東堀通(ひがしぼりどおり)は、新潟市中央区の市道、またはその沿道の町名。現行行政地名は東堀通1番町から東堀通13番町。住居表示未実施区域[4]。郵便番号は951-8065[2]。
概要
1872年(明治5年)から現在までの町名で、新潟町の町域改編に伴い片原通・古洲崎町の一部から改称[5]。当地域の人口は938人(2011年3月1日現在[6])。東堀の名は、かつてこの通りにあった東堀(片原堀)に由来する[5]。
地理
信濃川河口付近左岸、古町通の東側を並行するように南北へ走る片側2車線の道路である。通りは上手の白山神社側を起点に1番町から13番町まである。沿道の町名は西側が東堀通、東側が東堀前通となる。これはかつて堀の両端の道がこう呼ばれていた名残である。通りに直交する道路は小路(こうじ)と呼ばれる。交差する小路については、外部リンクの通りと小路の一覧、もしくは古町 (新潟市)#交差する小路の項を参照。
古くから通りの西の古町通、東の本町通とともに栄えた新潟の中心地域にあり、第四北越銀行本店、新潟中郵便局などが立地する。沿道に立つ主な施設については、古町 (新潟市)#主な施設を参照。
歴史
名の由来にもなった片原堀(片原川とも)は、承応3年(1654年)に新潟町がこの地に移転した際、西の寺町堀(現在の西堀通)とともに整備された[7]。この堀は信濃川に沿うようにやや曲がりながら進むため、自然の川を活かして整備されたという説もある[8]。堀からは信濃川へ注ぐ水路が5本(白山堀、新津屋小路堀、新堀、広小路堀、御菜堀)掘られていた[9]。
堀の西側は早くから店を構える者が多く、中間点(現在の東堀交差点付近)には町会所が置かれた[10]。通りに直交する道路は小路(こうじ)と呼ばれ、表間口が並ぶことはなかった。例外的に上手にある片原通と古町通を結ぶ小路には小揚(堀の船乗り)の小間口が並び、小揚小路と呼ばれていた[11]。明治5年(1872年)10月に片原堀は東堀と改められ、埋め立てられた後に東堀通と名付けられた。東堀通は長らく西堀通に対抗する4車線の一方通行道路であったが、2008年7月24日に片側2車線の対面通行となった[12]。
年表
- 1654年(承応3年) : 新潟町が現在地に移転した際に整備される。
- 1872年(明治5年) : 新潟町の町域改編に伴い片原通・古洲崎町の一部から「東堀通」に改称する。
- 1879年(明治12年)4月9日 : 新潟町の区制移行により、新潟区の町丁となる。
- 1889年(明治22年)4月1日 : 新潟区の市制施行により新潟市の町丁となる。
- 2007年(平成19年)4月1日 : 新潟市の政令指定都市移行により、中央区の町丁となる。
世帯数と人口
2018年(平成30年)1月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 |
世帯数 |
人口
|
東堀通1番町
|
85世帯
|
131人
|
東堀通2番町
|
22世帯
|
37人
|
東堀通3番町
|
50世帯
|
89人
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東堀通4番町
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42世帯
|
66人
|
東堀通5番町
|
29世帯
|
51人
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東堀通8番町・9番町
|
22世帯
|
36人
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東堀通10番町
|
26世帯
|
37人
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東堀通11番町
|
149世帯
|
180人
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東堀通12番町
|
77世帯
|
134人
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東堀通13番町
|
80世帯
|
150人
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計
|
582世帯
|
911人
|
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[13]。
脚注
注釈
出典
参考文献
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
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外部リンク
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