田亀 源五郎 (たがめ げんごろう、1964年 2月3日 - )は日本人の漫画家 、ゲイ・エロティック・アーティスト (英語版 ) 。SM や性暴力 、過剰な男性性を題材にしたゲイポルノ 作品で知られており、日本のゲイ漫画家の中で有数の作品数と影響力を持つ。日本国外でもアーティストとして名高い。
在学中に少年愛 雑誌やゲイ雑誌 に漫画や小説を寄稿し始めた。多摩美術大学 を卒業後、グラフィックデザイナーやアートディレクター として働くかたわら漫画家として活動し、後に専業漫画家となった。1994年に単行本化された『嬲り者』はゲイ漫画の書籍として画期的な売り上げを記録した。1995年、ゲイ雑誌『G-men 』の創刊に携わった。2014年の『弟の夫 』を皮切りにLGBT を扱った一般向け漫画を描き始めた。同作は文化庁メディア芸術祭 優秀賞、日本漫画家協会賞 、アイズナー賞 を授与されている。美術史に関する著作『日本のゲイ・エロティック・アート』もある。
経歴
生い立ちと初期の活動
1964年2月3日、鎌倉市 で武士の家系に生まれる[ 2] [ 3] [ 4] [ 5] 。兄が一人いる。文化的な家庭で、子供のころから文学・美術やクラシック音楽に親しんでいた一方、ポップ・ミュージックや漫画は禁じられていた。ただし手塚治虫 作品だけは文学的に優れているとして例外にされていた[ 5] 。田亀は床屋の待合室などでそれ以外の少年漫画に触れ、楳図かずお のホラー漫画や、性や暴力を扱った永井豪 作品を好んだ[ 5] 。幼稚園の頃から絵を描き始め、小学校3年生で油絵 を習い始めた。中学になると漫画を制作してクラスメートや教師に見せるようになった[ 8] 。
小学生のときにはアラン・ドロン のファンだったころから「オカマ 」というあだ名をつけられていた。10代中ごろ、同性愛 という意識がないまま、映画『ソドムの市 』やマルキ・ド・サド の小説作品を入り口にしてBDSM に関心を持ち始めた。「裸で縛られた男性」が出てくる映画(イタリアの『ヘラクレス 』シリーズや、『猿の惑星 』のチャールトン・ヘストン など)に魅力を感じていた[ 10] 。その後ゲイ雑誌 『さぶ 』と出会い、存在すると思っていなかったものが存在したような気持ち というほど衝撃を受けた。しばらく自身のセクシュアリティに悩んでいたが、高校生になって男性に恋愛感情を持ったことで同性愛者を自覚した。田亀は当時日本に流入し始めた海外のゲイカルチャー を追うようになり、広くアートやポップカルチャーに傾倒していった。高校在学中の1982年、女性向けの耽美系少年愛 雑誌『小説JUNE 』にペンネームで漫画を投稿して掲載された[ 5] [ 8] [ 注 1] 。息子と父親の間の近親相姦 と殺人を描く内容だった[ 15] 。当時の青年漫画 界で起きていた「三流エロ劇画 ルネッサンス 」と呼ばれる運動の中に同性愛を描く作家(宮西計三 やひさうちみちお )がおり、その影響を受けて描いたものである。田亀は後に「ゲイ・カルチャーではなくサブカル系の文脈」の作品だと言っており、自作リストには載せていない。
両親は息子に東京大学に進んで銀行家になることを望んでいたが、田亀は多摩美術大学 でグラフィックデザインを学ぶことに決めた[ 5] [ 18] 。入学を機にして周囲にゲイをオープンにした[ 10] 。在学中にさまざまなペンネームで『さぶ 』などのゲイ雑誌にエロティックな小説、イラストレーション、漫画を投稿した[ 3] [ 注 2] 。ペンネームはやがて「田亀源五郎」に落ち着いた。「タガメ 」と「ゲンゴロウ 」はいずれも水生昆虫 の名で、ほかのゲイ漫画家がよく使う「マッチョだったり、ロマンチックだったりする」ペンネームと差別化する意図があった[ 20] 。大学生の頃ヨーロッパに旅行し、ロンドンの書店で米国のレザーフェティシズム 雑誌『ドラマー (英語版 ) 』と出会った[ 20] 。同誌にはトム・オブ・フィンランド 、レックス (英語版 ) 、ビル・ワード (英語版 ) のような西洋アーティストによるホモエロティックなイラストレーションが掲載されており、田亀の「熊系 」と呼ばれる作風に大きな影響を与えた[ 10] [ 20] 。大学卒業後は商業グラフィックデザイナーやアートディレクター として生計を立てながら漫画や小説の創作を続けた[ 3] [ 21] 。
