『太陽にほえろ!』(たいようにほえろ)は、1972年(昭和47年)7月21日から、1986年(昭和61年)11月14日まで、日本テレビ系列で金曜日20時から1時間(54〜56分)枠で放送された刑事ドラマ。全718回放送された。
警視庁七曲警察署捜査一係の藤堂係長(石原裕次郎)を中心に、ニックネームで呼び合う個性豊かな刑事たちの活躍を描いたテレビドラマ。1972年のスタートから15年近くに亘って放送が続けられた長寿番組であり、現在では日本の刑事ドラマの金字塔とも称される作品である。
それまでの刑事ドラマでは事件と犯人が中心に描かれており、レギュラーの刑事たち(主に本庁の捜査一課所属)は狂言回しに過ぎなかった。しかし本作は、所轄署の捜査一係に勤務する刑事の一人一人にフルネームと性格設定を与え、「青春アクションドラマ」と銘打って刑事を主役にした物語を展開した。「走る」刑事ドラマ(大方の犯人が走って逃げるため、刑事も追走することが多い)としても有名だが、これは最初の中心監督メンバーとなった竹林進が、人間の最も美しい姿は一生懸命走る姿である、という考えの持ち主だったことによる[1]。勝野洋(出演期間は2年)と宮内淳(出演期間は約4年)のコンビが合わせて走った延距離は地球半周分とも言われる。
基本的には、事件発生から解決に至るまでは1話完結、一係メンバーと、周辺の登場人物のエピソードなどに関しては、時系列で描くというスタイル。
当初の構想ではマカロニ刑事こと早見淳を主人公とし、彼の成長物語として展開していく予定であった[2]。しかし、早見役の萩原健一が降板を熱望し「劇中で死にたい」という本人の申し出を製作側が受け入れたことで、早見は通り魔強盗に刺し殺されるという形で姿を消す。ところが、主人公の降板という事態にもかかわらず、番組を終了させることはなく、松田優作を萩原の後任に起用し、さらなる成功を収めた。これに端を発し、新人や無名俳優を主役扱いで出演させて人間的に成長する姿を追い、やがて彼らが「殉職」[3]することで番組を降板していくというパターンが定着。勝野洋、山下真司、渡辺徹などといったスターが生み出された。やがて、番組の路線が安定してくると沖雅也、神田正輝、三田村邦彦、世良公則など芸能界で実績のある人物[4]が起用されるケースも出てきた。また露口茂、竜雷太、下川辰平、小野寺昭らベテランおよび中堅のメンバーにも主演作が用意されるようになり、新米刑事の成長物語に群像劇としての要素が加えられるようになった。
収録にあたって、レギュラー出演者のスケジュール調整にはとくに注意が払われた。実際に警察官は「非番」という形で交代制で休みを取る[5]のでこれに準じて、番組1年目は萩原(40話、42話、44話)・小野寺(5話、10話、11話、14話、36話、37話、45話)・下川(10話、18話、31話 - 33話、36話、48話、49話)の欠場があった。2年目以降はごく一部の例外(81年の石原裕次郎・沖雅也の病欠)や関根恵子を除き、一係メンバーは毎回必ず顔を揃えていた。裕次郎は86年にも再入院し、任務代行者として渡哲也が配された。のちに裕次郎から「健康な状態での復帰が望めない」として降板の申し出があり、番組の円満終了が確定。裕次郎は最終回に復帰し、番組のテーマともいえる「生命の尊さ」を訴え、作品を通しての主役として物語をしめくくった。
1983年10月7日の放送は、「太陽にほえろ!スペシャル 原作・エド・マクベイン"キングの身代金"より『誘拐』」として、30分拡大し、19時30分から放送した[6]。
番組終了後の翌々週からは、藤堂が七曲署から本庁(警視庁)に栄転して1年後(1987年11月)の七曲署を描いた続編『太陽にほえろ!PART2』が放送された。
人物名、()に読みとニックネーム、出演者の順に表記。
「●」は殉職した刑事、「▲」は病死した刑事、「■」は交通事故死した刑事、「※」はその他の理由で死亡した刑事、無印は最後まで存命した刑事
