マーガレット・ウッドロウ・ウィルソン (Margaret Woodrow Wilson , 1886年 4月16日 - 1944年 2月12日 )は、第28代アメリカ合衆国大統領ウッドロウ・ウィルソン とその妻エレン・ルイーズ・アクソン (英語版 ) の長女である。妹にジェシー とエレノア がいる。1914年に実母エレンが亡くなると彼女はホワイトハウスのソーシャルホステス[ 1] (ファーストレディ )を務めた。1915年に父はイーディス・ガルト (英語版 ) と再婚した。
生い立ち
マーガレット・ウッドロウ・ウィルソンはジョージア州 ゲインズビル で生まれた。ミドルネームは父方の祖母の姓と父のミドルネームから取られている。彼女の両親はともに南部 に強く共鳴しており、また祖父はともにプロテスタントの牧師であった。母エレンの両親は父親が教職に就いている北部 に住んでいたが、母親は子供たちがヤンキー として生まれることを望まず、最初の2人の娘の出生時にはゲインズビルの家族のもとに滞在するように取り計らった。マーガレットは地元の学校に通っていたが、成長すると父親が教鞭を取っていた大学の関連校で学ぶこともあった。
キャリア
彼女には父の遺言により毎年2500ドルの年金が遺されていた[ 2] 。彼女は歌手を務め、1914年にコロムビア・レコード から「My Laddie」が発売された[ 3] 。
1938年に彼女はインド のポンディシェリ にあるシュリー・オーロビンド のアーシュラム (英語版 ) を訪れ、以後の人生をそこで過ごした。彼女はアーシュラムのメンバーとなり、サンスクリット語で「献身」を意味する「ニスタ」(Nistha)という新たな名を与えられた。彼女は学者のジョーゼフ・キャンベル とともに、スワミ・ニキラーナンダ によるヒンドゥー教徒 の神秘主義者であるシュリー・ラーマクリシュナ に関する著作『ラーマクリシュナの福音 (英語版 ) 』の英語訳を編纂し、1942年にニューヨークのラーマクリシュナ=ヴィヴェーカーナンダ・センター (英語版 ) より出版された[ 4]
マーガレット・ウッドロウ・ウィルソンが1915年に歌った「
星条旗 」の録音
死去
彼女は1944年に尿毒症 で亡くなり、ポンディシェリで埋葬された[ 5] 。
参考文献
^ “First Lady - Ellen Wilson ”. C-SPAN . 2021年7月13日 閲覧。 “"Ellen Wilson died during her husband’s presidency. Their daughter, Margaret Woodrow Wilson, served as hostess until her father married Edith."”
^ Wills of the U.S. Presidents , edited by Herbert R Collins and David B Weaver (New York: Communication Channels Inc., 1976) p. 176, ISBN 0-916164-01-2 .
^ “W. A. Thayer (composer) - Discography of American Historical Recordings ” (英語). adp.library.ucsb.edu . 2018年1月3日 閲覧。
^ Nikhilananda, Swami (1942). “Preface” . The Gospel of Ramakrishna . Chennai: Sri Ramakrishna Math. http://www.belurmath.org/gospel/preface.htm
^ “Woodrow Wilson Daughter Dead” . The Milwaukee Sentinel : pp. 1. (February 14, 1944). https://news.google.com/newspapers?nid=wZJMF1LD7PcC&dat=19440214&printsec=frontpage&hl=en 29 January 2014 閲覧。
外部リンク
大統領旗