滝山団地(たきやまだんち)は、東京都東久留米市滝山に存在する、旧日本住宅公団(現都市再生機構)が整備した公団住宅である。
なお、本項では、滝山団地に隣接する「滝山第二団地(滝山団地第二住宅)」も滝山団地に含めて扱っている。
建設の経緯
東京都心部の高度経済成長以降の住宅不足を解消するため、昭和30年7月に日本住宅公団が設立され、東京都心から半径20~40kmの範囲に大規模な団地が建設された。東久留米市においては、昭和34年に入居を開始したひばりが丘団地、昭和37年に入居を開始した東久留米団地に続くかたちで、「小平・東村山都市計画 久留米土地区画整理事業」として、滝山団地が建設された[1][2]。
日本住宅公団は1960年代後半から徐々に分譲の割合を増やしていたが、滝山団地は総戸数の三分の二が分譲であり、当時これほど分譲戸数の多い団地は他になかった[3]。
滝山団地建設を含む「土地区画整理事業」は事業面積1,557,968 m2に及び[4]、事業期間には1963年(昭和38年)4月から1969年(昭和44年)10月までを要した。竣工後、事業当時の「竣工記念碑」が滝山公園内に建碑され、2022年12月時点においても現認できる。
歩車分離設計
- 日本初の「歩行者専用道路」導入
団地内および隣接する住宅地での徹底した歩車分離による歩行者空間の確保を図るため、同地区内を南北に貫く幅10mの遊歩道が、同地区内に東西250-300mおきに全部で5路線設けられている。この遊歩道はいずれも公道(市道)として登録[5][注釈 1]された「歩行者専用道路」であり、他の公道と接する「交差点」においては歩行者専用道路[注釈 2]の道路標識が設置されている。団地内だけに設置される「敷地内通路」ではなく、住宅地区全体に道路法に基づく「歩行者専用道路」を公共施設として導入した設計は、日本の道路設計・団地設計どちらにおいても初の試みであった[6]。この住宅団地設計は「久留米住宅団地の計画」として、1967年度(昭和42年度)日本都市計画学会石川奨励賞を受賞した[7]。
- 最長1.2kmの「歩行者専用道路」
滝山地区の歩行者専用道路は、北側の新所沢街道から南側の新青梅街道まで[注釈 3]の最長約1.2kmに及んでおり、地区内を東西に貫くバス通りとの交差部分には5つの路線バス停留所(後述「バス停留所」参照)が設置され[注釈 4]、住宅地と結ばれた設計になっている。歩行者専用道路の両側に建設される一般住宅については、門や垣根を開放的なものにして、個人住宅の庭と道路の植栽とが一体的な空間を構成するように計画された。歩行者専用道路は学校、公共施設、商業施設とも繋がり、緑の軸として機能している。少子高齢化が進む中で歩行者専用道路は高齢者や子どもにとって安全なコミュニティ空間として、現在でも重要な役割を果たしている[8]。
著しい高齢化
他の団地でもよく見られるように、竣工当時の住宅取得層にあたる年齢層が突出して多いという人口構造をしている。
竣工から約50年を経た現在では、周辺地域と比較して突出して高齢化が著しい。
滝山団地の人口と高齢化の現状(国勢調査)
年次 |
地区 |
滝山二丁目 |
滝山三丁目 |
滝山六丁目 |
東久留米市(参考)
|
2010年 |
総人口
|
757人 |
1,313人 |
4,811人 |
116,546人
|
高齢化率
|
40.3% |
37.5% |
37.0% |
23.5%
|
2015年 |
総人口
|
700人 |
1,247人 |
4,395人 |
116,632人
|
高齢化率
|
46.0% |
39.4% |
46.9% |
26.9%
|
2020年 |
総人口
|
623人 |
1,196人 |
4,038人 |
115,271人
|
高齢化率
|
49.8% |
39.6% |
50.5% |
28.4%
|
※総人口には年齢不詳を含む
滝山あんしんつながりの家
滝山団地居住者の高齢化への対策として、東久留米市では都市計画マスタープランにて「高齢者が安心して住み続けられる住環境の整備」を掲げている[9]。
2012 年には、「少子高齢社会の暮らしの支援」と「安全・安心の環境づくり」を目的とした実践的な研究「滝山団地プロジェクト」が、独立行政法人都市再生機構(UR)、滝山団地自治会、日本社会事業大学の連携により実施された。このプロジェクトの成果のひとつに、滝山団地内の既存集会所を改修して作られた「滝山あんしんつながりの家」がある。「滝山あんしんつながりの家」は、見守り・共助・多世代交流などを目的とした「コミュニティづくりの拠点」として運営されている[10]。
地名「滝山」の由来
滝山団地の「滝山」の地名は、当該団地を含む地域・区域において旧日本住宅公団が土地区画整理事業を行った際に、旧北多摩郡久留米町(現 東久留米市)により「滝山」(1丁目 - 7丁目)の町名が付されたものである。地名として初めて「滝山」の名が付されたのは昭和44年9月3日、「久留米土地区画整理事業」実施地区内の土地の換地処分によるものである[11][注釈 5]。また、住居表示として「滝山」の地名が付されたのは、東久留米市が市制を敷いたのと同日の昭和45年10月1日、住居表示法に基づき、旧久留米町内の小金井街道から西側の地域において実施された、地番から住居表示への市内4回目の変更によるものである。
