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人類の進化 (じんるいのしんか、英 : human evolution )とは、他と異なる独立した生物種 としての現生人類(英名:anatomically modern humans〈意:解剖学 的現代人〉、学名 :Homo sapiens 〈ホモ・サピエンス 〉、他説では Homo sapiens sapiens )を主題としながら、これが属する系統群(クレード) 全体を見渡そうとする概念 における、当該系統群が辿ってきた生物学 的進化 をいう。起源 を紐解くという観点から、人類の起源 (じんるいのきげん、英 : human origins )などといった表現もある。
本項では、霊長類(サル目;霊長目 )の出現を起点とし、人類の祖先系統を含む全ての化石人類 、そして現生人類が出現してやがて唯一の残存種となるまでの、進化と絶滅 の経緯についての解説を主題としながら、関連事象や研究史などについても言及する。
概要
人類の祖先に、どのような進化的変化が起きたかは、幅広い科学的探求の主題である。この研究は多くの分野、特に形質人類学 、言語学 、遺伝学 、考古学 などと関連している。
なお、「人類」という用語は人類の進化の文脈ではヒト科 ヒト亜科 ヒト族 ヒト亜族 ヒト属 生物 に対して用いられるが、他の属 (アウストラロピテクス属 など)を含むヒト亜族 生物を指す場合もある。本記事では、人類という用語をチンパンジー亜族 と分岐し直立二足歩行 していたヒト亜族生物に用い、脳の発達したヒト属生物については学名で表記し、特にヒト属生物のうちホモ・サピエンス・サピエンスについては現生人類と表記する。
ヒト属 (ホモ属)はおよそ200万年前にアフリカ でアウストラロピテクス属から別属として分化し、ヒト の属するホモ・サピエンス は40万から25万年前に現れた。またこれらの他にも、すでに絶滅したヒト属の種が幾つか確認されている[1] 。その中にはアジア に生息したホモ・エレクトゥス や、ヨーロッパ に生息したホモ・ネアンデルターレンシス が含まれる。
ホモ・サピエンスの進化と拡散については、アフリカ単一起源説 と多地域進化説とが対立している(#人類進化のモデル )。アフリカ単一起源説では、アフリカで「最も近いアフリカの共通祖先 (RAO)」であるホモ・サピエンスが進化し、世界中に拡散してホモ・エレクトゥスとホモ・ネアンデルターレンシスに置き換わったとしている。多地域進化説を支持している科学者は世界中に分散した単一のヒト属、おそらくホモ・エレクトゥスが各地でそれぞれホモ・サピエンスに進化したと考えている。
化石 の証拠はこの分野における激しい議論を解決するのに十分ではない[2] 。人類はホモ・ハビリス の頃から石器 を使い始め、次第に洗練させてきた。およそ5万年前を境に現生人類の技術と文化は変わり始め、現代的行動 がとられるようになった。
古人類学の歴史
古人類学 は化石、道具のような遺物、居住の痕跡などにもとづく古代の人類研究である。現代的な科学としての古人類学は、1856年 のネアンデルタール人の発見から始まったが、初期の研究は1830年 以来始まっていた[3] 。1859年 までに現生人類と大型類人猿 の形態的な類似性は議論されていたが、同年11月にチャールズ・ダーウィン が『種の起源 』を著すまで「生物の進化」という概念は一般には正当化されなかった。ダーウィンの進化に関する最初の本は人類の進化についてはほとんど何も述べなかった。
「人類の起源と歴史に光が投げかけられるであろう。」
これがダーウィンが人類について述べた全てであった。それでも進化論の暗示は当時の読者にとって明らかだった[4] 。
トマス・ハクスリー とリチャード・オーウェン の論争は人類の進化に集中した。ハクスリーは1863年 の著書『自然の中の人類の位置』[5] で、類人猿と現生人類の多くの類似性と相違点について説得力を持って論じた。ダーウィンが『人間の由来と性選択』(1871)[6] でその問題について論じる頃までにはその問題は広く知られ議論の的であった。チャールズ・ライエル とアルフレッド・ウォレス のようなダーウィンの支持者の多くも、現生人類の象徴的な精神性と道徳的な感性が自然選択 によって形作られたという考えを好まなかった。
カール・フォン・リンネ の頃から類人猿と現生人類は非常に似ているように見えるために、科学者たちは類人猿は人類の最も近い親類かもしれないと考えていた。19世紀 にはゴリラ 、チンパンジー 、オランウータン のいずれが現生人類にもっとも近縁か論争があった。ダーウィンはチンパンジーかゴリラと考え、人類の祖先の化石が見つかるとしたらアフリカだろうと予測した。エルンスト・ヘッケル はオランウータンを人類にもっとも近縁と見なし、東南アジア から人類の祖先の化石が発見されるだろうと予測した。アフリカからは多くの化石人類 が発掘された。一方ヘッケルの予測を信じたウジェーヌ・デュボワ はインドネシア のジャワ島 トリニールでジャワ原人 の化石を発見し、後にこれがヒト属のホモ・エレクトゥス の亜種であるホモ・エレクトス・エレクトス に分類されている。
タウング・チャイルド (英語版 ) の化石
