小此木 八郎(おこのぎ はちろう、1965年〈昭和40年〉6月22日 - )は、日本の政治家。
国家公安委員会委員長、内閣府特命担当大臣(防災)(第4次安倍内閣)、
経済産業副大臣(第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)、衆議院議員(8期)、衆議院安全保障委員長、自由民主党青年局長、自由民主党国会対策副委員長、自由民主党副幹事長、自由民主党国会対策委員長代理(初代)、自由民主党神奈川県連会長等を歴任した。
来歴
神奈川県横浜市中区出身[8]。父親は元衆議院議員の小此木彦三郎、祖父は実業家で、衆議院議員を1期務めた小此木歌治。藤木企業の藤木幸夫が小此木彦三郎の妻に「久しぶりに男の子を産んだね」と声をかけると「次男が生まれて8年目です」という返事が返ってきたため、三男であったにもかかわらず藤木によって「八郎」と名付けられた[9]。1975年、小学校4年の時に菅義偉が父の秘書となる。菅は小此木家の自宅近くのアパートに住み、毎朝小此木の家に通った[11]。
玉川学園高等部、玉川大学文学部英米文学科理財専攻卒業[1]。
1989年、父の事務所に入所し秘書を務める。菅は2年前に横浜市会議員になっていたが、八郎の指導係を務めた。「菅さんからは選挙における挨拶まわりから〝せがれ〟としての立場の振る舞い方、頭の下げ方にいたるまで、基礎を習いました」と八郎は証言している。
1991年、父の彦三郎が議員会館の階段で転落し、死去。彦三郎は渡辺派に所属していたため、翌1992年、領袖の渡辺美智雄は失意の八郎を引き取り、外相秘書官に据えた[9]。
衆議院議員
次期衆院選に向け、小沢辰男の秘書をした長男の歌藏を後継とするか、三男の八郎にするか問題となった(次男は日本航空に勤務していたため選から外れた)。一時、歌藏に決まりかけるが、母親が「歌藏は家業を継がないといけないから」と八郎に決めてしまった。そこへ市議2期目の菅義偉が取り入り、八郎擁立が確定した[9]。彦三郎が生前「後継者は三男に」と話していたことなども決め手となった。1992年2月8日、八郎は記者会見し、衆院選出馬を表明した[12]。
1993年7月に行われた衆院選に旧神奈川1区(定数4)から立候補。菅は選挙事務所の事務長として奔走し、八郎は得票数3位で初当選した。
1996年の第41回衆議院議員総選挙では、小選挙区比例代表並立制の導入により、神奈川3区から立候補。なお父・彦三郎の地盤だった旧1区のうち、神奈川区・鶴見区が含まれる3区からは八郎が、西区が含まれる2区からは菅がそれぞれ立候補した。菅は選挙区で当選した一方、八郎は新進党の西川知雄に惜敗し、重複立候補していた比例南関東ブロックで復活した。
2000年の第42回衆議院議員総選挙では、神奈川3区で民主党の加藤尚彦、改革クラブの西川知雄を破り、3選。同年、衆議院議事進行係に就任。
2001年、自民党国会対策副委員長に就任。2003年、衆議院安全保障委員長に就任。2004年、第2次小泉改造内閣で経済産業副大臣に任命され、第3次小泉内閣まで務める。2005年、自民党総務局次長に就任。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では、神奈川3区で民主党の岡本英子に大敗し、比例復活もならず落選した。
2012年の第46回衆議院議員総選挙で民主党の勝又恒一郎、日本未来の党の岡本英子らを破り、3年ぶりに国政に復帰した[14]。当選後、石破茂幹事長の下で副幹事長(筆頭)に起用される。
2013年、自民党国会対策委員長代理に就任。
2014年の第47回衆議院議員総選挙で7選。
かねてから石破茂は親しい関係にあり、石破の幹事長就任後、石破を中心に結成された「無派閥連絡会」にも参加していたが[15]、2015年9月に石破が水月会を結成した際は参加せず、「脱派閥」を主張してきた石破による派閥の立ち上げに懐疑的な意見を示した[16][17]。
2016年2月、自身が会長を務める自民党神奈川県連が、連立政権を組んでいる公明党に対して自民党本部が検討していた「同年の第24回参議院議員通常選挙における神奈川県選挙区(定数4)での公明党公認候補の推薦」に反対する方針を決定し、小此木自身も公明党候補の推薦に反対する考えを示した[18]。結局、自民党は神奈川県選挙区で比例区から鞍替えした三原じゅん子を公認したほか、公明党の三浦信祐、無所属の中西健治を推薦し[19]、いずれも当選したが、県連会長だった小此木は自民党所属議員に対し、公認候補である三原以外の応援に入らないよう通達を出していた[19]。
