『形而上学』(けいじじょうがく、古希: Μεταφυσικά (τὰ μετὰ τὰ φυσικά) 羅: Metaphysica, 英: Metaphysics)とは、古代ギリシアの哲学者アリストテレスの「第一哲学」に関する著作群を、後世の人間が編纂しまとめた書物。後世において形而上学の基礎となった。
本書内でも度々述べられているように、アリストテレス自身は本書で扱われているような「諸存在(万物)の根本的な原因・原理」を考察・探求する学問領域のことを、「第一哲学」(希: ἡ πρώτη φιλοσοφία)等と呼んでいた。
しかしこうした呼称は定着・継承されず、紀元前1世紀にアリストテレスの遺稿の中から主要な講義・研究文献を抜き出して編纂し、今日に伝わる「アリストテレス全集」をまとめ上げた逍遙学派(ペリパトス派)の第11代学頭であるロドスのアンドロニコス等は、アリストテレスの著作を、
の順で配置し、「第一哲学」関連著作群は「自然学」関連著作群(希: τὰ φυσικὰ, タ・ピュシカ)の後に配置して、「自然的なものども(自然学著作群)の後(meta)のものども」(希: τὰ μετὰ τὰ φυσικὰ , タ・メタ・タ・ピュシカ)と呼んだ[1]。(紀元前2世紀末の著作目録の記述から、こうした配置・呼称は、もう少し遡った紀元前2世紀末以前の段階で既に成立していたとも考えられる[2]。)
これが後世(5-6世紀以降[3])に短縮(taが省略)され、本書およびそこに端を発する学問領域は「メタピュシカ」(羅: Metaphysica)と呼ばれるようになり、今日では英語訳で「メタフィジクス」(英: Metaphysics)、漢訳で「形而上学」等と訳され、呼称されている。
ただし、アリストテレスの「第一哲学」が、(『パイドン』『パルメニデス』等にも述べられているように、古代ギリシアの哲学者(愛知者)達、特にプラトンの系譜の学派・学徒たちにとって何より重要だった)「諸存在(万物)の根本的な原因・原理」を巡る、感覚・非感覚・論理・数学・神学などを横断する幅広い包括的な考察であったのに対し、近代以降の「形而上学」は、(「哲学」全般と同じく)「(近代)自然科学」の発展・台頭に伴って、その考察対象・考察領域を狭められたり変質させられたりして行き、認識論など一部の狭い領域に押し込まれた変質した内容となっている点に注意が必要である。
以下の全14巻から成る。
これらはそれぞれ別の時期に書かれた論文・講義草稿・講義録の類の集成であり、全体として内容にまとまりがあるとは言い難い[4]。
ただし、
の3群は、それぞれ内容的にまとまりが認められ、紀元前2世紀末の著作目録の記述から、元来この書物はこの10巻構成でまとめられ、
の4巻は、別の独立した著作が後から補足的に追加・挿入されたものだと考えられる[5]。
純粋に物事の真理を知ろうとする学問の一般的な課題とは、物事の原因の認識であり、第一哲学においても課題は第一原因の究明であると考える。そこで原因は質量因、形相因、目的因、始動因の四種類に区分される。この四つの原因から物事の存在や変化が説明できないのでは、それは最高の知恵をしているとは言えないとアリストテレスは主張する。またアリストテレスは最高の知恵が純粋に高潔であり、神聖であるという特徴を述べている。アリストテレスの見解によれば、タレスやデモクリトス、ピタゴラス、ヘラクレイトス、プラトンなどの哲学者がみな四種類の原因について包括的な説明を試みており、かつ四種類の原因以外の原因があげられなかったことから、アリストテレスは自説の立証を試みる。
アリストテレスは哲学の問題集を作成しており、形而上学の性質に関する問題と形而上学の対象に関する問題がどのようなものであるかを述べている。第一の問題とは存在を存在として研究することにより、その原理を探求することが形而上学によって可能であるのかという問題である。これはアリストテレスが述べる第一哲学が数学の公理や論理学の矛盾などの他の学問における根本的な前提の規則を扱うことが可能であるかどうかという問題である。第二の問題とは第一哲学で想定する存在を、個別的な実体とするのか、もしくは普遍的な実体とするのかという問題である。ここで定められた問題についてアリストテレスは後に考察を加えている。加えて本書では原理、要素、実在、必然、実体、差異、対立、状態などの形而上学において重要とされる諸概念について個別に検討がなされている。ここは執筆段階では本書の他の記事とは別に作成された形而上学における専門用語の辞典的な内容が記されている。