当該地域は、旧久留米村が成立する以前の「前沢村」および「下里村」に含まれる地域に相当し、その後に旧村合併により成立した旧久留米村においては、大字を付した「大字前沢」「大字下里」と呼称されていた。この大字前沢の中の小字に、かつて「滝山道(みち)」と称される地域があった[12][13]。現在の小金井街道と所沢街道とが交わる前沢交差点より所沢街道沿い西方に位置する、現在の滝山1丁目から八幡町2丁目周辺地域に相当し、この付近[注釈 6]には旧「成蹊学校」[注釈 7](のちの久留米小学校西分校、昭和43年廃校)および村役場が設置されていた。
上記地域が「滝山道」と呼称されたことに関連して、東久留米市教育委員会発行の「くるめの文化財 第6号」の中で「前沢宿から八幡神社前を通り、所沢街道を抜け、金塚[注釈 8]、小平方面へと続く道の、金塚付近[注釈 8]より南下する道」[17]のことを、かつては「滝山道」と称されていたと説明されている[15]。この道の名の由来は、現在の八王子市滝山町にかつてあった「旧滝山城」及び、その支城といわれる現在の所沢市本郷に位置する「滝の城」(本郷城)の二つの城をつなぐ旧道を意味していたとみられる。
また、旧久留米村のほかに旧清瀬村や旧保谷村などの複数の北多摩の周辺自治体においても、地名の傾向に「布田道西」「府中道西」「所澤道東/西」「東京道」「往還北/南」「大山道東/西」といった「(地名)道」の例が多く確認されており[18][19]、これらの例の多くが、付近の街道の先に当該地が位置されることに因む命名であることから、「滝山道」についても「旧滝山城」を含む現在の八王子市滝山町周辺に因んだ地名と解されている。
基本データ
- 戸数 - 3216戸(分譲2120、賃貸1096)
- 竣工当初は3180戸(分譲2120、賃貸1060)[20]
- 入居開始 - 1968年
- 住所
- 滝山団地 - 東京都東久留米市滝山六丁目
- 滝山第二団地(滝山団地第二住宅) - 東京都東久留米市滝山二、三丁目
- 小学校区 - 東久留米市立第七小学校および第九小学校
- 中学校区 - 東久留米市立西中学校および下里中学校
滝山団地の街区構成
街区名 |
住所 |
形態 |
棟 |
戸数 |
入居
|
滝山団地1街区
|
滝山六丁目1番地 |
賃貸 |
006-1-2号棟 (滝山東) |
36 |
1987年4月*
|
6-1-3~27号棟 |
1060 |
1968年12月
|
-
|
賃貸戸数 合計 |
1096 |
|
滝山団地2街区
|
滝山六丁目2番地 |
普通分譲** |
6-2-1~16号棟 |
640 |
1969年1月
|
滝山団地3街区
|
滝山六丁目3番地 |
特別分譲** |
6-3-1~16号棟 |
760 |
1969年2月
|
滝山第二団地 (滝山団地第二住宅)
|
滝山二丁目5番地 |
分譲 |
2-5-1~10号棟 |
720 |
1970年11月
|
滝山三丁目1番地 |
3-1-1~13号棟
|
-
|
分譲戸数 合計 |
2120 |
|
-
|
滝山団地 総戸数(賃貸・分譲合計) |
3216 |
|
- * 1街区2号棟は竣工当初は日本住宅公団職員寮であった
- **「普通分譲」は土地代を一時金とする方式による分譲(50〜100万円程度)、「特別分譲」は一時金の額を一律(30万円)とし当初のローン返済額を同型賃貸の家賃並みに設定した分譲
周辺地域付近の集合住宅
- 久留米西住宅(久留米西団地、東京都東久留米市下里4 ほか、東京都住宅供給公社=JKK東京)
- 久留米下里住宅(下里団地、久留米市下里7 ほか、東京都住宅供給公社=JKK東京)
年表
- 1960年(昭和35年)
- 1961年(昭和36年)
- 同年11月27日から翌年3月31日までの期間、旧日本住宅公団が下里、柳窪、前沢地域の測量実施[24]。
- 1963年(昭和38年)
- 1966年(昭和41年)
- 1967年度(昭和42年度)
- 「久留米住宅団地の計画」が日本都市計画学会石川奨励賞計画設計部門を受賞。
- 1968年(昭和43年)
- 1969年(昭和44年)
- 1月、滝山団地2街区入居開始。
- 同月、西武バス滝山営業所が落成、のち営業開始。
- 2月、滝山団地3街区入居開始。
- 4月、滝山団地自治会設立。
- 10月、旧日本住宅公団の「小平・東村山都市計画 久留米土地区画整理事業」竣工[27]。
- 1970年(昭和45年)
- 滝山中央名店会発足。
- 4月、久留米町立第九小学校開校(第七小の一部学区域が変更)。
- 10月1日、市制移行。自治体名称を東久留米市へ改称。
- 同日、滝山一丁目〜七丁目の住居表示を施行。
- 11月、滝山第二団地(滝山団地第二住宅) 入居開始。
- 1975年(昭和50年)
