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三井造船 製MV-PP10大分ホーバーフェリー 所属大分空港 沖で2004年7月撮影
ホバークラフト またはホーバークラフト (英語 : Hovercraft )は、圧縮空気を下向きに噴出することで浮上航行を行う高速船 である[1] 。浮上状態では抵抗が極めて少ないため、およそ100 km/h での高速航行が可能。船舶だが水陸両用であるため陸上で乗降できる。
呼称
「Hovercraft 」は、イギリス のブリティッシュ・ホーバークラフト 社(British Hovercraft Corporation )の商標であるが、同社が一般名称としての使用を認めているため、正式名称である「Air-Cushion Vehicle 」(ACV=エアクッション艇)よりも「Hovercraft 」と呼ばれる方が普通になっている。
狭義にはホバークラフトは外周ゴムスカートを備えた形態を指し、エアクッション艇はそれ以外の、側壁型とも呼ばれる双胴船 に近い形態の下部にエアクッションを形成するもの(シェル級ミサイル艇 やテクノスーパーライナー )や、飛行艇 の一種ともいえる地面効果翼機 (WIG、エクラノプラン )等を含めた広義と使い分けることもある(ただしこれら他形式の実用事例はホバークラフトと比べても少数派にとどまる)。
日本語では「ホバー クラフト」「ホーバー クラフト[2] 」の両表記が併存している。
発音上はアメリカ英語 だと「ホバー」のほうが近く、イギリス英語 だと「ホーバー」のほうが近い。[要出典 ]
発祥の地イギリスからライセンスを得て建造を進めた三井造船 では「ホーバー」のほうを呼称採択し、日本国内のかつての運航各社(大分ホーバーフェリー 、空港ホーバークラフト、日本ホーバーライン)もこれに倣っていた。また、伊勢湾航路で運航していた名鉄海上観光船、宇高航路で運航していた国鉄およびJR四国、南西諸島で運航していた八重山観光フェリー、能登 - 佐渡で運航していた日本海観光フェリーでも「ホーバー」と呼ばれていた。
2024年に就航する大分空港海上アクセス の場合、運航会社の「大分第一ホーバードライブ」、官公庁、マスメディアいずれも「ホーバー」表記を用いている[2] 。
仕組み
ホバークラフトの仕組みを描いた図。 ①推進・操向用のプロペラ。②空気の流れ。③浮上用のファン。④スカート。
ホバークラフトは、上から吸い込んだ大量の空気 を艇体の下にある海面などに直接吹き込み続けることで海面から浮上する。艇体下部はスカートと呼ばれる合成ゴム 製のエアクッション用側壁が四方に垂れ下げられており、吹き込まれた空気を運行上十分な高さで保持する。この側壁下部と水面または地面との隙間から常に空気が漏れ出ることにより完全に艇体の全てが空中に浮かぶため、平坦な面上では接触抵抗が全く発生しない。この隙間より大きな凹凸でもスカート部によって作られた空気浮揚空間の高さまでは、金属 製の艇体に接触することが避けられる。
スカート部への圧縮空気の供給を止めたり、スカートが破損してエアクッションが維持できなくなると、空気圧による浮揚力が失われて艇体の底部がそのまま水面または地面と接触する。水上でそのような事態が起きても沈没しないよう、艇体は一般的な船舶と同様の水密構造 を備える。
ほぼ全ての機種では飛行機 のように空気を押すことで推進力を得るためのプロペラ を備えるが、例外的に水中にスクリュー・プロペラをもつ機種もある。浮上しているため水面や地面の抵抗を受けずに高速に航行できる。平坦な場所であれば陸上でも使用できるが、沼地以外では凹凸が障害となるために実際には水上で利用されることが多く、ほとんどは船舶 としての扱いを受ける。
進行方向の制御にはプロペラ直後に設けられたラダー や、左右のプロペラピッチの差動を用いる。船首付近にサイドスラスター を設けた機種も多く、これらを組み合わせることで超信地旋回 など一般的な船舶には不可能な機動が可能となる。浮上中は接触抵抗が極めて少ないため船首の向きと進行方向がズレやすく、大きなラダー操作を行うと容易に横滑り(ドリフト)する。この特性を利用して意図的なドリフト 航行を用い、プロペラの推力を外側(旋回方向と逆向き)に向けることで急旋回を行うこともある。ホバークラフト競技ではドリフトによる方向転換が頻繁に行われているほか、大分空港 のホーバークラフト航走路は途中に急激なS字カーブがあり、進路に対して90度近い角度でドリフト航走をすることで知られていた。
