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井上 陽水 (いのうえ ようすい[3] 、1948年 〈昭和23年〉8月30日 - )は、日本 のシンガーソングライター 。本名は、表記は同じで読みが「いのうえ あきみ」 [4] 。旧芸名:アンドレ・カンドレ 。福岡県 嘉穂郡 幸袋町 (現:福岡県 飯塚市 幸袋)生まれ・福岡県田川郡 糸田町 育ち。高知県 出身。[5] 血液型 はAB型。身長180cm[4] 。
概要
1969年 に「アンドレ・カンドレ」としてデビュー[3] 。1971年 に本名の井上陽水として再デビュー。1970年代には吉田拓郎 と並んでフォーク 、ニュー・ミュージック 界を牽引。その後も現在に至るまで第一線で活躍を続ける、日本を代表するシンガー・ソングライター の一人。2人目の妻・石川セリ との間に1男2女をもうける。長女は作詞家・歌手の依布サラサ (本名・井上ニサ)[6] 。
本名は『あきみ』と読むが、吉田拓郎を意識したレコード会社が『拓郎(たくろう)のように陽水(ようすい)にしよう』と言い出し、本人は『そうですか』と受け入れた[7] 。
経歴
生い立ち
1948年(昭和23年)8月30日 、福岡県田川郡糸田町中糸田に生まれる。本籍 地は高知県 幡多郡 佐賀町 で、佐賀町町役場に提出された出生届 には「陽水」の下に「あきみ」と振り仮名が付いている。
父は高知県 幡多郡 佐賀町 (現:黒潮町 )出身の元軍医 井上 若水(いのうえ わかみ、-1972年6月)[8] [9] [10] 。若水の幼少期の井上家は大きな網元 で広い山林を持つ資産家であった。しかし不漁続きとなり、昭和初期には没落。若水は子供ながら一人神戸へ旅立ち、キリスト教 の伝道 関係の職に就き勉強を続ける。苦学の末に高等専門学校 卒業の資格を得る。その後、神戸で金属工芸の技術者として働くが、やがて朝鮮総督府 に勤務する兄から人手の足りない福祉・医療関係の仕事に誘われ、1940年 に朝鮮 (京城 (現在のソウル ))へ渡る。ここでの経験がのちに開業歯科医 の免許取得に役立つ。間もなく、同じ歯科医を兄弟・親戚に持つ母・フジと知り合い結婚。南下してくるソ連軍 から逃れるため、フジはやっとの思いで先に帰国。開業歯科医をしていたフジの兄の地元の福岡県直方市 にたどり着く。追って父が引き揚げ る。若水は引き揚げ 後は炭鉱 で働いていたが、陽水が生まれてまもなく、フジの兄の意見も参考に隣接する糸田町で歯科医院 を開業する[1] [10] 。兄弟姉妹は姉1人、妹1人。
1953年 、糸田町に引っ越す。田川は何も縁のない土地で、ずっと"よそ者"意識があったという[11] 。糸田小学校、糸田中学校、西田川高校 と進学。
小学校時代、子供会や婦人会の集まりで歌わせられることが多々あり、当時から歌がうまいと褒められていた[12] 。またこの頃から、8歳上の姉の影響でプラターズ やエルヴィス・プレスリー など洋楽を聴くようになり、ヒットパレード系のラジオ に熱中するようになる。
1963年 、中学3年の時に小島正雄 のラジオ番組で紹介された「プリーズ・プリーズ・ミー 」に衝撃を受け、以降ビートルズ に熱中する。高校時代はビートルズ狂いと周りから呼ばれ、数人の仲間と一日中歌いまくり、休日には(当時出始めの)オープンリールのテープレコーダーでその歌を録音するなど[12] 、ビートルズ漬けの生活を送っており、仲間内のみならず町内でも生粋の音楽狂として名が知られていた。
家業を継いで歯科医になることを期待されていたため[4] 、1967年 、九州歯科大学 を受験するも失敗し、予備校に通い始める。この年は小倉育英館に通ったが、翌年には九州英数学舘 に変える。二浪目の1969年 「帰って来たヨッパライ 」(ザ・フォーク・クルセダーズ )を深夜放送 で聞き、自らも高校時代に歌を録音する際に同じような早回しテクニックで遊んでいた経験[13] から、「これなら自分にもできる」「音楽でひとやま当てたい」と思ったのが曲を作り始めたきっかけ[14] [15] 。ギターを見よう見まねで始める[14] 。1968年 、再度の受験にも失敗する。1969年 、3度目の受験に失敗し[4] 、大学進学を諦めた。その後「東京で勉強して大学入学を目指す。」と父に伝え上京するが歌手となるための活動に専念し、受験活動は行っていなかった[注 1] 。
アンドレ・カンドレ時代
1969年 、RKB毎日放送 のラジオ番組 『スマッシュ!!11 』が放送開始される。この番組には視聴者が作った音楽を流すコーナーがあり、それを知った陽水は12弦ギター を使って「カンドレ・マンドレ」を自宅録音(テープレコーダーを二つ使った多重録音の擬似弾き語り)し、4月16日 、テープをRKB毎日に持ち込む[4] [14] 。『スマッシュ!!11』のディレクターの野見山実は、録音を聴きすっかり興奮した。陽気だが何か寂しげなところがあり、その発想に驚嘆した[1] 。このとき陽水は「マンドレ」という芸名を考えていたが、野見山が難色を示し(「マン」が女性器を連想させるという理由で)芸名は「アンドレ・カンドレ 」に決まる。「カンドレ・マンドレ」は『スマッシュ!!11』で放送され、数多くのリクエストを受け、中には「生の声を聴きたい」というものもあった。ただしリクエストの大半は、陽水が友人(主に浪人仲間)にはがき を配ってリクエストを出すよう指令したためのものだったという[17] 。野見山は彼らとの比較で、陽水の曲には非常に高度なものが内在していることに気付き、その将来性を買ってCBSソニー の中曽根晧二宛に手紙で送るとともに、新聞記者にも陽水に対する考えを隠すことなく話した。中曽根の反応は早く、当時としては異色な面白さだとして、発売を急いだ。当時、CBSソニーはカルメン・マキ の「時には母のない子のように 」のヒットの余勢をかって、さらなる一発を狙っていた。躊躇していては他社に取られる恐れがあったため、会社側は中曽根にすぐに福岡へ迎えに行くよう指示した。両親は陽水の上京には反対したが、陽水の強い信念に父は「1曲吹き込んだら帰ってくるんだな。音楽がダメでもお前には別の生きる道がある」と伝えた[1] 。
放送後、RKBのスタッフからホリプロ を紹介され、1969年7月初旬にレコーディングのため福岡市から上京[1] 。「カンドレ・マンドレ」を改めてレコーディングし、同年9月1日 、CBSソニー(現:ソニー・ミュージックレコーズ )からアンドレ・カンドレとして同曲でデビュー [3] 。演奏は六文銭 、編曲は小室等 が担当したが、ほとんど注目されず[3] 、続く「ビューティフル・ワンダフル・バーズ」も、松山猛 と加藤和彦 から楽曲提供を受けた「花にさえ、鳥にさえ」(1970年 )も不振に終わり、シングル3枚でアンドレ・カンドレとしての活動は終わることになった[3] [4] 。以後、ポリドール 移籍までの間は、本人も語ろうとしない空白の1年間となる[4] [18] 。当時は、麻雀とパチンコに明け暮れており、仕事はあっても月2日位であったと後に語っている[1] 。
ビートルズ 狂いの経緯もあり、本人は自らをフォーク歌手とは全く思っていなかったが、当時一般には「ギターを持って歌う歌手はフォーク歌手」として認識されていたため、フォーク歌手的な扱いを受けることが多く、営業先で嫌な目にあうことがしばしばあり、これが後にホリプロから独立する遠因になった[19] 。
アンドレ・カンドレ時代に知り合った小室等、安田裕美 (六文銭のギタリスト )、星勝 (モップス のギタリスト)、RCサクセション の忌野清志郎 などとは以後長く深い交際になる。特に小室等からボブ・ディラン を薦められ、以降の作詞に強い影響を受けた[20] 。
当時の映像として1970年公開の、和田アキ子 主演映画『女番長 野良猫ロック 』にモップスなどホリプロのアーティストと共に出演。「カンドレ・マンドレ」を歌うシーンがある(ただし、レコード音源に合わせて歌う、いわゆる「リップシンク 」)。
