チャパ・デ・コルソ石碑2号。メソアメリカ最古の長期暦の刻まれている。[7バクトゥン16カトゥン]3トゥン2ウィナル13キン6ベン[18シュル](
紀元前36年 )の日付であるが7バクトゥン、16カトゥン、18シュルの部分が欠損しているので計算で補っている。
長期暦 (ちょうきれき、英 : Long Count , 西 : cuenta larga )とはメソアメリカ文明 でおそくとも紀元前1世紀 頃から使用されはじめた暦 である。周期が非常に長いために、実質上循環しない暦として利用できる。碑文に長期暦が記されている場合にはその絶対年代を知ることができるために重要である。マヤ 諸都市の石碑に刻まれていたことでひろく知られるようになったためにマヤ暦 とされることもあるが、マヤ以外の土地で古くから使われており、マヤ文明に起源するわけではない。
マヤの暦全般については「マヤ暦 」・「マヤ文明#マヤのカレンダー 」を参照
長期暦のサイクル
長期暦は、1日であるキン 、20キンの「月」であるウィナル 、18ウィナルの「年」であるトゥン 、更に20トゥンを1カトゥン 、20カトゥンを1バクトゥン とする単位で構成される。石碑に長期暦の日が刻まれたり墓の壁画に長期暦の日付けが刻まれたりしていると、その日を特定できるため、歴史学上又は考古学上の貴重な資料となる。マヤ研究者は通常バクトゥンから順に「.」で区切って算用数字で長期暦を表す。
名称
日数
備考
バクトゥン
144000
約394年
カトゥン
7200
約19.7年
トゥン
360
約1年
ウィナル
20
キン
1
トンプソン によると、計算のためにバクトゥンより大きな単位も存在し、20バクトゥンを1ピクトゥン、20ピクトゥンを1カラブトゥン、20カラブトゥンを1キンチルトゥン、20キンチルトゥンを1アラウトゥンとした[1] 。1アラウトゥンは約6308万年に相当する。
長期暦の元期 は13.0.0.0.0 4アハウ 8クムクであり、これは先発グレゴリオ暦 で紀元前3114年8月11日にあたるとされる。バクトゥンで0のかわりに13が使われているのは、おそらくツォルキン の日付の計算で13を0として扱うのが拡大解釈されたものであろうという[2] 。キリグア 石碑Cではこの日付に創造説話を関連させている[3] 。一部の碑文では長期暦の5つの数の上にずらっと13を並べたものがある[4] 。
下記のGMT対照法によれば、2012年12月21日にこの13.0.0.0.0(4アハウ 3カンキン)に至る。ただし、近年騒がれている周期に終わりがあるかのような解釈については、マヤ古来のものでなく西洋 的な見方であるとして否定的な見解もある[5] 。ドレスデン絵文書 には元期より以前の紀元前3115年3月20日の日付も扱われており[2] 、元期に終末が来るように考えられていたようではない。
西暦との対応関係
西暦 との対応については以前はスピンデン対照法 (Spinden Correlation)という換算法とGMT対照法 (GMT Correlation)という2つの換算法の間で論争があったが、現在はGMT対照法が2,3日のズレはあるがほぼ正しいという結論に落ち着いている。[要出典 ]
起源及び最古の資料
長期暦の最も古い資料は7バクトゥンを表すもので(cycle7の資料と呼ばれる)、7バクトゥンのはじまる紀元前354年 頃から紀元前30年 くらいの時期にcycle7の資料が集中する付近に住むチャパス州 北部とタバスコ州 に住む先住民ソケー やオアハカ州 北東部に住む先住民ミヘー の人々によって発明されたと推察されている。ラ・モハーラ やトゥシュトラの小像 に刻まれている碑文や銘文がかれらの言語を当てはめると解読できると主張する学者もいるからである(ラ・モハラの文字 を参照)。
確実に最古の日付けが刻まれているとされるのは、メキシコ・チャパス州のチャパ・デ・コルソ (Chiapa de Corzo)の石碑2号である〔7バクトゥン16カトゥン〕3トゥン2ウィナル13キン6ベン 〔18シュル 〕(7.16.3.2.13 = 紀元前36年 。角括弧内は計算により補った箇所。以下、長期暦の単位を「.」で略す)の日付けが刻まれている。ただしグアテマラ のアバフ・タカリク の石碑2号の日付けはカトゥン以下が欠損しているためはっきりしないが、カトゥンの「位」が6であれば7.6.0.0.0.として一番古くて紀元前235年 までさかのぼることになる。また仮に16であっても7.16.0.0.0.であれば、紀元前38年 になるので最も古くなる可能性を持っている。7.16.19.17.19であれば紀元前18年 に当たる。
以下紀元2世紀 のものまで挙げると、
マヤの長期暦の資料
マヤで長期暦を記した最古の資料とされるものにハウバーグの石碑 (紋章文字 が刻まれているがどの遺跡のものか比定できない)があり、〔8.8.0.7.0.〕3アハウ 13シュル (紀元199年 )とされるが、欠損が多い。これを除くともっとも古い日付はティカル 石碑29号の8.12.14.8.15(292年)になる。
マヤ中心部の都市国家は9世紀に次々に崩壊し、10世紀にはいるとほとんど長期暦は記されなくなった。トニナ のモニュメント101号 10.4.0.0.0(909年1月15日)が確実なものではもっとも遅い日付を表している[6] 。イツィムテ石碑6号は10.4.1.0.0(910年)の日付が記されているともいう。
短期暦
スペイン人がマヤの地を訪れたときにはもはや長期暦は使われていなかったが、それを簡単にした短期暦が後古典期 のマヤ低地で使われていた。この暦は『チラム・バラムの書 』のような後世の書物にも使われている。短期暦ではバクトゥンを使わず、カトゥンをその最後の日のツォルキン による日付で呼んだ。この方式では13カトゥン(93600日、256年強)で一周する[7] 。カトゥンの日数(7200日)は20の倍数なので、20日周期は常にアハウになる。また、7200 = 13 × 553 + 11 なので、13日の数字は11ずつ進む。
注釈
^ J. Eric S. Thompson (1950). Maya Hieroglyphic Writing: Introduction . Carnegie Institution of Washington. pp. 314-316. http://www.mesoweb.com/publications/Thompson/Thompson1950-Appendix-IV.pdf
^ a b Closs, Michael P. (2001). “Long Count”. The Oxford Encyclopedia of Mesoamerican Cultures . 2 . Oxford University Press. pp. 139-141. ISBN 0195108159
^ Robin Heyworth (2014-06-30), Quiriguá: The Maya Creation Stones , Uncovered History, https://uncoveredhistory.com/guatemala/quirigua/the-maya-creation-stones-of-quirigua/
^ D. Freidel; L. Schele ; J. Parker (1995). Maya Cosmos: Three Thousand Years on the Shaman's Path . William Morrow. p. 62. http://research.famsi.org/schele_list.php?_allSearch=Coba&hold_search=&tab=schele&title=Schele+Drawing+Collection&x=34&y=12
^ マヤ・カレンダー (NAGA K'U 奥義学校)
^ Martin, Simon; Grube, Nikolai (2000). Chronology of the Maya King and Queens . Thames & Hudson. p. 189. ISBN 0500051038
^ Coe, Michael D. (1999) [1966]. The Maya (6th ed.). Thames and Hudson. p. 165
関連項目
外部リンク
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