七曲署捜査第一課捜査第一係の刑事係内には警部・警部補・巡査部長・巡査長・巡査[7][8]。捜査一係への着任は、前任者が殉職・異動・退職したことによって生じた欠員補充(後任)によるものと、本庁の定めた配属人数の改定に伴う増員による着任とに分けられる。それを裏付けるように、藤堂が「一係の人員は7人だ」と語る場面[9]があるものの、番組後期では8人以上の所属が確認できる。第1話で早見が着任した時点で係員は藤堂を含めて6人なので、早見の着任前は5人だった可能性がある。本作では柴田以降の刑事は捜査一係着任の経緯が物語の流れで判るようになっているが、物語開始後の最初の着任者である早見については、どういう経緯で七曲署捜査一係に着任することになったのかについて詳しく言及されたことがなく、不明。
本来殉職とは勤務時間中などに職務上の理由で死亡したものを指す。中には判断が分かれるであろう件もあるが、本作では一括して殉職と扱われている。
殉職した場所は一部現存する。
PART2では殉職者が一人も出ておらず、最終回終了時点で全員が生存している。
藤岡琢也は、城北署の鮫島勘五郎刑事役(愛称:ゴロンボの鮫、鮫やん、ジョーズ刑事)として初期作品からセミ・レギュラー出演。警察退職後は様々な職業を経てその時々の若手刑事と共演、番組中盤から後期にかけてしばらく登場しなかったが、最終回直前の第711話「ジョーズ刑事の華麗な復活」にて西山浩司演じる太宰と共演。
本作では新人がレギュラー出演する前に演技のテストを兼ねてカメオ出演している。
テスト出演ではないが、沖雅也も第10話「ハマッ子刑事の心意気」に若手刑事役でゲスト出演していた(#シリーズの展開を参照)。
なお第84話「人質」には、『われら青春!』(本作と同じく日本テレビ系列で放送)での本格デビューを間近に控えていた中村雅俊のテレビ初出演作品である。
落語家になる前の立川志の輔がエキストラのバーテンダー役で出演したほか、第196話「言葉の波紋」では、自動車整備工役で出演している[92]。
著名声優のゲスト出演も多く、『サザエさん』のマスオの声で知られる増岡弘は脇役で数多く出演したほか、高橋和枝、家弓家正、石丸博也、中田浩二、安原義人、阪脩、中尾隆聖(竹尾智晴)、小山茉美、二又一成、池田秀一、中田譲治なども出演歴がある。
また、熊倉一雄がメインを張った回などが存在する(第162話「したたかな目撃者」)。熊倉が座長を務めるテアトル・エコー所属の俳優(納谷悟朗、八代駿など)の出演も多く、同劇団の研究生だったラサール石井も石井章雄名義で第275話「迷路」に出演(ただし、遠くで洗車しているのみでセリフは無し)。
時差ネット局、週遅れ放送局、一部ロケで制作協力した局あり。☆印を付した局は、PART2も放送。系列は放送当時のもの。
信越放送・北陸放送・長崎放送では1984年3月まで同時ネットで放送されていた。TBS系のプロ野球ナイター中継延長に伴い、信越放送はテレビ信州、長崎放送はテレビ長崎へ移行した。北陸放送は1984年4月から火曜20:00の遅れネットへ移行した。
本放送終了までのNNN加盟局の中で本放送が一度もなかったのは静岡けんみんテレビ(現・静岡朝日テレビ)・テレビ熊本の2局である。いずれも先発JNN系列局(静岡放送と熊本放送)からフルネット局(静岡第一テレビと熊本県民テレビ)に移行した。
七曲署捜査一係に初代新人刑事の早見(マカロニ)が着任するところからこのドラマは始まった。第1話に新人刑事が配属されるというパターンは、当時斬新なものであり、後発の作品に多大な影響を与えた。一係は係長の藤堂(ボス)以下、山村(山さん)・石塚(ゴリさん)・島(殿下)・野崎(長さん)というメンバーで、第38話より少年課から内田(シンコ)も加入する。第1話の犯人役には、当時若手実力派俳優として頭角を現してきた水谷豊(後に萩原とは『傷だらけの天使』で共演)が出演。山東昭子も新聞記者役としてセミレギュラーだった。その後も浜美枝、沖雅也、藤竜也、近藤正臣、宍戸錠などゲストが多数出演。特に沢田研二がゲスト出演した第20話「そして愛は終った」は、ショーケンとジュリーのGSスターの共演で話題となり、当時のスタッフの証言によれば撮影所にファンが殺到したと伝えられる。番組開始当初は、NHKの時代劇(『天下御免』『赤ひげ』)やNETに移ったプロレス中継の影響を受け、視聴率の変動が大きかったものの、徐々に安定した人気を獲得するようになっていく。萩原が退場するまでの1年間、平均視聴率は第1クール17.6パーセント、第2クール16.0パーセント、第3クール18.1パーセント、第4クール18.7パーセントであった(ビデオリサーチ関東地区調べ)。
