ジャック=アンリ・マリー・サバン・ラフィット(Jacques-Henri Marie Sabin Laffite, 1943年11月21日 - )は、フランス出身の元レーシングドライバー。「ジャック・ラフィー」と呼ばれることもあり、これはフランス語に近い表記とされることもあるが実際にはフランス語でもLaffiteは「ラフィット」に近い発音である[1]。
プロフィール
パリ出身。父は弁護士で[2]、少年時代から常に一緒に行動するような友人に、のちにルノー・ワークスなどで活躍したF1ドライバージャン=ピエール・ジャブイーユがおり、ジャブイーユ家とラフィット家はフランス中部にあるリゾート地に別荘を共同所有しているような強い絆がある関係だった。ラフィットとジャブイーユは成長後、義兄弟(お互いの妻が姉妹。ジャブイーユの妻の名前はジェヌヴィエーブ、ラフィットの妻はベルナデット。)となった[2]。
ラフィットのレーシングドライバーとしてのスタートは極めて遅く、モータースポーツに関わり始めたのが23歳、レースデビューが26歳という遅咲きである。1973年に30歳でフランスF3チャンピオンを獲得。翌年に30歳を超えてからのF1デビューであった。1975年のヨーロッパF2シリーズで6勝を挙げチャンピオン獲得、1974年・1975年とF1に参戦初期の弱小チームだったウィリアムズから参戦。同年の11月には来日し、JAFグランプリF2000クラス(のちの全日本F2)にスポット出場している[3]。
1976年、F1に1カー体制で新規参入したフランスチーム・リジェのエースドライバーに就任。1977年スウェーデングランプリで自身にとってもリジェにとっても初となるF1勝利を挙げる。同年第3戦南アフリカグランプリでは、コースマーシャルと衝突した弾みで飛んできた消化器により即死状態だったトム・プライスの車が自車と接触して止まる事になった。同年11月には前年に続いて来日し、全日本F2000選手権最終戦・鈴鹿を独走で制している[4]。なお。この優勝は日本のトップフォーミュラにおける初の外国籍選手の優勝であった[5]。
1979年からリジェは2カーエントリーに拡大され、ティレルで勝利を挙げていたパトリック・デパイユが加入し、ラフィットと優勝経験を持つフランス人コンビを組んだ。ニューマシン、リジェ・JS11の戦闘力は高く、ラフィットは開幕から2連勝を挙げてチャンピオン争いに絡んだ。年間ドライバーズランキングは4位、リジェのコンストラクターズランキングは3位と躍進のシーズンとなった。
1980年、移籍したデパイユに変わりディディエ・ピローニが加入しチームメイトとなる。改良型のJS11/15をドライブしドイツGPで優勝、年間ランキング4位を獲得。コンストラクターズ選手権では2位とリジェの最高順位となる結果を残した。
1981年、リジェにルノー・ワークスからジャブイーユが移籍してきたため、「義兄弟コンビ」となった。ラフィットはリジェ・JS17で2勝を挙げ、最終戦で優勝すればワールドチャンピオンを獲得できるポジションに付けていたが、ランキング4位で終了。3年連続でドライバーズランキング4位につけるなど安定した年間成績を残した。同年のスペインGPでは、予選終了時刻前に自身のタイムアタックを終えると最終結果を確認せずに切り上げてゴルフに出かけてしまった。結果はポールポジションを獲得し、決勝ではわずか0.211秒差及ばず2位となっている(このレースの優勝者はフェラーリのジル・ヴィルヌーヴであるが、1位から5位までがわずか1.231秒の差でフィニッシュする接戦であった。3位はジョン・ワトソン、4位はカルロス・ロイテマン、5位はエリオ・デ・アンジェリス)[6]。1982年オフに7年過ごしたリジェからウィリアムズへの復帰が決定。この1981年がラフィットのキャリア・ピークであり、すでに38才となっていた。
1983年はケケ・ロズベルグと共にウィリアムズ・FW08Cを駆り、最終戦南アフリカGPでは同年にF1復帰したホンダがV6ターボエンジンをウィリアムズに供給開始時のドライバーとなった。
1985年、リジェに復帰。チームメイトはアンドレア・デ・チェザリス。ラフィットは3度表彰台に登壇するなど速さを取り戻し、ランキング9位を得る。
1986年もリジェに残留。ルネ・アルヌーとフランス人コンビを組み、ルノー・ターボエンジンを搭載するリジェ・JS27をドライブとオーナーのギ・リジェが望んだオール・フレンチ体制となった。開幕戦ブラジルGPで3位表彰台、デトロイトGPで2位表彰台に立つなど、42才にして衰えの知らない元気な姿を見せていた。第9戦イギリスGPでは、当時のF1最多出走記録であったグラハム・ヒルの出走数176に並んだ。しかし、決勝レースがスタートしタイ記録が達成された直後、多重事故によりラフィットはコース右側のグリーンに押し出され、ガードレールに正面から突っ込んでしまい両足の複雑骨折を負った[7]。以後F1への復帰を目指しリハビリテーションに励み、「松葉杖も要らなくなったし、あと2年はグランプリで走る自信がある」とF1復帰を望んでいた[8]。その後リジェとは1989年までテスト・リザーブドライバーとして契約しており[9]、1987年のJS29、1988年のJS31についてはマシンの出来が不調でシーズン中に大きなモデファイを必要としたため、その改良具合を確認するテスト走行をラフィットが担当するまでに回復していたが、実戦に復帰することはなかったため、この86年イギリスGPが最後のF1GP出走となった。