この当時の陽水をよく知る高石ともや は、陽水の印象を「ギター 1本で客ひとりひとりをねじ伏せるような歌だった。彼の言葉はとても鋭く、近づけないような雰囲気だった。演奏している背中を見ると、なんだか切なかったことを覚えている」と語っている[7] 。
ポリドール時代
1971年 、ポリドール・レコード のディレクター多賀英典 に誘われて移籍し、初のアルバム 『断絶』のレコーディングを始める。このアルバムの製作開始に合わせて名前を変えることになり、マネジメントの指揮を執った奥田義行が本名を聞くと「井上アキミ」というので、どんな字かと思ったら「陽水」と書くという。奥田は吉田拓郎を意識し、「拓郎がその二文字で若者にインパクトを与えている。だったら下の名前の「陽水」の2文字で対抗、強調していこう」と戦略を立てた[21] 。
吉田拓郎の生活派ソングというべきフォークがもてはやされるに至り[4] 、翌1972年 3月1日 、芸名 を井上陽水 (ようすい)と改め[3] 、シングル「人生が二度あれば」で再デビューを果たす[3] [4] 。「人生が二度あれば」を編曲 した星勝は、以後しばらく、陽水の作品の大部分を編曲することになる。5月に「傘がない 」が収録された初アルバム『断絶』がリリースされる[4] 。陽水が売れ始めたのは、このアルバム『断絶』から[22] 。陽水自身は売れた理由について『陽水ライヴ もどり道 』ジャケット内自筆年表で、「おりからのフォークブームでなんとなく浮上」と書いている[9] 。「傘がない」は虚無的 な当時の若者の真情を表現しているとして注目された[3] 。『深夜放送ファン』1973年11月号の『陽水ライヴ もどり道』のレコード評には「その実力を認められるべくして認められた井上陽水は今年もっとも注目された歌い手で、そしてもっともレコード・セールスにおいて売れた歌い手だ。かつて岡林信康 がその精神的な意味で若者の心に重く存在したように、また吉田拓郎がヤングのオピニオン・リーダー として存在したように、今、井上陽水はそのセンチメンタル な世界をひっさげ<どうしようもない時代>に生き続けなければわれわれに慰みを与えてくれている」と書かれている[23] 。
その年の12月には2ndアルバム『センチメンタル 』をリリース。また陽水がお客の前で本格的なライブを演ったのはこの1972年の大晦日 、「渋谷ジァン・ジァン 」と「青い森」が初めてで[4] 、ライブ活動を主戦場にしていた他のフォークシンガーに比べると、先のCBSソニーという大手レコード会社 で一旦デビュー後に、別の大手から再デビュー等と合わせ、当時としては異色の経歴だった[4] 。このライブの陽水のギャラ は1ステージ5,000円だった[4] [注 2] 。
翌1973年 3月のシングルで東宝 『放課後 』の主題歌 「夢の中へ 」が初のヒット(オリコン 17位[4] 、以下売り上げ順位はすべてオリコン)となり、同年7月には初のライブアルバム『陽水ライヴ もどり道』がリリースに至る。人気上昇の切り口となった「夢の中へ」は、自身が「みんなで歌えるように作った」とコメントしているとおり、単純で明るく、親しみやすい曲である。中川右介 はこの曲がようやくヒットするまでの陽水は低迷していたと指摘している[24] 。そして、同年9月にはシングル「心もよう 」をリリース。これもスマッシュ・ヒットとなる。
そして、同年12月にアルバム『氷の世界 』をリリース。当アルバムは100週以上BEST10に留まるなどロングセールスを続け、発売から2年後の1975年8月に日本レコード史上初のLP販売100万枚突破 の金字塔を打ち立てた。オリコンのLPチャートでは5度も1位に返り咲くという記録も持っており、陽水は第一期の黄金時代を迎える。
この間、『二色の独楽』や『断絶』などの過去アルバムもチャートの上位を独占するなど[3] 、それまでのシングル・レコード を寄せ集めたアルバム ではなく[3] [25] 、吉田拓郎や小椋佳 などとともに、シンガーソングライターによる良質なアルバム中心の時代に移行する先駆けとなった[3] [25] 。
ポリドール時代には理由は諸説あるが殆どテレビに出演せず、外見が一般の目に触れる機会はレコードのジャケット写真がもっとも多くを占めていた。シングル「人生が二度あれば」からアルバム『氷の世界』までのジャケットでは、髪型がアフロヘアー 、サングラスはなしで写っている。しかし『氷の世界』のインナースリーブにある写真の一枚ではサングラスをかけており、サングラスなしの写真は1975年 のシングル「御免」以降、著書『綺麗ごと』のために撮られたものなど少数の例外を除き見られなくなる。テレビ拒否の理由について多賀は、1975年1月22日付けの日刊スポーツ の取材に答え、「拒否しているわけではありません。学芸会でないものが出来ればという条件付きでです」と述べ[4] 、当の陽水は「積極的に出ていけるような広い心を持ちたいです」などと話し[4] 、芸能週刊誌をたくさん読み漁って、「自分のことがどう書かれているか興味深い」などと話した[4] 。
1974年 1月17日 、熊本県 出身の女性[26] と結婚する[4] 。これを機に中野 南台 の四畳半 アパート から[4] 、世田谷 三軒茶屋 の3DK のマンション に引っ越す[4] 。
1974年は5枚のアルバム だけで売り上げ150万枚[4] 、金額にして34億1,000万円(オリジナルコンフィデンス誌 調べ)を売り上げ[4] 、年収 は3~4億円と推定された[4] 。"テレビ嫌い"とも評され[4] 、歌謡番組 からワイドショー から相当数の出演交渉を全て断っていたが[4] 、陽水名となって初めてのテレビ出演とされる1974年12月に東京12チャンネル(テレビ東京 )で陽水、小椋佳 、遠藤賢司 の3人のコンサート実況がフィルム構成で放送されている[4] 。この年大晦日 の第16回日本レコード大賞 は、日本レコード大賞 を森進一 の「襟裳岬 」が受賞したため、作曲者の吉田拓郎が授賞式にジーンズ で登壇し物議を醸したが、陽水も企画賞 を受賞していたが欠席した[4] 。
1975年 、陽水・吉田拓郎・泉谷しげる ・小室等 が中心となって、フォーライフ・レコード を発起する。また、後に結婚する石川セリ と出会う。
フォーライフ時代:大麻取締法違反容疑で逮捕〜第二次陽水ブームまで
1976年 2月、離婚 。同年にフォーライフからリリースした『招待状のないショー』は9週連続1位を獲得。1977年 、石川のアルバム『気まぐれ』に「ダンスはうまく踊れない」ほか2曲を提供する。「ダンスはうまく踊れない」は、陽水の部屋に遊びに来たセリの目の前で30分ほどで作られたという。
1977年9月10日 、大麻所持容疑 で逮捕 され、「自分は酒が飲めないので、くつろぐためにマリファナを吸った」と自供した。9月22日 に保釈 され、10月11日 には懲役 8か月、執行猶予 2年の判決 を受ける。この逮捕に関して、当時朝日新聞 記者 だった筑紫哲也 が、「マリファナは日本では違法であるが、これと絡めて井上陽水の歌まで否定する一部の意見は間違っている」と発言し、擁護を行っている[27] [28] 。
1978年 7月、上記の事件後(執行猶予中)にリリースされたアルバム『"white" 』はオリコンチャートの3位を獲得した。
1978年 8月30日 、30歳の誕生日 に石川と再婚、同年12月16日 には長男が産まれている。
1979年 のアルバム『スニーカーダンサー 』では高中正義 が5曲の編曲を務め、1980年 のアルバム『EVERY NIGHT 』では星勝が編曲から外れるなど、この時期にはサウンドが大きな転換を遂げている。さらに1981年 のアルバム『あやしい夜をまって』から編曲に加わった川島裕二 、その後BANANA などの名義で陽水の作品に多数携わり、星勝と並んで重要な位置を占めるようになる。上述の通りセールスは伸びなかったが、この時期の作品には「なぜか上海」「海へ来なさい」「ジェラシー 」「とまどうペリカン」「カナリア」「リバーサイドホテル 」など、その後のライブやコンピレーション作品で頻繁に取り上げられる楽曲が多数含まれている。