当初は前衛的かつ反体制的なストーリーも多かったものの、萩原が「リアルな犯罪を描くというのなら、性犯罪を取り上げないのはおかしい」と番組の方向性に疑問を投げかけたのに対して、制作サイドは金曜8時という放送時間や、それでなくても「内容が過激」という批判が多かったことから、萩原の提案を拒絶。結局、萩原はその他の事情(長期にわたるスケジュール確保が難しいことや、役柄のイメージの固定化への懸念)もあり降板を申し出ることとなった(萩原が希求していた、よりリアルな犯罪ドラマは、後日『傷だらけの天使』にて表現された[118])。萩原の降板の申し出から当時のプロデューサーの岡田は、文学座研究生・松田優作に目をつけてテスト出演させ、松田を次期新人刑事に採用した。早見の犬死にという衝撃的な展開が話題をまいた後、2代目新人刑事の柴田純(ジーパン)が着任してドラマは新たなスタートを切った。松田の野性的な風貌と長身をフルに生かしたアクションで、第61話「別れは白いハンカチで」から常時20パーセント超えの視聴率(ビデオリサーチ関東地区調べ)を記録する大人気番組に成長。柴田だけでなく個性的な先輩刑事たちの活躍回も話題を集め、第87話「島刑事、その恋人の死」で28.4パーセントを記録。第94話「裏切り」では30パーセントを突破(30.7%)した。
柴田の殉職後、3代目新人刑事として配属された三上(テキサス)は、番組の人気が上がったために児童層への影響を考えてこれまでの早見や柴田のような破天荒で型破りな刑事ではなく、短髪で生真面目なスポーツマン刑事として設定された。結果、三上の人気は急騰し、当初は従来どおり1年目での殉職が予定されていたがあまりの人気のため延期され、交代劇がままならないまま4代目新人刑事の田口(ボン)が欠員補充という形で配属された。この時代は高視聴率が安定し、新人刑事の成長物語から刑事らの群像劇へと番組の姿勢がシフトしていったほか、ストーリーもそれまでの若者の葛藤や青春を描いた話だけではなく、家族問題やコメディものまで娯楽性が強まった。
これによって一係の扱う事件も本来の殺人・放火事件などの強行犯専従から知能犯、暴力犯や防犯課(当時)案件の銃器や薬物なども扱う総合的なものにシフトした。
三上の殉職後には滝隆一(スコッチ)が、それまでの新人刑事とは異なり中堅の刑事として配属される。滝は先輩刑事を目の前で殺害された経緯から、姑息な手段を使う犯人には独断発砲も辞さない非情な刑事になった設定で、チームワークを身上とする藤堂一家に波紋を起こすキャラクターとして投入された。田口も性格の異なる滝との対比で存在感を増すことにもなった。
滝は半年後に転属し、短期の「ボン単独編」となった。この時期は麻薬Gメン房江の最終ゲスト編や、誤って容疑者を死亡させて辞表を出すなど田口の成長に重点が置かれる。その後、岩城(ロッキー)が5代目新人刑事として配属され、以降は「ボン・ロッキー時代」としてタイトルバックも2年間不動のロングラン・シリーズとなった。宮内淳の人気急上昇で田口の殉職劇が延期を重ねた結果、次期新人候補の山下真司は半年以上浪人させられ、北海道ロケにカメオ出演した。その間新たに準レギュラーとして登場した交通課の早瀬令子編、島と三好恵子とのロマンス編、歴代の殉職刑事の追想と滝、柴田の再登場で構成された300回記念編、初の海外ロケとなったオーストラリア編など数々のイベントが用意された。