2017年8月3日、第3次安倍第3次改造内閣で国家公安委員会委員長及び内閣府特命担当大臣(防災) に任命されて初入閣[20][21]。その後の第48回衆議院議員総選挙で8選。2017年11月、第4次安倍内閣で国家公安委員会委員長及び防災担当大臣に再任。2018年10月2日の第4次内閣改造発足により国家公安委員会委員長及び防災担当大臣を退任。
2018年10月23日、自民党治安・テロ対策調査会長に就任。
2020年9月14日に行われる自民党総裁選挙で菅義偉の選挙対策本部長を務めた[22]。菅が総裁に選出され、9月16日の発足の菅義偉内閣では国家公安委員会委員長、内閣府特命担当大臣(防災担当)、内閣府特命担当大臣(海洋政策)に就任。
2021年横浜市長選挙
2021年5月下旬、菅義偉首相と面会し、横浜市長選挙に出馬する旨を伝えた[23]。また、担当している重要土地利用規制法案の成立に最後まで努力する旨を伝えた。菅は長い沈黙の後「わかった」とだけ言ったという[24][9]。
同年6月22日、閣議後の記者会見で、同年8月22日投開票の横浜市長選挙に立候補する意向を表明[25]。6月25日、市役所で記者会見し、正式に出馬表明。統合型リゾート(IR)中止を明言した[23][注 1]。同日、菅首相に国家公安委員会委員長の辞表を提出し[30]、受理された[31]。東京オリンピック・パラリンピックの警備担当トップが開幕直前に交代する事態となった[32]。6月末、党神奈川県連会長を辞任[33]。
自民党横浜市連の内部では、小此木が掲げるIR誘致のとりやめを受け入れ、小此木を推薦するよう求める意見が県議を中心にあったが、IRを推進してきた市議の一部が強く反発。議論は平行線をたどり、最終的に会長の坂井学官房副長官に一任。7月11日、自民党横浜市連は、坂井の判断により自主投票を決定した[34]。7月15日、現職の林文子が立候補を正式表明し、保守分裂選挙は確定的なものとなった[35]。
同年7月16日、衆議院に議員辞職願を提出した[36]。同月18日に大島理森衆議院議長により議員辞職が許可された[37]。
同年7月20日、自民党の有志議員による決起集会が市内のホテルで開かれた。公明党の上田勇県本部代表も登壇し、「横浜の(公明党)県議、市議全員が、横浜のリーダーを任せることができるのは小此木先生しかいないという意見で一致した」と明言した[38]。ただし公明党本部は翌7月21日の中央幹事会で、自主投票を決定した[39]。
同年7月29日、小此木の事務所は「意見広告」として、「タウンニュース」に、小此木と菅の対談記事を掲載[40]。記事の中で菅は小此木を「全面的かつ全力で応援する」と明言した[41]。以後、菅は選挙戦に力を注いでいく。
ゼネコン各社はもともと現職の林を担ぎIR誘致を進めてきた立場にあるため、陣営にとっては切り崩しが必要であった。7月後半以降、元国交官僚の和泉洋人首相補佐官は、鹿島建設の押味至一会長はじめ大手ゼネコンのトップに直接電話し、小此木支援を要請した[42]。和泉は「取引先にも周知してほしい。従わなければ今後、国内どころか、海外の事業にも影響が出るだろう」と協力を迫り、これを「脅しの電話だ」ととらえる経営者もいた[43]。菅は8月3日の党役員会で「小此木八郎をお願いします」と異例の呼びかけを行い、新田章文首相秘書官を小此木の選挙事務所に送り込んだ[42]。
同年8月8日、横浜市長選挙が告示される。自民党の神奈川県議全員と、党の市議36人のうち30人が小此木の支援に回った[44][45][注 2]。中区山下町のロイヤルホールヨコハマで行われた出陣式には、菅首相と小泉進次郎を除く神奈川県選出の自民党国会議員のほとんどが駆けつけ、野田聖子、浜田靖一も参加した[51][52][53][54]。
同年8月10日、朝日新聞は電話調査の結果を公表。「小此木がわずかな差で先行し、山中竹春と林が激しく追う展開」と報じた[55]。