人類の祖先と思われる化石がアフリカで発見されたのはハクスリーやダーウィンの時代からしばらく後の1920年代 であった[7] 。1925年 にレイモンド・ダート はアウストラロピテクス・アフリカヌス を記載した。模式標本 は洞穴の中から発掘されたアウストラロピテクスの幼児で、タウング (英語版 ) の名にちなんでタウング・チャイルド (英語版 ) と呼ばれた。南アフリカ共和国 にある発見地タウングの洞窟では、コンクリート の原料が採掘されていた。タウング・チャイルドの化石は非常に保存状態の良い頭蓋骨 を保持しており、頭蓋腔を推定できた。脳は小さかったが(410cm3 )、その形は洗練されており、チンパンジーやゴリラのものよりも現代人に似ていた。また、化石は短い犬歯 を持っており、大後頭孔 の位置は直立二足歩行 の証拠であった。これらの特徴全てはタウングチャイルドが二足歩行の人類の祖先で、類人猿から人類に変わりつつある証拠であるとダートに確信させた。しかしダートの主張は彼の発見に類似したより多くの化石が見つかるまで軽視され、真剣に検討されるまでに20年かかった。当時の主流な見解は二足歩行の前に脳 の巨大化が起きたというものであり、現代人と同じような知性 の発達が二足歩行の必要条件であると考えられていた。
アウストラロピテクスは現在、現生人類が属するヒト属の直接の祖先と考えられている[8] 。アウストラロピテクスとホモ・サピエンスは共にヒト亜族の一種である。しかし近年[いつ? ] のデータは現生人類の直接の祖先としてアウストラロピテクス・アフリカヌスの位置に疑問を投げかける。彼らは進化的行き止まりの“従兄弟 ”であったかも知れない[9] 。アウストラロピテクスは当初、華奢なタイプと頑強なタイプに分類された。その後、頑強なアウストラロピテクスはパラントロプス属 として分類し直されたが、一部の研究者はまだアウストラロピテクスの亜属と考えている[10] 。1930年 に頑強なタイプが最初に記載されたとき、パラントロプス属が用いられた。1960年代 に頑強な変種はアウストラロピテクスに加えられたが、近年[いつ? ] では最初の分類どおり異なる属とする傾向がある[11] 。
ヒト属以前
サル目以前
左はアナプトモルフス (Anaptomorphus ) の頭蓋骨化石(スケッチ)、右は同種の生態復元想像図。
物を掴むのに適した手指と、距離感を捉えるのに適した立体視 の発達/画像の種はフィリピンメガネザル (英語版 )
霊長類(サル目 ;霊長目)の進化の歴史は、約8500万年前まで遡ることができる。かつては有胎盤類 の中で最も古い分類群 と考えられていたが、現在は他の哺乳類も既にこの頃には分岐が進んでいたことが確認されている。霊長類は、同じく古い分類群で樹上生の祖先をもったであろうコウモリ 類(翼手目)と共通祖先 をもつと広く考えられていたが、解剖学 的・形態学 的、および、分子系統学 的知見が発達するに連れて、ネズミ目 (齧歯目)およびウサギ目 と祖先を共有する一大分類群「真主齧上目 」の一員と見なされるようになった。係る共通祖先の理論的に想定される生息年代は、白亜紀 後期である。霊長類の既知で最古の化石は、白亜紀末期のララミディア大陸 (元はローラシア大陸 の一角、現在の北アメリカ大陸 西部相当地域)で発見されており、プレシアダピス類 (偽霊長類)と呼ばれている。このように、霊長類の進化は約6500万年前、白亜紀末期頃に始まったと考えられている[12] 。最初期の霊長類と考えられている動物は、白亜紀の北半球 の陸地の大半を占めていながらも分裂する最中にあったローラシア大陸 のどこかで誕生して拡散したと見られる。ローラシア大陸は中生代 白亜紀から新生代 初期にかけて分裂してゆくが、初期霊長類を載せた地域では北アメリカ大陸とヨーロッパ大陸に分かれてゆく。両大陸に分かれてゆく時代に初期霊長類は両方で繁栄し、約6550万年前から始まる新生代の暁新世 と始新世 の温暖な時代に、現生キツネザル 類の祖先にあたるアダピス類 (Adapidae ) と現生メガネザル 類の祖先にあたるオモミス類 (Omomyidae . 真猿類 の祖先) という二大グループを分岐させてから姿を消した。後述するが、その後、故郷ローラシアの後身にあたる北アメリカ大陸とヨーロッパ大陸は新生代氷河時代 の本格的な到来で寒冷化し、霊長類はこれに耐え切れずに絶滅してしまう。命脈を保った霊長類は、北アメリカ大陸から姿を消す前にパナマ地峡 を渡って南アメリカ大陸 まで到達していたグループだけであったと考えられる。その後、アフリカ大陸 にも霊長類が現れて隆盛するようになるが、ヨーロッパ経由で辿り着いたにしては生息年代に開きがありすぎるため、南アメリカ大陸から漂着したという説に説得力がある。なお、パナマ地峡の存在は霊長類の進化史において極めて重要で、アメリカ大陸 全土における絶滅を防いだことも大きいが、北半球の霊長類を一掃した寒冷化の原因の一つにこの地峡の形成による海流 の変化が考えられる。
サル目の特徴
人間の錐体細胞 (S, M, L) と桿体細胞 (R) が含む視物質の吸収スペクトル
ヒト を除くサル目 の現世における分布
霊長類(=サル目)は、次のような特徴を持つ。5本の指 をもち、親指 が他の4本と多少とも対向しているため、物をつかむことができる。前肢と後肢の指の爪は、ヒト を含めた狭鼻下目のすべての種ではすべての指の爪が平爪 である。曲鼻猿亜目 と広鼻下目 の一部では平爪のほかに鉤爪 をそなえる種もある。両目 が顔 の正面に位置しており、遠近感をとらえる立体視 の能力に優れている。これらの特徴は、樹上生活において、正確に枝から枝に飛び移るために不可欠な能力である。多くの樹上性の哺乳類では、鉤爪を引っかけて木登りをするが、サル類の平爪はこれをあきらめ、代わりに指で捕まるか引っかかるかする方向を選んだものである。また、それが指先の器用さにつながることとなる。
直鼻猿亜目と曲鼻猿亜目の分岐
新生代 に入り暁新世 になるとアダピス類 (Adapidae ) とオモミス類 (Omomyidae ) が繁栄した。いずれもまだ原始的な種類で、アダピス類はのちの曲鼻猿類 に、オモミス類はのちの直鼻猿類 に進化したと考えられる。アダピス類とオモミス類はヨーロッパと北アメリカに分布したが、北アメリカの霊長類は寒冷化による森林の減少で絶滅し、旧世界を舞台に霊長類の進化は進んだ。曲鼻猿類の一部は海によって他の大陸から隔絶されていたマダガスカル島 にアフリカから進出し(恐らくは流木等に掴まっての漂着)、キツネザル 類に進化していった。