田口の殉職後、待機していた山下が五代(スニーカー)として登場。同時にオープニングテーマもアレンジを大きく変更した新バージョンに改められ、ドラマの方向性も転換を計った。また、一係室も床や机、椅子などがリニューアルされた。アクション中心からドラマ性に重きを置いたものまで幅広い作劇が模索されたが、裏番組であるTBSの『3年B組金八先生』の開始後視聴率が低下しはじめる。これにより様々なテコ入れ策が検討され、その1つとして1980年3月、『3年B組金八先生』最終回の放映に併せ400回記念として山田署に転勤していた滝を七曲署に復帰させたが視聴率は及ばなかった。その後初期から出演していた島役の小野寺昭が降板を表明し、島の交通事故死という形で降板する(当初は島が犯人と撃ち合いになって殉職するという段取りになっていたが、絶大な人気があったため島を殺さないで欲しいというリクエストが多く[要出典]、それにあっさりした死に方をしたいと小野寺自身が希望したため交通事故死となった[119])。島の後任として西條(ドック)が登場する。西條役の神田正輝自らの提案で、カジュアルな要素を注入した。
さらに1981年に入り、滝役の沖が交通事故で入院し一時欠場し、さらに藤堂役の石原が病気のため長期離脱となる。また裏番組であるテレビ朝日の『ワールドプロレスリング』の視聴率が初代タイガーマスクの登場以降上昇し始める。9月に五代は辞職し帰郷するという形で降板(藤堂不在時の殉職を避ける形をとり、藤堂復帰の際に山下はゲスト出演)。後任として竹本(ラガー)が登場する。演じる渡辺徹は当年20歳[120]になる史上最年少の新米刑事[121]であり、女性人気の回復に貢献した。その直後に沖が健康不調から再び番組を欠場。石原は全快してクリスマスに復帰するが、沖は滝の古傷が悪化した設定で病死という形で降板する。
滝の病死後、滝のクールさを継承した原(ジプシー)が登場する。原役の三田村は当時『新・必殺仕事人』(ABC)と掛け持ちだったため出番があまり多くなかったが、神田・渡辺を含めた3人は「ミワカントリオ」と呼ばれるアイドル刑事チームへ発展し、番組の人気向上に貢献した。10周年記念のカナダのロッキー山脈でのロケで岩城が殉職し(岩城自身はロッキー山脈に登頂したいという大きな夢を持っているという設定になっており、そのためロッキー山脈で最期を迎えることとなった)、野崎は警察学校への異動で番組を去り、さらに石塚も殉職という形での降板が決定した。そして新たに春日部(ボギー)が登場。春日部はかつての早見刑事を意識したキャラクターで、登場編も第1話のリメイク的な作りとなった。制作サイドは急激なメンバーチェンジによるファン離れを恐れ、春日部登場を機にテーマ曲を元のアレンジに戻して[122]「原点回帰」を図る。そして世良の加入後より「カワセミカルテット」と呼ばれる黄金期を迎え、テレビ情報誌・芸能誌のグラビアを飾った。これ以降若手メンバーを軸に置いた明朗活劇路線へとシフトする。
石塚が番組初のスペシャル版(90分)を最後に殉職してからは井川(トシさん)が着任し、その後は中堅としてチームを支えた。三田村はNHK大阪制作の水曜時代劇『壬生の恋歌』への主演と『必殺仕事人III』への続投が決定したため、太陽を降板せざるを得なくなる(当初は『新・必殺仕事人』最終回をもって必殺シリーズを卒業し、太陽には長期出演となる予定だった)。その翌週は、原の後任として配属された女性刑事がすぐに辞職してしまうというストーリーであったが、その話のラストで亡き岩城の妻である令子(マミー)が交通課婦警から一係に転属することになり、伸子以来10年ぶりの女性レギュラー刑事となった。
春日部の殉職後の後任として新たな新人刑事役に又野誠治が用意されたが、人気のあった春日部の半年延命が決まり、庶務担当だった松原直子(ナーコ)と入れ代わる形で又野演じる澤村(ブルース)が登場する。春日部がマカロニ刑事を意識したキャラクターであったのに対し、澤村はジーパン刑事を彷彿とさせるアクション型の荒削りなキャラクターであった(春日部の殉職後はコメディリリーフ的な役割も演じるようになる)。
春日部の殉職後は、欠員補充はなかったが約半年後、石原裕次郎の甥である石原良純演じる水木(マイコン)が七曲署に赴任することになる。水木は一度、本庁の情報処理担当として一係に協力するという設定でゲスト出演しており、その後レギュラー入りした。捜査にパソコン(当時の呼び方で“マイコン”)を駆使する現代っ子として、猛者ぞろいの一係に新風を吹き込んだ。パソコンがまだ一般に普及する前の、時代を先取りする演出ではあったが、まだまだ情報処理に対する知識が浸透しておらず、現在の視点からすると珍妙な使い方をしている話も多い。
