翌月の8月13日、最終的にハンガリー軍は現在のルーマニアにあたるヴィラーゴスでロシア軍に全面降伏して武器を引き渡し、身柄を投降、ハンガリー革命は幕を閉じた。革命関係者の多くは投獄され、幹部の多くは処刑される。すでにコシュートとベムは外国に亡命していたあとだった。この頃、ヨーカイは投獄を恐れ逃亡生活に入り、ハンガリー各地の町を転々とした。さらにハンガリー北部にある山岳地帯の山奥に逃げ込み長きにわたって隠れ家に籠った。ヨーカイは時に自殺未遂もしたが、のちにオーストリア帝国政府より恩赦が発布される。ヨーカイは1852年に著作『Kárpáthy Zoltán』、『Török világ Magyarországon』、『A kalózkirály
』をそれぞれ発表した。それ以後も『A kőszívű ember fiai』、『Az arany ember』、『A tengerszemű hölgy』などが発表されて比較的知られている。ヨーカイは多作であり、作品はユーモア溢れ、異国情緒な作風が中心であった。フランス文学、特にヴィクトル・ユゴーに感化された。ヨーカイは政治家として活動を始めて、1861年にヨーカイはハンガリーの国民議会議員に選出され、進歩的政治家として活躍した。1867年のアウスグライヒでオーストリア=ハンガリー帝国が誕生してハンガリー王国の内閣や議会には強い権限を与えられた。