教養部(きょうようぶ)とは、戦後日本の新制大学において、一般教育を担当するために置かれた組織である。
概要
戦後の学制改革で成立した新制大学には、専門教育に対置して一般教育が導入され、卒業に必要な単位数124単位に、専門教育科目76単位の他、一般教育科目36単位、外国語科目8単位、保健体育科目4単位が含まれていた。教養部は、専門教育科目以外の一般教育科目等を担当する部門として、1963年の国立学校設置法の改正により、法制化されたものである。教養部には、一般教育・外国語・保健体育科目を担当する教職員と学生が所属し、学生は2年次後期又は3年次に学部に「進学」する形式となっていた[1]。
教養部を設置する国立大学は、最大で33校[2][3]となったが、1991年の大学設置基準の大綱化によって、卒業に必要な一般教育の単位数の規定がなくなるとともに、多くの大学で教養部は廃止された。2023年4月現在、教養部が設置されているのは、東京医科歯科大学のみである[4]。
なお、ほとんどの公私立大学では、一般教育部門の教員も、各学部に所属し、学生は、学部に4年間所属する体制をとっていた[5]。
経緯
新制大学は、旧制の大学・高校・専門学校・師範学校等を包摂する形で発足したが、まず、旧制大学が旧制高校を包摂した大学において、一般教育を担当する部門として、旧制高校を母体に、教養部が設置された[6]。
一方で、旧制大学を母体に持たない一方で、旧制高校を母体として持つ新制大学においては、旧制高校の多くは新制大学の「文理学部」として設置された。この文理学部は、ひとつの学部で文科・理科の専門教育の他、新制大学で統合した旧制専門学校の一般教育も担当したため、教育負担が大きかった。これらの大学では、団塊の世代の大学進学時期を迎え、入学定員の拡充に向け、文理学部の分離とともに、教養部を独立させた[7]。
また、成立した新制大学のうち、旧制高校が母体になかった大学では、師範学校を母体として設置された学芸学部が、教員養成課程の他、一般教育も担当していたが、これら学部においても、一般教育部門の教育負担が大きいことから、いくつかの大学で、教養部の法制化を受けて、独立した教養部を設置した。
しかし、設置された教養部は、大学内部で学部と同格の扱いとならず、教員が専門教育に参加できない他、研究費にも差があるなど、内部的な課題を抱えていた。また、学生からも、一般教育に対し、高校教育の繰り返しとの批判があった。
そうした中で、大学設置基準の大綱化により、卒業に必要な一般教育取得単位数の規制がなくなったことと、多くの大学が大学改革に取り組む中で、学士課程の4年一貫教育化が進み、ほとんどの教養部は廃止されることとなった。教養部は「総合科学部」等の独立した学部になるものの他、外国語教育を専門に行うセンターを設置したり、教員を専門教育を行う各学部に所属させるなどの対応をとった。
教養部が設置された国立大学[8]
脚注
- ^ 2年次の学生は、教養部に所属しながらも、各大学の規定により、学部の授業を後期から受けたり、前期から曜日を分けて受けたりしていた。
- ^ 北海道大学教養部は、学内措置で設置され、法制化はされなかったが、学生は教養部に所属していた。一方で、教員は学部に所属していた。
- ^ 東京大学では、新制大学設置段階から、旧制第一高校と旧制東京高校を母体として、学部としての「教養学部」が設置され、全学の一般教育と、「教養学部」としての専門教育を行う体制となっていた。
- ^ 東京医科歯科大学教養部
- ^ 私立大学で教養部を設置していた大学は、最も多い時期でも1割以下であった。設置した大学として代表的なのは法政大学である。
- ^ 法制化以前から、一部の大学では、学内措置として「教養部」が置かれていた。
- ^ なお、旧制松江高校を包摂した新制島根大学、旧制高知高校を包摂した新制高知大学には、教養部が設置されなかった。
- ^ 教養部を持たなかった2学部以上の大学では、学内措置で、一般教育委員会等を設置して、一般教育の担当と責任体制を構築していた。
- ^ 包摂されたのは旧制北海道大学予科
- ^ 設置されたのは人文学部・理学部
- ^ 旧制東京医科歯科大学予科を包摂
参考文献
関連項目