長所と短所
ニュージーランド の海岸で停泊中のホバークラフト。ホバークラフトは停泊・整備の際には地上に上がる必要がある
長所
水陸両用 で、特に他の乗り物では航行や走行が困難な浅瀬 や湿地 でも、エアスカートの高さ程度までの凹凸なら速度を落とさずに移動できる。
通常の船舶 よりはるかに高速である。
水中や地表の環境に与える影響が少ない。
機雷 、魚雷 、地雷 が反応しにくい。
短所
浮上と推進に大量の空気を圧縮・加速し続けるために、多くのエネルギーを消費して燃費が悪く騒音と振動も大きい。
エアクッションによって船体を支えるため、2乗3乗の法則 による制約を受けて大型化が難しい。
波浪 や強風など悪天候に弱く、英仏海峡 では大きな事故を経験した。
スカートに大きな破損を受け、エアクッションが失われると、浮揚に障害を生じる(大型艇のスカート部は小分けされているため軽微な損傷による影響は無い)。
半消耗品であるスカートの維持交換費用も運用費を押し上げる。
操縦に特殊な技能が要求される。
わずかな斜面でも直進性が失われるため、陸上での運用には制約が大きい。
保守を行なう港湾には上陸用斜面が求められる。
特に民生分野では、水陸両用車 と同じく水上、陸上でそれぞれ異なる規制・法律が適用されるため、水陸両用の特性を発揮しにくい。
法的問題
船舶検査において、ホバークラフトは大洋 を航行することができる船舶であり、外洋で遭遇する各種気象条件、波浪条件に対応できる本船並の取り扱いとして小型船舶機構 には任せないため特殊船舶 として扱われているが、これは実情を反映しておらず、競技用の小形艇まで本船並の取り扱いとなって煩雑を極め、かつ実質的に競技艇を建造することができなくなってしまうので、競技関係者の働き掛けによって全長6 m未満の艇は暫定的に簡略基準を用いることになった。それから相当の年月が経過し、日本国内でも多目的汎用ホバークラフトが少しずつ使用されるようになり、使用要求も各方面から出てきているものの、法規制は簡単には変更されず、全長6 mの制限が継続されている。そのため実際の汎用艇は4 - 6人乗り艇に制限される[3] 。
用途
旅客用としての開発当初、ホバークラフトは高速性や水陸両用などの特性から「夢の乗り物」、近未来の交通機関として注目された。一例として、小説『日本沈没 』にも、ホバークラフトが日本において高級ヨット程度の一定の成功を収めている「未来」が描かれている[注 1] 。実際には、特に1960年代から1970年代にかけて旅客航路への投入が相次いだが、次第に様々な短所(騒音、高い船価と燃料費、悪天候に弱くわずかな波高でも欠航になりやすい、エアクッション(スカート)のメンテナンスが大変)が浮き彫りとなり、休止・廃止されていった。
旅客用
イギリスでは、グリフォン・ホーバーワークス (英語版 ) が旅客用の大型船を製造しており[4] 、傘下のホーバートラベルがポーツマス からワイト島 への連絡用に旅客定期航路を運航している。
日本では、旅客航路が2009年以降消滅していたが、2024年より大分空港海上アクセス で15年振りに就航する[5] 。
同空港は別府湾 を挟んで大分市街の対岸に位置しており、陸路では湾曲した海岸線を迂回しなければならない。以前は大分ホーバーフェリー が空港と大分を25分で結んでいたが、旅客減少で2009年に運航を休止した。
その後、大分市街から空港への公共交通機関はバスのみになったが、1時間を超える移動時間が解消不能で不便さが指摘された結果、県が2018年から海上アクセス再開に向けて[6] 使用船種の検討に入った。
2020年になり、県は約3年後のホーバー運航再開を発表し[7] 、11月には新たな事業者に第一交通産業グループが内定[8] 。2022年10月に運航会社「大分第一ホーバードライブ」が設立された。船はグリフォン社の12000TD型 を導入する。
大分空港の敷地は海に面しているが、構造上岸壁からターミナルビルまで距離があり、ジェットフォイルや通常の高速船では下船後の移動に時間がかかる。ホバークラフトであれば海岸からターミナルビルまでの航走路(650メートル)が残存しており、再利用してターミナルビル前へ直接乗り入れられる点が有利とされた。
