田中 千秋(たなか ちあき?)は江戸時代後期の佐渡奉行所地役人。佐渡田中家12代。
経歴
文化12年(1815年)保科家の次男として生まれ、田中葵園の養子となった。文政12年(1829年)学問所見習、天保元年(1830年)金蔵役・学問所並役助、次いで学問所並役。天保11年(1840年)2人扶持。天保12年(1841年)沢根番所役。
弘化3年(1846年)養父が死去し、後職を継いだ。遺言状では、もし浪人になっても他国に出ず、真光寺・国分寺等に身を寄せながら再仕官を目指し、無理だった場合は医者になることを提案されている。
安政元年(1854年)8月30日40歳で死去した。法名は空谷院定誉秋水紹斎居士。
親族
- 養父:田中葵園
- 養母:かつ(酒匂多左衛門娘)
- 義弟:藤木実斎
- 義弟:田中千齢
- 義妹:繁子(志津、植野祐之助妻、天保9年(1838年) - 安政6年(1859年))
脚注
参考文献