カンブレー (カンブレ とも表記、仏 :CambraiまたはCambray、蘭 :Kamerijk)は、フランス 、ノール県 のコミューン 。
カンブレーにはカンブレー大司教区 の司教座がおかれ、中世 には絶大な権力を誇った(大司教座に格上げされたのは1559年 のことである)。カンブレー司教区の領地は、おおまかにいって(歴史的な名称としての)フランドル と一致し、ネーデルラント の大きな部分を含む。
歴史
カンブレー(絵画)
第一次世界大戦 中、カンブレーの戦い がこの地において行われた(1917年 11月20日 - 12月3日 )。戦車 を使用した作戦が初めて成功した例として知られる。
音楽史
カンブレーには15世紀 を中心に豊かな音楽の歴史がある。中世 には吟遊詩人 の活躍する地の一つでもあり、また12〜13世紀建造のカンブレーの大聖堂は17世紀 に至るまでヨーロッパにおける音楽の中心地で、ネーデルラントのもっとも活発的な音楽活動基盤の一つであった。特に大聖堂の合唱隊はヨーロッパ随一ともされ、ブルゴーニュ楽派 の多くの作曲家が、この地で若年期を過ごしながら音楽教育を受け、また後に教師としてこの地を訪れている。1428年 にフィリップ美公 は、カンブレー大聖堂の音楽、光そして鐘の音を褒め称え、キリスト教世界の中でもっともすばらしい聖堂だと述べている。15世紀ヨーロッパ音楽で最も有名な人物であるギヨーム・デュファイ は、1409年から1412年の間、この聖堂で学び、イタリアで長く過ごした後、1439年に再び戻っている。また1450年代に絶対的な名声を確立した後の1459年にカンブレーに戻った際には、多くの若い音楽家が彼を慕ってカンブレーに集まったらしく、その中にはティンクトーリス やヨハネス・オケゲム などもいた。
15世紀後半にカンブレー大聖堂で活躍した有名な作曲家には、他にニコラ・グルノン 、アレクサンダー・アグリコラ やヤーコプ・オブレヒト がおり、16世紀には、フィリップ・デ・モンテ 、ヨハネス・ルピ やヤコブス・デ・ケルル などがいる。
北部ヨーロッパの経済の中心地がブリュージュ から離れるに従って、この地域は経済的にも、文化的にも次第に衰退していった。大聖堂は1796年 に取り壊された。大聖堂にオルガンが設置されることはなかった。書庫の文書は保存され、現在はリール のノール県文書館(Archives Départmentales du Nord)に保存されている。これらの文書は市立図書館の所蔵記録などとあわせて、カンブレーの音楽史を知るための重要な資料となっている。
カンブレーのデュファイの家の向かいには、パブ「武装した人 」(L'homme armé )があった。
関係者
この地に生まれた人々
姉妹都市
参考文献
David Fallows, Barbara H. Haggh: "Cambrai", Grove Music Online ed. L. Macy (Accessed August 4, 2006), 閲覧には購読が必要 音楽史の節
関連項目
外部リンク
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