別府大分毎日マラソン大会(べっぷおおいたまいにちマラソンたいかい)は、大分県大分市の大分マリーンパレス水族館“うみたまご”をスタート、別府市の亀川バイパス(別府市中央浄化センター付近)を折り返し、大分市営陸上競技場をゴールとする、42.195kmを走破するフルマラソン大会である。通称、別大マラソン(べつだい-)。毎年2月の第1日曜日に開催される。
「幻の五輪代表」として知られ、日本陸上競技連盟五輪代表コーチも務めた大分県出身の池中康雄が提唱して創設された大会である。国道197号線と、別大国道をメインコースとした海沿いの全般的に平坦なコース(最大高低差約7m)で、マラソンランナーの登竜門と言われることが多い。また地元大分県出身選手の最優秀賞として創設者の名を取った「池中杯」が贈られる。
1980年代より、当大会の1週間後に東京国際マラソンが毎年開催されるようになってから有力選手があまり集まらなくなってきたが、2007年に東京国際マラソンが市民マラソン(東京マラソン)化したこともあって、当大会のレベルが相対的に上昇。2001年の第50回と2005年以降の西暦奇数年と2000年以降の夏季オリンピック開催年と2002年以降の夏季アジア大会開催年と2016年以降の夏季パラリンピック開催年は、それぞれの年にある世界陸上選手権・夏季オリンピック・夏季アジア大会の代表選考会男子の部第3戦になっている(一部を除き参考レース扱い。その場合は選考会議に判断が委ねられる)が、視覚障害者に限り夏季パラリンピックの代表選考会も兼ねている。そのため、年によって出場選手のレベルに差が出てくることが懸念される。そんな中、2020年夏季オリンピック代表選考の統一レースとなるマラソングランドチャンピオンシップの出場権をかけた「MGCシリーズ対象レース」の一つに選ばれた。2018年と2019年の大会で、優勝または一定の成績で3位以内に入った選手にMGCへの出場権が与えられる。
高低差は小さいが、海沿いのコースであるため、風の影響を受けやすい。特に、別大国道の区間は風をさえぎるものがなく、海からの風をまともに受ける。この海風が選手の体力を消耗させるため、平坦なコースではあるが、記録を出すのは容易なことではない。
2001年の第50回大会や2011年の第60回大会は記念大会として、参加資格が大幅に緩和されて実施されている。
第70回大会は新型コロナウイルスの影響で2022年に延期[1]。開催予定だった2021年は代替企画として「別大チャレンジ2021」を1月31日から2月28日までの期間に実施する[2]。
大会事務局は北九州市小倉北区の毎日新聞西部本社内に置かれている。
2022年の第70回大会は、新型コロナウイルスの感染が再び急拡大したことを受けてカテゴリー1の男子232人、国際パラリンピック委員会登録のブラインドランナー男女14人、大分県在住の男女292人の計543人に限定して開催することを決めた。カテゴリー2、3、4のランナーについてはスマートフォンを活用したリモートマラソン大会の出場を勧めている[3]。
1963年の第12回大会で、寺沢徹が 2時間15分15秒8 の世界最高記録を樹立した。この記録は2023年現在まで、日本国内のレースで日本人選手が記録した最後のマラソン世界記録となっている。
世界的に女子のマラソンが広まっていた1979年の第28回大会では試験的に女子の参加が認められ、当時鬼太鼓座に所属していた小幡キヨ子が2時間48分52秒(173位)で完走した[5]。鬼太鼓座の参加申請に対して、大会事務局長の池中康雄は、男女混合という国際陸上競技連盟が公認しない方式での参加を当初拒否して鬼太鼓座側と議論になり、最終的に男子とは時差スタートとすることで決着した[6]。小幡の記録は、当時日本最高記録に相当する(この時点では陸連は女子のマラソンを道路日本記録の公認対象にしていなかった)ものであった[6][7]。
翌1980年の第29回大会では小幡キヨ子のほか、阿部しのぶ、宍戸和子の3人が出走、小幡は2時間51分32秒で完走したが、阿部と宍戸は関門制限に間に合わずに途中棄権となった[8]。小幡は鬼太鼓座の男性メンバーのエスコートを受けて走り、これはルール違反ではないかとも指摘された[8]。
1981年の第30回大会には古庄公子と村本みのるの2人が出走(スタートは男子の1分後)、村本は2時間50分31秒で完走し、これは当時の女子マラソンの公認道路日本記録だった[9]。
その後、女子の参加は認められていなかったが[注釈 1]、60周年記念大会が行われた2011年より「一般参加」のみではあるが再び女子選手にも門戸を開放されることになった[10]。
開設当初は、別府駅前(後に別府国際観光港前に変更)をスタート・ゴールとし、大分市鶴崎のアサリスポーツ前で折り返していたが、1983年に大分市営陸上競技場をスタート・ゴールとし、別府国際観光港前で折返すコースに変更された。
2010年大会よりコース変更。新しいコースは、大分・別府の市境に近いうみたまごをスタートして別府市内を走り、最後に大分市内を回るルートとなる[11][12][13]。これにより、仏崎付近の急傾斜のバンク状のカーブを走行する回数が減り、追い風も多くなると見込まれることから、実行委員会では好記録が期待できるとしている[11][12]。また、別府・大分の両市街地を走行する距離が増えることから、観客増も期待されている[11]。
2016年大会よりコース変更。起終点は変わらないが、大分市内で第2折り返し点が設けられ、大分川を渡る回数を3回から1回とし終盤の高低差を減少。さらなる好記録を狙えるコースとした。
(第69回大会のもの)
この他に出光興産、二階堂酒造、ジャパネットたかた、ECC、若築建設も筆頭スポンサーとして協賛している。※2023年(第71回大会)
特別協力としてSEIKOが大会公式計時を担当し三菱自動車が大会公式車両を提供する[注釈 2]。※2023年(第71回大会)
第60回大会の参加資格を記す。記録ごとに3つのカテゴリーに分けられている。
なお、2010年以前の参加資格は以下の通りである。
氏名・所属は当時。 -数字- は優勝回数、 太字 は世界記録、 太字 は日本記録、 太字 は大会記録(いずれも当時)。
氏名・所属は当時。 太字 は大会新記録。
ラジオ中継はテレビ中継よりも歴史が長く、1954年の第3回から[28] 2014年の第63回大会までNHKがラジオ第1で中継を行い、大分放送局がコースに放送車を出していた。
2010年代の中継では、ゴール地点の大分市営陸上競技場にNHKラジオ実況席を置き、大分放送本社に集めたオンエアー・第1中継車・第2中継車・第3中継車・各固定点の映像を放送席に送り、その画面を見ながら福岡放送局から派遣されたアナウンサーが実況を行っていた。
1955年の第4回大会から1978年の第27回大会までは、RKBラジオ・大分放送両ラジオの共同制作でも放送されていた。その後大分放送単独制作になり実況も同局のアナウンサーが行っていたが、2015年の第64回大会から再びRKB毎日放送・大分放送の2局ネットになる。なお、RKB毎日放送、大分放送両局での中継は、2022年まで福岡市に本社を置く健康食品などの通信販売会社・やずやの冠スポンサーによる「やずやスポーツスペシャル」として放送されていた。 ラジオの実況中継はテレビ放送と同様に大分放送のスタジオに放送席を設け、実況アナウンサー・解説者はテレビ中継車からの映像を見ながら実況。さらにコース上からはバイクリポーター1名がリポートする形態となっている。
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