羽鳥 慎一(はとり しんいち、1971年(昭和46年)3月24日[2] - )は、日本の男性フリーアナウンサー、総合司会者、元日本テレビのエグゼクティブアナウンサー。テイクオフ所属。
来歴
- 教育、学生時代の活動など
埼玉県上尾市出身[2]。小学生の時、埼玉県から神奈川県横浜市に転居。
横浜市立権太坂小学校[4]、横浜市立境木中学校[4]、神奈川県立横浜平沼高等学校[4]卒業後一浪し、早稲田大学政治経済学部経済学科に進学。同大学同学部を卒業[5]。
就職活動でアナウンサーを志望した動機は野球の実況をしたかったためで、第一志望の放送局が日本テレビだった。
- 職務経歴
1994年4月に日本テレビに入社。プロ野球中継の実況等を経て『ズームイン!!サタデー』(以下『ズムサタ』)、『ズームイン!!SUPER』(以下『ズームイン!!』)の総合司会、NNN24の朝のニュース枠『モーニングライブ』のキャスター(平日担当)、『ものまねバトル』の総合司会などを担当し、2009年に第30回NNSアナウンス大賞テレビ部門大賞受賞。
2009年12月31日放送の『第60回NHK紅白歌合戦』(NHK)に、FUNKY MONKEY BABYS(後述)の応援で、ズームインのキャラクターであるズーミンを連れてゲスト出演[注釈 1]。
2011年3月31日を以って日本テレビを退社し、フリーアナウンサーに転身[4][注釈 2]。表明直後に『情報満載ライブショー モーニングバード!』の総合司会に就任[8][注釈 3]。
フリー転身後は『情報満載ライブショー モーニングバード!』→『モーニングバード』→『モーニングショー』、『未来シアター』の総合司会などを務めている。局アナ時代から担当していた『人生が変わる1分間の深イイ話』、『ぐるぐるナインティナイン』にもフリーの立場で出演継続している。これ以外にも『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』など日本テレビの特別番組に多く起用されており、2011年10月からは『1番ソングSHOW』にも起用された[注釈 4][注釈 5]。
2013年6月20日、前年を以って司会を退いた小倉智昭の後任として、『サントリー1万人の第九 "10000 Freude"』の新司会者に就任することが発表された[12]。
人物、パーソナルデータ
- 愛称
愛称が「バード」となった経緯は、ズムサタのスポーツコーナー担当として就任間もないころにニックネームを募集したものの応募が少なかったことから初代総合司会であり先輩でもある福澤朗に「バードでいいんじゃない?」と名付けられ、それが定着したものである。以降、『ぐるぐるナインティナイン』のナインティナインなど、共演者からも愛称「バード」で呼ばれるようになり、フリー直後に担当した『モーニングバード』では「バード」が番組タイトルにくみこまれた。[要出典]
- アナウンサー人気ランキング結果
an・an調査による2006年度「好きな男性アナウンサーランキング」では1位。オリコン調査による「好きな男性アナウンサーランキング」では長年TBSの安住紳一郎に次いで2位だったが、オリコンが安住を「殿堂入り」させてランキング外とした2010年には初の1位となった。[要出典]なお、殿堂入りの条件は5回連続1位なので未だ殿堂入りは達成されておらず、1位獲得回数は最多である。[要出典]
- 学生時代の部活動
中学(横浜市立境木中学校)・高校時代は、野球部に所属。中学はセカンド、高校ではアンダースローの投手、2年まではオーバースローだった。横浜平沼高校の野球部時代に、後に2年連続でセ・リーグ首位打者を獲得する鈴木尚典(当時横浜高校)と対戦し、2打席連続三振を奪ったことがある。ただし、その後の3打席で3安打を打たれた。エースとして夏の神奈川大会4回戦まで進出した実績がある[13]。
- 趣味、嗜好、ファン歴など