1981年 1月、『ばらえてい テレビファソラシド 』にゲスト出演。7月『夜のヒットスタジオ 』に「ジェラシー」で出演[29] 。8月『ザ・ベストテン 』の「今週のスポットライト」コーナーに「ジェラシー」で出演[29] 。
1982年 、バックバンド を務めていた安全地帯 がデビューし、1983年 には自身作詞による「ワインレッドの心 」をヒットさせる。さらに1984年 には安全地帯に歌詞を提供した「恋の予感 」、中森明菜 に歌詞と曲を提供した「飾りじゃないのよ涙は 」、そして自身の「いっそセレナーデ 」がヒットする。12月10日 付のチャートでは「飾りじゃ〜」が2位、「恋の予感」が3位、「いっそ〜」が4位と、陽水の手がけた作品が上位を占める。同月21日にはこれらのヒット曲をはじめとする提供曲を、自身が自ら歌ったアルバム『9.5カラット 』がリリースされ、翌1985年 にかけてヒットする。『9.5カラット 』は1985年 のアルバム年間売り上げ1位 を獲得し、陽水にとっては『氷の世界』以来自身2作目のミリオンセラー となる。このヒットにより第27回日本レコード大賞 で作曲賞とアルバム賞を獲得する。
1986年 8月にはライブアルバム『クラムチャウダー』がリリースされ、9月には同じ題名のライブビデオも発売される。さらに8月20日 から2日間、安全地帯とのジョイントで「STARDUST RENDEZ-VOUS」と題したコンサートを明治神宮野球場 で行う。このコンサートで「夏の終りのハーモニー 」を初披露、6万人の聴衆を動員しテレビ中継のほか、ライブアルバム、ライブビデオにも収録された。
フォーライフ時代:タイアップによるシングルヒット〜『九段』まで
1988年 9月1日、日産自動車 より新発売されたセフィーロ (初代・A31型)のCMに「今夜、私に 」を提供。陽水自身も出演し、アドリブ で「みなさん、お元気ですか?……失礼しまーす」と声を出す。ところがこのCMが公開されて間もなく、病床に臥した昭和天皇 が危篤 になったため、声はカットされた[30] [31] 。いしいひさいち は団欒中の家族に、窓を開けた陽水が「皆さんお元気ですか」と言うと一気にしらける、イラク軍の捕虜にこのCMを見せた途端、それまで騒がしかった捕虜たちが脱力しておとなしくなる、という作品を描いている[32] 。それから間もない10月、フジテレビ 系のドラマ『ニューヨーク恋物語 』の主題歌 に使われた「リバーサイドホテル」がヒットする(11位)。「リバーサイドホテル」は1982年 に発表されていた作品だが、リリースから6年を隔ててのヒットとなった。
翌1990年 から1991年 にかけて、映画『少年時代 』の主題歌として作られた「少年時代 」(作曲は平井夏美 との共作)がヒットする。リリース直後は穏やかなチャートアクションだったが、1991年、ソニー のビデオカメラ「ハンディカム ・CCD-TR105」のCM に使われてから売上を伸ばし、ロングセラーとなった。当初は藤子不二雄A の作詞という話であったが、出来上がってみると藤子の歌詞はまったく使われていなかった[33] 。陽水は「安孫子さん[注 3] の心をもらった」とコメントしており、藤子不二雄Aもイメージ通りの曲だとして出来栄えに満足した[34] 。実際に使われなかったオリジナルの歌詞全文は藤子不二雄Aの著書に何度か記載されている[35] 。
1993年 、フジテレビ系のドラマ『素晴らしきかな人生 』の主題歌に使われた「Make-up Shadow 」(2007年 にはトヨタ・ブレイド のTVCFソングとしても使われた)がオリコン最高2位、売上80万枚超のヒットを記録。第35回日本レコード大賞 の金賞を受賞する。
このころからリリースのペースが落ち始める。1994年 にアルバム『永遠のシュール 』を発表してから、次のアルバム『九段 』(1998年 )までには3年半のブランクがある。また、この時期はコンサートも少なく、1994年 末から1999年 9月までのおよそ5年間は全国ツアーを一度も行っていない。
1996年 、PUFFY のデビュー曲として歌詞を提供した「アジアの純真 」がヒットする。「アジアの純真」の作曲は、以前から交流のあった奥田民生 (1994年 には「月ひとしずく」(小泉今日子 )を共作している)。同じく陽水作詞、民生作曲でPUFFYに提供した「渚にまつわるエトセトラ 」もヒットする。続いて「井上陽水奥田民生 」というアーティスト名で1997年 にリリースしたシングル「ありがとう」、アルバム『ショッピング』はこれらのヒットを受けたものといえよう。「ありがとう」はリリース同年にサッポロビール 「黒ラベル」のCMに使われたことも手伝ってオリコン最高2位、売上約25万枚のヒットを記録。
『GOLDEN BEST』のミリオンセラー〜その後
1999年 、アンドレ・カンドレとしてのデビューから30周年になることを記念して、2枚組のベスト・アルバム『GOLDEN BEST 』がリリースされる。『GOLDEN BEST』は自身3作目のミリオンセラー となった後も売上を伸ばし続ける。このヒットを受け、『GOLDEN BEST』のリリースからちょうど1年後には「裏ベスト」として『GOLDEN BAD 』、『GOLDEN BEST』の売上が200万枚を突破 した2003年 にはその記念として『GOLDEN BEST SUPER 』が発売される。
2001年 、「コーヒー・ルンバ 」「花の首飾り 」のカバー がヒット。これに続いてリリースしたカバーアルバム『UNITED COVER 』は80万枚を売るヒットとなり、その期間のライヴ映像はDVD 『UNITED TOUR』として発売される。
2002年 には4年振りの新作『カシス 』と、ジャズ・アレンジを施したセルフカバー・アルバム『Blue Selection 』をリリース。1999年 から2006年 までに、2004年 を除いて毎年全国ツアーを開催した。
2006年 にはツアーの合間を縫って制作された4年振りの新作『LOVE COMPLEX 』をリリース。翌年はツアーの他、「井上陽水奥田民生 」としてシングル「パラレル・ラブ」、アルバム『ダブルドライブ 』を発表。2008年 もツアー活動を行いつつ、ベスト・アルバム『弾き語りパッション』と『BEST BALLADE 』の2作を発表している。2009年 にはデビュー40周年を迎え、12月には15年振りとなる日本武道館 公演を行い、その模様を収録したDVD『40th Special Thanks Live in 武道館』をリリース。翌2010年 には4年半振りとなるオリジナル・アルバム「魔力 」をリリースしている。
2014〜2015年「井上陽水 氷の世界ツアー」を行う。40年前に発売されたアルバム「氷の世界」を全曲歌う、という内容のツアーだった。
2015年 、40年ぶりにポリドールの流れを組むユニバーサル・ミュージックに復帰することが発表された[36] 。
2022年 現在までにはユニバーサル・ミュージックからアルバム「UNITED COVER 2 」とシングル「care」を発売している。
2019年 に、歌手活動50周年記念ツアーを敢行して以降は、表立った音楽活動を行っておらず[37] 、2020年 10月 に公式ホームページにビデオメッセージを公開したのを最後に公の場での活動も行なっていない[38] 。東京都内の事務所等も引き払い、2020年11月頃からは福岡市内に居住している[38] 。また、代表を務めてきた個人事務所の「キャンプ」と「ファイヤー音楽出版」の代表取締役は2021年 末に辞任し、長男に譲っている[37] 。
交流関係