霊長類でL-グロノラクトンオキシダーゼ (ビタミンC 合成酵素)の活性が失われたのは約6300万年前であり、サル目が直鼻猿亜目 (酵素活性なし)と曲鼻猿亜目 (酵素活性あり)との分岐が起こったのとほぼ同時である。ビタミンC合成能力を失った直鼻猿亜目にはメガネザル下目 や真猿下目 (サル 、類人猿 、ヒト )を含んでいる。ビタミンC合成能力を有する曲鼻猿亜目には、キツネザル などが含まれる[13] 。なお、ビタミンC合成能力を失った動物は、ビタミンCを摂取しないとコラーゲン を合成できなくなり壊血病 を発症して生存を維持できなくなる。直鼻猿亜目が遺伝子変異 によりビタミンC合成能力を失ったにもかかわらず継続的に生存し得た最大の理由は、直鼻猿亜目が樹上生活で果物等のビタミンCを豊富に含む食餌を日常的に得られる環境にあったためである。
真猿下目とメガネザル下目の分岐
直鼻猿亜目は、その後、真猿下目 とメガネザル下目 に分岐する。この分岐の際に、真猿下目のX染色体に位置する錐体視物質に関連した色覚 の多型 が顕著になり、ヘテロ接合体の2本のX染色体を持つメスに限定した3色型色覚の再獲得につながり、さらに狭鼻下目 のオスを含めた種全体の3色型色覚の再獲得へとつながる[14] 。
狭鼻下目と広鼻下目の分岐
真猿下目 が狭鼻下目 (旧世界 サル)と広鼻下目 (新世界 サル)に分岐したのは、3000-4000万年前と言われている[14] [15] 。
脊椎動物 の色覚 は、網膜 の中にどのタイプの錐体細胞 を持つかによって決まる。魚類 、両生類 、爬虫類 、鳥類 には4タイプの錐体細胞(4色型色覚 )を持つものが多い。よってこれらの生物は長波長域から短波長域である近紫外線までを認識できるものと考えられている。一方ほとんどの哺乳類 は錐体細胞を2タイプ(2色型色覚 )しか持たない。哺乳類 の祖先である爬虫類は4タイプ全ての錐体細胞を持っていたが、2億2500万年前には、最初の哺乳類と言われるアデロバシレウス が生息し始め、初期の哺乳類は主に夜行性 であったため、色覚 は生存に必須ではなかった。結果、4タイプのうち2タイプの錐体細胞を失い、青を中心に感知するS錐体と赤を中心に感知するL錐体の2錐体のみを保有するに至った。これは赤と緑を十分に区別できないいわゆる「赤緑色盲」の状態である。この色覚が哺乳類の子孫に遺伝的に受け継がれることとなった。ヒト を含む旧世界 の霊長類(狭鼻下目)の祖先は、約3000万年前、性染色体 であるX染色体 にL錐体から変異した緑を中心に感知する新たなタイプの錐体(M錐体)視物質の遺伝子が出現し、ヘテロ接合体 の2本のX染色体を持つメスのみが3色型色覚を有するようになり、さらにヘテロ接合体のメスにおいて相同組換え による遺伝子重複 の変異 を起こして同一のX染色体上に2タイプの錐体視物質の遺伝子が保持されることとなりX染色体を1本しか持たないオスも3色型色覚を有するようになった。これによって、狭鼻下目に第3の錐体細胞が「再生」された。3色型色覚はビタミンC を多く含む色鮮やかな果実等の発見と生存の維持に有利だったと考えられる[16] [14] 。霊長類の3色型色覚の適応的意義については結論が出ていないのが現状である(上記「果実説」のほか,「若葉説」や「皮膚色説」も存在する。)[17] 。
なお、時代を下ってヒトの色覚 に鑑みるに、ヒトが属する狭鼻下目のマカクザル に色盲 がヒトよりも非常に少ないことを考慮すると、ヒト の祖先が狩猟生活をするようになり3色型色覚の優位性が低くなり、2色型色覚の淘汰圧が下がったと考えられる[16] 。色盲の出現頻度は狭鼻下目のカニクイザル で0.4%、チンパンジー で1.7%であり[14] 、現生のアフリカ系男性で2-4%、日本人男性で約5%、フランス、北欧系の男性で約10%である[18] 。広鼻下目のヨザル属 は1色型色覚であり、ホエザル属 は狭鼻下目 と同様に3色型色覚を再獲得している[14] [19] とされている。他方、ホエザルは一様な3色型色覚ではなく、高度な色覚多型であるとの指摘もある[20] 。これらのヨザル、ホエザルを除き残りの新世界ザル(広鼻下目)はヘテロ接合体のX染色体を2本持つメスのみが3色型色覚を有し、オスは全て色盲である。これは狭鼻下目のようなX染色体上での相同組換えによる遺伝子重複の変異を起こさなかったためである[14] 。ヒトは上記のような初期哺乳類と霊長目 狭鼻下目 の祖先のX染色体の遺伝子変異を受け継いでいるため、L錐体のみを保持したX染色体に関連する赤緑色盲が伴性劣性遺伝 をする。男性ではX染色体の赤緑色盲の遺伝子を受け継いでいると色盲 が発現し、女性では2本のX染色体とも赤緑色盲の遺伝子を受け継いでいる場合に赤緑色盲が発現する[21] 。なお、日本人では男性の5%、女性の0.2%が先天赤緑色覚異常であるとされる[18] 。
3000万年前、漸新世 初期に現在の気候 が始まると最初の南極 の氷が形成され、アフリカと南アジア 以外の霊長類は絶滅 へ向かった。当時の霊長類の一つが曲鼻猿亜目キツネザル科 に近いノタルクタス である。
生き残った熱帯 の集団は(それらはカイロ の南西ファイユーム低地の後期始新世 と初期漸新世の化石層でよく見られる)現生の全霊長類を、すなわち曲鼻猿亜目に属するマダガスカル のキツネザル 、東南アジアのロリス 、アフリカのガラゴ 、そして直鼻猿亜目に属する広鼻猿類 (新世界ザル)と狭鼻猿類 に属する旧世界ザル、大型類人猿、人類を生み出した。