竹本の殉職後、その後任として島津(デューク)が配属された。島津には「行方不明の父親を探している」という縦軸のストーリーが新たに加えられたが、効果的に盛り上がることのないまま父と再会する。
番組終了半年前には、第1話から14年間ずっと山村役で出演し続けていた露口も、山村の殉職という形で降板し姿を消す(当初露口は、山村が他署へ栄転するという形で降板する段取りになっていたが、露口本人の希望により、殉職という形での降板となった[123])。刑事の殉職は山村で最後となり、山村の殉職後は刑事の殉職は無かった(澤村は最終回にて殉職寸前となったにもかかわらず殉職までいかなかったが、もしその澤村が殉職したら刑事の殉職は澤村で最後となる所だった)。山村の殉職から2か月後には裕次郎も再入院から番組を休演する。助っ人として橘警部(渡哲也)が係長代理として着任し、それに本作最後の新人刑事である太宰準(DJ)も加わる。メインテーマも大幅にアレンジされ、15年目心機一転のスタートを切ったのだが、裕次郎の良好な体調での復帰が絶望的だというスタッフの判断から番組の終了が決定した。
最終回直前には、島津が山村のやり残した事件を解決し、海外研修へ旅立っていった。最終回で藤堂が復帰し有終の美を飾った。この最終回で藤堂が取調室で部下への思いを語るセリフは裕次郎のアドリブであり、彼の本作に対する思い入れを表した言葉として語り草になっている[要出典]。
『太陽にほえろ!』の企画は、日本プロレス内部の諸問題で打ち切り(詳細な経緯は日本プロレス#新日本プロレスとの合併計画破談から日本プロレス崩壊へを参照)となった『日本プロレス中継』の代替案として立案された。かねてから編成の核となる看板番組の制作を目指していた岡田プロデューサーは、刑事を主役とした「青春アクションドラマ」の構想を抱いていた。これに、物語に厚みを出すため黒澤明の『野良犬』にも影響を与えたセミ・ドキュメンタリー形式の刑事物の古典映画である『裸の町』をモデルとして、リアルな犯罪捜査を描くことを加えて、当初の企画は立てられた。
それまでの日本の刑事ドラマは『七人の刑事』(TBSテレビ)や『特別機動捜査隊』(NETテレビ(現・テレビ朝日)などが主流の、大人向きで渋いイメージが強かった。他にも『ザ・ガードマン』や『キイハンター』(共にTBSテレビ)などがあったが、前者は民間企業たる警備会社、後者は警察とは言えど派手なアクションを駆使した全く架空の特殊チームで、若年層向けとしては桜木健一主演『刑事くん』(TBSテレビ)ぐらいしかなかった。なお、本作はその『刑事くん』の第1部第12話(1971年11月22日放送)にゲスト出演した萩原健一が新人刑事が主役の企画を各所に持ち込んだ結果、本作のスタッフの目に留まって実現したものとも言われている[124]。それまでの「刑事物」は「事件物」と呼ばれて、親が子供に見せたくないドラマの一つだった。
初期企画書の題名は「明日に燃えろ」で、ニューヨーク市警察(NYPD)で研修を受けたばかりのキャリア・藤堂英介を筆頭に、初めて刑事になった風間健一の活躍を描くドラマとして1972年2月に企画された。撮影の遅れを出さないために出演俳優を増員。撮影隊をA・B二班体制にし、同時に進行させていくシステムを採用。主人公が潜入捜査官では目立った活動もできず、拳銃携帯もできなかったことから、拳銃を携帯できる私服刑事と設定した。
さらに、当時流行していたアメリカの刑事映画(『ブリット』(1968年)、『ダーティハリー』(1971年)など)の要素も取り入れ、刑事のキャラクターを全面に押し出すことを主にし、犯罪者側の描写を控えた。初期段階から新人刑事の成長物語を主軸に描くことは決まっていたが、当初の性格設定は生真面目で規則一辺倒な若者だったので、メインライターの小川英はもっと今風な若者にしようと提案する。
当時の世相として高度成長・公害・蒸発が新聞紙面を賑わし、学生運動で学内は荒れ、内ゲバ(暴行事件)が頻発。街ではアングラやヒッピーが流行り、新しい価値観や文化が話題となった。海外ではベトナム戦争が交戦中で、少年誌で『あしたのジョー』が大ヒットしていた時節だった。これらの社会現象や風俗を作品の要素に取り入れた。2月にあさま山荘事件で連合赤軍と機動隊の死闘がテレビ中継され、実際に隊員が殉職するなど、警察がヒーローとして注目される風潮が出てきた。