文壇 との交際が広い。文壇を含む文化人 との交流は麻雀 がきっかけ[39] [40] [41] 。1976年 に『青空ふたり旅』として出版された五木寛之 との対談をきっかけに、まず「話の特集 」の矢崎泰久 がベトナム に行く時の壮行麻雀大会に五木に連れて行かれ、そこで矢崎、ばばこういち 、阿佐田哲也 に会い、この後、長谷川和彦 と知り合い、長谷川に近代麻雀 に出ないかと誘われて田村光昭に会い、その繋がりで長門裕之 、黒鉄ヒロシ 、畑正憲 らと知り合った[39] [42] [43] 。
世代的に上の人との付き合いが多い理由について、「吉田拓郎 なんかは、自分がリーダーシップを取って周りの人間を引っ張っていくタイプでしょう。僕はそういうの不得意なんです。高校時代、タテ関係が希薄で女性も多い弓道部 にいたせいかもしれないけど、下の世代に対する訓練ができていないんですよ」と、40代のころは話していた[40] 。同年代およびそれ以下との交流として、沢木耕太郎 は歌詞集『ラインダンス』に、村上龍 は『綺麗ごと』に寄稿し、町田康 は「新しい恋」を作詞している。活動分野は違ってくるが、三谷幸喜 は『You Are The Top〜今宵の君 』の劇中歌である「You are the top」を作詞している。
また、同郷のタモリ とはタモリのオールナイトニッポン にゲスト出演した事をきっかけに親しくなり、「テレフォンショッキング 」には計11回、また「ミュージックステーション 」、「タモリ倶楽部 」、「ヨルタモリ 」などにも、前述の通り殆どテレビに出演しないものの「タモリさんの番組なら」としてゲスト出演がある。さらに「ブラタモリ 」のテーマ曲に「MAP」「女神」「瞬き」と書き下ろし曲を提供している。
水谷豊 にも多くの楽曲を提供したが、初対面のレコーディングの際はほとんど会話が無かったという。それにもかかわらず「今日家に来ない?」と持ちかけ、水谷はその不思議な雰囲気に戸惑いながらも応諾する。翌日、水谷は勧められるまま、鰻丼 を食べたり近所の公園でキャッチボール をしたという[44] 。
大麻所持で逮捕された際、自身を擁護する声明をしたことから筑紫哲也との親交が生まれ、のちに筑紫がテレビに進出し初のメインキャスターを務めた『日曜夕刊!こちらデスク 』の最終回(1982年 9月26日 )では陽水がゲスト出演し持ち歌を3曲歌唱、報道番組では異例の全編生歌で番組を締めくくった。筑紫は初めて番組を持つことになった時、『傘がない』の「テレビではわが国の将来の問題を 誰かが深刻な顔をしてしゃべってる」というくだりが頭に浮かんだ、と回想している[45] 。その後、1989年 に筑紫が新聞社を退社してスタートした『筑紫哲也 NEWS23 』では、筑紫からの要請で初代のオープニングとエンディング曲(『最後のニュース 』)を陽水が担当した[46] 。
逸話、関連人物など
『NHK紅白歌合戦 』には1度も出場経験がなく、本人も全く出場する意思が無い事を明らかにしている。NHKの番組には度々出演しているが、「紅白は別」と出場を何度も辞退している。
嘉門達夫 は「リバーサイド・ホテル」からヒント得て「温泉はリバーサイド」(アルバム「リゾート計画」収録)を発表。「リバーサイド・ホテル」のイントロのギターカッティングを同じにしている他、間奏のセリフでは井上がCMで発した「お元気ですか?」のフレーズを挿入した。
1979年に三洋電機 のカラーテレビ 「くっきりタテ7」のコマーシャルソングの歌手候補として、当時デビュー前の久保田小百合(後の久保田早紀 )、「たそがれマイ・ラブ 」などでヒットを記録していた大橋純子 と共に選ばれていた[52] 。後に三洋電機の意向により久保田に決定し、作られた曲が「異邦人 」である。
作品
井上陽水 (アンドレ・カンドレ、コラボレーション含む)のディスコグラフィ
リリースリスト
↙ スタジオ・アルバム
24
↙ ライブ・アルバム
5
↙ コンピレーション・アルバム
1
↙ ベスト・アルバム
20
↙ シングル
50
↙ 映像作品
6
↙ トリビュート&カバーアルバム
2
1969年9月1日に『カンドレ・マンドレ』でデビューして以降、2010年頃までは継続的に作品を発表した。2010年以降は発表の間隔が長くなるが、2019年にデビュー50周年を記念したライブを収録した映像作品『井上陽水50周年記念ライブツアー『光陰矢の如し』〜少年老い易く 学成り難し〜』を2020年9月1日に発表した。
自らの作品のほか、多くの楽曲をほかの歌手に提供している。経歴で挙げた例のほかには、沢田研二 のアルバム『Mis cast.』の全曲を作詞作曲した例がある。また一青窈 は自ら陽水のファンと称しており、アルバム『一青想 』のうち2曲は陽水の作曲による。
また、曲をカバーした歌手には、「夢の中へ」の斉藤由貴 、TRICERATOPS 、「心もよう」の中森明菜 、南沙織 、「氷の世界」の筋肉少女帯 、工藤静香 、「傘がない」の中森明菜、斉藤和義 、「東へ西へ」の本木雅弘 、中村あゆみ 、「神無月にかこまれて」の香坂みゆき 、「Make-up Shadow」の上原多香子 、「いつのまにか少女は」の持田香織 、「ジェラシー」の髙橋真梨子 、「結詞」の高橋真梨子、中村あゆみ、「夏の終りのハーモニー」の中村あゆみ、MOOMIN 、「最後のニュース」の奥田民生 、「カナリア」に英語の歌詞を付けて歌ったジェーン・バーキン 、「桜三月散歩道」をカヴァーしたキンモクセイ などがいる。
本職の歌手でないところでは、お笑い芸人の友近 が「Tokyo」を、THE IDOLM@STER RADIO において今井麻美 ・たかはし智秋 が「少年時代」をカバー、また2019年発売の「井上陽水トリビュート 」によっても多数の歌手がカバーした。
シングル
「アンドレ・カンドレ」名義
「井上陽水」名義
発売日
タイトル
収録曲
レーベル
備考
最高位
1st
人生が二度あれば
人生が二度あれば
ポリドール・レコード
-
断絶
2nd
1972年7月1日
傘がない
傘がない
ポリドール・レコード
69位
感謝知らずの女
3rd
夢の中へ
夢の中へ
ポリドール・レコード
17位
いつのまにか少女は
4th
心もよう
心もよう
ポリドール・レコード
7位
帰れない二人
5th
1974年4月1日
闇夜の国から
闇夜の国から
ポリドール・レコード
11位
いつもと違った春
6th
1974年9月1日
夕立
夕立
ポリドール・レコード
15位
ゼンマイじかけのカブト虫
7th
1975年6月21日
御免
御免
ポリドール・レコード
29位
旅から旅
8th
1975年11月25日
青空、ひとりきり
青空、ひとりきり
フォーライフ・レコード
アルバムとは編集の異なるシングルバージョン。
8位
Flight
9th
1976年2月25日
Good, Good-Bye
Good, Good-Bye
フォーライフ・レコード
関西テレビ放送「さんまのまんま」エンディングテーマで使用された時期あり。
13位
子供への唄
10th
1977年5月25日
夏願望
夏願望
フォーライフ・レコード
-
青空、ひとりきり
アルバムとは編集の異なるシングルバージョン。
招待状のないショー
子供への唄
11th
1978年8月10日
青い闇の警告
青い闇の警告
フォーライフ・レコード
100位
映画に行こう
12th
1978年10月21日
ミスコンテスト
ミスコンテスト
フォーライフ・レコード
-
八月の休暇
シングルバージョンはここでしか聞けない。
13th
1979年8月5日
なぜか上海
なぜか上海
フォーライフ・レコード
87位
娘がねじれる時
14th
1980年7月5日
BRIGHT EYES (英語版 )
BRIGHT EYES
フォーライフ・レコード
アート・ガーファンクル のカバー。 歌詞は日本語 で、訳詞は陽水本人による。
-
答えはUNDERSTAND
15th
クレイジーラブ
クレイジーラブ
フォーライフ・レコード
山口百恵 への提供曲(アルバム『This is my trial 』収録)のセルフカバー。
-
空はブルーエンジェル
再発盤ではカップリングが「答えはUNDERSTAND」になっている。
16th
ジェラシー
ジェラシー
フォーライフ・レコード
14位