大分市側の乗り場は西大分に新設される。タクシー・バスで大分市街地から短時間でアクセスできるほか、JR西大分駅 から徒歩でも到達可能である。また、付近の西大分フェリーターミナルにはフェリーさんふらわあ の神戸航路が就航している。2024年の開業後は世界に2つしかないホバークラフト航路の1つとなるため、珍しさによる利用客増も期待されている[2] 。
軍用
普及が進んでいない民生分野と異なり、逆に軍用ホバークラフトは徐々に活躍の場を広げつつある。民生分野では障害となった前述の欠点は、軍事分野ではさほど問題とはならず、逆に高速性や、一般の船舶 では侵入が難しい浅瀬 や海岸 での行動の自由など、軍事作戦の幅を拡大させる長所が注目された。軍用ホバークラフトはかつては主に近海・浅海域や河川 の哨戒などに投入されていたが、大型・高性能化するにしたがって上陸作戦 にも応用されるようになっている。
哨戒用
アメリカ海軍がベトナム戦争で哨戒艇(PACV)として投入したベル SK-5
ドック型揚陸艦 ガンストン・ホール(LSD-5 Gunston Hall) から発進するPACV(1967年 頃)
ベトナム戦争 中に米海軍 が水陸両用の新兵器 として、Patrol Air Cushion Vehicle(PACV) の名称で数隻を実戦に試験投入した。投入されたのはサンダース・ロー SR.N5 をライセンス生産 したベル SK-5 で、一種の河川哨戒艇 であったが、大騒音によって敵に事前に察知されやすいこと、ゴム 部分に被弾するとすぐに行動不能になるなど艇体が脆弱であることが弱点とされた。さらには陸上運用も可能であることが米陸軍 との確執を生んで評価は芳しくなく(陸軍も試験運用した)、結局、本格的に運用される事は無かった。
グリフォン・ホーバーワークス (英語版 ) のホバークラフトは各国海軍 、沿岸警備隊 に納入されているほか、中国人民解放軍海軍 もこの発想に近いと思われる小型のホバークラフト724型 (戦車揚陸艦 に搭載可能)を運用する。
イギリス製のホバークラフトは革命 前のイラン にも輸出され、イラン海軍 に配備された。革命後は支援途絶により非稼動とも考えられたが、一部はイラン・イラク戦争 当時から現在 [いつ? ] に至るまで、ペルシャ湾 沿岸における同軍の哨戒・兵員 輸送 に活用されているという。
揚陸・輸送用
アメリカ海軍のLCAC揚陸艇
ロシア海軍のポモルニク型揚陸艇
21世紀 現在、軍用ホバークラフトは揚陸時の輸送 任務においても大きな役割を担っている。ホバークラフト(エア・クッション型揚陸艇 )は、従来型の揚陸艇よりも遥かに高速で侵攻できるほか、上陸可能な海岸線も拡大するため、揚陸作戦に柔軟性をもたらすことが可能となる。従来の小さいペイロード では人員や軽車両の運搬がせいぜいだったが、技術の向上により艇体が大型化すると、重量のある主力戦車 などの輸送も可能となり、揚陸作戦への本格的な投入が実現した。
米海軍や海上自衛隊 では輸送艦 や強襲揚陸艦 に搭載し、上陸用舟艇 として利用する。軍用ホバークラフトでは代表的なLCAC-1級エア・クッション型揚陸艇 の場合、50トンを超える主力戦車を1両運搬するだけの能力を持つ。韓国海軍 や中国人民解放軍海軍もそれぞれLCAC-1級に類似した揚陸艇を製造し、ドック型揚陸艦 に搭載している。
アメリカ陸軍 も、輸送任務用として独自にLACV-30 を運用している。これは民間向けのホバークラフトを購入し、軍事用途に転換したものである。LCAC-1に比べて設備が簡略化されており、非武装であることからもっぱら後方での輸送・支援任務に用いられている。
ソ連海軍 でも輸送用の大型ホバークラフトを開発・運用したが、西側諸国 とはまた異なる発展を見せた。大別して大型の揚陸艦 に搭載される「舟艇型」と、独立・独航して揚陸輸送を行なう「高速揚陸艦型」の2種があり、後者の代表としてはアイスト型、ポモルニク型 が存在する。いずれも登場当時は世界最大の軍用ホバークラフト(エア・クッション型揚陸艇)であり、多連装ロケット弾 発射機など相当な武装 も施されている。一部はギリシャ 、韓国 にも輸出されている。
一方、舟艇型としてはイワン・ロゴフ級揚陸艦 に搭載可能なレベド(レベッド)型 、ムレナ型 が開発されたが、イワン・ロゴフ級の活動が低下するに従い陸上基地で運用されるようになり、発展は停滞している。なお、これらの中型ホバークラフトにも機関砲 などの武装が施されている点も、西側とは異なる思想が窺われる。
