茨城県立土浦第一高等学校・附属中学校(いばらきけんりつつちうらだいいちこうとうがっこう・ふぞくちゅうがっこう)は、茨城県土浦市真鍋四丁目に所在する県立高等学校・中学校。
概要
1897年設立の旧制茨城尋常中学校(現在の茨城県立水戸第一高等学校)土浦分校を前身とする。旧制度では県内での旧制二中という位置付けである。略称は「土浦一高(つちうらいちこう)」であるが、「土一(つちいち)」「土一(どいち)」「土高(つちこう)」「土浦第一」、「一高(いちこう)」などと言われることも多い。旧本館は1976年に旧制中学校の建造物として全国で初めて国の重要文化財に指定された。
戦前から群馬県旧制前橋中学、高崎中学、栃木県宇都宮中学、茨城県水戸中学とともに北関東旧制五大中学として全国にその名を轟かせていたが、県内では長らく水戸一高に次ぐナンバー2の地位に甘んじてきた。しかし1970年代からの筑波研究学園都市整備、および県南地域のニュータウン化に伴い大きな躍進を遂げ、1980年代から現在まで、県内進学御三家(茨城県立土浦第一高等学校、茨城県立水戸第一高等学校、江戸川学園取手高等学校)の中でもトップの進学実績を誇る進学校である。
東京大学合格者数で全国屈指の実績を収めているほか、地元の筑波大学合格者数は例年全国1位をキープし続けており、全国的にも公立進学校の代表格とされている。東大の戦後累計合格者数は2018年時点で1006人であり、この数字は県内1位、北関東1位である。北関東3県で初めて東大累計合格者数1000名を超えた高校でもある。1997年(43名合格)と2001年の二度、全国の公立高校の東京大学合格者数でトップになっている。スーパーグローバルハイスクールに指定されている。
2021年に附属中学校が開校し、2024年度に本中学校の1期生が土浦一高へ入学した。略称は「土浦一高附属中」。
沿革
前史
- 1799年(寛政11年) - 土浦藩主土屋英直が藩校郁文館を創建
- 1871年(明治4年) - 廃藩置県により土浦藩藩校郁文館廃校
- 1872年(明治5年)10月 - 新治県権令中山信安が郁文館跡地に英学校化成館創設
- 1873年(明治6年) - 英学校化成館事実上消滅
- 1874年(明治7年)1月 - 英学校化成館跡地に新治師範学校創設
- 1875年(明治8年)5月 - 新治県と茨城県合併により新治師範学校は茨城師範学校土浦分校に
- 1878年(明治11年)8月 - 土浦分校に予備科設立(本校にできた予備科は水戸第一高等学校へ)
- 1879年(明治12年)4月 - 県議会で予算認められず土浦分校廃止
- 1883年(明治16年)
- 8月23日 - 旧茨城師範学校土浦分校跡に茨城第二中学校開設
- 9月16日 - 開校式挙行(入学生徒数41名)
- 1886年(明治19年)
- 6月6日 - 第一回初等科卒業式挙行(卒業生4名)
- 7月28日 - 一県一中学校という中学校令により茨城第二中学校廃止
- 1891年(明治24年)12月14日 - 勅令243号により原則規定に変更され、再び道が開かれる
- 1894年(明治27年) - 第17回通常県会で土浦分校増設建議案上程、審理未了に
- 1895年(明治28年) - 第18回通常県会で土浦分校増設建議案上程、可決
正史
校訓
- 自主・協同・責任(現校訓、昭和21年制定)
- 至誠・自重・愛敬・剛勇・勤倹(旧校訓、明治42年制定)
校歌
- 2拍子の校歌である。
- 制定は1911年。
- 作詞 堀越晋(1910年の夏休みの宿題として出された「校歌の歌詞作成」において、全学年から選ばれた当時の生徒)
- 作曲 尾崎楠馬(当時の国漢科主任)
- 制定当時と現在では語句が一部異なっており、当時は3番の「東国男児の血を享けて」が「気を享けて」、「秀麗」が「秀霊」、「気魄」が「気魂」、4番の「亀城一千の健男児」も「五百の健男児」であった[1]。
- 現在はジェンダー平等などの理由から、3番4番は削除されている
- 沃野一望数百里 関八州の重鎮とて そそり立ちたり筑波山 空の碧をさながらに 湛へて寄する漣波は 終古渝らぬ霞浦の水
- 春の彌生は桜川 其の源の香を載せて 流に浮ぶ花筏 蘆の枯葉に秋立てば 渡る雁声冴えて 湖心に澄むや月の影
- 此の山水の美を享けて 我に寛雅の度量あり 此の秀麗の気を享けて 我に至誠の精神あり 東国男児の血を享けて 我に武勇の気魄あり
- 筑波の山のいや高く 霞ヶ浦のいや広く 嗚呼桜水の旗立てて我が校風を輝かせ 亀城一千の健男児 亀城一千の健男児[2]
校章・校旗
校章
水戸中学校からの独立後に制定された土浦中学校校章のデザインは、算術科教諭高野虎次郎の手によるもので[3]、校章の上部が桜花、下部に流水、中心部に「中」の文字を配したものであった。新制高校移行後、中心部の「中」が上部全体に拡大された「高」となり、桜花や流水の図案にも修正が加えられた現校章に変わっている[4]。
校旗
4年生が発起となって行われた1903年の秋季運動会で予算が余り、さらに募金を加えた50円をもとに校旗を寄贈する事になった。寄贈された校旗は一旦校長の自宅に保管されていたが、1904年の元日、4年生一同は校長宅におもむき校旗を受け取った後、学校で校旗捧呈式が行われた[5]。現校旗の制定は1957年の事で10月27日に樹立式が行われている[6]。
進路