夏星屑
17th
1981年11月21日
風のエレジー
風のエレジー
フォーライフ・レコード
55位
海はどうだ
18th
リバーサイドホテル
リバーサイドホテル
フォーライフ・レコード
11位
俺の事務所はCAMP
19th
1982年10月21日
とまどうペリカン
とまどうペリカン
フォーライフ・レコード
69位
Music High
水谷豊 への提供曲のセルフカバー
20th
1983年2月5日
愛されてばかりいると
愛されてばかりいると
フォーライフ・レコード
アルバム『LION & PELICAN』に収録されたものとはアレンジが違う。
35位
背中まで45分
沢田研二 への提供曲のセルフカバー
21st
1983年12月5日
誘惑
誘惑
フォーライフ・レコード
アルバムバージョンよりエンディングのフェードアウトが短くなっており、ここでしか聞けない。
-
Frozen Eyes
22nd
1984年7月21日
悲しき恋人
悲しき恋人
フォーライフ・レコード
長戸大幸 が「パインジュースの缶」名義で作曲を担当。
-
ダンスのチャンス
23rd
いっそ セレナーデ
いっそ セレナーデ
フォーライフ・レコード
4位
Speedy Night
24th
新しいラプソディー
新しいラプソディー
フォーライフ・レコード
25位
ダメなメロン
25th
1987年11月21日
WHY
WHY
フォーライフ・レコード
63位
揺れる花園
26th
1988年9月7日
今夜、私に
今夜、私に
フォーライフ・レコード
43位
恋は自分勝手に
27th
1989年4月11日
夢寝見
夢寝見
フォーライフ・レコード
37位
紅すべり
28th
1989年12月21日
最後のニュース
最後のニュース
フォーライフ・レコード
57位
BACK SIDE
29th
少年時代
少年時代
フォーライフ・レコード
4位
荒ワシの歌
30th
1991年3月21日
Tokyo
Tokyo
フォーライフ・レコード
76位
夢の背中
野田秀樹 が手掛けた芝居『野田版 国性爺合戦』の劇中歌のセルフカバー。
31st
1992年10月21日
結詞
結詞
フォーライフ・レコード
再録。セルフカバーアルバム『ガイドのいない夜』に収録されたものと同じ。
33位
野イチゴ
再録で、CD-BOX『ReMASTER』に収録された。
32nd
1993年3月19日
5月の別れ
5月の別れ
フォーライフ・レコード
27位
Be-Pop Juggler
33rd
Make-up Shadow
Make-up Shadow
フォーライフ・レコード
2位
プレゼント
34th
1993年11月3日
カナディアン アコーデオン
カナディアン アコーデオン
フォーライフ・レコード
35位
引き揚げ者の唄
35th
1994年4月10日
愛は君
愛は君
ポリドール・レコード
45位
あこがれ
36th
1994年10月21日
移動電話/カミナリと風
移動電話
フォーライフ・レコード
36位
カミナリと風
37th
1995年12月6日
嘘つきダイヤモンド
嘘つきダイヤモンド
フォーライフ・レコード
32位
OVER TIME
38th
1997年3月5日
太陽の町
太陽の町
ポリドール・レコード
-
眠りにさそわれ
39th
1998年2月21日
TEENAGER
TEENAGER
フォーライフ・レコード
60位
積み荷のない船
HAWAIIAN LOVE SONG(リリウオカラニ女王に捧ぐ)
40th
2001年1月24日
コーヒー・ルンバ
コーヒー・ルンバ
フォーライフ・レコード
アルパ 奏者のウーゴ・ブランコ (Hugo Blanco ) のカバー。歌詞は西田佐知子 が初めて歌った日本語のもの。
19位
星のフラメンコ
西郷輝彦 のカバー
ドミノ
ペギー葉山 のカバー
旅人よ
加山雄三 のカバー
41st
2001年4月1日
花の首飾り
花の首飾り
フォーライフ・レコード
ザ・タイガース のカバー
12位
お嫁においで
加山雄三のカバー
42nd
2001年11月21日
この世の定め
この世の定め
フォーライフ・レコード
60位
毛ガニ
コンサートで即興演奏 した楽曲
名古屋食べ物事情
43rd
2002年4月3日
Final Love Song
Final Love Song
フォーライフミュージックエンタテイメント
43位
ヤギのミルク
44th
2002年8月21日
森花処女林
森花処女林
フォーライフミュージックエンタテイメント
-
決められたリズム (Single Version)
45th
2002年10月23日
飾りじゃないのよ涙は
飾りじゃないのよ涙は
フォーライフミュージックエンタテイメント
再録。セルフカバーアルバム『Blue Selection』に収録された。
93位
決められたリズム
アルバム『カシス』に収録されたものと同じ。
46th
2004年4月1日
歌に誘われて
歌に誘われて
ピンジャックレーベル
型番 PJCF-0001 売価500円(税込)。発売元:ピンジャックレコード 販売元:株式会社西鉄エージェンシー。8センチCD 。西鉄グループである株式会社インキューブ西鉄が運営する「雑貨屋 インキューブ」のみの販売だった。福岡県限定販売ながら、約2万枚を売り上げた[53] 。
販売当時、西鉄バスイメージCMソングとして主に路線バスで使用された。ジャケットは二つ折りの厚紙に印刷され、表側はタイトル曲名(「誘」は赤色)とともにバスに揺られるセーラー服の女性と、夕方で曇りがかった博多区中洲をバックに走る西鉄バスの写真。内側は淡い空色で曲名と作詞・作曲の井上陽水のクレジットと歌詞の印字がされている(若干長い明朝体を使用し、要所で二周り程大きく、濃淡の付いた形式)。 後に2006年6月28日発売のアルバム「LOVE COMPLEX」の9曲目に収録された。
47th
2006年3月29日
新しい恋/長い猫
新しい恋
フォーライフミュージックエンタテイメント
50位
長い猫
作詞は長女の依布サラサ との共作
48th
2009年4月29日
Love Rainbow
Love Rainbow
フォーライフミュージックエンタテイメント
62位
LOVE LILA
49th
2017年2月15日
夢の中へ (初回限定盤)
夢の中へ
ユニバーサルミュージック
36位
女神
瞬き
ミス コンテスト(ライブ・パフォーマンス 井上陽水 コンサート2016秋「UNITED COVER 2」より)
Bonus Track
Make-up Shadow(ライブ・パフォーマンス 井上陽水 コンサート2016秋「UNITED COVER 2」より)
バレリーナ(ライブ・パフォーマンス 井上陽水 コンサート2016秋「UNITED COVER 2」より)
氷の世界(ライブ・パフォーマンス 井上陽水 コンサート2016秋「UNITED COVER 2」より)
海へ来なさい(ライブ・パフォーマンス 井上陽水 コンサート2016秋「UNITED COVER 2」より)
夏の終りのハーモニー(ライブ・パフォーマンス 井上陽水 コンサート2016秋「UNITED COVER 2」より)
夢の中へ (通常盤)
夢の中へ
ユニバーサルミュージック
女神
瞬き
50th
2018年7月25日
care
care
ユニバーサルミュージック
ピアノにOfficial髭男dism の藤原聡 が参加している。
99位
MUSIC PLAY
ギター、ベース、ドラムに奥田民生 が参加している。
コラボレーション
アルバム
スタジオ・アルバム
枚
発売日
タイトル
レーベル
規格品番
備考
最高位
1st
1972年5月1日
断絶
ポリドール・レコード
UPCY-7586
8位
2nd
1972年12月10日
陽水II センチメンタル
ポリドール・レコード
UPCY-7587
10位
3rd
1973年12月1日
氷の世界
ポリドール・レコード
UPCY-7589
日本初のミリオンセラー ・アルバム。 ジャケット撮影は大学生時代に、全共闘運動 に共感、「べ平連 」に参加しデモ を撮影していた中村冬夫 が抜擢された[54] 。
