| この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "小笠原忠脩" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2017年2月) |
小笠原 忠脩(おがさわら ただなが)は、江戸時代初期の武将。信濃国松本藩の世嗣[疑問点 – ノート]。官位は従五位下・信濃守。徳川家康の外曾孫に当たる。
生涯
小笠原秀政の長男として下総国栗橋城にて誕生。元服の際、大叔父でもある2代将軍・徳川秀忠から偏諱を受けて忠脩と名乗った。慶長12年(1607年)、出家した父から家督を譲られる[疑問点 – ノート]。
慶長19年(1614年)、大坂冬の陣では小笠原軍を率いて出陣したが、軍費に窮し、困り果てたと言われている。翌慶長20年(1615年)の大坂夏の陣では父が小笠原軍を率いて出陣した。このとき、忠脩は松本城の守備を任されていたが、幕府に無断で出陣し、父と合流した。これは一つ間違えれば、家康の外曾孫といえども許される行為ではないが、家康は処罰も恐れずに出陣してきた曾孫の忠脩を大いに評価し、従軍を許したという。
天王寺・岡山の戦いで父と共に豊臣軍と戦うも討死した。享年22。
長男の長次が出生したのは忠脩の死の18日後であったため、小笠原家の家督は弟の忠真が継ぐこととなり[疑問点 – ノート]、忠脩の正室・円照院(亀姫)は家康の命で忠真に再嫁した。
系譜
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平安末〜鎌倉時代 | |
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南北朝〜安土桃山時代 | |
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江戸時代 | |
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明治時代以降 | |
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松尾小笠原家 | |
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