救難・救命用
RNLI ホバークラフト・ライフボートが運用する救命艇・H001 Molly Rayner
ホバークラフトを救難・救命 用として活用している例もある。グリフォン・ホーバーワークス (英語版 ) は空港 での飛行機事故に対応した救難ホバークラフトを提案しており、シンガポール・チャンギ国際空港 やブラジル・リオデジャネイロ国際空港 などでの導入実績がある。また、同社は遠隔地医療へのホバークラフトの応用も提案している。イギリス の海難救助団体RNLI(Royal National Lifeboat Institution) 傘下のホーバークラフト・ライフボート でも、グリフォン・ホバーワーク・470TDをベースとした救命艇数隻を運用している。日本 においても、研究者の間で災害時の救難用としてホバークラフトの利用・導入の提案が成されているが、具体化はしていない[9] 。
レジャー用
競技用の一人乗りホバークラフト
純粋なレジャー 、レクリエーション用のホバークラフトも存在する。水上バイク などと同様の1-3人乗り程度の小型艇で、日本 ではオールジャパンホヴァークラフト社やAQM(アクアマリーン)社などが製造・販売を行っている。水上バイクと同じく高速でありながら、水陸両用性を併せ持っているため、愛好者も少なからず存在し、全国横断的な団体(全日本ホバークラフト協会)も組織されている。これも水上バイクと同様、サーフィン などのイベントにレスキュー用として用意される例もある。
その他の用途
カナダ ではホバークラフトが砕氷船 に使われている。特別の砕氷設備は必要なく、氷上を走行するだけで自重により氷 が割れる。
日本の天ヶ瀬ダム では、湖面の哨戒用としてAQM(アクアマリーン)社製のホバークラフトを配備している[10] 。
また、水田 を無人で動き回り、除草剤 散布や空気噴射による雑草 除去を行う農業用小型ホバークラフトが開発されている[11] 。
ワールドワイド・エアロス社 (en ) が開発中のハイブリッド飛行船 エアロスクラフト は機体下部にホバークラフト式の降着装置 を備える予定であり、試作機のドラゴンドリーム で地上滑走の試験に成功した。
歴史
1877年 にイギリスの技術者ジョン・ソーニクロフト (英語版 ) が地面効果 で水の抵抗を軽減させることを考案し、模型での実験に成功した。
最初の完全に動作したホバークラフトは、オーストリア のダゴベルト・フォン・トーマミュール (英語版 ) [12] が設計し、オーストリア=ハンガリー帝国海軍 (KaiserlicheでありKönigliche Kriegsmarineでもある)によって建造された"Seearsenal"である。1915年 に完成した。船体は航空機の翼形のような側面形で硬質の船底を持ち、船底下に送り込んだ圧力空気と船体上に生じる負圧によって船体を浮き上がらせ、抵抗を減じるという構想であった。魚雷艇 としての使用を前提に設計され、全長13 m 、全幅4 m、5人乗りで32ノット であった。初期のホバークラフトの研究、開発はオーストリア=ハンガリー帝国で進められたが、当時は軽量で十分な出力を有するエンジンを得ることができず、開発は中止された。
コンスタンチン・ツィオルコフスキー (Konstantin Tsiolkovsky)による論文"Air Resistance and the Express Train"[13] [14] (1927年 )では、初めて科学的見地から地面効果と空気浮上 の計算について執筆されていて、それをもとにソ連 の技術者であるウラジミール・レフコフ (英語版 ) は、空気浮上艇の開発を始め、1930年代 半ばには約20隻の空気浮上による実験的な攻撃・魚雷艇を建造した。最初の試作機であるL-1は単純な構造であり、双胴型で3機のエンジン を搭載していた。2基の空冷 式M-11 航空機エンジン は水平に内蔵し、3基目は推進に用いた。実験では130 km/h を記録した。当時の水上を航行する船舶 では最も速い部類に入った。
イギリス海軍 による試験航行中のサンダース・ロー SR.N1 。水上・陸上 どちらでも移動能力があった。
