カール・ウエレ (Carl Ouellet 、1967年 12月30日 - )は、フランス系カナダ人 のプロレスラー 。カナダ のケベック州 セント・キャサリン出身。
ジャック・ルージョー とのタッグチーム 「ザ・ケベッカーズ (The Quebecers )」や海賊 ギミック の「ジャン=ピエール・ラフィット (Jean-Pierre Lafitte )」など、1990年代 のWWF で中堅ヒール として活躍した[ 1] [ 2] 。
来歴
1987年 に地元ケベック のモントリオール にてデビュー[ 3] 。インディー団体でキャリアを積んだ後、ネオナチ ・ギミック のキラー・カール・ウォレス (Killer Karl Wallace )に変身してカルロス・コロン の主宰するプエルトリコ のWWC に参戦[ 1] 。1992年 5月には、クラッシュ・ザ・ターミネーターことビル・デモット のタッグパートナーとして、バッシュ・ザ・ターミネーター (Bash the Terminator )のリングネーム でW★INGプロモーション に初来日している[ 1] 。
WWF時代
1993年 、ケベック人 の先輩ジャック・ルージョー の仲介でWWF に登場。ジャックのパートナーとなってピエール (Pierre )と名乗り、マウンティー ・スタイルのザ・ケベッカーズ (The Quebecers )を結成。ジョニー・ポロ をマネージャー に迎え、9月13日にリック とスコット のスタイナー・ブラザーズ からWWF世界タッグ王座 を奪取した[ 4] 。以後、マーティ・ジャネッティ &1-2-3キッド やモー とメイブル のメン・オン・ナ・ミッションにタイトルを奪われるが、いずれも短期間で奪還、1994年 4月26日にサムゥ とファトゥ のザ・ヘッドシュリンカーズに敗れるまで、同王座を通算3回獲得した[ 5] 。
1995年
1995年 、ジャックの一時引退に伴いシングル・プレイヤーに転向。少年時代にエアガン の事故で右眼の視力を失い隻眼 であったことから[ 3] 、黒いアイパッチ を付けた海賊 ギミックのジャン=ピエール・ラフィット (Jean-Pierre Lafitte )に変身する[ 6] 。ルイジアナ州 ニューオーリンズ のフレンチ・クオーター 出身を自称し、実在したフランス 移民 の海賊ジャン・ラフィット の末裔という設定のもと、入場中のブレット・ハート を急襲してリングコスチュームを強奪。以降、短期間ながらブレットとの抗争アングル が組まれ、PPV シリーズの『イン・ユア・ハウス 』では、7月23日と9月24日の2回に渡って両者のシングルマッチが行われた[ 7] 。
また、ホームタウンのケベック州モントリオールで開催されたハウス・ショー では当時のWWF世界ヘビー級王者ディーゼル と対戦。当初、この試合はウエレが地元で勝利を飾るはずだったが、当時WWFのバックステージにおいて発言力を増大させていたクリック のショーン・マイケルズ の反対に遭い、ダブル・カウントアウトの引き分けに終わっている[ 3] [ 8] 。その後まもなく、ウエレはWWFを離れた。
WWF以降
1996年 9月よりWCW に移籍し、アメイジング・フレンチ・カナディアンズ (The Amazing French Canadians )とチーム名を変更してジャック・ルージョーとのコンビを再結成。ナスティ・ボーイズ やハーレム・ヒート とも対戦して、モントリオールではザ・ジャイアント とのシングルマッチも組まれたが[ 9] 、WWF時代のような活躍はできず翌1997年 の半ばにWCWを解雇された[ 3] 。
以後、オットー・ワンツ の主宰するドイツ ・オーストリア のCWA 遠征を経て、1998年 にジョバー のポジションでWWFに復帰。7月14日の『ロウ・イズ・ウォー 』では "WWF Brawl for All " の一回戦でスティーブ・ウィリアムス に敗退した[ 10] 。その後は当時のWWFのファーム団体だったテネシー州 メンフィス のPPWにて、クリス・キャノンボール (Kris Kannonball )のリングネームで活動[ 9] 。1999年 7月には、ピエールの名義で全日本プロレス に来日している[ 9] [ 11] 。
2000年 は本名のカール・ウエレとしてECW に参戦、フィラデルフィア のECWアリーナ にてジャスティン・クレディブル のECW世界ヘビー級王座 に挑戦した[ 12] 。同年下期にはWCWに短期間再登場し、ランス・ストーム 率いるチーム・カナダに加入。8月14日の『マンデー・ナイトロ 』にて前王者ストームからWCWハードコア王座 を譲り受けたが、同夜にノーマン・スマイリー に奪取された[ 13] 。
その後、IWAプエルトリコ などを経て、2003年 に覆面レスラー のX に変身してTNA に登場、クリストファー・ダニエルズ やサンジェイ・ダット を相手に試合を行った[ 8] 。以降はPCO ことピエール・カール・ウエレ (Pierre Carl Ouellet )を正式なリングネームに、IWS(International Wrestling Syndicate )やTOW(Top of the World Wrestling)などモントリオールのインディー団体で活動。WWE のダーク・マッチ にも時折出場して、2007年 から2008年 にかけてはトミー・ドリーマー やチャーリー・ハース と対戦した[ 8] 。2009年 5月30日には、IWSの10周年記念興行にて因縁のケビン・ナッシュ をタップアウト させている[ 14] 。
2011年 2月8日、ケベックのラジオ局のインタビューにて引退を声明[ 15] 。前年の2010年 6月19日にTOWで行われたデズモンド・ウルフ 戦が引退試合となった[ 2] 。
現役復帰
2016年 5月21日、ケベック州で開催されたイベントで現役復帰。以降、GCWやPWG などのインディー団体で活動。
2018年 12月1日、ROH との独占契約を発表[ 16] 。2019年 3月にROH世界タッグ王座 とROH世界6人タッグ王座の2冠王となり、12月13日にはルーシュ を破りROH世界王座 を獲得した[ 2] 。
得意技
獲得タイトル
WWF
ROH
NWA
CWA
WCW
インターナショナル・レスリング・シンジケート
トップ・オブ・ザ・ワールド・レスリング
脚注
外部リンク