ゲイポルノ作家として
当時のゲイ雑誌に掲載される漫画は素朴な恋愛漫画やギャグ漫画が主だったが、田亀は本格的なポルノグラフィを描いた(編集部から内容について注文を受けることはなかった)。筋肉質で髭を生やした男性のイメージやSMといった題材も田亀以前にはほとんど見られなかったものである。掲載作の多くは単行本化されたが、初期の6冊は書籍を専門としないプロダクションから出版され、ゲイバー やゲイ専門店でしか流通しなかった[ 3] 。そんな中、『さぶ』誌に1991年から1993年にかけて連載された『嬲り者』の単行本 (1994) は同種の書籍として画期的な売れ行きを示した。このヒットは商業的なゲイ漫画 の端緒を開き、ジャンルの文化的・芸術的価値を確立した。長編第2作で全3巻にわたる時代物の『男女郎苦界草紙~銀の華』(1994) は、田亀を北米に紹介したグラハム・コルベインズ (英語版 ) によってゲイ漫画の物語性の射程 を単純なポルノから複雑な物語や美的要素にまで拡げたと評されている。
1990年代には一般メディアで「ゲイブーム 」が起き、性的少数者がメディアに露出し始めた。ゲイ雑誌界においても『Badi 』(1994) のようにゲイのライフスタイルや社会問題までを扱う新興誌が現れた。1995年、田亀は『Badi』の編集に携わっていた二人の人物とともに『G-men 』(誌名のGは源五郎が由来[ 27] )を立ち上げた。美少年 タイプが重んじられていたゲイ雑誌の現状を変えたいという考えから[ 3] [ 10] 、男らしい大柄な中年以上の男性を前面に出した雑誌だった[ 3] 。誌面では「ハードなセクシュアル・ファンタジー」とならんでHIV /AIDS の知識や歴史・文化が扱われ、一種の文化的アクティヴィズムが志向されていた。同誌で田亀は表紙絵、漫画、小説を寄稿するほか企画・編集にも関わった。このころゲイ・エロティック・アートに専従するためグラフィックアートやイラストレーションの仕事を整理した[ 27] 。しかし『G-men』誌からは内部の人間とのトラブルにより2006年に離脱している[ 30] 。
2003年、1950年代から現在に至るまでのゲイアート史をまとめた『日本のゲイ・エロティック・アート』第1巻を出した。ほとんど注目されていなかった過去の作品や作家を掘り起こし、ゲイ文化史の流れを作る試みだった。
海外や一般メディアへの進出
パリの書店でサイン中の田亀源五郎(2015年)。
2000年代以降は海賊版 (英語版 ) やスキャンレーション を通じて海外でも作品が読まれ始めた。2005年にフランスのH&O Editions社から出た Gunji が最初の公式翻訳となった。2009年にはパリで作品展が行われた[ 4] 。公式の英語版は、2012年にライアン・サンドとミカエル・ドゥフォルジュ (英語版 ) が発行したエロティックなアンソロジー Thickness に収録された短編 "Standing Ovation"(→スタンディング・オベーション) が最初だった[ 5] 。2013年に米国の出版社ピクチャーボックス (英語版 ) から作品集 The Passion of Gengoroh Tagame が出た[ 5] 。ドイツのゲイ出版社 Bruno Gmünder Verlag も2014年から田亀作品の英訳を行っていた[ 33] 。
2007年ごろ、ゲイ漫画の枠組みで可能な表現を追求した長篇『君よ知るや南の獄』および『外道の家』、ならびにボーイズラブ 系作品の集大成だという『ウィルトゥース』を相次いで完結させた。田亀によるとこれが作家として一つの区切りだった。そのとき一般青年誌からはじめてアプローチを受け、新しい分野への進出に意欲を持った。編集部から依頼された自伝の執筆は作風にそぐわないため断り[ 18] [ 35] 、ゲイを題材とした異性愛者向けの作品を提案したが実現に至らなかった。2013年になって双葉社 の編集者から再び一般向けの連載を持ちかけられた[ 10] [ 18] 。性的ファンタジーを原動力にした作品とはちょっと異なる、現在の社会との接点を持たせた作品 に関心が移り始めていた田亀は、日本国内外で注目されていた結婚の平等(同性婚 )の問題を取り上げ、異性愛者の観点からLGBTの権利 を描く作品を提案した[ 18] [ 38] 。『弟の夫 』と題された作品は2014年から2017年にかけて青年誌 『月刊アクション 』に連載された[ 10] 。同作は好評を博し、複数の賞を受けたほか、2018年にNHK によって実写ドラマが放映された[ 39] 。
