デジ・ウィルソン
Desi Wilson
2008年4月23日 |
基本情報 |
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国籍 |
アメリカ合衆国 |
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出身地 |
ニューヨーク州・ナッソー郡 |
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生年月日 |
(1969-05-09) 1969年5月9日(55歳)[注 1] |
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身長 体重 |
6' 7" =約200.7 cm 230 lb =約104.3 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
左投左打 |
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ポジション |
一塁手、外野手 |
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プロ入り |
1991年 MLBドラフト30巡目 |
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初出場 |
MLB / 1996年8月7日 NPB / 1998年8月12日 |
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最終出場 |
MLB / 1996年9月29日 NPB / 1998年9月23日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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選手歴 |
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監督歴 |
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デジー・バーナード・ウィルソン(Desi Bernard Wilson、1969年5月9日[注 1] - )は、アメリカ合衆国・ニューヨーク州ナッソー郡出身[2]の元プロ野球選手(内野手・外野手)、監督。左投左打。
フェアレイ・ディッキンソン大学(英語版)時代はバスケットボールのフォワードとしても活躍した。
来歴・人物
1987年のMLBドラフト15巡目(全体396位)でボストン・レッドソックス、1989年のMLBドラフト87巡目(全体1490位)でヒューストン・アストロズからそれぞれ指名されたものの、いずれも契約せず。フェアレイ・ディッキンソン大学在籍時の1990年には、全米大学体育協会のノースイースト・カンファレンス男子バスケットボール部門にて最優秀選手に選ばれている。
1991年のMLBドラフト30巡目(全体794位)でテキサス・レンジャーズに指名されて契約。レンジャーズでのメジャーでの出場はなく、1994年12月22日にジョン・バーケットとの交換トレードでリッチ・オーリリアとともにサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍。1996年はAAA級で高打率をマークし、8月7日にメジャー初昇格を果たし41試合に出場した。1997年もAAA級で高打率をマークするものの、メジャー昇格はならなかった。
1998年に第三の外国人選手として、NPBの阪神タイガースに入団[2]。当時、一軍の外国人枠の野手人数は2人だったが、1998年の阪神にはデーブ・ハンセン、アロンゾ・パウエルがいたため、その2人との兼ね合いも重なり、1998年における一軍での出場は16試合にとどまる。二軍でも目立った成績を残せず、同年オフに自由契約となった[2]。
1999年および2001年はアリゾナ・ダイヤモンドバックス傘下、2000年はシカゴ・ホワイトソックス傘下のAAA級でプレー。2002年から2007年まではサマセット・パトリオッツを皮切りに、延べ8球団のアメリカ独立リーグのチームでプレーした。2007年に1年だけ活動したサウス・コースト・リーグでは、アンダーソン・ジョーズ(英語版)とサウスジョージア・ピーナッツ(英語版)で選手兼任監督を務めた。
2009年からシカゴ・カブスの傘下A+級で打撃コーチを務め、2013年にはAA級の打撃コーチに昇格した。
2021年現在はカブス傘下AAA級アイオワ・カブスの打撃コーチを務める。
長身から「大きな単位」を意味する「ユニット」というあだ名があった。ジャッキー・ロビンソンを尊敬しており、阪神時代の背番号は彼と同じ42だった。体格に似合わぬ俊足の持ち主で、体当たりプレーが身上だった。
詳細情報
年度別打撃成績
年
度 |
球
団 |
試
合 |
打
席 |
打
数 |
得
点 |
安
打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁
打 |
打
点 |
盗
塁 |
盗 塁 死 |
犠
打 |
犠
飛 |
四
球 |
敬
遠 |
死
球 |
三
振 |
併 殺 打 |
打
率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S
|
1996
|
SF
|
41 |
130 |
118 |
10 |
32 |
2 |
0 |
2 |
40 |
12 |
0 |
2 |
0 |
0 |
12 |
0 |
2 |
27 |
2 |
.271 |
.338 |
.339 |
.677
|
1998
|
阪神
|
16 |
24 |
24 |
0 |
4 |
0 |
0 |
0 |
4 |
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
7 |
1 |
.167 |
.167 |
.167 |
.333
|
MLB:1年
|
41 |
130 |
118 |
10 |
32 |
2 |
0 |
2 |
40 |
12 |
0 |
2 |
0 |
0 |
12 |
0 |
2 |
27 |
2 |
.271 |
.338 |
.339 |
.677
|
NPB:1年
|
16 |
24 |
24 |
0 |
4 |
0 |
0 |
0 |
4 |
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
7 |
1 |
.167 |
.167 |
.167 |
.333
|
記録
- NPB
背番号
脚注
注釈
- ^ a b 出典:[1]など。※なお生年については、#外部リンクにある「選手の通算成績と情報」およびNPBのウェブサイト(合計6団体分)のうち、ESPNとNPBには1968年とある(全て2020年10月5日閲覧)。
出典
関連項目
外部リンク