第二次世界大戦前の1923年から1939年まで、10回にわたり、「国際大学スポーツ週間」(International University Sports Weeks) が行われたが、大戦のために中止された。第二次大戦後再び、国際的な競技大会を開く動きがあったが、冷戦の影響を受け、西側と東側の両陣営は、それぞれ別々の競技大会を開いた。西側は、1949年から「国際大学スポーツ週間」を開き、1955年まで4回続いた。一方東側は、「世界青年学生祭典」(World Festival of Youth and Students)を開き、西側に対抗した。
1957年のジュネーヴ会議後、両陣営は歩み寄り、同年のパリ大会が、「世界大学スポーツ選手権」(World University Sports Championship) として東西合同で行われた。なお、1959年のトリノ大会から「ユニバーシアード」と称されるようになった。