- 交友、人間関係
- 日テレの同期である藤井貴彦に対し、「自分がフリーになる時は1番最初に藤井に伝える」と述べていたが、結果的にこの約束は破ることとなり、藤井はこのことに傷ついていると話している[20]。逆に藤井はフリーになる際「大事なことを1個教えてあげる」と羽鳥にきちんと伝えている[21]。
- フリー転身後に応じた週刊誌(2011年発売)のインタビューにおいて、日本テレビ『ZIP!』(自身が2代目男性総合司会を務めた『ズームイン!!SUPER』の後継番組)をよく視聴していることや後輩で同番組総合司会である桝太一にアドバイスをしていることを明かした。[注釈 6]
- 家族、私生活など
- 2012年8月にテイクオフ社長主催の会食で知り合い同年11月頃より渡辺千穂と交際、2013年4月23日放送の『モーニングバード!』の冒頭で交際を公表[22]、約2年の交際期間を経て2014年8月18日に渡辺と結婚[23][24]。2016年1月末に女児が誕生[25]。(渡辺は2016年下期のNHK連続テレビ小説『べっぴんさん』の脚本を担当したのだが、NHK総合テレビの『べっぴんさん』本放送の裏番組に『モーニングショー』があり、デイリースポーツと毎日新聞は「夫婦対決」と(おもしろおかしく)取り上げた[26][27]。)
- 2013年9月、埼玉で一人暮らしをしていた父親(実父)が死去[28]。2014年4月に『徹子の部屋』に出演した折に羽鳥は、黒柳徹子からこの話を切り出されたがこの話は仕事場など周囲の人々にもあまり話していないことを明かし、近くに住んでいた姉がたまたま数日連絡を取らなかった間に死亡したため、孤独死になったと述べ、「月に2、3回は(一緒に)食事していた。そういう機会を増やしていたので、もっと生きてくれればもっと色々とやれることがあった」と悔やみ、「孤独死する人がこんなに身近に出てくるとは思わなかった。それに父親は73年生きてきて、誰にも看取られず、なんで亡くなったのか原因もわからず、こんな風に人生を終えてしまうなんて…」と無念さをにじませた[28]。
- 身体データ
身長は182 cm[2]。コンタクトレンズを使用している。
- 他
出演
テレビ・ラジオ
映画
劇場アニメ
ミュージック・ビデオ
雑誌
CD
DVD
- ズームしか知らないファンモンのすべて〜目の前には未来が待っている〜
脚注
注釈
- ^ この出演について上司から「裏でダウンタウン(『ダウンタウンのガキの使い大晦日年越しSP!!絶対に笑ってはいけないホテルマン24時』)が頑張ってるけどしっかりね」と言われたことや、ノーギャラ出演だったことを明かしている。[6]
- ^ 当初、フリーになることは考えていなかったが、1月27日の記者会見で「40という人生の節目に、自分の可能性を試してみようと思い決断しました。柔軟に、体力もあって、いろいろ動けるうちに挑戦してみようという思いがあります」とコメントした。新人時代から番組に関わっており思い入れが強かった『ズームイン!!』の終了が決まったことも、退社の理由の1つだった。[7]
- ^ ある局を退社した直後に他局の番組で起用されることは放送界の慣例を覆す異例の登板であると報道されたが、テレビ朝日社長の早河洋は会見で「日本テレビの氏家齊一郎会長(当時)をはじめ、関係者の寛大なご判断があった。大変感謝しています」と日本テレビの理解が得られたためと述べた。[9]
- ^ 羽鳥の重要な番組での相次ぐ起用に日本テレビ内から不満の声もあるが、女性アナウンサーの流失や器用な男性アナウンサーが育成できていないため、やむを得ず起用されているとの報道がある[10]。
- ^ 日本テレビ時代の年収は1,000万円程度だった。現在は、日テレ時代の年収の10倍以上を得ている。[11]
- ^ しかし桝自身は直近の先輩には相談しづらいとのことで羽鳥の前任の福澤朗に相談している。
出典
関連項目
外部リンク