XJ220 は、イギリス の自動車メーカーであるジャガー がかつて販売していたスポーツカー 。車名は最高速度220マイル 時(約354 km/h)を目標としていたことに由来する。
概要
インテリア
エンジンルーム
元々はジャガー社内の技術者たちが、サークル活動の一環として開発したものが発端となっている。1988年 のバーミンガムモーターショー にてプロトタイプが公開された[ 2] 。
ボディパネルはアルミニウム 製で、シャシーはアルミハニカム をアルミ板で挟んだパネルによるモノコック 構造。フロントには可変式のスポイラー を装備。サスペンション はダブルウィッシュボーン式 を採用し、レーシングカー並みのセッティングを施していた。
ボディのデザインは、幻に終わったレーシングプロトタイプ「XJ13 」をモチーフとした。インテリアはコノリーレザー 製高級レザー ハイドのトリム、ウィルトン 製ウール カーペットなど、レーシングカーに準じた性能とは裏腹に豪華なものであった。テールランプ はローバー・200 から流用されている。
エンジンは、グループC カーのXJR-11 やIMSA-GTP カーのXJR-10 に使用されていたJRV-6 (英語版 ) V型6気筒 DOHCツインターボ をミッドシップに搭載する。ドライサンプで水冷式ターボチャージャーと空冷式インタークーラーを備え、ボアφ94mm×ストローク84mmで排気量は3,498cc。最高出力は500hp(373kW)/6,500rpm、最大トルクは472lb/ft(640Nm)/5,000rpm[ 1] 。駆動方式は後輪駆動である。
ホイールはフロント9J17、リア14J18のアルニミウム製センターロック式。タイヤサイズはフロント245/40ZR17、リア345/35ZR18[ 1] 。
最高速度は目標の220マイル時には届かなかったものの、カタログで「200マイル時以上」を謳い、実測値も347 km/h(216マイル時)で当時としては世界最速だった。0-100 km/h加速も3.9秒と、高いポテンシャルを持っていた。
経緯
ショーデビュー当初はまだ市販が決定していなかったが、たちまち1,500台に及ぶ注文が殺到し、のちにトム・ウォーキンショー・レーシング (TWR)との連携で市販が決定した。デビュー当初は6 L V型12気筒 DOHC エンジンをミッドシップ に搭載したフルタイム四輪駆動 車になる予定であったが、これでは重量があまりにも大きくなりすぎることが判明し、パワートレインの大幅な変更を余儀なくされた。
市販モデルは1991年 の東京モーターショー で発表された。価格は29万ポンド(当時の為替レートで約6,900万円)で、当初は車名にちなんで限定220台の予定だったが、世界的な好景気により注文が殺到し、急遽生産台数が350台にまで引き上げられた。
前述のエンジンの問題を解決するため、実際のデリバリーは1992年 まで遅れるが、時を同じくして世界的な不況に見舞われる。さらにはV型12気筒エンジンが搭載されないことへの不満や、同時期にTWRが発表したXJR-15 と市場が競合してしまったことなどから、その高いポテンシャルにもかかわらず最終的には281台ほどしか売れず、日本への正規輸入も行われなかった。
レース参戦
1993年のル・マン24時間レース のカテゴリー4(GTクラス)に、XJ220のレーシングバージョンである「XJ220C 」が3台出走。うちジョン・ニールセン /デビッド・ブラバム /デビッド・クルサード 組が総合15位・クラス優勝を果たしたが、2週間後に排気系のレギュレーション違反が発覚して失格となった。
その後も度々出場しているが、スポーツカーとして、そしてレーシングマシンベースとしては大柄なボディが災いし目立った成績を残せないまま1995年前後にサーキットから去っている。1995年のル・マン24時間レース にリチャード・パイパー 率いる「PC Automotive」から2台エントリーした内の一台は、後にナンバーを取得し、現在は日本に存在すると言われている。
関連項目
参考文献
脚注
^ a b c d e f g 『スポーツカーカタログ見聞録』p.125。
^ 『スポーツカーカタログ見聞録』p.122。