1位
4th
1974年10月1日
二色の独楽
ポリドール・レコード
UPCY-7590
5th
1976年3月25日
招待状のないショー
フォーライフ・レコード
FLCF-5069
井上にとってフォーライフ設立後、初アルバム
6th
1978年7月25日
"white"
フォーライフ・レコード
FLCF-5071
3位
7th
1979年9月21日
スニーカーダンサー
フォーライフ・レコード
FLCF-5072
8th
1980年12月5日
EVERY NIGHT
フォーライフ・レコード
FLCF-5073
28位
9th
1981年11月21日
あやしい夜をまって
フォーライフ・レコード
FLCF-5074
11位
10th
1982年12月5日
LION & PELICAN
フォーライフ・レコード
FLCF-5075
井上自身多く言及、ライブで歌う曲も多い。
13位
11th
1983年12月5日
バレリーナ
フォーライフ・レコード
FLCF-5076
25位
12th
1987年12月16日
Negative
フォーライフ・レコード
FLCF-5078
5位
13th
1990年10月21日
ハンサムボーイ
フォーライフ・レコード
FLCF-5079
タイアップ曲多数収録。
2位
14th
1993年9月15日
UNDER THE SUN
フォーライフ・レコード
FLCF-5081
1位
15th
1994年10月21日
永遠のシュール
フォーライフ・レコード
FLCF-5082
7位
16th
1998年3月18日
九段
フォーライフ・レコード
FLCF-5083
23位
17th
2002年7月24日
カシス
フォーライフミュージックエンタテイメント
FLCF-5085
12位
18th
2006年6月28日
LOVE COMPLEX
フォーライフミュージックエンタテイメント
FLCF-5087
17位
19th
2010年11月17日
魔力
フォーライフミュージックエンタテイメント
FLCF-5088
22位
カバー・セルフカバーアルバム
タイプ
発売日
タイトル
レーベル
規格品番
備考
最高位
セルフカバー
1984年12月21日
9.5カラット
フォーライフ・レコード
FLCF-5077
井上自身2作目のミリオンセラー
1位
1992年11月20日
ガイドのいない夜
フォーライフ・レコード
FLCF-5080
「Just Fit 」は沢田研二 に提供した楽曲
7位
カバー
2001年5月30日
UNITED COVER
フォーライフ・レコード
FLCF-5084
「手引きのようなもの」のみセルフカバー
2位
セルフカバー
2002年11月20日
Blue Selection
フォーライフミュージックエンタテイメント
FLCF-5086
全曲にジャズ アレンジが施されている。
20位
カバー
2015年7月29日
UNITED COVER 2
ユニバーサルミュージック
UPCH-7591
「氷の世界」のみセルフカバー。オリジナルの新曲2曲あり。シリーズ第1弾より足掛け15年振りの続編。
16位
ライブ・アルバム
ベスト・アルバム
発売日
タイトル
レーベル
規格品番
備考
1975年7月21日
GOOD PAGES
ポリドール・レコード
MR-5060
初のベスト・アルバム。
1976年10月21日
GOOD PAGES 2
ポリドール・レコード
MR-3026
全12曲収録。ポリドール音源ベスト・アルバム第2弾。歌詞カードには各曲ごとの楽譜付。
1980年9月21日
井上陽水ベスト20
フォーライフ・レコード
36C-1
カセットテープのみの独自企画。A面全てのライブ音源と、B面「傘がない」の弾き語りスタジオ新録音源は当商品のみ。
1981年3月21日
井上陽水メタル・スペシャル
フォーライフ・レコード
33C-5002
カセットテープのみの独自企画。メタルテープを使用したベストアルバム。
1982年3月5日
SO
ポリドール・レコード
25MX-9030
ポリドールおよびフォーライフで発表した曲を収録したベストアルバム。
1982年3月5日
MUCH
フォーライフ・レコード
25K-2
ポリドールおよびフォーライフで発表した曲を収録したベストアルバム。
1985年3月1日
明星
ポリドール・レコード
25MS-0072 (LP)
ポリドール音源を集めた陽水自身の選曲によるベストアルバムだが、諸事情により、初版はキティレコードからリリース。後述のフォーライフ音源を集めた「平凡」と同時期に発売。LPは10曲、CDは16曲と、収録曲数が異なる。CDのみ聴ける6曲は「夏まつり」「東へ西へ」「人生が二度あれば」「傘がない」「感謝知らずの女」「小春おばさん」。
POCH-1591 (CD)
1985年3月5日
平凡
フォーライフ・レコード
28K-83 (LP)
上記の『明星』と同時期に発売。「招待状のないショー (New Take)」収録は、当作品のみ。「青空、ひとりきり」「愛されてばかりいると」「Good, Good-Bye」はシングルバージョンで収録。
35KD-5 (CD)
1987年7月21日
Re-View
フォーライフ・レコード
33KD-106
「愛されてばかりいると」はシングルバージョン、「青空、ひとりきり」「なぜか上海」は別ミックス。CDのみの発売。
1987年9月1日
YOSUI SINGLE COLLECTIONS
ポリドール・レコード
POCH-1592 (CD)
CD ・カセットテープ のみ。 ポリドールの音源のシングル7枚、全14曲を収録。
(CT)
1993年8月6日
心もよう
ポリドール・レコード
POCH-1275
全15曲収録。
1994年12月1日
全曲集
ポリドール・レコード
POCH-1434
全20曲収録。カセットテープ同時発売。
1997年11月19日
ベスト・コレクション
ポリドール・レコード
POCH-1660
全19曲収録。ポリドール楽曲16曲、フォーライフ楽曲3曲。
1999年5月26日
夢の中へ -井上陽水ベストアルバム-
ポリドール・レコード
POCH-1797
全19曲収録。
1999年7月28日
GOLDEN BEST
フォーライフ・レコード
FLCF-3761
初の公式2枚組ベスト。200万枚以上のセールスを記録。
2000年7月28日
GOLDEN BAD
フォーライフ・レコード
FLCF-3800
B面曲、アルバム収録曲より陽水自身が選んだ通称「裏ベスト」。
2003年6月25日
GOLDEN BEST SUPER
フォーライフミュージックエンタテイメント
FLCF-3965
既発の『GOLDEN BEST』に、新たに『GOLDEN BEST SUPER Disc3』を加えて3枚組とした限定盤(Disc3はCD単体発売無し)。『Disc3』収録のライブバージョンの一部は、期間限定でネット配信された。
2003年11月5日
井上陽水 プラチナ・ベスト 〜アーリー・タイムズ〜
ユニバーサルミュージック
UICZ-4085
全20曲収録。陽水の既発楽曲18曲、井上陽水・安全地帯による86年のシングル「夏の終わりのハーモニー」、カップリング曲「俺はシャウト!」を収録。
2008年7月16日
弾き語りパッション
フォーライフミュージックエンタテイメント
FLCF-4240
2007年ツアーから初期の楽曲を中心に収録された弾き語りベスト・アルバム。当初は2008年ツアー会場のみでの限定販売であったが、反響の多さでメジャー流通でも発売された。
2008年12月10日
BEST BALLADE
フォーライフミュージックエンタテイメント
FLCF-4269
バラードベスト
2010年3月3日
井上陽水 傘がない〜東へ西へ
ユニバーサルミュージック
DCI-85904
全15曲収録。一般のCDショップルートに並ばないCD。
井上陽水 氷の世界〜夢の中へ
ユニバーサルミュージック
DCI-85905
全16曲収録。一般のCDショップルートに並ばないCD。