21世紀 現在、主流となっている軟質のエアスカートが付いている形式のホバークラフトを発明したのは、イギリスのクリストファー・コッカレル である。コッカレルは1952年 にワイト島 で1号艇を作り、1955年 の試作品を民間の航空機製造会社や造船会社に持ち込んだが採用されなかった。そこで、イギリス軍 の支援の下で秘密裏にサンダース・ロー SR.N1 を開発した。1959年 に試作機を公開し、ドーバー海峡 を横断するデモンストレーションに成功した。その後、高い波や障害物を越えられるよう、ゴム 製のエアスカートを発明した。
ブリティッシュ・ホバークラフト 製SR-N4 (英語版 ) ドーバー海峡で2000年11月撮影。全長に注目されたい。
実用化後は世界各地で旅客用に就航した。
イギリスでは、1966年 にホーバーロイド(Hoverloyd)社が、ブリティッシュホーバークラフト(BHC)社建造の車載が可能な大型のSRN4型艇を導入した。ドーバー海峡の複数航路で就航させ、各地に専用発着場(Hoverport)が作られた。中には発着場のすぐ脇を通る列車 から直接乗り換えられるように、専用駅が作られているケースもある。1968年 には、イギリス国鉄 (BR)もフランス国鉄 (SNCF)の協力のもと、シースピード(Seaspeed)社を立ち上げ、SRN4型艇による運航を始めた。一時期はフランス国鉄がセダム社建造によるフランス 製ホーバークラフトN500型艇を提供したが、故障が多く数年で引退している。1981年 、経営効率化のためホーバーロイドとシースピードの両社は合併し、新たにホーバースピード(Hoverspeed)社が設立され、運航を引き継いだ。複数あった英仏連絡航路は、やがてドーバー (イギリス)・カレー (フランス) 間に一本化された。ユーロトンネル 開通後も活躍を続けたが、船体の老朽化とウェーブ・ピアーサー型 の高速船 への置き換えに伴い、2000年 10月を以てホーバークラフトの運航を終了した。最後まで残った2隻のSRN4型(プリンセス・アン号とプリンセス・マーガレット号)は、イギリスのホーバークラフト・ミュージアムで展示保存されていたが、引退から20年近く屋外に置かれていたため、経年劣化が目立ったマーガレット号が建造から50年になる2018年に解体撤去された。唯一残ったアン号はシースピード社時代の外装に復元され、週末限定で展示公開されている。
ワイト島航路に就航中の2隻の12000TD型艇のうち1隻、Solent Flyer号
イギリスでは、ワイト島 のライドとイギリス本島のポーツマス を結ぶホーバートラベル社(Hovertravel)の航路も歴史が長い。開業当初はSR.N6型、次いでAPI-88型、そして現在ではグリフォン・ホーバーワーク (英語版 ) 社建造のホバークラフトが就航しており、2023年時点では12000TD型 艇2隻[15] が運用されている。この航路は2023年時点では世界唯一のホバークラフト航路である[16] 。
北欧では、冬場に海面凍結があるため、デンマーク のコペンハーゲン国際空港 と海を隔てた対岸はスウェーデン のマルメ との間で、連絡橋が完成する以前に、SASスカンジナビア航空 のホーバークラフト(イギリスBHC社のAPI-88型艇)が運航されていた。
中国 では、黄河 の観光遊覧用に一時期用いられたが、到着時には船体が泥 で覆われ、毎便の運航前に洗い流しが必要とされた。
香港 では、イギリス 統治下の1970年代 に、香港油麻地フェリーがホバーマリン社製の艇を大量購入し[17] 、中環 (セントラル)から香港市街地内の美孚、尖沙咀東部(チムサーチョイ・イースト)、北角(ノースポイント)、太古城、柴湾、観塘や、ニュータウンの荃湾、青衣、屯門、黄金海岸、離島の長洲島、ランタオ島 、坪洲島などへの航路を相次いで開設し、香港市民の日常的な交通手段として発達させた。しかし、地下鉄 や新たな海底トンネルの開通によって乗客を奪われ、2000年 までにこれらの航路は全て廃止された。また、香港からマカオ や、中国本土の広州 、蛇口(深圳 )への航路でも運航されていた。「飛翔船」の名で呼ばれていた。
日本における歴史
旅客航路としての歴史は、1967年、九州商船の天草航路(島原港 ⇔熊本・百貫港 ⇔本渡港 )が初めてである。三菱重工業 がイギリスから導入したSR.N6 型艇「ひかり」を同航路で使用した。同年1月に日本に船体が到着したあと3ヶ月の試験航海を経て、7月から運航が開始され、翌1968年に運航休止後、1969年から伊勢湾 航路の志摩勝浦観光船 へ移り、蒲郡 ・西浦 ・鳥羽 の間と鳥羽・二見浦 遊覧で就航し、1971年に運航終了となった。
