カルロス・ホセ・クエンティン(Carlos Josè Quentin, 1982年8月28日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ベルフラワー出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。
経歴
スタンフォード大学在籍時には3年連続でカレッジ・ワールドシリーズに出場した経験を持つ。
ダイヤモンドバックス時代
2003年にMLBドラフト1巡目でアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ入団。この年にトミー・ジョン手術を受けたため全休。
2004年にはA級とAA級でマイナーリーグシーズン新記録となる43死球を記録[1]。
2005年マイナーで期待通りの活躍を見せ[2]、
2006年7月20日にメジャーデビューを果たした。ショーン・グリーンの後釜として期待され[2]
2007年シーズンを迎えたが、2度の故障者リスト入りのため出場試合数が81に留まり、打率・本塁打・打点の打撃3部門は昨年を下回る成績に終わり、レギュラーの座をジャスティン・アップトンに奪われた[3]。チームは地区優勝を果たしプレーオフへ駒を進めたが、クエンティンはロースターから外され、シーズン終了後に痛めていた左肩の手術を受けた[1]。
ホワイトソックス時代
2007年12月3日にトレードでシカゴ・ホワイトソックスへ移籍した。
2008年は開幕前は外野手の4、5番手を大学時代からの親友であるブライアン・アンダーソンと争っていたが、ジェリー・オーウェンスが開幕前に故障者リスト入りとなりレギュラーの枠が空いた[1]。シーズン初出場は開幕3戦目のインディアンス戦。それ以降本塁打を量産し、8月末の時点でリーグ最多の36本塁打を記録し、チームメイトは賛辞を惜しまず、A.J.ピアジンスキーは「彼以外にMVPは誰がいるんだ?もちろん彼が獲るべきだろう」と発言[1]。しかし、9月1日のインディアンス戦の第4打席でファウルした後にバットを右手で殴り手首骨折し[1]、シーズンを終えた。自己最高の打率.288、36本塁打、100打点を挙げた。
2009年も故障の影響で99試合にしか出場できなかった。しかしながら、2年連続で20本塁打以上を記録。
2010年は自己最多の131試合に出場したが、開幕直後の不振や途中の故障などがあり[4]、打率は.243にとどまった。本塁打(26本)と打点(87打点)は、いずれも2008年に次ぐ数字となったが、30本塁打と100打点には届かなかった。
2011年は終盤に肩を痛めて出場118試合にとどまりながら、24本塁打、77打点と活躍し、2度目のオールスターに出場。
パドレス時代
2011年12月31日にサイモン・カストロ、ペドロ・ヘルナンデスとのトレードサンディエゴ・パドレスへ移籍した[5]。開幕前に、左膝を負傷し関節鏡手術を受けた。2012年5月28日に復帰した。最終的に、1年を通してクリーンナップとして活躍した。7月22日、3年総額2700万ドル(4年目・2016年の1000万ドルの相互オプション付き)で契約延長した。
2013年4月11日のロサンゼルス・ドジャース戦でザック・グレインキーと乱闘になった。その後の検査の結果、グレインキーに左鎖骨骨折で全治8週間の怪我をおわせ、8試合の出場停止の処分を下された[6]。6年連続2ケタ本塁打となる13発を放ったが、2ケタ本塁打を記録したシーズンとしては最低の数値である。
2014年、左膝の故障で自己最少の50試合出場に終わり大不振を極めた。打率.177・4本塁打・18打点はいずれもメジャー自己最低であり、特に打率が.200に満たなかったのは初である。
パドレス退団後
2015年4月5日にクレイグ・キンブレル、メルビン・アップトン・ジュニアとのトレードで、キャメロン・メイビン、マット・ウィスラー、ジョーダン・パローベックとともにアトランタ・ブレーブスに移籍したが[7]、7日にDFAとなり[8]、14日にFAとなる。4月22日にシアトル・マリナーズとマイナー契約を結ぶが、5月1日に左膝の慢性的な痛みを理由に引退を表明する[9]。
2016年2月1日にミネソタ・ツインズとマイナー契約を結び現役復帰。招待選手として参加したスプリングトレーニングでは15試合で2本塁打を放つが、3月29日にFAとなった。7月12日にメキシカンリーグのプエブラ・パロッツと契約。
2017年2月8日にボストン・レッドソックスとマイナー契約を結ぶ。4月2日にFAとなる。7月11日にメキシカンリーグのモンクローバ・スティーラーズと契約。オフにFAとなった。
詳細情報
年度別打撃成績
年
度 |
球
団 |
試
合 |
打
席 |
打
数 |
得
点 |
安
打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁
打 |
打
点 |
盗
塁 |
盗 塁 死 |
犠
打 |
犠
飛 |
四
球 |
敬
遠 |
死
球 |
三
振 |
併 殺 打 |
打
率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S
|
2006
|
ARI
|
57 |
191 |
166 |
23 |
42 |
13 |
3 |
9 |
88 |
32 |
1 |
0 |
1 |
1 |
15 |
2 |
8 |
34 |
6 |
.253 |
.342 |
.530 |
.872
|
2007
|
81 |
263 |
229 |
29 |
49 |
16 |
0 |
5 |
80 |
31 |
2 |
2 |
1 |
4 |
18 |
1 |
11 |
54 |
5 |
.214 |
.298 |
.349 |
.647
|
2008
|
CWS
|
130 |
569 |
480 |
96 |
138 |
26 |
1 |
36 |
274 |
100 |
7 |
3 |
0 |
3 |
66 |
0 |
20 |
80 |
16 |
.288 |
.394 |
.571 |
.965
|
2009
|
99 |
399 |
351 |
47 |
83 |
14 |
0 |
21 |
160 |
56 |
3 |
0 |
0 |
2 |
31 |
2 |
15 |
52 |
11 |
.236 |
.323 |
.456 |
.779
|
2010
|
131 |
527 |
453 |
73 |
110 |
25 |
2 |
26 |
217 |
87 |
2 |
2 |
0 |
4 |
50 |
3 |
20 |
83 |
16 |
.243 |
.342 |
.479 |
.821
|
2011
|
118 |
483 |
421 |
53 |
107 |
31 |
0 |
24 |
210 |
77 |
1 |
1 |
0 |
5 |
34 |
0 |
23 |
84 |
7 |
.254 |
.340 |
.499 |
.838
|
2012
|
SD
|
86 |
340 |
284 |
44 |
74 |
21 |
0 |
16 |
143 |
46 |
0 |
1 |
0 |
3 |
36 |
2 |
17 |
41 |
6 |
.261 |
.374 |
.504 |
.877
|
2013
|
82 |
320 |
276 |
42 |
76 |
21 |
0 |
13 |
136 |
44 |
0 |
0 |
0 |
4 |
31 |
0 |
9 |
55 |
7 |
.275 |
.363 |
.493 |
.855
|
2014
|
50 |
155 |
130 |
9 |
23 |
6 |
0 |
4 |
41 |
18 |
0 |
0 |
0 |
4 |
17 |
0 |
4 |
33 |
5 |
.177 |
.284 |
.315 |
.599
|
MLB:9年
|
834 |
3247 |
2790 |
416 |
702 |
173 |
6 |
154 |
1349 |
491 |
16 |
9 |
2 |
30 |
298 |
10 |
127 |
516 |
79 |
.252 |
.347 |
.484 |
.831
|
表彰
記録
背番号
- 7 (2006年 - 2007年)
- 20 (2008年 - 2011年)
- 18 (2012年 - 2014年)
- 91 (2016年 - )
脚注
関連項目
外部リンク
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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