宗接 唯人JFE東日本硬式野球部 #27 |
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基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
兵庫県宍粟郡波賀町(現・宍粟市) |
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生年月日 |
(1994-07-06) 1994年7月6日(30歳) |
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身長 体重 |
183 cm 90 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投右打 |
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ポジション |
捕手、一塁手 |
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プロ入り |
2016年 ドラフト7位 |
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初出場 |
2018年6月15日 |
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最終出場 |
2021年5月28日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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宗接 唯人(むねつぐ ゆいと、1994年7月6日 - )は、兵庫県宍粟郡波賀町(現・宍粟市)出身の元プロ野球選手、社会人野球選手(捕手、内野手)。右投右打。
2022年から、JFE東日本硬式野球部でプレーしている。
経歴
プロ入り前
兵庫県出身で少年時代は阪神ファンであり、矢野輝弘が憧れの選手だった[1]。
神戸国際大附高2年秋に三塁手から捕手に転向。1学年下に、小深田大翔、蔵本治孝がいる。
亜細亜大進学後は3年からレギュラーをつかみ、第46回明治神宮野球大会で優勝。4年春にリーグ3位の打率.372を記録して優勝に貢献しベストナインを獲得。一部リーグ通算43試合に出場、113打数34安打、1本塁打、21打点を記録。3年上に九里亜蓮、嶺井博希、2年上に山﨑康晃、薮田和樹、大下佑馬、1年上に板山祐太郎、藤岡裕大、同学年に木浪聖也、1年下に髙橋遥人、北村拓己、2年下に中村稔弥、3年下に平内龍太、内間拓馬、矢野雅哉がいた。
体重90kgながら50メートル走6秒1という俊足の持ち主で、2016年の第65回全日本大学野球選手権大会2回戦では1点を追う2回二死三塁の場面で本盗を決めている[2]。
2016年のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから7位指名を受け、契約金2500万円・年俸800万円(金額は推定)で入団[3][注 1]。入団発表会見では「打てる捕手になって信頼を得たい。伊東監督のような捕手になりたいです」と話した[4]。背番号は45。
ロッテ時代
2017年、一軍公式戦の出場機会は無かったが、7月13日に草薙球場で行われたフレッシュオールスターゲーム2017戦において、イースタン選抜として出場する[5]。二軍公式戦において66試合に出場し、1本塁打、14打点、打率.200の成績を残す[6]。11月25日から台湾で開催されるアジアウインターベースボールリーグに、NPBイースタン選抜として出場した[7]。
2018年、6月15日に一軍登録される。同日の読売ジャイアンツ戦(ZOZOマリンスタジアム)にて8回に代打で出場し、一軍初出場となった。三振で打席を終えた[8]。この年の一軍出場はこの1試合のみであった。
2019年、この年は一軍出場は無く、二軍では91試合に出場した[9]。
2020年、この年も一軍出場は無かった。右肩痛もあり、二軍では48試合の出場となった[10]。この年は打撃を活かすため、捕手以外に左翼手としても出場している[11]。
2021年、一軍登録されるも3試合のみの出場に終わり、11月2日に球団から戦力外通告を受けた[12][13]。
社会人時代
2022年シーズンから、社会人野球のJFE東日本でプレーする[14]。なお、2024年シーズン現在は、内野手で選手登録されている。
人物
愛称は「ムネ」[15]。
「宗接」は全国に約20世帯、約100人しかいないとされる珍しい名字である[16]。
詳細情報
年度別打撃成績
年度別守備成績
年 度 |
球 団 |
捕手 |
一塁
|
試
合 |
刺
殺 |
補
殺 |
失
策 |
併
殺 |
守 備 率 |
捕
逸 |
企 図 数 |
許 盗 塁 |
盗 塁 刺 |
阻 止 率 |
試
合 |
刺
殺 |
補
殺 |
失
策 |
併
殺 |
守 備 率
|
2018
|
ロッテ
|
- |
1 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1.000
|
2021
|
3 |
2 |
0 |
0 |
0 |
1.000 |
0 |
1 |
1 |
0 |
.000 |
-
|
通算
|
3 |
2 |
0 |
0 |
0 |
1.000 |
0 |
1 |
1 |
0 |
.000 |
1 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1.000
|
記録
- 初記録
背番号
登場曲
脚注
注釈
- ^ ロッテは1990年に小池秀郎が入団拒否をして以降、亜細亜大学の選手の指名を回避してきた。宗接の指名により、亜細亜大学からのドラフト指名は26年ぶり、入団した選手としては1985年の古川慎一以来31年ぶり。
出典
関連項目
外部リンク