天童 よしみ(てんどう よしみ、本名:吉田 芳美〈よしだ よしみ〉、1954年〈昭和29年〉[1]9月26日 - )は、日本の女性演歌歌手。
出生地は和歌山県田辺市芳養町だが、公式プロフィールの出身地が大阪府八尾市なのは4歳で当地に引っ越ししたため。現在は東京港区在住。父は和歌山県東牟婁郡那智勝浦町出身。母方の祖母が福島県南会津郡只見町出身。
八尾市立龍華小学校、八尾市立龍華中学校、大阪女子短期大学附属高等学校卒業[2]。
歌好きの父の影響もあり、7歳でのど自慢番組に初出演。初のテレビ出演は毎日放送『素人名人会』で「可愛いじじい」を歌って名人賞を受賞。その後も数多くののど自慢大会に出場し、ほとんどの大会で優勝していた。ほぼ同い年の上沼恵美子とはライバルで多くの大会や番組に一緒に出ることがあったが、ことごとく天童が優勝をかっさらっていったという[3]。
フジテレビ系『日清ちびっこのどじまん』への出演を機に番組プロデューサーから日本コロムビアへの紹介があり、フジテレビ系アニメ『いなかっぺ大将』の主題歌である「大ちゃん数え唄/いなかっぺ大将」を録音。1970年9月10日に吉田よしみ名義でシングル発売。
1972年、讀賣テレビ『全日本歌謡選手権』で10週連続勝ち抜き、7代目グランドチャンピオンに輝く。レギュラー審査員のルポライター竹中労が作詞した「風が吹く」で、天童よしみとしてキャニオンレコードからプロデビュー。芸名の「天童」は、「天」から授かった「童(わら)」に由来するものであり、命名も竹中であった[4]。
しかし、10年に亘る長い低迷を経験。一旦は引退も決意するが、両親の説得で思い留まる。その後、1985年12月にテイチクレコード移籍第一弾シングル『道頓堀人情』を発売するにあたり、北は北海道から南は福岡県まで1か月で300件もの営業をこなし、有線からじわじわと人気が出た結果、ヒット作となった。
以降、1993年に『NHK紅白歌合戦』へ初出場を果たす。
1996年に発売した『珍島物語』はロングヒットで130万枚を超える[5]売上を記録。自身初のミリオンセラーとなり、天性のキャラクターと相まって人気を獲得。
1998年には、同年に流行した新型インフルエンザまん延を食い止めるべく、魔除けのキーホルダー「よしみちゃん人形」を1000人に無料配布して若い世代の人気を呼び、話題となった[6][7]。
2001年には、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』に本人役でテレビアニメのアフレコに挑戦した。
2004年にディズニー映画『ブラザー・ベア』劇中歌「グレイト・スピリット」の日本語バージョンを録音。日本盤サウンドトラックに収録された。
2006年8月29日、紅頭巾(くれないずきん)名義でシングル「紅頭巾参上」を発売。新歌舞伎座の特別公演『天童よしみの痛快!紅頭巾〜明日への道標〜』の挿入歌である。
2017年、第59回日本レコード大賞の最優秀歌唱賞を受賞。
おおい大輔は付き人。
容赦ない毒舌で有名だった日高晤郎が生前から実力を評価していた歌手の1人である。
作曲家、編曲家、音楽プロデューサーの本間昭光は同じ八尾市出身で天童の実家と本間の実家が歩いて行ける近所で小学校と中学校の後輩である。その縁から天童のオファーで2022年11月16日発売の50周年記念オリジナルアルバム『帰郷』をプロデュースした。
OEM商品として製造・販売されたものは除く。
他多数
第44回(1993年)に「酒きずな」で、歌手デビューから24年目にして念願の紅白初出場を果たす。その後3年のブランクを経て、第48回(1997年)に「珍島物語」のロングセラーでカムバックを果たした。以降、通算で28回・27年連続出場中である[注釈 4]。
女性歌手として27年連続での出場は、石川さゆり(40年連続・継続中)、小林幸子(33年連続)、島倉千代子(30年連続)、和田アキ子(30年連続[注釈 5])に次ぐ史上5位の記録である(白組歌手を含めると、歴代11位)。なお紅白に出演した歌手の連続出場記録の多くが10・20・30代を起点とする中、天童は40代前半から60代後半になるまで継続している記録である点が特筆に値する。
さらに紅組歌手として通算27回の紅白出演は、石川さゆり(46回・継続中)、和田アキ子(39回[注釈 5])、島倉千代子(35回)、小林幸子(34回[注釈 6])、坂本冬美(34回・継続中)、都はるみ(29回)に次いで、歴代7位の記録となる。
第73回(2022年)に68歳で出場、第68回(2017年)での高橋真梨子の持つ紅組歌手の最年長記録に並んだ。第74回(2023年)に69歳で出場、紅組歌手の最年長記録となった。
紅組トリとしては、第51回(2000年)に天童自身の代表曲「道頓堀人情」で初めて務めた。その後も第54回(2003年)、第56回(2005年)と、通算3回担当している。第73回では自身初の紅組トップバッターを務め、紅組ソロ歌手としては都はるみ、山口百恵、水前寺清子、八代亜紀、川中美幸、坂本冬美に続いて史上7人目のトップバッター・トリ双方を務めた歌手となった。
過去に美空ひばりのシングル曲としては、第50回(1999年)と第56回(2005年)にひばりが生涯最後のシングルだった「川の流れのように」を2回歌唱。ほか第56回(2011年)に「愛燦燦」と、第66回(2015年)に「人生一路」を歌唱し、合計では4回ひばりの曲を紅白で披露している。第65回(2014年)では、同じ関西(大阪府)出身で生前親交があった、やしきたかじんの代表曲「やっぱ好きやねん」を披露した。
第1回から第10回までは制定なし。第12回 は発表なし。第32回から第34回までは演歌・歌謡曲、ポップス・ロックの2部門に分けて発表(ただし第32回に限り演歌・歌謡曲、ポップス、ロックの3部門に分けて発表した)。