田亀は『弟の夫』以降もポルノグラフィ作品を並行して描き続けており、全年齢向け作品とエロのバランスを取ることで「精神的な健康を保てる」と語っている[ 40] 。一般向け長編の第2作『僕らの色彩 (英語版 ) 』は2018年から2020年にかけて『月刊アクション』に掲載された[ 41] 。
作風
アン・イシイ (英語版 ) とグラハム・コルベインズによる田亀のインタビュー。作品にSFやファンタジー、時代物の要素を取り入れることで世界そのものをSMとして作ることができる と語っている。
自身の男性的で筋肉質の毛深いキャラクターを「熊系 」と呼んでいる[ 10] 。作品の多くはセックスに重点が置かれており、ほとんどが緊縛 、調教 、レザー 、SM といった性的フェティシズム が含まれている。これらのテーマはSF 、ファンタジー 、時代物のようなジャンルの超現実的 なシナリオによって増幅される。田亀は自身の作品が少数の読者に向けたものだとして現実世界の大多数は拷問セックスを楽しんだりしない。でも私はその人たちのために書いているわけじゃない と語っている。ときには糞尿愛好 や生々しい暴力のように極度のフェティシズムを描くこともあるが、性的興奮を与えるためであって嫌悪感を抱かせるつもりではないとしている。
田亀の作品は絵の美しさに加えて鋭い心理描写で注目された[ 20] 。男らしい男性を描くゲイポルノ漫画家はほかにも存在するが、日本のポップカルチャーを研究するウィリアム・アーマーは[ 46] 、田亀の作品が男性間の権力関係がエロティックになりうる ことに関心を向けている点で同種の作品から際立っていると述べた。アーマーは田亀の作品はあるレベルでは露骨なポルノまんがだが、別のレベルでは、ホモソーシャル 性が容易に同性愛に転換する感覚を [… ] 絵と言葉の中に深く織り込んでいる と書いている。田亀自身は私がエロティカ で試みたのは、エロティカを芸術のレベルにまで高めることと、人間性を描き出すものとしての芸術の観点から考えることだ と述べている[ 38] 。
田亀の作品はゲイ向けエロティカとしては例外的に異性愛者や女性の読者が多い[ 48] [ 49] 。その理由について、翻訳者アン・イシイは田亀の仕事はある部分で、もはやゲイについてではなく [… ] 欲望と、欲望の暗黒面について語っている。それは性のカテゴリには収まらないように思える と書いている[ 48] 。田亀は発表媒体の読者層によって作風を変えていると語っており、ゲイ男性向けの雑誌に書くときは、主人公の行動と内面が焦点になる。女性の読者もいると分かっているなら、[… ] 関係性とカップリングの方に関心が向けられる としている。ライターでドラァグクイーン のエスムラルダ は田亀の論理性に注目し、非常に官能的でありながら、冷静さも残している。絶妙なバランスで描かれている… のが多くの読者を惹きつける理由だと書いている。
田亀は日本と海外のアーティストから影響を受けたと述べており[ 4] 、カラヴァッジョ 、ミケランジェロ [ 18] 、マルキ・ド・サド [ 5] 、月岡芳年 [ 4] 、三島剛 (英語版 ) 、船山三四 (英語版 ) 、小田利美、丸尾末広 、花輪和一 、平口広美 [ 3] 、ビル・ワード[ 10] らの名を挙げている。子供のころ美術書で触れたヘレニズム期 (英語版 ) からバロック までの裸体美術 からも大きな影響があった[ 8] [ 18] 。性的恥辱の描写には、裸体が尊ばれなかった日本の古典美術(春画 など)より、西洋キリスト教美術 に見られる裸体画(カラヴァッジョが描くキリストの磔刑など)からの影響が強いと述べている[ 8] 。写真家ロバート・メイプルソープ の男性ヌード写真からは、エロでもありアートでもある作品を作る という目標を持つ上で影響を受けた。創作一般については、小説家J・R・R・トールキン がいう「準創造 」の概念からの影響があるという。