新世界である南米の広鼻猿類(広鼻下目 )は3000万年前から化石記録に現れるが、北アフリカ の化石種で彼らの祖先に近縁なものは特定されていない。もしかすると西アフリカ で異なる形態で生きていたのかも知れない。西アフリカからは、まだ解明されていない手段で南アメリカ大陸 まで、霊長類、齧歯類 、ボア 、シクリッド が渡っている。洪水 などで流されて大西洋 経由で漂着したなどの可能性が考えられるも、決定的な説を見いだせていない。これに対して、広鼻下目(新世界サル)の祖先やテンジクネズミ上科 の祖先がアフリカでできた浮島 に乗って大西洋を流されて新世界の南アメリカ大陸に到着したという説も紹介されている[22] 。
既知のもっとも初期の狭鼻猿類は北ケニア地溝帯のEragaleitから見つかっているカモヤピテクス (Kamoyapithecus ) で、2400万年前頃生きていたと見られている。その祖先は恐らく、エジプトピテクス かプロピリオピテクス (Propliopithecus ) かパラピテクス (parapithecus ) の近縁種と見られ、それらは3500万年前のファイユーム の地層から見つかっている。その間の1100万年を繋ぐ化石は見つかっていない。
ヒト上科とオナガザル上科の分岐
霊長類の狭鼻下目 がヒト上科 とオナガザル上科 に分岐したのは、3500万年前から3000万年前頃というのがゲノム ベースの分析による2000年代前後の定説であったが[23] [24] 、ミシガン大学 の研究チームによる2010年発表の新説では、数百万年若い2800万年前頃から2400万年前頃と推定された[23] [24] 。ヒト上科(テナガザル 、オランウータン 、チンパンジー 、ゴリラ 、ヒト )の共通の祖先が旧世界のサルから分枝した際に、尿酸オキシダーゼ 活性が消失したものと推定される[25] 。尿酸オキシダーゼ活性の消失の意味付けは、尿酸 が直鼻猿亜目で合成能が失われたビタミンCの抗酸化物質 としての部分的な代用となるためである[26] 。しかし、ヒトを含むヒト上科では、尿酸オキシダーゼ活性の消失により難溶性物質である尿酸をより無害なアラントイン に分解できなくなり、尿酸が体内に蓄積すると結晶化して関節 に析出すると痛風 発作を誘発することとなる[27] 。
テナガザルを含めた現生類人猿 (=ヒト上科)では尾 は失われている[28] 。
中新世 初期にあたる約2200万年前、東アフリカ の樹上棲に適応した初期の多種の狭鼻猿類は、それ以降の多様化のきっかけとなった。約2000万年前の化石は初期の旧世界ザルに属するビクトリアピテクス (Victoriapithecus ) と思われる断片も含む。そのほかの形態は現生類人猿に近縁であるという明白な証拠はないが、類人猿に分類されている。現在認められているこのグループの属には、プロコンスル 、ラングワピテクス (Rangwapithecus )、デンドロピテクス (Dendropithecus )、リムノピテクス (Limnopithecus )、ナコラピテクス 、エクアトリウス (Equatorius )、ニャンザピテクス (Nyanzapithecus )、アフロピテクス (Afropithecus )、ヘリオピテクス 、ケニアピテクス (ケニヤ…、ケニャ…、Kenyapithecus )がおり、全て東アフリカから1300万年以前に見つかっている。
1980年代 にドイツ で見つかった化石は約1650万年前のもので、東アフリカ で発見された類似した化石よりも150万年ほど古いと考えられた[29] 。それは最初に大型類人猿の系統が現れたのがアフリカでなくユーラシアであったかも知れないと示唆する。約1700万年前にこの2つの大陸が地中海 の拡大によって切り離される直前に、ヒト科の初期の祖先がアフリカからユーラシアへ渡ったのかも知れない。これらの霊長類がユーラシアで繁栄し、アフリカ類人猿と人類を生むことになる系統(ドリオピテクス)がヨーロッパまたは西アジア からアフリカに南下した[29] 。
遥かに離れた発掘地から中期中新世の旧世界ザルではない骨格が見つかっている。ナミビア の洞窟からオタビピテクス (Otavipithecus )、フランス 、スペイン 、オーストリア から、ピエロラピテクス (Pierolapithecus ) とドリオピテクス (Dryopithecus ) などである。それらは中新世初期から中期のアフリカと地中海沿岸が比較的暖かく穏やかな気候で、霊長類の多様化を促した証拠である。
中新世のヒト上科 の証拠でもっとも新しいものはイタリア のオレオピテクス (Oreopithecus ) で、約900万年前の石炭 層から見つかっている。
ヒト上科の下位分類
ヒト上科からヒト亜族までの分類は、学説によって数種類に分かれる。以下は、オランウータン類をヒト科の下位に分類する学説に基づくものである。
表記は左から順に、1. 学名 、2. あれば和名 、( )内は別の和名や和名の表記揺れ やその他の補足情報、3. 学名と表記の異なる英語 名があればそれを含む全ての英語名、4. 特記事項。†(短剣符 )は絶滅 の意。incertae sedis は地位未確定の意。
†familia Dendropithecidae デンドロピテクス科 family Dendropithecidae
†subfamilia incertae sedis (亜科不確定)
†genus Dendropithecus デンドロピテクス 属 genus Dendropithecus …2種。
†genus Simiolus シミオルス 属 genus Simiolus …5種。
†subfamilia Nyanzapithecinae ニャンザピテクス亜科 subfamily Nyanzapithecinae
†genus Nyanzapithecinus ニャンザピテクス 属 genus Nyanzapithecinus …3種。
†genus Mabokopithecus マボコピテクス属 genus Mabokopithecinus …1種。
†genus Rangwapithecus ラングワピテクス 属 genus Rangwapithecinus …1種。
