BLANKEY JET CITY (ブランキー・ジェット・シティ)は、日本 の3人組ロックバンド 。
1987年 2月に結成、2000年 に解散。略称はBJC 、ブランキー 。
メンバー
ほぼ全ての楽曲において作詞・作曲。
照井利幸 (てるい としゆき、愛知県出身、1964年2月28日 - )ベース
中村達也 (なかむら たつや、富山県出身、1965年1月4日 - )ドラムス
来歴
1980年代
名古屋で浅井、照井がスキャッツというバンドで活動。その後浅井が上京し、友人である中村と活動を共にする。しばらくして中村が所属していたF.O.A.Dのツアーに運転手として雇われていた浅井が照井と名古屋で再会。それがきっかけで照井も上京。
1987年
2月 - 浅井・照井がバンドとして活動を開始する際に、中村が加わり「THE BLANKEY JET CITY 」を結成。結成当初は他のドラマーがおり、中村はバンドのマネージャーをしていたが浅井、照井、中村の3人でセッションして手応えを感じたことからその後中村はドラマーとして正式にメンバーに加入。
1990年
8月4日 - 中村達也の提案で「イカ天 」に出演[2] 。これが彼らのテレビ初出演となった。1週目に「CAT WAS DEAD」を演奏、COLLAGEを下し、25代目イカ天キングとなった。2週目には、「MOTHER」を演奏。この週は有機生命体を5-2で下し、イカ天キングを保持した。そして3週目は、「不良少年のうた」を演奏し、So What!に7-0で勝利。4週目は、「僕の心を取り戻すために」を演奏し、審査員に好評だったウェザーコックスに7-0で勝利。そして最後の5週目は、「狂った朝日」を演奏、CHICK BEに勝利、5週連続勝ち抜きを果たし、第6代グランドイカ天キングを獲得し東芝EMI と契約。デビュー前に山本耀司 のパリコレ のモデルやウォークマン のCMに出演。
1991年
4月 - ロンドンでレコーディングされたデビュー・アルバム『Red Guitar And The Truth 』を東芝EMI からリリース。オリコン 初登場8位と好セールスを記録したが、プロデューサーであったJEREMY GREENとの意見が合わず、不満の残る仕上がりとなった[3] 。当初プロデュースはビル・プライスを予定していたが条件が合わず、プライスのアシスタントだったJEREMY GREENが担当した。
6月 - 神宮プール で行われた「東京コレクション」に登場。デニス・ホッパー と同じステージに立つ。
1992年
1月 - 2ndアルバム『Bang! 』をリリース。同アルバムから土屋昌巳 がプロデュースを担当。「RAIN DOG」「SOON CRAZY」「ディズニーランドへ」など解散まで主要レパートリーとして取り上げる代表曲を多数収録し、オリコン初登場7位を記録する。
2月 - ミュージックステーション 初出演を果たし、「とにかく全ての人たちに自分たちの曲を聴いて欲しい」というメッセージと共に「冬のセーター」を演奏した。ちなみに浅井はタモリ と一言も会話を交わさなかった。この時制作されたバンドロゴのセットはその後のライブでも使用された。
9月 - ライブ・アルバム『Live!!!』をリリース。同年5月4日の渋谷公会堂でのライブを収録。CDには収録されなかったがアンコールにてPUNKY BAD HIPの原曲となる「たちの悪い友達」を披露する。
11月 - 初期の代表曲「悪いひとたち」をシングルとしてリリース。歌詞に「麻薬」という言葉が入っているため東芝EMIからはリリースされず、バンド自身の事務所であった「東京ピストル」からリリースされた。後に3rdアルバム『C.B.Jim』に収録されたものとは別バージョンであり、ストリングスが後半部分にダビングされていない。
1993年
1994年
5月 - 4thアルバム『幸せの鐘が鳴り響き僕はただ悲しいふりをする 』をリリース。この頃にバンド名から定冠詞「THE」が抜け「BLANKEY JET CITY 」と名乗るようになる。
12月 - 初の日本武道館ライブを行う。
1995年
3月 - ベスト・アルバム 『THE SIX 』をリリース。これにはデビュー・アルバム『Red Guitar And The Truth』から新録された4曲(唯一、「不良少年のうた」は「Rude Boy」という曲名に変わっている)、更に「悪いひとたち」の完全バージョンが収録されている。このバージョンは『C.B.Jim』に収録されたバージョンの完全版である(ストリングスが導入され、「麻薬」という単語がカットされていない)。
6月 - イングランド にて初の海外ライヴを行う。結成当初より個性の強い3人が激しくぶつかり合う音楽性のため、解散の話は絶えず出てきたが、このロンドンツアーにて一度解散を決意。5thアルバム『SKUNK 』完成後、同年8月に行われる代々木公園でのライブを最後にする予定[要出典 ] であった。
8月 - 代々木公園野外ステージにて「Are You Happy?」と題されたフリーライヴを敢行。13000人もの動員を記録した。この時のライブの出来がメンバー3人にとって会心の出来だったため、解散の予定が消滅する[要出典 ] 。