主題と題材
超男性性
田亀作品の多くは、発達した筋肉、濃い体毛、巨大なペニス、大量の射精 、マチズモ 、過激で暴力的な性行為など、「超男性性 (英語版 ) 」と関係づけられる特徴を持つ男性を描いている。田亀自身は、男性的に見える男性が実のところ社会的な圧力によってそう演じているだけで、「社会規範上、男らしくないとされる行為を行うことで」その態度が崩れる様子に関心があると語っている[ 58] 。アーマーは超男性性をテーマとした田亀作品の例として、尊大で自己中心的な大学生がサディストの教授によって奴隷調教を受ける『PRIDE』や、戦後 日本において売春婦の妻に養われていることを恥じている傷痍軍人 が米兵によって男娼扱いされる『闇の中の軍鶏』を挙げている。
男らしい男性を描く作風は[ 注 3] 、トム・オブ・フィンランド のようなアーティストによる「マッチョな」ゲイアート運動にカテゴライズされる。この運動は1960年代前半に米国のバイカー文化 から生まれ、ゲイ男性が「男になりそこなった」「女性的なナルシスト」だというステレオタイプが克服される上で影響力が大きかった[ 5] 。田亀はトム・オブ・フィンランドを日本に紹介したこともあり、自身でも影響を受けている。ただし装丁家のチップ・キッド (英語版 ) は田亀の作品を評して、トム・オブ・フィンランドの静的なイラストレーションとは対照的な生気と躍動感があるとしている[ 5] 。
作家のエドマンド・ホワイト は、田亀が描く超男性の理想像が、日本の明治文学 に見られる武骨で、異性愛者として女性を喜ばせられるほど洗練されていないがために同性愛者であり、戦士であり、南方出身の田舎者であり、まともな社会には収まり切らない 男性というキャラクター類型に近いと述べている。アーマーは田亀の作品が西洋のゲイコミックと比べて「弱弱しく男らしさを感じさせない」という東アジア人男性のステレオタイプ を破っている点で特徴的だとした。田亀の男性の描き方は西洋のエロティックなゲイコミックにおける男性キャラクターの描写とあまり変わらないように見えるが [… ] 多くの西洋ゲイ文化がアジア人男性に持っている、たくましいマッチョな白人男によって好きにファックされる細身でペニスが小さい女性的な弱者というステレオタイプを打破するものと見られる
SMと性暴力
SMと性暴力は田亀作品における性描写の多くに一貫して見られるテーマである。ホワイトは田亀源五郎の世界では自ら望んで挿入される男性は一人もいない と書いている。BDSM を中心的テーマとする作品にはレイプ 、獣姦 、近親相姦 、身体改造 のようなタブー な題材が取り入れられることが多い[ 10] 。ただし、題材が過激であるにもかかわらず「エログロ 」の文脈で論じられることはあまりない[ 5] 。田亀自身は「破滅の美」や「崩壊していく人物」を描くシェイクスピア悲劇 (英語版 ) 、ドイツのオペラ (英語版 ) 、日本民話 からBDSM作品の着想を得ており、ゴア やホラー を描くのが本意ではないとしている[ 5] 。
BDSMを中心とした作品では、主人公がフェティッシュな性的関係を通じて自己を発見していく展開が多い。社会的に優位な男性が性的被虐者 として調教を受けたり[ 3] 、責任感や義務感を捨てて性に耽り始めるなど[ 4] 、男性的な登場人物が支配側から従属側に性的役割を替える作品が典型的である[ 10] 。このテーマの作品には、性奴隷 とされた男性が自らそれを受け入れる「エンドレス・ゲーム」や[ 58] 、日本人の空手チャンピオンが米国の地下格闘競技に参加して敗北するたびに凌辱 を受ける「闘技場~アリーナ」がある。コルベインはBDSMを自己発見の過程として描く田亀作品は共感を呼ぶ人間ドラマの枠組み に収まると述べている。アーマーは『PRIDE』がSM描写を通じて性的少数者に社会的制約から解放されるよう促す内容だと書いている。
伝統性