一方、三井造船 は国産のホーバークラフトを多数建造し、伊勢湾 、大阪湾、瀬戸内海 、別府湾 、鹿児島湾 、八重山諸島 、沖縄海洋博 会場、日本海で就航した。巡航速度は約80km/hで、昭和時代に建造されたMV-PP5にはヘリコプター 用を改造した石川島播磨重工業 製のIM100、MV-PP15にはライカミング社(アメリカ)製のTF25といった軽量で高出力のガスタービンエンジン が使用され、平成時代に建造されたMV-PP10型には経済性に優れるディーゼルエンジン が搭載されるようになった。日本で最後まで残っていたのは、大分ホーバーフェリー による大分 ~大分空港 の航路だったが、利用者減少により2009年で運航休止となった。これにより国内でのホーバークラフトによる旅客航路は一旦消滅し、三井造船も40年に及んだ建造・メンテナンス事業から撤退した。
2020年 、大分県 は大分空港の利用者増を背景にホーバークラフトの運航再開を発表した。艇体は大分県が保有し、運航を大分第一ホーバードライブ株式会社が担う上下分離方式により2024年開業予定であり、15年ぶりに国内ホバークラフト航路が復活することとなる。グリフォン・ホーバーワークス (英語版 ) の12000TD型 が就航する。
MV-PP5
国鉄「とびうお 」 宇高航路にて 1986年 (昭和61年)撮影
大分ホーバーフェリー 「ほびー6号」大分空港 航走路にて 2002年 (平成14年)6月
空港ホーバークラフト の「エンゼル3号」1976年 8月 指宿港 にて
1970年代 にその姿が科学雑誌や教育番組で紹介され始め、トミカ (ミニカー)として縮尺1/210で製品化されたこともあり、ホーバークラフトと言えばMV-PP5の姿を想像する人が多い。最長で30年近く就役した艇もあった。三井造船 千葉事業所にて建造。建造時は旅客定員が38 - 52名だったが、後に船体を延長改造し66 - 75名になった艇もある。延長型はMV-PP5 mk2と呼ばれた。ガスタービンエンジン 1基を用いて浮上と推進を行っていた。一部は韓国 へ輸出された。
かつては次の各地でMV-PP5による旅客運航があった。
1969年 から1979年 まで名鉄海上観光船 が、蒲郡 ・西浦温泉 ・伊良湖・鳥羽 間で運航。蒲郡駅 から路線バスに乗って竹島地区にあるバス停「ホーバークラフト前」で降り、そこから乗船していた。出航してまず西浦温泉 に着き、次いで伊良湖 を経由して伊勢湾 を渡り、鳥羽の旧港湾センター の前にあった専用乗り場へ到着した。前述の志摩勝浦観光船の便と乗り場を共用し、交互にダイヤが組まれていた。蒲郡と鳥羽はスリップウェイから陸上発着し、西浦と伊良湖は接岸での上下船だった。
1974年 から1976年 まで日本ホーバーライン が、大阪・徳島間を所要85分で運航した。大阪 は南港 に発着し共同汽船 の高速艇と同じ桟橋を使った。徳島は沖洲にスリップウェイのある専用乗り場を設けて陸上発着していた。そこに格納庫もあった。
1972年 から1988年 まで国鉄~JR四国が、宇野 ・高松 間の瀬戸内海 で運航した。当時、同じ区間で運航していた宇高連絡船 だと1時間かかったところを僅か23分で結び、「海の新幹線」のキャッチフレーズで本州・四国間の最速航路となり、山陽新幹線 との連絡輸送で関西地区 - 香川県が完全な日帰り圏となった。両駅とも当時は海に面していて、宇野では駅ホームの海側先端にホーバー乗り場があり、高松では駅舎すぐ脇の海際が乗り場だったので、列車からの乗り換えに便利だった。主に関西 - 四国を移動するビジネス客を中心に人気があり、15年以上にわたって活躍してきたが、瀬戸大橋 の完成に伴い、JRの快速電車 マリンライナー で海を渡れるようになったため、橋の開通前日を以て廃止された。
1971年 から大分ホーバーフェリー が、大分市・大分空港 間で運航していた。1995年 までは別府・大分間の便もあった。末期の頃は日本唯一のホーバー航路としてMV-PP5の最後の活躍の場だったが、新型のMV-PP10へ置き換えが進み、2003年9月に最後の1隻が引退し姿を消した。運航当時は映画やテレビにも登場し『男はつらいよ 』の2作品(「私の寅さん 」「花も嵐も寅次郎 」)と、刑事ドラマ『西部警察 』、他にも別府温泉 を舞台にしたサスペンスドラマで何度か姿を見ることができた。