CD-BOX
発売日
タイトル
レーベル
規格品番
備考
1986年12月5日
井上陽水 1975〜
フォーライフ・レコード
190KD-66
フォーライフ移籍以降の全曲集(アルバム『東京ワシントンクラブ』とオムニバス収録曲、ライヴ音源を除く)。シングルバージョンは「青空、ひとりきり」のみ。
1988年11月25日
YOSUI 4 ORIGINAL ALBUMS
ポリドール・レコード
H96P-20201/4
ポリドール時代の4枚をBOX化したもの。
『氷の世界』の1曲目に「夢の中へ」を追加収録(当商品のみ)
1991年12月11日
NO SELECTION 井上陽水全集
フォーライフ・レコード
FLC3-84122
ポリドール時代4枚とフォーライフ時代10枚の計14枚のアルバムとシングル曲集2枚『SPECIAL EDITION 1』『SPECIAL EDITION 2』を加えた16枚BOX。 『SPECIAL EDITION1』にアンドレ・カンドレ時代6曲を収録。 特典で、非売品VHS『SELECTION』が付属。「傘がない 」、「夏まつり」「夢の中へ 」、「心もよう 」、「青空、ひとりきり」、「最後のニュース 」のプロモーションビデオが収録。
1996年3月25日
COMPLETE YOSUI IN POLYDOR DAYS 5 ALBUMS+2 SINGLES
ポリドール・レコード
POCH-1555/9
5枚組BOX。ユニバーサルミュージックHPの井上陽水ディスコグラフィーは、BOX紹介ではなく5枚単品扱い紹介されている。(各作品の収録内容は、このBOXのみに適用。永久通常仕様のオリジナル5枚各々の収録内容とは異なる)
1999年12月1日
GOLDEN YEARS 1972-1974
ポリドール・レコード
POCH-9018/22
5枚組BOX。全54曲収録。
2001年5月30日
井上陽水 ReMASTER
フォーライフ・レコード
FLCF-3860
フォーライフ時代15枚とシングル曲集2枚『Re MASTER extra-1』『Re MASTER extra-2』を加えた17枚BOX。ボーナストラック 「少年時代」ライブバージョンが当商品のみ収録。
2019年1月30日
YOSUI BOX Remastered
ユニバーサルミュージック
UPCH-7461
当初2018年12月19日発売予定が、製造スケジュール都合により発売延期。全スタジオアルバム24作をリマスタリングしてパッケージしたスペシャルBOX。1976年に発表されたライブアルバム『東京ワシントンクラブ 』が初CD化。
トリビュート・アルバム
発売日
タイトル
レーベル
規格品番
備考
2004年11月10日
YOSUI TRIBUTE
フォーライフミュージックエンタテイメント
FLCF-4038
2019年11月27日
井上陽水トリビュート
ユニバーサルミュージック
UPCH-2198
コンピレーション・アルバム
発売日
タイトル
レーベル
規格品番
備考
1975年7月29日
陽水生誕
Kaleidoscope
KL-0002
ライブ音源やアンドレカンドレの楽曲など、ここでしか聴けないトラックを含んでいるが、陽水の同意を得ずにリリースされたため発売停止となった。
関連作品
映像作品
クラムチャウダー<NHKホールライブ> (1986年9月1日)
井上陽水ライブ'88サントリーホール 夜のシミュレーション (1989年4月21日)
夢寝見 (1989年10月21日)
プロモーションビデオ。VHSとLDの2形態で発売。
Curve Yousui Inoue (1990年)
プロモーションビデオ、ライブ映像、コンサート会場限定販売。
井上陽水 CONCERT 1999〜2001 UNITED TOUR (2001年12月5日)
「The Premium Night」―昭和女子大学 人見記念講堂ライブ― (2007年4月11日)
「40th Special Thanks Live in 武道館」 (2010年3月31日)
「氷の世界ツアー2014 ライブ・ザ・ベスト」CD特典ライブ映像 (2014年9月10日)
「井上陽水 コンサート2015 UC2」 (2016年3月16日)
「GOLDEN BEST VIEW ~SUPER LIVE SELECTION~」 (2017年10月4日)
「井上陽水50周年記念ライブツアー『光陰矢の如し』〜少年老い易く 学成り難し〜」 (2020年9月1日)
PV
いくつかの曲でPVが制作されている。
以下が1991年「NO SELECTION 井上陽水全集」の特典VHSに収録された。その他にも、
などが制作されている。また、「傘がない」は2008年の『弾き語りパッション』発売時、新規に制作され、俳優のオダギリジョー が主演を務めた。陽水本人も一瞬だけ出演した。
「井上陽水奥田民生」名義
タイアップ一覧
楽曲提供
オリーブ
「愛ある国へ」 - 作詞・作曲:井上陽水(1970年)
ザ・モップス
「窓をあけろ」 - 作詞・作曲:井上陽水(1972年)
「あかずの踏切り」 - 作詞:井上陽水/作曲:星勝 (1973年)
石川セリ
「ダンスはうまく踊れない 」 - 作詞・作曲:井上陽水(1977年)- 5年後の1982年、高樹澪 がカバー ・シングルとしてリリース
「気まぐれ」 - 作詞:石川セリ/作曲:井上陽水
水谷豊
「はーばーらいと」 - 作詞:松本隆/作曲:井上陽水(1977年)
「男の手紙」 - 作詞:白石ありす /作曲:井上陽水
「鍵はかけない」 - 作詞:松本隆 /作曲:井上陽水
「通過します」 - 作詞:友部正人 /作曲:井上陽水
「テンダネス」 - 作詞:松本隆/作曲:井上陽水
「マリーナ デル レイ」 - 作詞:松本隆/作曲:井上陽水 (1981年)
「AMERICAN LINE」 - 作詞:松本隆/作曲:井上陽水
「MUSIC HIGH」 - 作詞・作曲:井上陽水 (1982年)
佐藤博
「月の子の名前はレオ」 - 作詞:井上陽水/作曲:佐藤博(1979年)
中山千夏
「Kiss」 - 作詞:井上陽水/作曲:小室等(1980年)
山口百恵
三上寛
「俺のあの娘は可愛いい」 - 作詞・作曲:井上陽水(1981年)
沢田研二
「News」
「デモンストレーションAir Line」
「背中まで45分 」
「Darling」
「A.B.C.D.」
「チャイニーズフード」
「How Many “Good Bye”」
「次のデイト」
「ジャスト フィット」
「ミスキャスト」
全曲、作詞・作曲:井上陽水(1982年12月10日)
柏原芳恵
安全地帯
「ワインレッドの心 」 - 作詞:井上陽水/作曲:玉置浩二 (1983年11月25日)
「真夜中すぎの恋 」 - 作詞:井上陽水/作曲:玉置浩二 (1984年)
「恋の予感 」 - 作詞:井上陽水/作曲:玉置浩二 (1984年10月25日)
中森明菜
吉永小百合
「夢さぐり」 - 作詞:来生えつこ /作曲:井上陽水 (1984年)
薬師丸ひろ子
「ステキな恋の忘れ方 」 - 作詞・作曲:井上陽水 (1985年11月1日)
「哀しみの種」 - 作詞:松本隆/作曲:井上陽水
「ローズ・ティーはいかが?」 - 作詞:松本隆/作曲:井上陽水
「めぐり逢い」 - 作詞・作曲:井上陽水(2017年)
安倍里葎子
「年下ごのみ」作詞:吉法かずさ /作曲:南杜夫(井上陽水)(1988年3月2日)
ブレッド&バター
「WYOMING GIRL」 - 作詞・作曲:井上陽水 (1989年)
「ファッションラヴァー」 - 作詞:GALLWAY PETER ALAN、井上陽水/作曲:GALLWAY PETER ALAN
森進一
「フィクション」 - 作詞・作曲:井上陽水 (1990年)
荻野目洋子
「ギャラリー 」 - 作詞・作曲:井上陽水(1990年6月27日)
「ON BED」 - 作詞:井上陽水/作曲:井上陽水・平井夏美(1990年6月27日)
小泉今日子
「月ひとしずく 」 - 作詞:井上陽水・奥田民生・小泉今日子/作曲:井上陽水・奥田民生(1994年11月14日)