歴史上の日本を舞台としたり、プロットや題材に日本的な美学 が色濃く出ている作品が多い[ 58] 。日本において同性愛の伝統 は古代から長く続いていたが、明治 期 (1868-1912) に西洋化の過程で同性愛への寛容は失われ、それまで受容されていた同性愛表現が病気や犯罪と見なされるようになった[ 5] 。この伝統性と現代性の対立は、田亀のエロティックな漫画において、日本社会の家父長制 的な性格や[ 58] 、不平等な封建制の象徴としての武士 のような[ 4] 階層性の描写を通じて現れている。田亀はヒエラルキーが破綻する様子に引き付けられる と述べている[ 58] 。
ヒエラルキーからの転落は究極のSM行為だ。私は日本的な美と伝統という概念が魅力的だとは思わないが、フィクション要素としてなら、それらの信念が崩れ去るときに並々ならないエロスを感じる
[ 58] 。
初期の長篇連載『男女郎苦界草紙~銀の華』は江戸時代 を舞台とする時代物で、裕福な商人だった男が借金を負って性奴隷にされる物語である[ 10] 。主人公は男性客から虐待と辱めを受けるにつれて自身の被虐性に気づいていく。コルベインは同作が日本社会の中で西洋の宗教的な罪やソドミー といった概念に縛られずに男性同性愛が盛んに行われていた時代 を描いているとした。西洋から導入された性のタブーが届いていない前近代的な村落を取り上げた「田舎医者」では、昔の人は保守的で、現代人は解放されているという考えをひっくり返してみたかった と述べている[ 8] 。
田亀の全年齢向け作品にも、現代日本社会の同性愛に対する姿勢という形で伝統のテーマが現れている[ 10] 。『弟の夫』の主人公の弥一は死んだ弟の結婚相手から訪問を受け、自身がゲイに持っていた偏見と向き合うことを強いられる。弥一が最初に見せるホモフォビア は、日本で大勢を占めているLGBTの権利 への保守的な意見を反映している[ 33] [ 66] 。田亀によると、寛容と受容へと向かう弥一の変化は、主人公が現実を受け入れるか、それとも自身の欲求と幸福を否定するかの選択に迫られるBDSM作品とテーマ的につながっている[ 18] 。
ゲイ・アイデンティティとセクシュアリティ
クィア・スタディーズ研究者森山至貴 は、同性愛者が異性愛者に「認めてもらう」ためにゲイの性文化を押し隠す風潮がある中で、田亀のエロティシズムに対する肯定と、ゲイのアイデンティティに対する肯定 を結びつける姿勢を高く評価している[ 67] 。田亀はゲイであることがアイデンティティの核 であり、創作や作品鑑賞においてセクシュアルな感覚を切り捨てることはできないと語っている[ 27] 。ゲイ・エロティック・アートについては欲望を突き詰めれば突き詰めるほど濃く、そしてユニークになっていく [… ] 邪念の入りこむ余地のない純粋な「アート」 としている[ 68] 。
ゲイリブ に関心を持っていたが、社会運動の方法論に相いれないものを感じ、ポルノグラフィを中心とする作品の発表を通じてゲイコミュニティや一般社会に貢献するという考えに至っている[ 27] 。
受容と影響
ゲイ漫画家のなかでも作品数と影響力では随一とされている[ 4] [ 33] 。ゲイ漫画の英訳アンソロジー Massive: Gay Erotic Manga and the Men Who Make It は田亀を間違いなくゲイ漫画の発展に最大の功績がある と紹介しており、編者の一人チップ・キッドは田亀の仕事をマルキ・ド・サド 、ピエル・パオロ・パゾリーニ 、三島由紀夫 と同列に並べている。ウィリアム・アーマーは田亀の綿密な作風と物語の奥行 がエロスのみならず美的・認識論的な 側面においても読者を揺さぶる力を持っており、アカデミックな研究 が待たれると書いている。
森山至貴は田亀を日本のゲイ・カルチャーにとっての最重要人物の一人 としている[ 67] 。ゲイライターのサムソン高橋 は田亀を評して、ゲイ漫画というジャンルが確立していないころから最前線で独自のテーマを追求してきた「巨匠」と呼び、併せて近年の『弟の夫 』でLGBT のノーマライゼーション に取り組んでいることを賞賛した[ 70] 。漫画評論家大西祥平 は、学術的なゲイアート史の編纂などジャンルの地位向上のために活動する田亀を手塚治虫 になぞらえている。