1972年から1977年 まで空港ホーバークラフト が、加治木 ・鹿児島 ・桜島 ・指宿間で運航した。空港が内陸にあるため、加治木へはバスや車で移動が必要であった。ここでは運航をフライトと称した。船体色は黄色 一色であり、指宿での客の乗降は、潮の干満に応じて桟橋に接岸したり砂浜に上陸したりしていた。
1972年から1982年まで八重山観光フェリー が、石垣島 ・竹富島 (東港)・小浜島 ・黒島 ・西表島 (大原)の間で運航した。沖縄返還 に伴う離島振興策のため、政府がMV-PP5を1隻購入し、竹富町 が所有した[18] 。石垣港では階段状の岸壁に横づけされ、急傾斜のタラップで乗り降りしていた。他の島では就航当初は簡素なベンチとタラップだけが置かれた砂浜に直接上陸したが、上陸時に砂煙を巻き上げるため、各島とも後に舗装されたスリップウェイへと改造された。ホーバーは水深の浅い石西礁湖 での航行に適していたが、騒音や潮の吹き上げによる環境被害や高料金といった問題があり、1981年 に竹富島南側の水路を浚渫した竹富南航路の供用が開始されると、翌年で運航を終了。ウォータージェット船に役目を譲った[19] 。
建造されたMV-PP5型艇は以下19隻。
はくちょう(三井造船所有艇。名鉄海上観光船にリース。のちに国鉄宇高航路の予備艇。引退後は岡山県の玉野海洋博物館で屋外展示。老朽化のため1989年に解体)
はくちょう2号(三井造船所有艇)
はくちょう3号(三井造所有艇→のちに大分ホーバーフェリーが購入。途中からmk2へ改造、1995年に解体)
ほびー1号(大分ホーバーフェリー 。途中からmk2へ改造、1991年 に解体)
ほびー2号(大分ホーバーフェリー。衝突・転覆事故により1976年に解体)
ほびー3号(大分ホーバーフェリー。途中からmk2へ改造、1990年 に解体)
かもめ (三井造船所有艇。国鉄にリース。宇高航路の初代ホーバー。後に2代目の「とびうお 」が就航し予備艇。1991年に解体)
こうりゅう<蛟龍>(竹富町所有。八重山観光フェリーが運航。引退後は西表島大原の竹富町離島振興総合センターで屋外展示。のちに台風 被害で大破し解体。プロペラのみ同センターで展示保存)
エンゼル1号(空港ホーバークラフト )
エンゼル2号(空港ホーバークラフト→大分ホーバーフェリー)
赤とんぼ51号→ほびー6号(日本ホーバーライン→大分ホーバーフェリー。途中からmk2へ改造。最後まで残ったMV-PP5で、1974年から2003年まで29年間運航。国内史上最も長く存在したホーバークラフトだった。2003年に解体)
赤とんぼ52号→ほびー7号(日本ホーバーライン→大分ホーバーフェリー。大分 で一旦船籍登録されたが、他艇への部品取りに転用)
エンゼル3号(空港ホーバークラフト→のちに名鉄海上観光船へ用船)
エンゼル5号(空港ホーバークラフト→大分ホーバーフェリー。途中からmk2へ改造、2002年 に解体)
Hanchang No.1(「ハンチャン1号」韓国 で就航。38名乗り)
Hanchang No.2(「ハンチャン2号」韓国で就航。38名乗り)
Hanchang No.3(「ハンチャン3号」韓国で就航。39名乗り)
とびうお (建造時からmk2。国鉄が購入し「かもめ」に代わって宇高航路で就航。JR四国に引き継がれ、廃止後は建造元の三井造船が買い戻す。1991年 に解体)
Hanchang No.4(「ハンチャン4号」韓国で就航。39名乗り)
すでに全艇とも引退して解体されており、現存しない。
MV-PP15
MV-PP5の約3倍の人数が乗船出来る大型のホーバークラフトで、1970年代 に以下の4隻が建造された。旅客定員155名で、ガスタービンエンジン 2基を搭載した。操縦席が2階にあり、客室 にはトイレ もあった。
しぐなす(三井造船 所有艇 日本海観光フェリーにリース)
しぐなす1号(三井造船所有艇 琉球海運にリース のちに日本海観光フェリーにリース)
しぐなす2号(三井造船所有艇 琉球海運にリース)
しぐなす3号(三井造船所有艇 琉球海運にリース)
1975年 の沖縄国際海洋博覧会 開催期間に、海洋博会場エキスポ港と那覇新港の間を1日15往復、所要40分で来場客をスピード輸送し有名になった。琉球海運が運航した。
