二階堂 基行(にかいどう もとゆき)は、鎌倉時代前期の武士。鎌倉幕府評定衆。
略歴
建久9年(1198年)、二階堂行村の子として誕生[4]。
建保元年将軍源実朝の学問所番に任じられ、和田合戦での勲功により相模国懐島殿原郷の地頭職を得る[5]。承久の乱においては鎌倉にあり加持祈祷や軍勢催促にあたった[5]。
建保7年(1219年)4月27日に出家、行阿と名乗った[6]。益田荘地頭となり、暦仁2年/延応元年(1239年)には評定衆となる[7]。
仁治元年(1240年)10月、子の行氏に地頭職[8]を譲り12月に死去した。
脚注
- ^ 「吾妻鏡」仁治元年12月15日条『大日本史料』5編13冊209頁
- ^ 「二階堂氏正統家譜」『大日本史料』5編13冊209頁
- ^ 「尊卑文脈」『大日本史料』5編13冊209頁
- ^ 享年より逆算『大日本史料』5編13冊209頁
- ^ a b 「吾妻鏡」『大日本史料』5編13冊209頁
- ^ 「関東評定伝」『大日本史料』5編13冊209頁
- ^ 「関東評定伝」『大日本史料』5編12冊602頁
- ^ 相模国懐島殿原郷、三河国重原荘、尾張国西門眞荘、伊勢国盆田荘、肥前国鏡社。「二階堂文書」『大日本史料』5編13冊209頁
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