今田 慶之助(いまだ けいのすけ、1936年12月29日 - )は、日本のプロゴルファー。
1957年にプロ入りし[1]、1960年の報知プロ新人で内田繁・森岡比佐士を抑えて優勝[2]。
1961年の中日クラウンズでは初日午後の第2ラウンドでコースレコードタイとなる66をマークし、オービル・ムーディ( アメリカ合衆国)と並んでの6位タイに浮上[3]。同年の報知プロ新人では勝俣功・海野憲二とのプレーオフの末、海野と共に勝俣の2位タイ[4]に入った。
1967年には西日本サーキット長崎シリーズで河野高明と並んでの8位タイ、下関シリーズでは松田司郎・杉原輝雄と並んでの4位タイ[5]に入った。
1970年の日本プロでは2日目にコースレコードの65を叩き出し、初日の36位から首位の関水利晃と2打差の2位に急浮上[6]。