北村 昌男(きたむら まさお、1934年10月30日 - 2023年7月9日)は、将棋棋士。1994年、引退。渡辺東一名誉九段門下。棋士番号は60。北海道函館市出身。
棋歴
渡辺東一名誉九段門下で1953年、プロデビュー[1]。初参加の順位戦(第8期C級2組順位戦)において7勝3敗で2位となり、1期でC級1組に昇級。
2年後、第10期(1955年度)C級1組順位戦で11勝2敗の1位で、B級2組へ昇級。このとき、2位で同時に昇級した‘神武以来の天才’こと加藤一二三[2]から白星を挙げた。
さらに2年後の第13期(1958年度)B級2組順位戦では9勝4敗の1位でB級1組へ昇級。以降17年間B級1組に在籍し続けたが、A級昇級には手が届かなかった。
第10回(1965年度)高松宮賞争奪戦で大山康晴名人(五冠独占中)、塚田正夫永世九段らに勝ち、決勝三番勝負に進出。山田道美に1勝2敗で敗れるが、高松宮賞を獲得。
1967年、第10期棋聖戦で中原誠らに勝ち、予選を突破。本戦では升田幸三九段らに勝ち、準決勝で丸田祐三八段に敗れる。
1969年度、第15期棋聖戦本戦で、大山康晴、芹沢博文、二上達也を破り挑戦者決定戦に進出。内藤國雄に敗れる[3]。
第13回(1979年度)早指し将棋選手権で4回戦に進出。
第7回(1980年度)名棋戦で青野照市、福崎文吾らに勝ち優勝。同棋戦の最後の優勝者となった。
1987年度から2年間、日本将棋連盟の理事を務める。
1994年9月、現役を引退。
2019年10月の時点で、棋士番号を持つ存命の将棋棋士の中で最も棋士番号が若かった(プロ四段となってから経過した年数が最も長い)。
2023年7月9日、死去[4]。88歳没。
棋風
矢倉など居飛車の主要戦法を一通り指しこなし、正統派の指し方をする棋風。一方で、攻めっ気の強い棋風で知られ、「攻め十五段」などと謳われた。幅広い戦法を持ち、相振り飛車や筋違い角も指した。
詰将棋を愛好し、詰将棋作家としても知られる。初心者向けの短手数問題の作問を得意としているほか、雑誌や書籍などで詰め手筋の研究、分析などもよく行っていた。また、現役を引退してからも将棋雑誌や新聞などにもよく問題を出題している。作風としては難解、複雑さを好まず、明解な作品を売りとしている。
昇段履歴
- 1949年00月00日 - 1級 = 奨励会入会
- 1953年00月00日 - 四段 = プロ入り
- 1954年04月01日 - 五段(順位戦C級1組昇級、通算16勝06敗)
- 1956年00月00日 - 六段(順位戦B級2組昇級、通算52勝26敗)
- 1958年00月00日 - 七段(順位戦B級1組昇級、通算78勝54敗)
- 1973年11月03日 - 八段(贈八段 = 「表彰感謝の日」表彰、通算302勝284敗)
- 1994年02月10日 - 九段(勝数規定 /八段昇段後公式戦250勝、通算552勝655敗)
- 1994年09月00日 - 引退
- 2023年07月09日 - 死去
主な成績
通算成績
棋戦優勝
- 高松宮賞争奪選手権戦 高松宮賞1回(1965年度 = 第10回)
- 名棋戦 1回(1980年度 = 第7回)
- 優勝合計2回
在籍クラス
表彰
脚注
関連項目
外部リンク
一般棋戦優勝 2回 |
---|
|
---|
六、五、四段戦優勝者 | |
---|
古豪新鋭戦優勝者 | |
---|
名棋戦優勝者 | |
---|
関連項目 | |
---|
B級2組以下の棋士が参加。名棋戦は棋王戦の予選として行われた。1980年(第7回)で終了。 |
|
---|
優勝者 | |
---|
高松宮賞 | |
---|
関連項目 | |
---|
高松宮賞受賞者も棋戦優勝相当となる。1966年(第11回)で終了。 |
|