11月 - 5thアルバム『SKUNK』をリリース。前作のオーバープロデュースの反動から、途中からほぼバンド自身のセルフプロデュースとなり、本作を最後に、土屋昌巳のプロデュースから離れる。ロンドンでのレコーディング風景は「ARE YOU HAPPY?」に収録。
1996年
1997年
1998年
1月 - 東芝EMI在籍時楽曲を集めたベスト・アルバム「国境線上の蟻 」リリース。
6月 - 7thアルバム「ロメオの心臓 」をリリース。本作は発売から1週間で30万枚以上のセールスを記録する。
1999年
2000年
2003年
HMV によるTop 100 Japanese pops ArtistsのNo.73に選ばれる[4] 。
2008年
過去のアルバム作品をSHM-CD &紙ジャケット 仕様で再発。
未発表曲・未音源化楽曲をまとめたアルバムのリリースが発表された。
2012年
ラストツアーへ密着した映像に再編集を施した劇場版『VANISHING POINT』の公開を発表。
2013年
1月26日、全国期間限定で『VANISHING POINT』公開。1月30日、DVD・Blu-ray『VANISHING POINT』リリース。『VANISHING POINT』公開を記念して、解散までに発表してきたシングル曲をコンプリートした『COMPLETE SINGLE COLLECTION SINGLES 』を3月27日に発売。同時に、"BJCキャンペーン"と題し、過去のアルバム作品をSHM-CDにて、過去のDVD作品を廉価版にて再発。
2024年
概要
デビュー当時から1994年初期までは、「THE BLANKEY JET CITY」であった。サインを書く際に面倒であるためTHEが抜けた。
メンバーの関係
浅井と中村は、中村の所属するバンドを浅井が観客として観に行く形で出会い、浅井と照井は名古屋のディスコで出会った。初期から中期にかけては浅井と照井がセッションを行って作曲を進めていくことが多かったため、まれに意見が対立する場合もあったという[要出典 ] が、その間で中村達也がバランスをとっていた。解散後は、2002年に照井が所属してたROSSOと中村のLOSALIOSが3バンド合同ツアー「WEEKEND LOVER」を行い、共演を果たしている。浅井と照井はサーフィンをきっかけにPONTIACSを結成。その他にもLOSALIOSや浅井のソロアルバムでメンバーの1人とが共演することはたびたびあったが、3人だけでステージに立ったことはない。プライベートの場では浅井と中村が共演し「ガソリンの揺れ方」を披露したことがある。
解散の理由
3人共冒険好きなので、新たなる冒険に旅立ちたい。
ミュージックステーションで浅井健一が語ったところによると「色々あるんですよ」
評価・影響
海外でのライブ
BLANKEY JET CITYは定期的に、ロンドンやロサンゼルス、ニューヨークなどでライブを行っていた。初の海外ライブはロンドンにて1994年10月26日。1曲目は「Rude Boy」。
1994年10月26日、29日:「THE SIX」に収録するため、既存曲のリテイクと新曲のレコーディングのためにロンドンに渡った際に、2度ライブを実施。演奏曲は「Rude Boy」「3104丁目のダンスホールに足を向けろ」「嘆きの白」「Punky Bad Hip」「車泥棒」「D.I.Jのピストル」「鉄の月」「死神のサングラス」「Baby Baby」など。実現はしなかったが、「Dust & The World」の案もあった。
1995年:「SKUNK」のレコーディングの合間に同じくロンドンでライブを実施。この模様は「Are You Happy?」にて確認できる。演奏曲は「SKUNK」「D.I.Jのピストル」「Dynamite Pussy Cats」など
ディスコグラフィ
シングル
非売品シングル
発売日
タイトル
備考
1992年2月21日
My Way/僕の心を取り戻す為に
ウォークマンのCMソング・タイアップ。「冬のセーター」と「BANG!!」連動した購入特典によって抽選により得られる作品。 同封の用紙に「2.21 ミュージックステーション出演決定!」と記されてあったものの、地域により2月22日以降に届けられた所もあった。My Way は2013年 発売のベスト盤にボーナス・トラック で収録された。
1993年5月22日
SOON CRAZY (Unplugged Version)/ガードレールに座りながら (Unplugged Version)
限定1万部発行の写真集『BJC』の付属CD「Unplugged」に収録
1995年8月26日
fifteen
代々木公園のフリーライヴで配られたデモCD。 (「15才」の原曲)長らく一般入手は困難であったが、2009年発売のRARE TRACKSに収録された。
アルバム
スタジオ・アルバム
発売日
タイトル
規格品番
オリコン最高位
備考
1st
1991年4月12日
Red Guitar And The Truth
TOCT-6087
8位
2nd
1992年1月22日
Bang!
