井場 友和(いば ともかず、1976年8月27日 - )は、熊本県宇城市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
経歴
プロ入り前
小学5年から投手として野球を始め、中学はリトルリーグでプレー[1]。
九州学院高ではエースになるも3年夏は県大会初戦で敗退した[1]。
高校卒業後は、福岡大学へ進む。大学選手権に出場するが、初戦で龍谷大学に敗れている[1]。
大学卒業後は、社会人野球の富士重工業に入団。2000年にはシドニーオリンピック野球の補充選手となる。また、同年の都市対抗野球では2回戦まで進出した。同年のプロ野球ドラフト会議では日本ハムファイターズを逆指名し1位で入団[1]。
日本ハム時代
速球と、キレのあるフォークボール、カーブを武器に、1年目の2001年から活躍。同年は40試合に登板し、4勝3敗4セーブ、防御率2.53の成績を残した。
2002年は芝草宇宙とともに抑えも務め、前年よりは安定感を欠いたものの45試合に登板し、1勝2敗11セーブをマークした。
2003年以降は制球力が低下し、この年は3試合の登板にとどまった。
2004年はチームの本拠地が東京ドームから札幌ドームに移転した。移転1年目の同年は39試合に登板したが、防御率4点台と安定感を欠いた。また、この年からパ・リーグに先行導入されたプレーオフでは第1ステージの西武ライオンズとの対戦で第1戦にホセ・フェルナンデスに満塁本塁打を打たれるなど、ここでも安定感を欠いた。結局第3戦でチームは敗れプレーオフ敗退となった。
2005年も安定感のなさは変わらず、22試合の登板に終わった。オフに入籍した。
2006年シーズンは前年後半から台頭した武田久、読売ジャイアンツから移籍してきた岡島秀樹、抑えのマイケル中村らの活躍もあり、プロ入り初の1軍登板なしでシーズンを終えた。9月29日に戦力外通告を受けた。
台湾時代
2007年、芝草と同様に、台湾の興農ブルズと契約し、9勝(9敗)を挙げ、防御率はリーグ3位の2.67という活躍を見せたもののシーズン中の9月に退団。
2008年、興農と再契約。しかし、5月7日付けで退団となった。同年7月16日付で、四国・九州アイランドリーグの長崎セインツに入団[2]。
独立リーグ時代
入団後は12試合に登板して4勝5敗、防御率3.42であった。シーズン終了後、球団より翌年の契約を結ばない旨を通告され、退団[3]。11月11日、12球団合同トライアウトを受験した。しかし獲得する球団は現れなかった。
引退後
その後は熊本市のスポーツDEPOにてアドバイザリースタッフを務めている[4]。
詳細情報
年度別投手成績
年
度 |
球
団 |
登
板 |
先
発 |
完
投 |
完
封 |
無 四 球 |
勝
利 |
敗
戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝
率 |
打
者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬
遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴
投 |
ボ 丨 ク |
失
点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P
|
2001
|
日本ハム
|
40 |
0 |
0 |
0 |
0 |
4 |
3 |
4 |
-- |
.571 |
194 |
46.1 |
38 |
4 |
19 |
0 |
0 |
46 |
2 |
0 |
15 |
13 |
2.53 |
1.23
|
2002
|
45 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
2 |
11 |
-- |
.333 |
183 |
45.1 |
37 |
10 |
11 |
0 |
1 |
60 |
2 |
0 |
20 |
19 |
3.77 |
1.06
|
2003
|
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
-- |
---- |
15 |
2.1 |
8 |
2 |
1 |
0 |
0 |
4 |
0 |
0 |
6 |
6 |
23.14 |
3.86
|
2004
|
39 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
1 |
0 |
-- |
.667 |
239 |
54.0 |
54 |
9 |
29 |
0 |
1 |
65 |
6 |
0 |
29 |
29 |
4.83 |
1.54
|
2005
|
22 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
1 |
0 |
2 |
.500 |
94 |
20.2 |
22 |
0 |
15 |
0 |
0 |
15 |
4 |
0 |
12 |
11 |
4.79 |
1.79
|
2007
|
興農
|
24 |
23 |
3 |
0 |
0 |
9 |
9 |
1 |
0 |
.500 |
591 |
138.0 |
148 |
7 |
33 |
1 |
6 |
97 |
9 |
2 |
66 |
41 |
2.67 |
1.31
|
2008
|
7 |
7 |
0 |
0 |
0 |
1 |
3 |
0 |
0 |
.250 |
159 |
33.2 |
47 |
0 |
9 |
0 |
2 |
17 |
3 |
0 |
30 |
22 |
5.88 |
1.66
|
NPB:5年
|
149 |
0 |
0 |
0 |
0 |
8 |
7 |
15 |
2 |
.533 |
725 |
168.2 |
159 |
25 |
75 |
0 |
2 |
190 |
14 |
0 |
82 |
78 |
4.16 |
1.39
|
CPBL:2年
|
31 |
30 |
3 |
0 |
0 |
10 |
12 |
1 |
0 |
.455 |
750 |
171.2 |
195 |
7 |
42 |
1 |
8 |
114 |
12 |
2 |
96 |
63 |
3.30 |
1.38
|
独立リーグでの投手成績
以下の数値は四国アイランドリーグplusウェブサイトの年度別個人成績による[5]。
表彰
- CPBL
記録
- NPB
- 初登板:2001年5月26日、対千葉ロッテマリーンズ8回戦(東京ドーム)、7回表に4番手で救援登板、2回無失点
- 初奪三振:2001年5月29日、対大阪近鉄バファローズ10回戦(東京ドーム)、9回表に北川博敏から
- 初勝利:2001年8月4日、対福岡ダイエーホークス20回戦(東京ドーム)、8回表に3番手で救援登板・完了、2回無失点
- 初セーブ:2001年8月31日、対大阪近鉄バファローズ25回戦(東京ドーム)、8回表1死に3番手で救援登板・完了、1回2/3無失点
背番号
- 14 (2001年 - 2006年)
- 22 (2007年 - 2008年途中)
- 18 (2008年途中 - 同年終了)
脚注
関連項目
外部リンク