†genus Turkanapithecus トゥルカナピテクス属 genus Turkanapithecinus …1種。
†genus Micropithecus (incertae sedis ) ミクロピテクス 属 genus Micropithecus …1種。
†familia incertae sedis (科不確定)
†subfamilia incertae sedis (亜科不確定)
†tribus Dryopithecini ドリオピテクス族 tribus Dryopithecini
†genus Kenyapithecus ケニアピテクス 属(ケニヤ…、ケニャ…) genus Kenyapithecinus …1種。
†genus Danuvius ダヌヴィウス 属(ダヌビウス属) genus Danuvius …1種。
†genus Ouranopithecus オウラノピテクス 属 genus Ouranopithecus …2種。
†genus Otavipithecus オタヴィピテクス 属(オタビピテクス属) genus Otavipithecus …1種。
†genus Oreopithecus オレオピテクス 属 genus Oreopithecus …1種。
†genus Nakalipithecus ナカリピテクス 属 genus Nakalipithecus …1種。
†genus Anoiapithecus アノイアピテクス 属 genus Anoiapithecus …1種。
†genus Dryopithecus ドリオピテクス 属 genus Dryopithecus …2種。
†genus Rudapithecus ルダピテクス 属 genus Rudapithecus …1種。
†genus Samburupithecus サンブルピテクス 属 genus Samburupithecus …1種。
†genus Udabnopithecus ウダブノピテクス属 genus Udabnopithecus …1種。
familia Hylobatidae テナガザル科 family Hylobatidae, "lesser apes"
genus Hylobates テナガザル 属 genus Hylobates …7種。
genus Hoolock フーロックテナガザル 属 genus Hoolock …2種。
genus Symphalangus フクロテナガザル属 genus Symphalangus …1種。
genus Nomascus クロテナガザル属 genus Nomascus …6種。
familia Hominidae ヒト科 (ホミニド) family Hominidae, hominids, "great apes"
†subfamilia incertae sedis (亜科不確定)
†genus Pierolapithecus ピエロラピテクス 属 genus Pierolapithecus …1種。
subfamilia Ponginae オランウータン亜科 subfamily Ponginae
†tribus Lufengpithecini ルーフェンピテクス族 (ルーフェングピテクス族) tribus Lufengpithecini
†genus Lufengpithecus ルーフェンピテクス 属(ルーフェングピテクス属) genus Lufengpithecus
†Lufengpithecus lufengensis
†Lufengpithecus keiyuanensis
†Lufengpithecus hudienensis
†tribus Sivapithecini シヴァピテクス族 tribus Sivapithecini
†genus Ankarapithecus アンカラピテクス 属 genus Ankarapithecus
†Ankarapithecus meteai
†genus Sivapithecus シヴァピテクス 属 genus Sivapithecus
†Sivapithecus brevirostris
†Sivapithecus punjabicus
†Sivapithecus parvada
†Sivapithecus sivalensis
†Sivapithecus indicus
†genus Gigantopithecus ギガントピテクス 属 genus Gigantopithecus
†Gigantopithecus bilaspurensis ギガントピテクス・ビラスプレンシス
†Gigantopithecus giganteus ギガントピテクス・ギガンテウス
†Gigantopithecus blacki ギガントピテクス・ブラッキー (…ブラクキ、…ブラックアイ)
tribus Pongini オランウータン族 (ポンゴ族) tribus Pongini
†genus Khoratpithecus コラトピテクス 属 genus Khoratpithecus
†Khoratpithecus ayeyarwadyensis
†Khoratpithecus piriyai
†Khoratpithecus chiangmuanensis
genus Pongo オランウータン 属 genus Pongo , orangutans
†Pongo hooijeri ベトナムオランウータン Vietnamese orangutan
†Pongo weidenreichi
Pongo abelii スマトラオランウータン Sumatran orangutan
Pongo pygmaeus ボルネオオランウータン Bornean orangutan
Pongo tapanuliensis タパヌリオランウータン Tapanuli orangutan