主人公は、当時、刑事役としては異例の長髪で[125]、ファッショナブルな衣装の「NOWな若者」を主人公とするよう変更した。警察という組織にありながらも、反体制的で自己主張するキャラクターに変更。
10月の開始予定が7月に前倒しされ、急ピッチで製作が進められる。主役はザ・テンプターズのメンバーとして人気を博し、映画『約束』で注目された萩原健一に決定した(ショーケン自身、テンプターズ解散後、俳優への転向を摸索していた時期でもある)。野崎役は藤木悠(『東京バイパス指令』のレギュラー)を考えていたが、藤木が東映製作のドラマと契約書に印鑑を押した一か月後に太陽にほえろ!の打診があり、藤木は生涯に渡って後悔したという。その後、何人かの俳優のテストを経て下川辰平に決まった。
銀幕のスター・石原裕次郎はテレビという媒体への出演に懐疑的だったが、自身が経営する石原プロモーションの台所事情もあり、1クール契約で出演を承諾。他にも大映倒産後に東宝入りした関根恵子や、東宝所属の竜雷太などのキャストが集められた。
裕次郎に出演が打診された当初、先述の理由などから本人は乗り気でなかったが、まき子夫人が「裕さんと同年代の人は今頃皆、家庭を持ち、父親になっているころだよね。今回の役が息子を待つ父親みたいな役どころっていうのは裕さんにとっていいと思う」と夫に出演を勧めたと言われている[126]。『太陽にほえろ!』のタイトルで制作が決定。当初は主人公・早見淳は皆から「坊や」と呼ばれる予定だったが[127]、ショーケンが猛反発。衣装のイメージから「マカロニ」のニックネームが決まる。
新人刑事の活躍を斬新に描いた番組は当時の小中学生から一般視聴者層に受け入れられ、『水戸黄門』と並んで国民的人気番組と称せられるようになった。
「これからはテレビの時代です!」と、1クールで契約切れとなる裕次郎へ続投することを強く推したのは竜雷太だと伝えられる。実際に、最初の撮影では、16ミリフィルムのカメラを見て、映画俳優だった裕次郎は、「そんな小さいカメラで俺が撮れるのか」と馬鹿にするように言い放ったという。テキサス刑事編で当時の最高視聴率を記録した際、裕次郎が『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)に出演した時に司会の芳村真理から「以前は街中でも〝裕ちゃん〟と呼ばれることが多かったと思いますが、最近では〝ボス〟と呼ばれることが多いんじゃないですか?」と聞かれ「イヤ…テレビの影響って凄いですね。どこへ行ってもボスですから…」と答えている。本作のヒットによりテレビの影響力を知った裕次郎は、石原プロモーションで『大都会』や『西部警察』といったテレビドラマの制作を手がけるようになったという。
「七曲署」の命名は番組スタッフ大曲暎一から由来したと岡田プロデューサーは述べている。他に乙女署・花園署の案があった。矢追町は日本テレビの矢追純一ディレクターから命名したという説(長野洋は自らがつけたと発言していた)と、新宿区に実在する区域「矢来町(やらいちょう)」の「来る」を「追う」に掛けたのではないかという説もある。また原作者・企画者として使用していた岡田・梅浦・小川の共同ペンネーム・魔久平(ま・くべい)はエド・マクベインに由来している[128][129]。
劇中では、捜査第一係は係専用のオフィスになっているが、現実では係ごとに個別の部屋を割り振る形にはなっておらず、捜査第一係(強行犯捜査係などの係名にしている警察署もある)はじめ他の捜査係とともに刑事課として大きなフロア内に設置されているか2つ以上の捜査係と同じオフィスに配置されている警察署が、ほとんどである。
日本の警察官を参照。
劇中において、レギュラーメンバーは全員「刑事」として表現されており、警察官としての階級については具体的な描写がほとんどない[130]。また、以下のような設定の混乱がある。
