではサッカー が最も人気のスポーツ となっており、サッカーリーグのジュピラー・プロ・リーグ に所属する、クラブ・ブルッヘ とサークル・ブルッヘ の2チームが存在する。クラブ・ブルッヘはベルギー 国内屈指の強豪として知られており、これまでに何度もUEFAチャンピオンズリーグ の本大会に出場している。
一方、サークル・ブルッヘはリーグ優勝3度を数えるものの、1929-30シーズンを最後に優勝からは遠ざかっている古豪 クラブである。また、元鹿島アントラーズ の植田直通 や上田綺世 らも所属した。
著名な出身者
対外関係
姉妹都市・提携都市
国内
国外
姉妹港・提携港
国外
脚注
^ Degraer, Hugo (1968). Repertorium van de pers in West-Vlaanderen 1807-1914 . Nauwelaerts, University of Michigan. p. 143. https://books.google.com/books?id=1f7iAAAAMAAJ
^ Wickman, Stephen B. (1986), Belgium, a country study, Volume 1984 , Headquarters, Dept. of the Army, p. 199, https://books.google.com/books?id=Ex8uAAAAYAAJ
^ World fishing, Volume 40 . IPC Industrial Press. p. 15. https://books.google.com/books?id=j6kmAQAAIAAJ ]
参考文献
河原温著 『ブリュージュ フランドルの輝ける宝石』 中公新書、2006年
関連項目
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
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