30歳以上でF1デビューしたドライバーの中でもっとも決勝出走回数が多いドライバーで、前述のG.ヒルの記録に並んだ時には既に42歳になっていた。F1決勝出走176GPのレコードは、1989年にリカルド・パトレーゼが更新するまで(ヒルと並んで)F1最多出走記録であった。
1987年、ディジョンで開催されたWTC第3戦でレース復帰。アレッサンドロ・ナニーニとのコンビでアルファロメオ・A75ターボの第2ワークスカーを駆って予選14位・決勝9位でレースを終えた[10]。
以後、フランステレビ局のF1レース中継解説者としてサーキットを訪れている。
エピソード
ラフィットのヘルメットデザインは、黒地の無地ヘルメットに、出身のウィンフィールドレーシングスクールのステッカーだけが貼られたシンプルなものがトレードマークとなっていた。
ゴルフ好きで知られ、アラン・プロストと共同出資でディジョン郊外のゴルフコースを購入しオーナーとなっている[11]。同じくゴルフ好きだったナイジェル・マンセルとも親交がある。
1984年アメリカグランプリの際にはサーキットにパジャマ姿で現れるというエピソードを残した。これはアメリカとヨーロッパの時差により、ヨーロッパでのテレビ中継の放映時間調整のために決勝レースが通常より3時間早い午前11時スタートと設定され、ウォームアップランは午前7時開始となったことに対する皮肉を込めたラフィットのジョークであった。その姿を見たチーム関係者たちは皆爆笑したという。元F1メカニックの津川哲夫は著書「F1グランプリボーイズ」の中でラフィットを「サーキットのコメディアン」と称している。
ラフィットが在籍していたウィリアムズはホンダエンジンを搭載しており、日本でもある程度の知名度がある。
カーナンバー (フォーミュラ1)
- 21 (1974年第11戦 - 1975年第3戦.5.6.8-14戦)
- 26 (1976年-1982年第3戦.5-16戦.1985年-1986年第9戦)
- 2 (1983年)
- 5 (1984年)
レース戦績
略歴
ル・マン24時間レース
ヨーロピアン・フォーミュラ2選手権
全日本フォーミュラ2000選手権
フォーミュラ1
経歴
- 1974年 ウィリアムズからF1初参戦。
- 1975年 シーズンランキング12位。
- 1976年 リジェに移籍、シーズンランキング8位。初ポールポジション。
- 1977年 シーズンランキング10位。初優勝。
- 1978年 シーズンランキング8位。
- 1979年 シーズンランキング4位。2勝。
- 1980年 シーズンランキング4位。1勝。
- 1981年 シーズンランキング4位。2勝。
- 1982年 シーズンランキング18位。
- 1983年 ウィリアムズに移籍、シーズンランキング11位。
- 1984年 シーズンランキング14位。
- 1985年 リジェに移籍、シーズンランキング9位。
- 1986年 イギリスグランプリで事故により負傷し、以後F1を欠場。シーズンランキング8位。
年度別成績
BMW・M1・プロカー・チャンピオンシップ
世界ツーリングカー選手権
ドイツツーリングカー選手権
グランプリ・マスターズ
脚注
関連項目
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チーム首脳※ | |
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主なスタッフ/関係者※ | |
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現在のドライバー | |
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F1車両 | |
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現在のPUサプライヤー | |
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現在のスポンサー | |
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元チーム関係者 |
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主なドライバー |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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※年代と順序はウィリアムズで初出走した時期に基づく。 ※ウィリアムズにおいて優勝したドライバーを中心に記載。太字はウィリアムズにおいてドライバーズワールドチャンピオンを獲得。斜体はウィリアムズにおいて優勝がないものの特筆されるドライバー。 |
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