ところが8月14日夜、神奈川新聞が公表した情勢分析では「山中が先行し、小此木が追う展開。林、松沢成文、田中康夫が続く」という結果が出た[56]。危機を感じた小此木陣営は支持者に直接支援を訴える電話作戦に運動をシフトした。菅も、自ら支援者らに電話して小此木支持を訴えた[57]。8月16日夕方、関内駅近くのビルの5階に構えた選挙事務所に菅の側近の坂井学、神奈川県議、横浜市議らが集まり、挽回策を話し合った。約3時間に及ぶ会議で下されたのは「選挙ポスターを全て張り替える」という異例の決断だった。コロナ対策を強調することを決めた陣営は、ポスターの『強い覚悟で横浜市政へ』という文言を『災害級のコロナ危機 前防災担当大臣が横浜を守る。』に変更。また、『IR取りやめ』の文字に背景と同じ水色でかぶせてあるバツマークが「取りやめ自体を否定しているように見える」との指摘があったことから、バツマークをポスターから取り除いた[58]。
同年8月18日、週刊誌が横浜市長選と政局との関わりを特集。坂井学が8月14日夕方、戸塚駅前でビラ配りをしていたことを報じた[注 3]。坂井は連日、小此木の選挙活動の様子をツイッターで発信した。8月18日、小此木、河野太郎、小泉進次郎の3人はウェブ上で「緊急!災害級コロナ封じ込め会談」を行う。会談は小此木のYouTubeチャンネルで配信された[60]。8月17日と21日には石破茂が横浜入りし、駅前で応援演説を行った[61][62]。
菅の介入により自民党は総力戦を展開したが[59][63]、投開票日の8月22日、NHKは投票締め切りの午後8時に「山中竹春当選確実」と報道[64][65]。得票数は325,947票(21.62%)にとどまり、506,392票(33.59%)を獲得した山中に及ばず次点にとどまった[66]。小此木は8時過ぎに菅首相に電話するがつながらなかった。ショートメールで礼の言葉を送ると、菅は「ご苦労様」と返信した[67]。自民党幹部は「党として推薦や支援をした候補ではない」として、市長選の結果を受けた取材には応じないと拒否した[68]。同日夜、小此木は記者団の取材に応じ、政界を引退する意向を明らかにした[69][70]。
政策・主張
人物
選挙歴
所属団体・議員連盟
脚注
注釈
- ^ 小此木のIR中止表明に先立つこと1年前、元自民党県連会長で、県議を7期、議長も務めた梅沢健治は、神奈川新聞の連載コラム「わが人生」の最終回(2020年3月6日付)で次のように書いた。「私は横浜へのカジノ誘致に反対だ。計画の撤回を求める。自民党地方議員よ。次の選挙を考えてみよ。有権者の多くは、カジノはいらない、現政権の横暴と堕落はもう許容できないと思っている。自民党からカジノ反対の声が出なければ、自民党は見限られる。私も私なりの反対運動を始める。91歳まで生かされた命で、痛快な〝命懸け〟をやってみるつもりだ」[26][27]
梅沢は、菅義偉が小此木彦三郎の秘書を務めていたころ、預けられた菅を基礎から仕込んだ政治家と知られ、「神奈川県政のドン」とも称された[27]。2021年4月11日、死去[29]。
- ^ 自民党横浜市連は自主投票を決定したが、横浜市会の最大会派「自由民主党・無所属の会」36人のうち30人は小此木の支援に回った。残りの渋谷健(南区)、田野井一雄(港南区)、松本研(中区)、山本尚志(磯子区)、横山正人(青葉区)、横山勇太朗(泉区)ら6人は現職の林を支援した[46][47][48][49][50]。
- ^ 坂井学は官房副長官であるため、メディアは翌8月19日、「選挙活動のため、再三外出すれば、首相官邸での執務に影響しかねない」と報じた。加藤勝信官房長官は同日の記者会見で「選挙は民主主義の根幹だ。選挙活動は必ずしも不要不急ではない」と語り、問題視しない考えを示した[59]。
出典
参考文献
関連人物
- 菅義偉 - 彦三郎の地元事務所の私設秘書、衆議院議員、第99代 内閣総理大臣
- 菅真理子 - 小此木家の家事手伝い、菅義偉の妻
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国務大臣(危機管理担当) | |
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防災担当大臣 | |
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2003年から内閣府特命担当大臣としての防災担当大臣 |