人類学者ウィム・ルンシングは、田亀が起ち上げた『G-men』誌が、東京のゲイ・タウン である新宿二丁目 において、細くてスマートなひげのないタイプから不精ひげ、あごひげ、口ひげ [… ] 極度の短髪 [… ] 筋肉ががっちりした体形(ぽっちゃり型や肥満体に派生) への流行の変化をもたらしたと書いている。田亀は『G-men』により次世代のゲイ漫画家を養成する役割も果たしたとされている。同誌でキャリアを始めた漫画家には児雷也 などがいる。また過去のゲイアートを収集した『日本のゲイ・エロティック・アート』の出版は、日本のエロティックアート史に「ゲイアートの正典」を打ち立てたと評価されている[ 49] 。
田亀の批判者にはゲイ・エロティック・アーティストの広瀬川進がいる。広瀬川は田亀のイラストレーションをSM劇場に過ぎない と評し、漫画作品をSM趣味の垂れ流し と呼んだ。ルンシングも田亀の作品はそれほど複雑巧緻というわけではなく、[広瀬川には ] 反駁しがたい としている。
『弟の夫』を中心に複数の受賞がある。同作は2015年に第19回文化庁メディア芸術祭 優秀賞を[ 73] 、2018年に日本漫画家協会賞 優秀賞を受賞した[ 74] 。国際的にも2018年にアイズナー賞 をアジア作品の米国版部門で[ 75] 、ドイツのルドルフ・ダークス賞のアジア・シナリオ部門ベストアーティスト賞を受賞した[ 76] 。2019年に大英博物館 で行われた大規模な日本漫画の展示 The Citi exhibition Manga でも同作が大きく取り上げられた[ 77] 。2022年には成人向け作品 『外道の家』がフランスの文学賞サド賞 (フランス語版 ) バンド・デシネ /漫画部門を受賞した[ 78] 。これらの国以外ではイタリア、スペイン、韓国、台湾、タイ、ブラジル、ベトナム、メキシコ、ポーランドで翻訳版が出版されている[ 30] 。
作品リスト
漫画作品
以下は田亀自身が公開している雑誌掲載作品(連載・読み切り )のリストである[ 79] [ 80] 。
単行本(自費出版扱)
単行本(一般販売)
単行本(非漫画)
編著
同人誌
Dessins 田亀源五郎 スケッチ&下絵集(野郎フェス2015 2015年5月)
呪縛の性奴(野郎フェス2016 2016年5月)
Bitch Of The Jungle(野郎フェス2018 2018年4月)
呪縛の性奴~呪的口肛調教録(野郎フェス2019 2019年5月)
社長と部下(コミックマーケット96 2019年8月)※合同誌
密林勇者奴隷化計画 Bitch of the Jungle(野郎フェス2020-ONLINE- 2020年5月)
英語版書籍
短編集。「闘技場~アリーナ」などを収録。
日本人作家によるゲイ漫画のアンソロジー。『君よ知るや南の獄』の抜粋が収録されている。
短編集。「軍次」シリーズほかを収録。
短編集。「冬の番屋」などを収録。
短編集。「ポチ」などを収録。
Khoz, The Spellbound Slave (2018, Bear’s Cave)(呪縛の性奴 )
My Brother's Husband (Pantheon)(弟の夫 )
Our Colors (2022, Pantheon, ISBN 978-1524748562 )(僕らの色彩 )
The Passion of Gengoroh Tagame, Vol. 2 (2022, Fantagraphics, ISBN 978-1683965282 )
短編集。「奴隷調教合宿」など収録。
映像化作品
テレビドラマ
脚注
注釈
^ 「闇棲」、織部俊治名義。『小説JUNE』第1号 (1982) 掲載[ 14] 。
^ ゲイ雑誌の『薔薇族 』や『アドン 』は漫画家に原稿料を払わず、また執筆者の同意を得ずに原稿を掲載することがあった。そのため田亀はこれらの雑誌に掲載された作品を自身の作品リストから外している[ 3] 。
^ 英語圏で日本漫画のこのジャンルは「bara (薔薇)」と呼ばれるが、田亀自身は「薔薇」がゲイ男性を指す侮蔑語だったとして自作に使わないよう求めている
出典
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外部リンク