浜中俊 |
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![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/bb/Suguru_Hamanaka_2019.jpg/300px-Suguru_Hamanaka_2019.jpg) 2019年日本ダービー表彰式 |
基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
福岡県北九州市[1] |
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生年月日 |
(1988-12-25) 1988年12月25日(35歳) |
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身長 |
164cm |
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体重 |
51kg |
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血液型 |
A型 |
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騎手情報 |
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所属団体 |
JRA |
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所属厩舎 |
栗東・坂口正大(2007.3.1 - 2011.2.28) 栗東・フリー(2011.3.1 -) |
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初免許年 |
2007年 |
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免許区分 |
平地[2] |
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重賞勝利 |
71勝(中央54勝、地方17勝) |
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G1級勝利 |
13勝(中央9勝、地方4勝) |
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通算勝利 |
10719戦1156勝(中央) |
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浜中 俊(はまなか すぐる、1988年12月25日[1] - )は、日本中央競馬会 (JRA) ・栗東トレーニングセンターに所属する騎手。
戸籍上の表記は旧字体が含まれた濱中だが、JRAでは旧字体での登録が認められていないため、一部の地方競馬を除いて新字体の浜中に修正して表記される。
来歴
小学2年から空手を習い、小学5年から故郷である福岡・小倉で乗馬を始め[3]、2004年に競馬学校へ入学[4]。2007年栗東の坂口正大厩舎所属騎手としてデビュー[5]。同期には藤岡康太、丸田恭介、荻野琢真ら[6]がいる。同年4月7日に初勝利を挙げ[7]、デビュー初年度は20勝を挙げ同期では藤岡康太の24勝に次ぐ成績を収める。なお当初は平地競走・障害競走双方の免許を保持していたが、のちに騎乗機会のないまま障害免許は返上している。
2008年9月7日、小倉2歳ステークスをデグラーティアで優勝、中央競馬の重賞初制覇[8]。このほか中京や地元・小倉などの西日本のローカル開催を中心に騎乗し、小倉ターフ賞を受賞[9]。前年度を大きく上回る73勝を挙げる。
2009年春に通算勝利数101勝をマークし自力で見習騎手を卒業。同年10月には菊花賞をスリーロールスで制し、中央競馬のGI競走初制覇を達成している[10]。
2009年菊花賞表彰式
2012年9月22日には自身初の年間100勝を達成。デビューから6年目での達成は、史上4位タイの記録である[11]。最終的に131勝をあげ武豊(1989年、当時20歳)・福永洋一(1970年、当時22歳)に次ぐ24歳の若さで自身初の全国リーディングジョッキーを獲得[12]。また、グレード制導入以降で当該年GI未勝利リーディングジョッキーは岡部幸雄(1987年)、柴田政人(1988年)以来24年ぶり3人目(浜中に関しては2着も0回)。ただし、地方交流競走との合算勝利数では岩田康誠が上回ったため、JRA賞最多勝利騎手の受賞はならなかった。
2013年1月23日、TCK女王盃をメーデイアで大井競馬場初騎乗初勝利を果たす[13]。中央競馬ではフェブラリーステークスをグレープブランデーで勝利し、久々のGI勝利をあげた。
2014年はNHKマイルカップでミッキーアイルに、秋華賞でショウナンパンドラに騎乗して優勝。
2015年はミッキークイーンで優駿牝馬と秋華賞で牝馬2冠を達成。天皇賞・秋では騎乗停止の川田将雅の代打としてラブリーデイに騎乗し、勝利する。
