辻 順治(つじ じゅんじ、1882年7月1日[1][注 1] - 1945年4月13日[2])は、日本の明治から昭和時代戦前にかけて活動した作曲家。陸軍戸山学校軍楽隊第11代楽長を歴任[2]。
現在の山形県鶴岡市出身[2]。
来歴
1882年(明治15年)、山形県西田川郡鶴岡町(現在の鶴岡市)で元大泉藩藩士・辻吉貞の長男として出生[2]。大山尋常高等小学校を卒業後、同校の臨時教員を経て授業傭となった[2]。1899年(明治32年)に教員を辞し、翌1900年(明治33年)に陸軍戸山学校へ入隊する[2]。
1910年(明治43年)、遺英陸軍軍楽隊員に選ばれて3月から12月までイギリスに派遣され、テナー・サクソフォーン演奏を担当する[2]。1927年(昭和2年)5月8日、第11代軍楽隊楽長を拝命、1932年(昭和7年)7月1日付で定年退官した[2]。
退役後は日本ポリドール吹込部長へ転じ、後にビクターレコードへ移籍して洋楽部長に至る。1945年(昭和20年)4月13日死去。享年64(満62歳没)。墓所は郷里の鶴岡にある本鏡寺[2]。
作品
軍歌
- 爆弾三勇士の歌(作詞:与謝野鉄幹、1932年) - 大沼哲(軍楽隊楽長補)との合作。
- 進軍(作詞:児玉花外、1933年)
- 工兵の歌(作詞:陸士第52期生合作、1937年)
- 上海派遣軍の歌(作詞:上海派遣軍司令部、1938年)
- 愛国機(作詞:佐藤惣之助、1943年)
校歌
自治体歌
参考文献
脚注
注釈
出典
関連項目