武相中学校・高等学校(ぶそうちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、神奈川県横浜市港北区仲手原にある、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校。
高等学校では、中学校から入学した内部進学の生徒と高等学校から入学した外部進学の生徒との間では、3年間別クラスになる併設型中高一貫校[1]。法人の正式名称は学校法人武相学園。
概要
1942年(昭和17年)、考古学者で歴史家でもあった石野瑛が、青少年教育の重要性を感じ、神奈川県横浜市港北区篠原町富士塚に旧制武相中学校創立。その後、生徒と共に原野であった松風台(現・武相台)を開拓し移転。当時この場所は見晴らしが良く、旧国名の武蔵国と相模国が一望できたことからその頭文字を一字ずつ取って校名にした。
建学の精神は「道義昂揚」「個性伸張」「実行徹底」。スクールカラーは紫・青・丹。エンブレムは建学の精神をラテン語で表している。
高校野球では甲子園に4度出場している[2]。2024年5月3日、令和6年神奈川県高等学校春季大会の決勝で東海大相模に9-8で勝ち42年ぶりの県大会優勝。
2014年度はボクシング部、柔道部、弓道部が全国大会に出場している。文化部では1979年に創設された鉄道研究同好会が人数こそ少ないもののOBを含めて活発に活動しており[3][4]、製版屋に就職したOBが起こした「BRCプロ」より写真集などの書籍を出版し有隣堂などの書店での販売を行っている[5][6]ほか、横浜市立図書館へも郷土資料として収められている。
沿革
- 1942年 - 旧制武相中学校創立。
- 1945年 - 第二次世界大戦による空襲により、富士塚(刀鍬)校舎焼失。
- 1947年 - 新制中学校認可。
- 1948年 - 武相高等学校設置。武相考古館・ホール竣工。
- 1958年 - 武相学園正門道路(桜坂)竣工。
- 1970年 - 高校野球の神奈川県大会で優勝、全国大会(甲子園)に4度出場。ボクシング部団体全国大会優勝。
- 1992年 - 創立50周年・50周年記念館・理科実験棟竣工。
- 2002年 - 講堂・体育館竣工。
- 2003年 - 生物実験室竣工。
- 2005年 - グランド改修工事・第1校舎一般教室ITマルチメディア化改修工事。
- 2009年 - 第1校舎・第2校舎・第4校舎耐震補強工事。
- 2010年 - 第3校舎耐震補強工事。
- 2012年 - 第2校舎一般教室高機能化改修工事。
- 2014年 - グラウンド野球天蓋防球ネット設置。
- 2020年 - 学年担任制開始。クラスの担任を固定せずに学年担任全体で指導。
- 2022年 - クラブ4日制開始。硬式野球部、バレーボール部以外の部活は週4回の活動となった。
- 2023年 - 学年担任制、クラブ4日制が廃止された。
- 2024年-令和6年神奈川県高等学校春季大会の決勝で東海大相模に9-8で勝ち42年ぶりの県大会優勝。
施設
- 50周年記念館
- 理科実験棟
- 体育館・講堂(メインアリーナ・サブアリーナ・屋内トレーニングルーム・ランニングコース)
- 屋内プール
- テニスコート
- 嬬恋天日山荘
- 弓道場
アクセス
著名な出身者
野球
サッカー
ボクシング
フィギュアスケート
ミュージシャン
お笑い芸人
その他
訴訟
同校にて水泳部員が受けた停学処分などをめぐり、水泳部顧問を務めていた男性教諭が副校長から進退問題を校長に委ねる提案を促された後うつ病を発症し2012年に懲戒解雇、男性教諭は休職中に懲戒解雇されたのは不当だとして、同校に地位確認を求める訴訟。一審判決にて請求棄却。
2017年5月17日、東京高裁(野山宏裁判長)は「(男性教諭は)好成績を課されていると強く感じ、心理的負担があった」と述べ、訴えを退けた一審判決を取り消し、解雇を無効と判断する逆転勝訴を言い渡した。
不祥事
本校野球部は、2012年夏の高校野球神奈川大会で日大藤沢に2 - 3でサヨナラ負けし初戦敗退した。この試合は「インフィールドフライによるサヨナラゲーム」という非常に珍しいものであり、この試合の判定[7]を巡って一部の野球部員がインターネット掲示板に審判を批判する書き込みを行っていたことが明らかになった。また、一部の部員が判定に抗議する意味で試合終了後に整列しなかったり、帽子を脱がないなどの行為も問題となった。さらに部員による飲酒や喫煙が疑われる写真もアップロードされ、ツイッターを通じて他者への脅迫や殺害予告なども行われていた。本校はこれを受け、少なくとも神奈川大会が終了するまでは野球部の活動を自粛し、高野連の指示に従うことを決定した[8][9]。
お笑いコンビ・金の国の渡部おにぎり(渡部恭平)は、当時捕手・4番打者としてこの試合に出場した当事者だった[10]。
関連項目
脚注
外部リンク