また1978年と1979年に、日本海観光フェリー が4月~10月の季節運航で能登半島 と佐渡 の間を2時間40分~2時間45分で結んでいた。4月~8月は2往復で七尾~和倉~小木が1往復、七尾~珠洲飯田~小木が1往復設定されていた。9月~10月は1日1往復で七尾~和倉~珠洲飯田~小木を結んだ。1980年2月に運航休止届。翌1981年3月に廃止。
就航は実現しなかったが、東海汽船の航路での試験航行で1978年10月にしぐなす2号が三井造船本社に近い東京港の竹芝桟橋へ現れ、三宅島では大久保浜に上陸した。
1980年代 に入って全艇が役目を終えて解体され、現存しない。
MV-PP10
MV-PP5の老朽化に伴って使用艇の更新が必要となり、また、就航地が空港連絡航路で航空機の大型化に対応するため、MV-PP5の約2倍の人数が乗れる新型艇が建造された。船体デザインやエンジン機構も一新された。
1990年代~2000年代に以下の4隻が三井造船 の玉野事業所で建造され、大分ホーバーフェリーが大分・大分空港間で運航していた。旅客定員は補助席を含めて100-105名、補助席を含まない場合は80名程度であった。浮上用2基と推進用2基、計4基のディーゼルエンジン を搭載した。
※は就航当初の船名で2002年に改称された。
ドリームアクアマリン ※ドリーム1号(大分ホーバーフェリー)1990年就航
ドリームエメラルド ※ドリーム2号(大分ホーバーフェリー)1991年就航
ドリームルビー ※ドリーム3号(大分ホーバーフェリー)1995年就航
ドリームサファイア (大分ホーバーフェリー)2002年就航
2009年の大分ホーバーフェリー運航休止後、翌2010年 に4隻とも海外売却され、日本国外へ去った。
売却先は非公表であったが、4隻揃って香港 の海上にロープで係留放置された写真が、中国語 のウェブサイトで確認された。
ところが2012年 11月、アクアマリン、エメラルド、ルビーの3隻が、中国 船籍の貨物船 により再度日本に運び込まれ、熊本県 の八代新港の一角に留め置かれた。各艇とも汚損破損が目立ち、アクアマリンは客席部分が焼失していた。
その後再利用されることなく、2015年4月に3隻は解体された。
サファイアは2024年現在も行方不明である[20] [21] 。
焼損したドリームアクアマリン(2013年1月13日撮影)
八代港に戻ってきたドリームエメラルド(2013年1月13日撮影)
八代港に戻ってきたドリームルビー(2013年1月13日撮影)
12000TD
大分空港海上アクセス 用として大分県がイギリス のホーバークラフトメーカーであるグリフォン・ホーバーワーク (英語版 ) に3隻発注したホーバークラフト[22] 。定員は80名。ディーゼルエンジン2基により浮上・推進を行う。
イギリスのワイト島航路に就航している同型艇(標準型)からは大幅な設計変更が加えられており、胴体が約2m延長されているなど外観から分かる差異も多い[23] [24] 。そのため、イギリスの一部マスメディアでは"Mark II"と呼称する例もみられる[25] 。客室内についても、座席が標準型と異なるものが採用されている。
運航会社となる大分第一ホーバードライブ により、大分~大分空港間の空港アクセスの他、別府湾周遊等で就航予定となっている[26] 。上下分離方式 による運航となるため、艇体は大分県が保有する。
2023年から2024年にかけて順次完成予定の3隻の船名は、地元大分の歴史的偉人にちなんで「Baien 」「Banri 」「Tanso 」と名付けられた[2] 。由来となった三浦梅園 (国東市 )、帆足万里 (日出町 )、広瀬淡窓 (日田市 )の3名は「豊後の三賢」と呼ばれ、江戸時代 に、西洋の天文学や医学、儒学など広く学問の研究や普及に取組んだ教育者たちである[27] 。
Baien (1隻目 - 三浦梅園 に由来)
Banri (2隻目 - 帆足万里 に由来)
Tanso (3隻目 - 広瀬淡窓 に由来)
脚注
注釈
^ 本文では「役人の頭が固くなければ」そのまま高速道路 へ乗り入れてしまえるのに、ともあることから、大型車程度のものが実用化されているという設定となっている。
出典
関連項目
外部リンク
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