本山 剛(もとやま つよし、1931年(昭和6年)3月5日 - 2001年(平成13年)7月7日)は、日本の銀行家。北都銀行副会長、秋田あけぼの銀行頭取を歴任した。
人物
宮城県仙台市出身。東北大学法学部卒業後、日本銀行入行。
1980年(昭和55年)には、秋田相互銀行に移り常務、専務を歴任。副社長時代には、普銀転換の陣頭指揮にあたり、1990年(平成2年)には、プロパーや創業者家系の多い秋田県の金融界では異色の存在、日銀出身者として秋田あけぼの銀行頭取に就任した[1]。
頭取在任時は、第三次オンラインシステムを鳥取銀行、沖縄海邦銀行と共同開発にあたったほか、羽後銀行との合併を成功裡にまとめあげた。
1993年(平成5年)の北都銀行発足後には、副会長に就任。店舗やコンピューターシステムの重複回避による経営体質強化に取り組んだほか、翌年のシステム統合の際には羽後銀行の富士通、あけぼの銀のIBMのシステムを富士通に一本化する施策を手がけた[2]。
2001年(平成13年)7月7日、仙台市内の病院にて食道癌のため70歳で没。
略歴
脚注
- ^ 日本経済新聞 1991年8月26日
- ^ 『日本金融通信縮刷版 2001年』日本金融通信社 2002年