延命山 宝泉寺(えんめいさん ほうせんじ)は、秋田県雄勝郡羽後町西馬音内字裏町に所在する曹洞宗寺院。なお、現代でもしばしば旧字体の寶泉寺で記される。
沿革と概略
室町時代の寛正年間(1460年-1466年)に陸奥国磐井郡願成寺(岩手県一関市釣山)の巌翁弘悦が当地を訪れ、零落している仏堂があるのをみて、これを再建、師の正法寺(岩手県奥州市黒石)8世梅栄元香を勧請して再興開山し、自身は2世となった[1][注釈 1]。山号は、本尊の延命地蔵願王菩薩より延命山と号した[1]。このような機縁により、宝泉山は磐井願成寺の末寺となったが、江戸時代に入って佐竹氏藩政下で、他領に本寺をおくことが禁止されたため、久保田藩の僧録所があった天徳寺(秋田市)の仲介などにより、平鹿郡満福寺(横手市増田町)とともに秋田郡松原補陀寺(秋田市)の客末寺となった[1]。
こののち、26世天露暁雲は、黒衣托鉢によって基金を集め、嘉永5年(1852年)に本堂を再建した[1]。
境内
境内には、経世家として知られる佐藤信淵の祖父、不昧軒佐藤信景(従五位、鉱山開拓者)の墓があり、山門側には東郷平八郎の揮毫による「佐藤家五代の碑」がある[1][2]。
ほかに、新派の演出家として知られる大江良太郎、衆議院議員を5期務めた代議士飯塚定輔の墓がある[1]。
脚注
注釈
出典
参考文献