これらの混乱については、岡田が自著やDVD-BOXの解説書で警察組織を熟知していなかったことや、確認ミスの存在を語っている。
ステージガン(劇中に登場する小道具銃)は、番組放映期間が長かったため、様々なバージョンのものが存在した。放映期間中の1977年に銃刀法が改正されたため、モデルガンのみならずステージガンも法改正の影響を受けている。
初期では時期によって複数のナレーターが交代で担当していた。最多参加は小林恭治で、ジーパン期辺りから独特の詩や選曲センスなどを用いた劇的演出が予告の主流となっていった。彼らの本編における参加はなく、後編エピソード冒頭における前編のあらすじの説明は下川や神田が担当していた。なお、登場人物が劇中ナレーションするケースはごく稀にしかない(例として第707話における写真展の紹介など)。
予告編は助監督に制作が任され、未使用カット・NGカットなどを使用し編集される。しかし、新撮カットや予告のために撮られた演出違いのカットが挿入される場合もあった(例・第217話「スコッチ刑事登場!」第414話「島刑事よ、永遠に」など)。また、初期ではナレーション(音声)違いの別バージョンが販売された予告編集(七曲署ヒストリー)で確認されている。反対に第52話「マカロニ死す」の放映予告編は黒バックに字幕だが、ヒストリー版では青バックとなっている編集違いも存在する。第13話「殺したいあいつ」や第660話「デューク刑事登場!」予告編は放映版とヒストリー版では内容が全く異なる。基本的に30秒枠だが、新刑事登場などでは45秒に拡大する場合もある。第414話「島刑事よ、永遠に」ではさらに15秒スポットが投入された。他にも新刑事登場を節目に番組宣伝(CM)も数種類流された。
ビデオリサーチ調べ、関東地区。
本放送の放映中にはファンクラブ(FC)が作られ、情報誌が少ない時代に番組とファンとのパイプ役を務めた。代表的なサークルは「SUNRISE」、研究会「七曲署」などで、「10周年記念号」にFC主要メンバーがファン代表として掲載された。現在[いつ?]は活動休止し、かつての会員がネット上やコミックマーケットで活動している。
1979年は8月の時点で、ボンこと田口の他に既に他の3番組で3人が殉職[164]したことで、「刑事ドラマの殉職が大流行である」と記事になったことがある。これについてプロデューサーの岡田晋吉は「今はヨソさんがマネしすぎだよ」とコメントしている[165]。
2005年11月よりニューギン製のパチンコのキャラクターに採用された。権利などの関係から、実写映像は使われていない。
テレビドラマでありながら、公式イベントも実施されており、1977〜79年ごろにかけて、番組出演者と当時日本テレビで放送中だった石原プロモーション制作の『大都会』シリーズの出演者との対抗による野球大会が催された。また番組開始10周年を迎えた1982年には「10周年記念ファン感謝の集い」というイベントが行われ、テレビ放送もされた。徳光和夫司会のもと、当時の七曲署捜査一係の現役メンバー全員と準レギュラーの長谷直美、そして萩原健一、松田優作、関根恵子をのぞく歴代のレギュラー刑事俳優が総出演し、コント、ゲーム、歌謡ショーが展開され、カナダロケエピソードの上映〜岩城と野崎の卒業セレモニー〜新メンバー・春日部のお披露目という構成だった。
1997年(平成9年)から2001年(平成13年)に4本の2時間ドラマスペシャルが制作・放映された。舘ひろしがボスを演じた。監督は村田忍。
番組プロデューサーの岡田晋吉が当時中京テレビの取締役であったことから中京テレビと日本テレビの共同制作となっている。
人気作品であるだけに、オマージュやパロディも多い。以下はその例である。
日本テレビは、放映開始から終了直後まで小説(ノベライズ)や写真集を、それ以後も関連書をしばしば出版していた。特記ない限り出版社は「日本テレビ」である。
魔久平原作 NTVブックス
名場面集
七曲署シリーズ
太陽にほえろ!10周年記念号 1983年発行
太陽にほえろ!完結記念号 14年7カ月の軌跡 1987年発行 ISBN 978-4820387244
VAPが製作・販売。
