二階堂 行義(にかいどう ゆきよし)は、鎌倉時代前期から中期にかけての武士。鎌倉幕府評定衆。
略歴
建仁3年(1203年)、二階堂行村の子として誕生[2]。
『吾妻鏡』には嘉禄元年(1225年)12月20日から文永3年(1266年)3月6日まで記載がある。
嘉禎4年/暦仁元年(1238年)、評定衆となる[3]。建長4年(1252年)、新たに将軍に就いた宗尊親王の御所改築にあたり、将軍の方違いに関する奉行となった[4]。
文永5年(1268年)、死去。享年66[5]と言われている。
官歴
脚注
- ^ 『吾妻鏡』。
- ^ 「尊卑文脈」「関東評定伝」
- ^ 「吾妻鏡」暦仁1年4月2日条、『大日本史料』5編11冊806頁
- ^ 「吾妻鏡」建長4年5月5日条、『史料総覧』5編904冊783頁
- ^ a b c d e f g h 「関東評定伝」『史料総覧』5編905冊145頁
- ^ 使宣旨を蒙る。検非違使あるいは奉幣使の任にあった。
関係資料
- 「Kokushikan nichiroku」 - 著者:Gahō Hayashi、Shunsai Hayashi、山本武夫、Takeo Yamamoto 出版社:八木書店、2005年、ISBN- 4797112948、ISBN-9784797112948
- 東京大学史料編纂所『大日本史料』『史料総覧』