二階堂 貞衡(にかいどう さだひら[1][2])は、鎌倉時代後期の御家人。鎌倉幕府政所執事。
略歴
正応4年(1291年)、二階堂行貞の子として誕生。
北条氏得宗家当主・鎌倉幕府9代執権・北条貞時より偏諱を受けて貞衡と名乗ったものとされる[注釈 3]。
正中3年/嘉暦元年(1326年)3月に出家し、行恵と号した[1][2][3][6]。嘉暦4年/元徳元年(1329年)5月19日には鎌倉幕府の政所執事となる[1][2][6]が、元徳4年/元弘2年(1332年)1月7日に42歳で死去[1][2][6][7][3]。
脚注
注釈
- ^ 母は安達時顕娘。
- ^ 貞衡の弟・高貞(行広)の養子。
- ^ 没年からの逆算により算出された生誕年(正応4年(1291年))に基づくと、元服した年次はおおよそ1300年~1305年の間と推定することができ、その当時の執権であった貞時と烏帽子親子関係にあったと考えられている[4]。貞時在任中は得宗家当主(貞時)から一般の御家人へ「貞」の字が下賜される図式が成立していたことが論文で指摘されており[5]、父・行貞と共にその対象者であったことが窺える。
出典
参考文献