国立大学では筑波大学、東京大学、東北大学、私立大学では早稲田大学、慶應義塾大学、東京理科大学、明治大学への進学が多い。筑波大学への合格者数は筑波大学の開校以来2回を除き全国1位。主な大学の最高合格数は東京大学が43名(平成9年)、東京工業大学が21名(平成8年)、東北大学が32名(平成15年)、慶應義塾大学が76名(平成16年)、早稲田大学が144名(平成16年)などである。ほとんどの生徒が大学進学を希望する。
また、1986年以来一度も途切れることがなく東京大学合格者数2桁を記録している。最高は1997年の合格者数43名であり、累計では2022年春時点で1088名である。
その他
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- 閑院宮載仁が植えた松の木(五葉松)がある。
- 文理分けが3年次に行われる。
- 職員全体の職員室はなく、各教科ごとに職員室が分かれている。
- 校舎の至る所に学習スペースがある。
- 一高オリンピックという名の体育祭、30kmほどを学校に向かって歩く歩く会などが例年行われており、山越えを行うこともある。一高祭、一高オリンピック、歩く会を合わせて『一高三大行事』となる。
- 2022年度からインド出身で、元江戸川区(東京都)区議会議員のプラニク・ヨゲンドラ(よぎ)が副校長を務め、2023年度からは校長を務める。海外出身者が校長に就任するのは日本の公立高校で初。
旧本館
1976年(昭和51年)、旧制太田中学校講堂とともに、全国の旧制中学の建造物として初めて国の重要文化財に指定された。玄関の屋根裏から発見された棟札1枚も附(つけたり)で指定されている。重要文化財指定当初は新校舎建て替え計画の途上であり、重要文化財となったことで旧本館を取り壊すことができなくなったことから、土浦一高の関係者には歓迎すべきものではなかった[7]。その後、旧本館の移築提案とその却下などがあり、新校舎の完成は1980年(昭和55年)までずれ込んだ[7]。
竣工は1904年(明治37年)12月7日であり、設計者は駒杵勤治、施工は石井権蔵。駒杵は東京帝国大学工科大学建築学科を首席で卒業し、卒業後、茨城県営繕技師として赴任。のちに県技師。1902年(明治35年)12月から1905年(明治38年)3月までのわずか2年3ヶ月の在任期間内に土浦中学校本館、 太田中学校(現在の太田一高)講堂(重要文化財)、水戸商業学校(現在の水戸商業高校)本館(一部移築、国の登録有形文化財)、龍ヶ崎中学校(現在の竜ヶ崎一高)講堂(現存せず)、水海道中学校(現在の水海道一高)講堂(現存せず)、麻生警察署(現存せず)、下館警察署(現存せず)などを手がける。
土浦中学校旧本館は全体としてはゴシック様式を基にしたドイツ風の建物で、正面は三連のアーチ。アーチを支える柱はギリシャ建築の三様式の一つであるコリント派の建築物であり、アカンサスの葉をモチーフにした柱頭に特徴がある[8]。入り口の扉はエゾマツを使用した厚さ4cm、高さ2.3mの重厚な作りで、観音開きである[9]。天井高は5mである[9]。館内には明治時代から使われていた校長や教員の机が保存され、生徒用の机と椅子が一体化した授業用机のレプリカもある[10]。
2003年(平成15年)頃に卒業生らによって旧本館活用委員会が発足し、映画・テレビ・プロモーションビデオのロケーション撮影を積極的に受け入れるようになり、結婚式場として利用されたこともある[11]。なお、弦楽部・吹奏楽部の部室として日常的に使用され、写真部・美術部の展覧会など校内活動にもよく利用されている[12]。
毎月第二土曜日に一般公開が行われている[13]。
舞台とした作品
- 決戦の大空へ(1943年 東宝) - 主人公は土浦中学の生徒である。旧本館が映っている。また、同映画の挿入歌「若鷲の歌」は、同校の第二応援歌だった時期がある。
少なくとも1975-79年は、第一應援歌、第二應援歌が存在し、その時期は第二應援歌と若鷲の歌は明確に区別されていた。
ロケ地として
- NHKドラマ『白洲次郎』 - 次郎の旧制中学という設定で旧本館を使用
- NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』[9] - 大学予備門、海軍兵学校校舎という設定で旧本館を使用
- NHK連続テレビ小説『おひさま』(2011年) - 安曇野女学校という設定で旧本館を使用[9]
- フジテレビドラマ『若者たち2014』(2014年)
- NHK連続テレビ小説『エール』(2020年) -東京帝国音楽学校という設定で旧本館を使用
- テレビ朝日ドラマ『津田梅子〜お札になった留学生〜』(2022年)
- TBSドラマ『笑うマトリョシカ』(2024年)
- NHK朝ドラ『愛と勇気の物語』(2025年前期)
高校関係者一覧
脚注
- ^ 『進修百年』pp.48-49
- ^ 『進修百年』口絵 p.1
- ^ 『進修百年』p.25
- ^ 『進修百年』p.125
- ^ 『進修百年』p.37
- ^ 『進修百年』p.1073
- ^ a b 土田(2013):89ページ
- ^ 明治の洋館24選 pp44-48
- ^ a b c d 土田(2013):88ページ
- ^ 土田(2013):88 - 89ページ
- ^ 土田(2013):90ページ
- ^ 土田(2013):90 - 91ページ
- ^ 土田(2013):91ページ
参考文献
- 土田芳孝『茨城の近代建築 東日本大震災後の状況と歴史』筑波書林、2013年8月3日、154p. ISBN 978-4-86004-101-4
- 「明治の洋館24選」淡交社 2009年発行
- 「進修百年 -土浦中学・土浦一高百年の歩み-」土浦第一高等学校 1997年発行
関連項目
外部リンク