藤ヶ谷陽介
藤ヶ谷 陽介 (ふじがや ようすけ、1981年 2月13日 - )は、静岡県 浜松市 中央区 出身の元プロサッカー選手 。ポジション はゴールキーパー 。
経歴
ユース時代
幼少時は父親の影響で野球をやっていた。小学校3年次に中ノ町小学校へ転校したが中ノ町サッカースポーツ少年団の指導者でもあった担任教員に誘われてサッカーを始める。同少年団ではフォワード からゴールキーパー まで全てのポジションを経験した。小学校4年次には浜松市の選抜チームである浜松JFCにゴールキーパーとして選出され、以後重要な試合の際はゴールキーパーとして試合に出た。進学先の天竜中学校サッカー部以降はゴールキーパーに専念。中学生の頃は静岡県西部選抜にも選抜され少しずつゴールキーパーとしてプレーする面白さを感じたという[1] 。
中学校卒業後は磐田東高等学校 に入学しサッカー部に入部。同級生のひとりに古橋達弥 がいた。藤ヶ谷は後年インタビューにて、高校時代にゴールキーパーとしての基本や考え方を教えてもらったと語っている[1] 。
プロ入り後
1999年 、J2 のコンサドーレ札幌 に入団。サッカー部監督の伝手でJリーグクラブに練習参加し、そのうち唯一獲得のオファーがあったのが札幌であった[2] 。同年10月31日のJ2第33節(対戦相手: 川崎フロンターレ )にて74分に佐藤洋平 が退場処分を受けた事に伴う途中交代でJリーグデビュー。その後しばらくは出場機会が多くはなかったもののU-18日本代表 に選出されている。2003年からは佐藤に代わりレギュラーに定着した[1] 。
ユース代表としては、2000年 のアジアユース 、2001年 のワールドユース ともにU-19、U-20日本代表のレギュラーとして日本代表のゴールマウスを守った。
2005年 にガンバ大阪 に移籍した。背番号は22 。当初はベンチに座る日々が続いたが、正GKだった松代直樹 の故障もあって、この年のシーズン後半からレギュラーとなり、G大阪のリーグ初優勝に貢献した。その後も松代と熾烈なレギュラー争いを繰り広げたが、毎年コンスタントに20試合以上に出場した。
松代が引退した2010年 からは背番号を1 に変更。移籍後初のリーグ戦全試合フル出場を果たし、名実ともに正GKに定着した。G大阪の公式応援番組『GAMBA TV〜青と黒〜 』の年末特別企画『GAMBA TV アウォーズ』では、選手とサポーターが選ぶ影のMVPに選出された。2011年 も2年連続で公式戦全試合にフル出場した。
しかし、2012年 は開幕から不安定なプレーを露呈。4月28日 の鹿島アントラーズ 戦では、遠藤康 からのスルーパスをクリアできず空振りし、大迫勇也 にゴールを許したミスを含めて5失点で大敗すると、5月6日 の大宮アルディージャ 戦からは木村敦志 にレギュラーを奪われた。6月26日 に木村が負傷離脱した後は再びレギュラーに戻るも、28試合出場で58失点を喫し、リーグ戦17試合以上に出場したGKの中で最低のセーブ率を記録するなどシーズン通して安定感の欠ける1年となり、チームも終始低迷。最終節のジュビロ磐田 戦で敗れ、J2降格が決まった。
2013年 は、公式戦全試合にスタメンフル出場しガンバのJ1復帰に貢献。シーズン終了後、契約満了に伴い9年間プレーしたガンバからの退団が発表された[3] 。
2014年 、川口能活 が抜けた地元のジュビロ磐田 へ完全移籍[4] 。移籍後は開幕からスタメンを掴んだが、第8節の横浜FC 戦からは八田直樹 がスタメンとなり控えとなった。第16節ファジアーノ岡山FC 戦では八田の負傷により後半開始から9試合ぶりに出場するものの、翌第17節の水戸ホーリーホック 戦から再び控えに回り、結局最後まで出場機会は訪れなかった。
2015年、河田晃兵 の移籍と木村敦志 の引退により、新たに控えGKを探していた古巣のG大阪からオファーを受け、1月15日 に2年ぶりとなる復帰が発表された[5] 。リーグ戦の出場は正ゴールキーパー東口順昭 が負傷交代したことで投入された1試合のみで、他は東口が日本代表に招集されて不在だったナビスコカップ4試合とスルガ銀行CSに出場した。ただほとんどの試合にはベンチ入りしており、緊急時に出場した際も安定感あるプレーを見せた。
2017年 11月29日 、現役を引退することを発表した[6] 。2018年1月15日ガンバ大阪 ジュニアユースコーチ就任を発表した。
人物
個人成績
国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ
リーグ戦
リーグ杯 オープン杯
期間通算
出場 得点
出場 得点 出場 得点
出場 得点
日本
リーグ戦
リーグ杯 天皇杯
期間通算
1999
札幌
21
J2
2
0
0
0
0
0
2
0
2000
0
0
0
0
0
0
0
0
2001
J1
1
0
0
0
1
0
2
0
2002
4
0
0
0
0
0
4
0
2003
J2
37
0
-
3
0
40
0
2004
1
41
0
-
4
0
45
0
2005
G大阪
22
J1
16
0
4
0
2
0
22
0
2006
26
0
2
0
0
0
28
0
2007
28
0
7
0
4
0
39
0
2008
28
0
4
0
5
0
37
0
2009
22
0
2
0
4
0
28
0
2010
1
34
0
2
0
5
0
41
0
2011
34
0
2
0
2
0
38
0
2012
28
0
1
0
0
0
29
0
2013
J2
42
0
-
2
0
44
0
2014
磐田
39
8
0
-
1
0
9
0
2015
G大阪
18
J1
1
0
4
0
0
0
5
0
2016
0
0
4
0
2
0
6
0
2017
1
0
4
0
1
0
6
0
通算
日本
J1
223
0
36
0
26
0
285
0
日本
J2
130
0
-
10
0
140
0
総通算
353
0
36
0
36
0
425
0
その他の公式戦
国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ
リーグ戦
期間通算
出場 得点
出場 得点
日本
リーグ戦
期間通算
2016
G大23
18
J3
4
0
4
0
通算
日本
J3
4
0
4
0
総通算
4
0
4
0
その他の国際公式戦
タイトル
クラブ
コンサドーレ札幌
ガンバ大阪
代表歴
U-18日本代表
U-19日本代表
U-20日本代表
U-21日本代表
脚注
関連項目
外部リンク
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