†tribus Griphopithecini グリフォピテクス族 tribus Griphopithecini
†genus Griphopithecus グリフォピテクス 属 genus Griphopithecus
†Griphopithecus alpani
†Griphopithecus suessi
subfamilia Homininae ヒト亜科 subfamily Homininae
(異説:†tribus Sivapithecini)…シヴァピテクス族をヒト亜科に分類する説ではこの位置に収まる。
tribus Gorillini ゴリラ族 tribus Gorillini
†genus Chororapithecus コロラピテクス 属 genus Chororapithecus
†Chororapithecus abyssinicus コロラピテクス・アビシニクス(アビッシニクス)
genus Gorilla ゴリラ 属 genus Gorilla , gorillas
Gorilla gorilla ニシゴリラ Western gorilla
Gorilla gorilla gorilla ニシローランドゴリラ Western lowland gorilla
Gorilla gorilla diehli クロスリバーゴリラ Cross River gorilla
Gorilla beringei ヒガシゴリラ Eastern gorilla
Gorilla beringei beringei マウンテンゴリラ Mountain gorilla
Gorilla beringei graueri ヒガシローランドゴリラ (グラウアーゴリラ) Eastern lowland gorilla, Grauer's gorilla
tribus Hominini ヒト族 tribus Hominini, hominins
subtribus Panina チンパンジー亜族 subtribus Panina
genus Pan チンパンジー属 genus Pan , chimpanzees
Pan troglodytes チンパンジー (ナミチンパンジー) Common Chimpanzee
Pan paniscus ボノボ (ピグミーチンパンジー) Bonobo
(異説:subtribus Australopithecina アウストラロピテクス亜族 subtribus Australopithecina, Australopithecine, Australopithecines) …ヒト属 に先行するヒト亜族的分類群を独立した亜族と見なす学説における地位。
subtribus Hominina ヒト亜族 subtribus Hominina …これより下位は「ヒト亜族の下位分類 」を参照のこと。
ヒト上科の系統樹
ヒト科とテナガザル科の分岐
分子的な証拠は、2000万年から1600万年前[30] にヒト上科がヒト科 とテナガザル科 に分岐したことを示している。テナガザルの祖先を明らかにする化石史料は見つかっていない。彼らは東南アジアの未知のヒト科 の集団から分かれたかも知れない。
ヒト亜科とオランウータン亜科の分岐
その後、ヒト科が1400万年前にヒト亜科 とオランウータン亜科 に分岐したと推定されている。初期のオランウータンは1000万年前のインド のラマピテクス、あるいはトルコ のグリフォピテクスかもしれない。
ヒト族とゴリラ族の分岐
約1000万年前にヒト亜科がヒト族 とゴリラ族 に分岐したと推定されている。
ゴリラ、チンパンジー、ヒトを結び付ける最後の祖先はケニア で見つかったナカリピテクス、あるいはギリシャ で見つかったオウラノピテクスの可能性が示唆されている。
ヒト亜族とチンパンジー亜族の分岐
約700万年前にヒト亜族 とチンパンジー亜族 に分岐したと推定されている。DNAの変異にかかる時間に基づき推定すると800-700万年前に分岐した可能性が高いとの論文が発表されている[32] 。ヒトのDNA はチンパンジーのDNAと98.4%同一である[33] 。ゴリラとチンパンジーの系統の化石は非常に限定的である[34] 。保存に厳しい環境(熱帯雨林 土は酸性で、骨を分解しやすい)とサンプルの偏りがこの問題の原因である。彼ら以外のヒト科は赤道 の外縁あたりで、アンテロープ 、ハイエナ 、ウマ 、ゾウ たちと共に、より乾燥した環境に適応 した可能性がある。彼らの化石は比較的有名である。チンパンジー亜族 と分岐し直立二足歩行 をしていたヒト亜族 のうち、もっとも初期のものはサヘラントロプス・チャデンシス (700-600万年前)である。
ヒト (=人類 )とは、広義にはチンパンジー亜族と分岐したヒト亜族 に属する動物 の総称であり[35] 、狭義には現生の(つまり現在生きている)人類 を指す[36] 。
ヒト亜族の下位分類
表記は左から順に、1. 学名 、2. あれば和名 、( )内は別名など補足情報、3. 学名と表記の異なる英語 名があれば全ての英語名、4. 特記事項。†(短剣符 )は絶滅 の意。
ヒト属 に先行するヒト亜族的分類群を独立した亜族と見なす学説では、それらを束ねて以下の地位を与える。
†subtribus Australopithecina アウストラロピテクス亜族 subtribus Australopithecina, Australopithecine, Australopithecines
(異説:†genus Graecopithecus グレコピテクス 属(グラエコピテクス属) genus Graecopithecus …約720万年前。オウラノピテクス 属 (Ouranopithecus ) のシノニム 。
†Graecopithecus freybergi