従前の媒体にはVHSとレーザーディスクがあり、どちらも傑作選という形であったが、絶版となっており詳細は省略。
放送開始30周年記念として2002年よりDVD化が開始され2015年完了
また、以下も発売されている。
下記作品は収録されていない。
第19話、第27話、第68話、第127話は実銃の使用、第37話、第106話は内容に問題(差別用語の使用など)があるためと言われている[173]。また、第524話、第571話は権利上の問題(第524話は、ゲストで出演している小林麻美の権利問題やデビュー間もない頃のBOØWYのライブ演奏シーンが含まれていること、第571話はエド・マクベインの小説『キングの身代金』を原案にしていること)によるものと言われている。ただし、いずれも公式な発表ではないため、真相は不明である(第524話と第571話は商品化に際しての欠番であり、テレビで放映されることはある[174])。なお、再放送時に局側の判断で放送が見送られた作品は無数に存在する。
主題歌「太陽にほえろ!のメインテーマ」(作曲:大野克夫)は放送した年代により、トランペットとエレクトーンの組み合わせ、あるいはエレキギター、テクノミュージックなどにアレンジしたものが使われている。
本節では作品の性質上、1997年以降に制作・放映されたスペシャルドラマ用の音源収録アイテムは除外することとした。ただし、東宝レコード作品については発売経緯および市場流通量の多さに鑑み、非サウンドトラック音源を収録したものも特に記載している。掲載対象はテープ商品を主力としていたアポロン音楽工業発売分を除き、EPレコード・LPレコードおよびCDを原則としたが、併売されたカセットテープ商品について収録内容に異なるものがある場合には、特に例外として [CT] と表記して併せて掲載することとした。なお再発売・復刻発売が存在するものについては初回発売商品の後に「;」印で区分して発売日および規格番号を表記した。
またノンクレジットで、大野克夫のオリジナル作曲作品でもないが、第129話の劇中で藤堂(石原裕次郎)が無伴奏で「もずが枯木で」を歌う場面は好評であった[要出典]。
同じくノンクレジットで、第46話には、マカロニが仕掛けて行った盗聴器をマイク代りに、藤堂が自宅で「夜霧のブルース」を無伴奏で歌う場面がある。
太陽の季節 - 狂った果実 - 乳母車 - 地底の歌 - 月蝕 - お転婆三人姉妹 踊る太陽 - ジャズ娘誕生 - 幕末太陽傳 - 俺は待ってるぜ - 嵐を呼ぶ男 - 陽のあたる坂道 - 赤い波止場 - 紅の翼 - 清水の暴れん坊 - 男が命を賭ける時 - あした晴れるか (映画) - あじさいの歌 - 青年の樹 - アラブの嵐 - 堂堂たる人生 - 闘牛に賭ける男 - 鉄火場の風 - 街から街へつむじ風 - あいつと私 - 男と男の生きる街 - 青年の椅子 - 金門島にかける橋 - 太平洋ひとりぼっち - 赤いハンカチ - 鉄火場破り - 泣かせるぜ - 城取り - 素晴らしきヒコーキ野郎 - 赤い谷間の決斗 - 二人の世界 - 夜のバラを消せ - 帰らざる波止場 - 夜霧よ今夜も有難う - 栄光への挑戦 - 波止場の鷹 - 遊侠三国志 鉄火の花道 - 黒部の太陽 - 忘れるものか - 風林火山 - 栄光への5000キロ - 人斬り - 嵐の勇者たち - ある兵士の賭け - スパルタ教育くたばれ親父 - 戦争と人間 - 富士山頂 - 男の世界 - 甦える大地 - 影狩り - 影狩り ほえろ大砲 - 反逆の報酬 - 凍河 - わが青春のアルカディア
大都会 闘いの日々 - PARTII - PARTIII
PART-I - PART-II - PART-III
ダイヤル110番 - 黒部の太陽 - 太陽にほえろ! - 座頭市物語
今晩は裕次郎です
作品 - シングル - アルバム - パパとあるこう(『みんなのうた』楽曲)
石原慎太郎(兄)- 石原典子(義姉)- 石原まき子(妻)- 石原伸晃(甥)- 石原良純(甥)- 石原宏高(甥)- 石原延啓(甥)- 荒井玉青(姪)
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