2016年はマイルチャンピオンシップでミッキーアイルを2年ぶりにGI勝利に導くも、ゴール前の斜行により騎乗停止8日の処分を受ける[14]。被害馬の多さもあり、この件に関しては関係者及びファンの間で大きな波紋を呼んだ。
2017年の函館2歳ステークスを勝利して以降、およそ1年以上中央の重賞では勝ち鞍を挙げられなかった(ただし地方交流重賞は勝利している)が、2019年春のアーリントンカップで久々の重賞タイトルを獲得。更に同年、ロジャーバローズで挑んだ東京優駿では12番人気の低評価を覆して勝利。ダービージョッキーの称号を得た。
2019年8月17日小倉第9競走でアールスターに騎乗し1着、史上36人目・現役19人目となるJRA通算1000勝を達成した。なおデビュー12年5か月12日での達成は武豊に次ぐ、史上2番目の速さでの記録となる[15]。
2021年10月3日、中山11R・GIスプリンターズステークスでジャンダルムに騎乗し、史上46人目、現役では31人目のJRA通算10,000回騎乗を達成した[16]。
2024年5月19日、京都6Rでデトネイションに騎乗し、史上46人目、現役26人目となるJRA通算1万1000回騎乗を達成した[17]。
騎乗成績
|
日付 |
競馬場・開催 |
競走名 |
馬名 |
頭数 |
人気 |
着順
|
初騎乗[5][18] |
2007年3月3日 |
1回中京1日4R |
3歳未勝利 |
コレクトシチー |
16頭 |
14 |
10着
|
初勝利[7] |
2007年4月7日 |
1回福島3日7R |
4歳上500万円下 |
トシツカサオー |
11頭 |
4 |
1着
|
重賞初騎乗 |
2007年11月4日 |
5回京都2日11R |
ファンタジーステークス |
リマレックス |
14頭 |
10 |
10着
|
重賞初勝利[8] |
2008年9月7日 |
3回小倉8日10R |
小倉2歳ステークス |
デグラーティア |
16頭 |
3 |
1着
|
GI初騎乗 |
2008年10月19日 |
4回京都4日11R |
秋華賞 |
ピサノジュバン |
18頭 |
17 |
12着
|
GI初勝利[10] |
2009年10月25日 |
4回京都6日11R |
菊花賞 |
スリーロールス |
18頭 |
8 |
1着
|
年度 |
1着 |
2着 |
3着 |
騎乗数 |
勝率 |
連対率 |
複勝率 |
表彰
|
2007年 |
20 |
25 |
43 |
359 |
.056 |
.125 |
.245 |
|
2008年 |
73 |
71 |
57 |
859 |
.085 |
.168 |
.234 |
小倉ターフ賞
|
2009年 |
50 |
71 |
82 |
789 |
.063 |
.153 |
.257 |
中央競馬騎手年間ホープ賞[4]
|
2010年 |
69 |
62 |
70 |
814 |
.085 |
.161 |
.247 |
|
2011年 |
86 |
90 |
62 |
782 |
.110 |
.225 |
.304 |
|
2012年 |
131 |
93 |
70 |
887 |
.148 |
.253 |
.331 |
全国リーディング(JRAでの成績のみ)
|
2013年 |
119 |
101 |
88 |
862 |
.138 |
.255 |
.357 |
|
2014年 |
125 |
103 |
77 |
835 |
.150 |
.273 |
.365 |
|
2015年 |
98 |
84 |
101 |
803 |
.122 |
.227 |
.352 |
|
2016年 |
63 |
60 |
44 |
454 |
.139 |
.271 |
.368 |
|
2017年 |
60 |
72 |
73 |
643 |
.093 |
.205 |
.319 |
|
2018年
|
66
|
71
|
66
|
636
|
.104
|
.215
|
.319
|
|
2019年
|
48
|
59
|
52
|
516
|
.093
|
.207
|
.308
|
|
2020年
|
38
|
49
|
37
|
432
|
.088
|
.201
|
.287
|
|
2021年
|
42
|
45
|
40
|
429
|
.098
|
.203
|
.296
|
|
2022年
|
44
|
37
|
32
|
405
|
.109
|
.200
|
.279
|
|
2023年
|
24
|
20
|
16
|
214
|
.112
|
.206
|
.280
|
|
中央 |
1156 |
1113 |
1010 |
10719 |
.108 |
.212 |
.306
|
地方 |
16 |
9 |
7 |
65 |
.246 |
.385 |
.492
|
(2023年7月6日現在 JRA騎手名鑑より)
主な騎乗馬
太字はGI及びJpnI競走を示す。
エピソード
- 競馬学校時代の目標の騎手はクリストフ・スミヨンとランフランコ・デットーリである[65]。
- 阪神競馬場には、2015年に開催されたジョッキーフェスティバル頃より同期である藤岡康太との『ジョッキーW壁ドン!』パネルが設置されている[66]。
- 落馬事故により亡くなった、親友でもある藤岡康太の合同葬では、競馬学校同期代表として弔辞を読み上げた[67]。
脚注
関連項目
外部リンク