TOCT-6380
7位
3rd
1993年2月24日
C.B.Jim
TOCT-6910
8位
1stmini
1993年12月1日
Metal Moon
TOCT-8149
12位
6曲入りミニ・アルバム
4th
1994年5月25日
幸せの鐘が鳴り響き僕はただ悲しいふりをする
TOCT-8372
5位
5th
1995年11月22日
SKUNK
CD: TOCT-9240 ANALOG: TOJT-9241
20位
アナログ盤収録曲 SIDE-A:
Skunk
Dynamite Pussy Cats
15才
Hell Inn
くちづけ
斜陽
SIDE-B:
Snow Badge
Romance
Fringe
Purple Jelly
6th
1997年6月18日
LOVE FLASH FEVER
POCH-1633
6位
7th
1998年6月24日
ロメオの心臓
POSH-1708
7位
8th
2000年5月10日
Harlem Jets
CD: POCH-1919 ANALOG: POJH-1049
2位
アナログ盤収録曲 SIDE-A:
バナナのとりあい
PANTERA
CAMARO
DERRINGER
Come On (Version 2)
SIDE-B:
SEA SIDE JET CITY (Virgin Take)
SALINGER
不良の森
JET RAG(CD未収録)
ライブ・アルバム
発売日
タイトル
規格品番
オリコン最高位
備考
1992年9月30日
LIVE!!!
TOCT-6685
29位
1992年5月4日、渋谷公会堂でのライヴ
2000年9月20日
Last Dance
CD:UPCH-1005/6 ANALOG:UPJH-1003/4
5位
CDは2000年7月8日、横浜アリーナ"LAST DANCE"1日目をフル収録 アナログ盤は2000年7月9日、横浜アリーナ"LAST DANCE"から厳選された全18曲。全曲アナログのためのオリジナルMIX アナログ盤収録曲 Side-A:
CAT WAS DEAD
SALINGER
SKUNK
ガソリンの揺れかた
Side-B:
SATURDAY NIGHT
DERRINGER
SWEET DAYS
RAIN DOG
ロメオ
Side-C:
PUNKY BAD HIP
SESSION
D.I.J.のピストル
ぼくはヤンキー
赤いタンバリン
Side-D:
悪いひとたち
冬のセーター
BABY BABY
2009年1月21日
MONKEY STRIP ACT2
TOCT-95019
20位
1994年6月25日・川崎CLUB CITTA' にて昼夜2回行われたライヴの2回目を収録。なお、1回目のライブは過去に映像として発表されている。
ベスト・アルバム
発売日
タイトル
規格品番
オリコン最高位
備考
1995年3月1日
THE SIX
CD: TOCT-8740 ANALOG: BIE-0001
9位
「Red Guitar and the Truth」から数曲、再録音された楽曲が収録。 アナログ盤収録曲 Side-A:
ガードレールに座りながら、(OUT TAKE VERSION) (CD未収録)
胸がこわれそう (NEW VERSON)
D.I.Jのピストル
Rude Boy[不良少年のうた] (NEW VERSION)
RAIN DOG
Side-B:
自由
冬のセーター
ディズニーランドへ
風になるまで
1998年1月21日
国境線上の蟻
TOCT-10168
10位
未発表曲「水色」、「John Lennon」、アルバム初収録曲「悪いひとたち (Live Version with orchestra: at NHK HALL,16,JAN,1994)」収録
2000年10月25日
Blankey Jet City 1991-1995
TOCT-24419
8位
東芝EMI時代の全楽曲から選曲されたベスト・アルバム。 未発表曲「ハイヒール」、「フレッシュ」、アルバム初収録「いちご水」収録
Blankey Jet City 1997-2000
UPCH-1017
7位
ポリドール時代の全楽曲から選曲されたベスト・アルバム。 未発表曲「古い灯台-The first half-」、「黒い宇宙」収録。 アルバム未収録のシングル曲カップリング曲も多数収録されている。
2009年1月21日
RARE TRACKS
UPCH-9455
19位
ユニバーサル時代のシングルのカップリングを中心に、未発表テイク・アナログバージョンなどを含めたコンピレーション。
2013年3月27日
COMPLETE SINGLE COLLECTION 『SINGLES』
UPCY-6688/9
39位
