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この項目では、元衆議院議員のきょうづか ゆきおについて説明しています。雑誌『能登』編集長のつねづか ゆきおについては「経塚幸夫 (曖昧さ回避)」をご覧ください。 |
経塚 幸夫(きょうづか ゆきお、1924年〈大正13年〉11月29日[1] - 1997年〈平成9年〉7月10日[1])は、日本の政治家。元衆議院議員(日本共産党公認、2期)。
来歴
兵庫県津名郡一宮町(現淡路市)出身[1][注 1]。1941年に兵庫県立洲本商業高校(現兵庫県立洲本実業高等学校)を卒業後[注 2]、布施市議[2]、東大阪市議や大阪府議(3期)[1]、東大阪医療生活協同組合(東大阪生協病院を運営)会長[2]などを経て、1983年の第37回衆議院議員総選挙に旧大阪4区から三谷秀治の後継として出馬し初当選を果たす[3]。1986年の第38回衆議院議員総選挙で再選[3]。当選2回。1990年の第39回衆議院議員総選挙には出馬せず、地盤を吉井英勝に譲り引退を表明する。
1997年7月10日、肝臓がんのため大阪府東大阪市の病院で死去。72歳。
脚注
注釈
- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』219頁には「大阪府出身」と記載。
- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』219頁には「中途退学」と記載。
出典
- ^ a b c d 『新訂 現代政治家人名事典 中央・地方の政治家4000人』182頁。
- ^ a b 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』219頁。
- ^ a b 『国政選挙総覧 1947-2016』260頁。
参考文献