†Graecopithecus macedoniensis )
†genus Sahelanthropus サヘラントロプス属 genus Sahelanthropus …約700万年前。
†Sahelanthropus tchadensis サヘラントロプス・チャデンシス …発見された1個体は「トゥーマイ猿人(英 : Toumaï )」の愛称をもつ。
†genus Orrorin オロリン属 genus Orrorin …約610万年~約580万年前。
†Orrorin tugenensis オロリン・トゥゲネンシス
†genus Ardipithecus アルディピテクス属 genus Ardipithecus …約580万年~約440万年前。
†Ardipithecus kadabba アルディピテクス・カダッバ (カダッバ猿人)
†Ardipithecus ramidus アルディピテクス・ラミドゥス (ラミドゥス猿人)
†genus Australopithecus アウストラロピテクス属 (オーストラロピテクス属 以下同様 ) genus Australopithecus …旧称“華奢型アウストラロピテクス”。約540万年~約150万年前。
†Australopithecus afarensis アウストラロピテクス・アファレンシス (アファール猿人)
†Australopithecus africanus アウストラロピテクス・アフリカヌス (アフリカヌス猿人)
†Australopithecus anamensis アウストラロピテクス・アナメンシス (アナム猿人)
†Australopithecus bahrelghazali アウストラロピテクス・バーレルガザリ (バーレルガザリ猿人)
†Australopithecus garhi アウストラロピテクス・ガルヒ (ガルヒ猿人)
†genus Kenyanthropus ケニアントロプス属(ケニヤン…、ケニャン…) genus Kenyanthropus …約300万年~約270万年前。
†Kenyanthropus platyops ケニアントロプス・プラティオプス
†genus Paranthropus パラントロプス属 genus Paranthropus …旧称“頑丈型アウストラロピテクス”。約270万年~約120万年。
†Paranthropus aethiopicus パラントロプス・エチオピクス (エチオピクス猿人)
†Paranthropus robustus パラントロプス・ロブストゥス (ロブストゥス猿人)
†Paranthropus boisei パラントロプス・ボイセイ (ボイセイ猿人)
genus Homo ホモ属(ヒト属 ) genus Homo , humans …約250万年前~現世 。これより下位は「ヒト属の下位分類 」を参照のこと。
アウストラロピテクス
アウストラロピテクス (学名:Australopithecus 、和名の表記揺れ:オーストラロピテクス)は、アフリカで生まれた初期の人類であり、約400万年前 - 約200万年前に生存していた、いわゆる華奢型の猿人である。身長は120cm台 - 140cm台くらいで、脳容積は現生人類の約35%の500cc程度であり、チンパンジーとほとんど変わらないが、骨格から二足歩行 で直立して歩く能力を持つと考えられている。アウストラロピテクス・アフリカヌス の頭蓋骨 には人類と同じ直立二足歩行 の姿勢であったことを示す位置に脊柱とつながる穴(大後頭孔 )があったことからである。姿形は直立したチンパンジーというイメージである。以前は最も古い人類の祖先とされていたがアルディピテクス属 の発見により、その次に続く属となった。約440万 - 約390万年前にA・アナメンシスが、約390万 - 約300万年前にアファレンシスが現れ、約330万 - 約240万年前にアウストラロピテクス・アフリカヌス に進化した。この属からパラントロプス と、ホモ(ヒト属)最初の種ホモ・ハビリス に進化したと考えられている。
パラントロプス
パラントロプス (学名:Paranthropus )の体長は1.3から1.4mで、華奢型アウストラロピテクスよりひと回り大きい。脳もいくらか大きめである。
形態的には、アウストラロピテクスよりヒト的な特徴は減少しており、堅い食物を咀嚼するため、高く厚い下顎と太い側頭筋、それを通すために張り出した頬骨弓および大型の臼歯など頑丈な咀嚼器を有している。硬い植物性の食物、根などを常食としていたと考えられる。
ヒト属
ヒト属 (別名:ホモ属、学名 :Genus Homo )は、ヒト亜族 のうちで、大脳 が著しく増大進化したタクソン (分類群)を指している。属名 Homo は、イタリック祖語 起源のラテン語 homō (日本語 音写 例 :ホモー、英 訳 :a human being [注 1] , a man, a person 、和訳 :人間、人)に由来し[注 2] 、「分類学 の父」と称される博物学者 カール・フォン・リンネ が、生きとし生けるもの[注 3] を初めて分類するにあたって自分達の学名として選んだ名称である。
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2014年版
ただし、ヒト属の分散と類縁関係について統一的見解は存在しない(以下同様)。