解散までに発表してきたシングル曲をコンプリート。「My Way」をボーナス・トラックに追加。※悪いひとたちのみ完全Version。
未発表曲
DUST & THE WORLD
腐った野苺
LOOKING FOR BABY
二人なら
たちの悪い友達 (Punky Bad Hipの原曲)
※上記以外にもタイトル不明のセッション風楽曲がライブで数多く演奏されている。
映像作品
発売日
タイトル
備考
ライブ
VIDEO:1992年4月22日 DVD:2002年3月27日
DOG FOOD
1992年2月12日・渋谷公会堂でのライヴを収録。
ライブ
VIDEO:1994年6月26日 DVD:2002年5月16日
Angel Fish (VIDEO)Angel Fish Complete Edition (DVD)
1994年1月16日・NHKホールでのライヴを収録。インディーレーベル「東京ピストル」からのリリース。 DVDはVIDEOに収録されなかった演奏も全て収録された完全収録版のComplete Editionとして発売。
ライブ
VIDEO:1994年9月28日 DVD:2002年5月16日
MONKEY STRIP
1994年6月25日・川崎クラブチッタにて昼夜2回行われたライヴの1回目を収録。
ライブ&ドキュメンタリー
VIDEO:1995年12月13日 DVD:2002年3月27日
Are You Happy?
1995年8月26日・代々木公園野外ステージで行われたフリーライヴ『Are You Happy?』の模様と、ドキュメンタリー映像『We Are Happy.』を収録。
MV集
VIDEO:1995年8月28日 DVD:2002年3月27日
BLANKEY JET CITY SOLO WORKS
ソロプロジェクトMV集第1弾。1996年のソロ活動を収録
MV集
VIDEO:1998年10月7日
BABYFACE PRESIDENT
MV集第1弾。ガソリンの揺れ方~ダンデライオンまでの曲を収録。
ライブ
VIDEO:1998年12月2日 DVD:2002年5月16日
BARRACUDA
1998年3月5-6日・渋谷公会堂、4月11-12日・赤坂BLITZ、7月11-12日・日比谷野外音楽堂にて行われたライヴを収録。
MV集
VIDEO:1999年11月10日 DVD:2002年5月16日
BLANKEY JET CITY SOLO WORKS II
ソロプロジェクトMV集第2弾。1999年のソロ活動を収録
MV集
VIDEO:2000年7月26日
CANDY OR HELL
MV集第2弾。SWEET DAYS~Harlem Jetsまでの曲を収録。
ライブ
VIDEO・DVD:2000年9月20日
LAST DANCE
オリコン4位。2000年7月8-9日・横浜アリーナでのラストライヴより7月9日の模様をノーカットで収録。
ヒストリー
DVD:2001年7月11日
WORKS 1990-2000
BLANKEY JET CITYの歴史を総括したDVD。第6代目グランドイカ天キングからFUJI-ROCK FESTIVAL'00までの、ライブ映像、オフショット、インタビュー等を収録。
MV集
DVD:2002年5月16日
CLIPS
オリコン49位。「BABYFACE PRESIDENT」と「CANDY OR HELL」を1枚にまとめてDVD化
映画
DVD:2013年1月30日
VANISHING POINT
映画
VANISHING POINT (2013年1月)
写真集
タイアップ一覧
ミュージックビデオ
監督
曲名
丹修一
「左ききのBaby」「赤いタンバリン」「小さな恋のメロディ」
中野裕之
「ダンデライオン」
メディア出演
テレビ番組
ラジオ番組
映画
東京の休日 (1991年) - ライブハウスのロックバンドとして出演
関連バンド
浅井健一
照井利幸
中村達也
交友関係
セカンドアルバム「Bang!」から5枚目のアルバム「SKUNK」までプロデューサーを務めた。
藤井フミヤとBLANKEY JET CITY のメンバーは交流が深い。ミュージックステーションによると良く飲みに行く仲だとのこと。藤井フミヤによると、BJCの3人は酔っ払っても意外とおとなしいらしい。浅井は藤井フミヤに『マリア』という曲を提供している。
同時期に活動していたこともあり、プライベートでも交流が深い。
関連項目
脚注
注釈
^ 楽曲が起用された年ではなく、音源化された年で記載
^ インスト。モデスト・ムソルグスキー作曲のクラシック楽曲。
^ フジテレビ系『NONFIX 』で天野喜孝を特集した時にも起用された
出典
外部リンク
司会 歴代イカ天キング☆はグランド イカ天キング イカ天キング 以外の主な 出身バンド 主な審査員 関連項目