- 4月、東久留米市立滝山小学校開校(第七小と第九小の一部学区域が変更)。
- 1987年(昭和62年)
- 4月、住宅・都市整備公団(当時)職員寮であった1街区2号棟(36戸)が賃貸住宅(滝山東) となり、入居開始。
- 2004年(平成16年)
- 3月31日、東久留米市立滝山小学校閉校(第九小学校と統合。心身障害学級は第七小学校と統合)。
行事・イベント
- 1977年(昭和52年)から続く、例年8月下旬の土曜・日曜日の2日間に開催されている祭り。小金井街道から新小金井街道に挟まれた「滝山中央通り」の当該区間を歩行者天国にし、その周辺で行なわれる[28]。過去には現行の歩行者天国区間に加え、西武バス滝山営業所近辺までの西側の周辺も歩行者天国の区間に設定されていた。
交通
鉄道
滝山団地地区を経由・終点とするバスが発着する鉄道は、以下の3路線の5つの駅となる。
バス
滝山団地地区を経由するバスは西武バスが運行しており、滝山営業所(一部系統は小平営業所が担当)が担当する。
- バス停留所
- 滝山営業所(※)(始発、一部路線を除く) - Google Maps – 滝山営業所(バス) (Map). Cartography by Google, Inc. Google, Inc.
- 滝山団地 - Google Maps – 滝山団地(バス) (Map). Cartography by Google, Inc. Google, Inc.
- 滝山五丁目 - Google Maps – 滝山五丁目(バス) (Map). Cartography by Google, Inc. Google, Inc.
- 団地センター - Google Maps – 団地センター(バス) (Map). Cartography by Google, Inc. Google, Inc.
- 滝山三丁目 - Google Maps – 滝山三丁目(バス) (Map). Cartography by Google, Inc. Google, Inc.
- 滝山団地入口 - Google Maps – 滝山団地入口(バス) (Map). Cartography by Google, Inc. Google, Inc.
- 滝山団地中央(※) - Google Maps – 滝山団地中央(バス) (Map). Cartography by Google, Inc. Google, Inc.
- センター北(※) - Google Maps – センター北(バス) (Map). Cartography by Google, Inc. Google, Inc.
- 太文字は当初から設計された停留所。(※)は新規バス路線の設置等により追加設置された停留所。
- バス路線図
滝山団地付近を舞台とする作品
- ロケ地
- 書籍
脚注
注釈
- ^ 一部の6丁目1番地の団地区域内の「歩行者専用道路」は規制標識は設置されているが、2022年3月時点で市道として登録されていない「遊歩道」である。この団地内「遊歩道」に直結する北側および南側の「遊歩道」は、市道として登録されている「歩行者専用道路」である。
- ^ 当該「遊歩道」に設置されている道路標識は規制標識「歩行者専用 (325の4)」および補助標識の「自転車を除く」であり、自転車も徐行による通行が可能である。一方、交差する道路の歩道部分に設置されている道路標識は、補助標識「歩行者優先」を付けた「自転車及び歩行者専用 (325の3)」であり、取り扱いが異なる。
- ^ 滝山6丁目2-3番地を通過する遊歩道については、南側の端が東久留米市と小平市の市境で、北側の端が同地区内の整備と同時期に施工・設立された東久留米市立第七小学校および隣接する白山公園である。
- ^ 遊歩道と交差する新所沢街道の3か所の近辺には、のちに新設されたバス路線の停留所が追加設置されており、これらを含めると遊歩道との交差部に設置されているバス停留所は全部で8つである。
- ^ 「久留米土地区画整理事業」実施地区内の土地の換地処分により、旧地名の前沢4-5丁目の一部、下里2-3丁目の一部、八幡町3丁目の一部が、昭和44年9月3日付で滝山1-7丁目に変更となった。
- ^ 現在の東久留米市八幡町2-10-10の地。
- ^ 東京都武蔵野市に所在する成蹊学園とは無関係[14]。
- ^ a b 資料文中の「金塚(かなづか)」は庚申塚(庚塚、かのえづか)からの転訛・音の変化で、現在の所沢街道沿い下里2丁目付近の地域を指す。この「金塚」には、かつて「ゴリゴリ馬道」と呼ばれた道標を兼ねた馬頭観音塔が建てられており、石塔には「下里邑中」の文字のほか、4つの地(板橋・八王子・四谷・川越)との距離がいずれも「5里」相当であることが刻まれていた[15][16]。この「馬頭観音塔」は大円寺(東久留米市小山)の境内に現在は移設されている。
- ^ 原文ママ。現在の滝山団地を意味する。
- ^ 当時の久留米中学校の所在地は現在の東久留米郵便局の所在地であった。
出典
参考資料
滝山団地地区の開発当時の資料が掲載されている。
関連項目
外部リンク