デーモン小暮閣下
「LOVE ROMANCE」 - 作詞・作曲:井上陽水(1995年8月21日)
篠原涼子
「ダメ!」 - 作詞・作曲:井上陽水(1995年11月22日)
PUFFY
「アジアの純真 」 - 作詞:井上陽水/作曲:奥田民生(1996年5月13日)
「渚にまつわるエトセトラ 」 - 作詞:井上陽水/作曲:奥田民生(1997年4月16日)
「CAKE IS LOVE」 - 作詞・作曲:井上陽水(1998年4月1日)
「オリエンタル・ダイヤモンド 」 - 作詞:井上陽水/作曲:奥田民生(2007年9月5日)
Chappie
「DOCU-MENTARY KISS」 - 作詞:井上陽水/作曲:ギターペイダー(1999年10月10日)
ペギー葉山
「プラス・ピアス」 - 作詞・作曲:井上陽水 (2000年)
来生たかお
「地上のスピード」 - 作詞:井上陽水/作曲:来生たかお (2000年10月21日)
一青窈
「一思案」 - 作詞:一青窈/作曲:井上陽水(2004年4月7日)
「面影モダン」 - 作詞:一青窈/作曲:井上陽水(2004年4月7日)
持田香織
「ミステリーあなたに夢中」 - 作詞・作曲:井上陽水(2004年10月20日)
岡本知高
「E-I-E-N」 - 作詞:井上陽水/作曲:筒美京平(2004年10月21日)
Akeboshi
「Yellow Moon」 - 作詞:井上陽水/作曲:Akeboshi(2006年4月19日)
小野リサ
「青いフラミンゴ」 - 作詞・作曲:井上陽水 (2013年)
依布サラサ
「キャッホー」 -作詞・作曲:井上陽水 (2013年)
伊藤蘭
「LALA TIME」-作詞・作曲:井上陽水、みりん (2019年)
DR.STRANGE LOVE
「アメリカのアリゾナ」 - 作詞:井上陽水/作曲:長田進
本山ツトム
「一枚ガラスの喫茶店」 - 作詞:小椋佳 /作曲:井上陽水
野崎沙穂
「エアメール・ブルー」 - 作詞:安井かずみ /作曲:井上陽水
かしわ哲
「オシエテモット」 - 作詞:かしわ哲/作曲:井上陽水
矢野顕子
「架空の星座」 - 作詞:井上陽水/作曲:矢野顕子
三田寛子
「駈けてきた処女 」 - 作詞:阿木燿子 /作曲:井上陽水
「夏の雫」 - 作詞:阿木燿子/作曲:井上陽水/編曲:坂本龍一
「ふたりぽっち物語」 - 作詞:阿木燿子/作曲:井上陽水
町田義人
「風のように」 - 作詞:阿木燿子/作曲:井上陽水
樋口可南子
「からたちの花」 - 作詞:流れ星犬太郎/作曲:井上陽水
小林麻美
「グランプリの夏」 - 作詞:小林和子/作曲:井上陽水
「TRANSIT」 - 作詞:松任谷由実 /作曲:井上陽水
郷ひろみ
姫乃樹リカ
風間杜夫
長谷川きよし
「ドライアイス」 - 作詞:井上陽水/作曲:長谷川きよし
武田久美子
「半分ピエロ」 - 作詞:友部正人/作曲:井上陽水
YK型
「バルサの翼」 - 作詞:吉田照美 /作曲:井上陽水
亀淵友香
「夢のくらし」 - 作詞:及川恒平 /作曲:井上陽水
松坂慶子
「ラジオのついたナイト・テーブル」 - 作詞:井上陽水/作曲:小室等
かまやつひろし
MAACHO
「NOTHING IN BLUE」 - 作詞:CASS MARK/作曲:井上陽水
岩下京子
「BOOING」 - 作詞・作曲:井上陽水(「立花海」名義[56] )
出演
1969年のデビューから殆どテレビ•ラジオに出演する事は多くなく、親交が深いタモリ や筑紫哲也 などの冠番組、一部の音楽番組の出演等が大半を占める。
音楽番組
ヤングインパルス(1973年、「傘がない」、テレビ神奈川)
Folk & Rock in 73(1973年、「傘がない」「たいくつ」、毎日放送)
ドキュメンタリー
情熱大陸 (1999年8月29日、TBS)
陽水の50年〜5人の表現者が語る井上陽水〜(2019年12月27日、NHK総合)
報道番組
トーク番組
映画
特別番組
タモリ&井上陽水の大人のお正月(テレビ朝日、1995年1月1日)
井上陽水 ハロー、グッバイ(NHK、2000年12月10日)
井上陽水 空想ハイウェイ(NHK、2004年から2005年)-全4回放送。
井上陽水スペシャルTV(TBS、2007年12月26日)
LIFE 井上陽水(NHK、2009年)-全4回放送。
井上陽水マニアックカタログ(NHK、2013年4月7日)
バラエティ番組
テレビドラマ
ラジオ番組
CM
書籍
著書
音のそとがわで(1974年、サンリオ )
青空ふたり旅(1985年、角川書店 )ISBN 4041294150
1976年の五木寛之 との対談。1976年のペップ出版発行の方にあった「田川のどろぼう部落」が強くてたくましいイメージ、九州的なものとして大事にしたい、などと二人で擁護する件(同書1976年版p163)などが1985年版では削除されている。
ラインダンス(1982年、新潮社 )ISBN 4101282013
綺麗ごと(1985年、集英社 )ISBN 4087800857
歌う見人(ケンジン) - 井上陽水カセットブック(1986年、小学館 )ISBN 4093632510 。以下の英語詞ヴァージョンが収録されている。
A1:Dream(夢)
A2:I Fell For You(揺れる花園)
A3:Tangerine Summers(飾りじゃないのよ涙は)
A4:Transit(トランジット)
B1:Sweet Serenade(いっそセレナーデ)
B2:Waiting Game(新しいラプソディー)
B3:Couldn't We(招待状のないショー)
B4:Frozen Eyes(フローズン・アイズ)
媚売る作家(1993年、角川書店)ISBN 4048833294
夢の旅人(1994年、新潮社)ISBN 4105299018
井上陽水 FILE FROM 1969(2009年、エフエム東京)ISBN 4887452144
井上陽水40周年記念として今までの多数の活動記録をまとめた本。
別冊カドカワ 総力特集 井上陽水(2009年、角川マーケティング(角川グループパブリッシング))ISBN 4048950657
井上陽水の40周年記念に作られた特集号。陽水と親交のある著名アーティストによる陽水についてのインタビュー等も掲載。
関連書籍
脚注
注釈
^ 受験に失敗した原因について、のちに「天才的頭脳がない」「裏口入学させられるほど金持ちの親がいない」(『断絶』の歌詞カード)、「ビートルズ」「女性」「受験慣れ」(『もどり道』のインナースリーブ)などとコメントしている。またゲスト出演したラジオ番組で、作詞方法は日本語辞書を見ながら面白いと感じた言葉を抜き出して創作することなどや、「なぜ歌手になったのか」の質問に「歯科大学 の受験に3度失敗して歯科医を断念したほど、頭が悪かったから。頭が良かったら歌手なんてやっていません」などと語った[16] 。
^ 1975年には1ステージ50万円と10倍に跳ね上がる(日刊スポーツ1975年1月22日付p.12)。
^ 藤子不二雄Aの本名。
^ a b c 1989年5月25日再発。
^ 1999年5月21日再発。
^ a b c 1988年5月21日再発。
^ 1996年2月21日再発。
^ 2008年7月16日再発。
^ 2007年3月21日再発。
出典
関連項目
外部リンク
シングル
アンドレ・カンドレ名義 井上陽水名義
1970年代
1972年 1973年 1974年 1975年 1976年 1977年 1978年 1979年
1980年代
1980年 1981年 1982年 1983年 1984年 1986年 1987年 1988年 1989年
1990年代
1990年 1991年 1992年 1993年 1994年 1995年 1997年 1998年
2000年代
2001年 2002年 2004年 2006年 2009年
2010年代
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