現代の分類学において、"解剖学 的現代人"の意味合いをもつ「現生人類 」は、学名でいう Homo sapiens (亜種 を認める説では Homo sapiens sapiens )と、結果的の同義 であり、ヒト属で唯一の現存するタクソンであるからこそ、その名で呼ばれている。現生人類の起源についての研究が進むに連れ、ほかにもヒト属の下位タクソンが存在したものの、現生人類という1タクソンを残してそれ以外全て絶滅していることが分かっている。絶滅グループの中に現生人類の直接の祖先が(それが既知の種か未発見種かはともかくも)いることに疑問の余地は無いが、絶滅グループのほとんどは現生人類の"従兄弟 "であって、ヒト属の範疇にある化石人類 と現生人類が形成している進化系統群 のなかでの個々の種の分類学上の地位(進化上の位置、リンネ式分類法 上の階級 など)について統一的見解が得られたことはない。これは化石人類の分類に用いられる種の概念が解剖学的特徴に基づいた形態的種 であるためであり、2つの種の中間的な特徴をもつがゆえに分類の困難な化石も多く発見されている。「種 (分類学) 」も参照のこと。
サハラ砂漠 の拡張が初期のヒト属の進化の原因となったともいわれているが、ヒト属の進化の要因についていくつかの説がある。一つの説はサバンナ説で、人類学者レイモンド・ダート によって提示された。樹上性であった(かもしれない)人類の祖先の一部が、乾燥化に伴う樹林の減少によってやむを得ず、あるいは、繁栄したがための生息域の積極的拡大もしくは弱小グループの追放という形で、新天地を求めてサバンナ へ進出したというものである。もう一つはアクア説 と呼ばれており、こちらには多くの研究者が異論を唱えている。これは食料を集めるために水中を歩き、泳ぎ、潜ることが人類の祖先と他の類人猿の祖先に異なる選択圧を与えたと主張している。フランスの古人類学 者イヴ・コパン (英語版 ) は東アフリカ の大地溝帯 が引き起こした東側地域の乾燥化が、チンパンジー属 とヒト属の祖先グループを西側の森と東側のサバンナに分断し、それぞれが地理的種分化 によって別属となったという仮説(イーストサイドストーリー と呼ばれる)を提唱したが、大地溝帯の西側からも祖先系統と見られる化石種が発見されたことで、2003年に提唱者自らこの仮説を撤回している。
考古学 と古生物学 の証拠に基づいて、さまざまなヒト属の食性 を推論することが可能で、食性がヒト属の身体と行動に与えた進化的影響は研究の中途にある[37] [38] [39] [40] [41] 。
現生しているヒトの脳が肥大化・高度化した原因として推測されている遺伝子変異はいくつか挙げられている、一部を挙げるとASPM 、CMAH [42] [43] [44] 、DUF1220 、FOXP2 、HAR1 、HARE5 、MCPH 、等がある。
ヒト属の下位分類
表記は左から順に、1. 学名 、2. あれば和名 、( )内は別名など補足情報、3. 学名と表記の異なる英語 名があれば全ての英語名、4. 特記事項。†(短剣符 )は絶滅 の意。
原人
ホモ・ハビリス
ホモ・ハビリス (学名:Homo habilis )は、およそ240万から140万年前にかけて生存していた。ヒト属の最初の種であるハビリスは鮮新世 後期か更新世初期に南アフリカと東アフリカで出現した。おそらく250万から200万年前にアウストラロピテクス の一つから種分化したと考えられている。ハビリスはアウストラロピテクスよりも小さな臼歯 と大きな脳を持っており、石と、おそらく動物の骨から道具を製造した。彼らは初めて知られたヒト科の一種で、発見者ルイス・リーキー によって彼らの石器に結び付けて「器用な人」とあだ名を付けられた。一部の科学者は頭蓋後部の形態からホモ・サピエンスのような二足歩行よりも樹上に適応していたと考え、ヒト属からアウストラロピテクス属へ移すよう提案している[45] 。
ホモ・ルドルフエンシスとホモ・ゲオルギクス
これらは約190万年から約160万年前の化石に名付けられた種である。ホモ・ハビリスとの類縁関係は明白ではない。
ホモ・ルドルフエンシス (学名:Homo rudolfensis 、和名の表記揺れ:ホモ・ルドルフェンシス)は、ケニアで発見された一つの不完全な頭骨である。研究者はハビリスの一種であると主張したが、まだ確かめることができない[46] 。
ホモ・ゲオルギクス (学名:Homo georgicus )は、ジョージア で発見された。ホモ・ハビリスとホモ・エレクトゥスの中間か[47] 、あるいはホモ・エレクトゥスの亜種であるかも知れない[48] 。
ホモ・エルガステルとホモ・エレクトゥス
ホモ・エレクトゥス (学名:Homo erectus 、和名の表記揺れ:ホモ・エレクトス)の最初の化石は、1891年にインドネシア のジャワ島 でオランダ人 軍医ウジェーヌ・デュボワ によって発見された。彼は当初、その化石が人類と類人猿の中間であると考え、ピテカントロプス・エレクトゥスの名を与えた[49] 。ホモ・エレクトゥスは約180万年前から約7万年前までという非常に長い期間に亘って生存していた。約150万年~約100万年前、更新世初期に脳がより大きくなり精巧な道具を作ったホモ・ハビリスの子孫がアフリカ、アジア、ヨーロッパの各地に分散した。これらの特徴は古人類学者にとって彼らをホモ・ハビリスとは異なる種に分類するのに十分な理由となる。しばしば初期の段階、180万から125万年前までは別の種ホモ・エルガステル 、あるいはエレクトゥスの亜種ホモ・エレクトゥス・エルガステルと扱われることがある。
エレクトゥスは間違いなく直立二足歩行していた事が明らかな最初の人類の祖先で、それはしっかり嵌まる膝蓋骨と大後頭孔(脊椎が入る頭骨の孔)の位置の変化によって可能になった[50] 。加えて彼らは肉を調理するために火 を使った可能性がある。ホモ・エレクトゥスの有名な例は北京原人 である。多くの古人類学者はホモ・エルガステルという呼称をこのグループの非アジア種に用いていて、エレクトゥスと言う呼称はアジア地域で見つかり、エルガステルとわずかに異なる骨格、歯の特徴を満たしている化石だけに用いているが、本項ではその用法に従っていない。
ホモ・ケプラネンシスとホモ・アンテセッサー
これらはホモ・エレクトゥスとホモ・ハイデルベルゲンシス の間をつなぐかも知れないと主張されている[要出典 ] 。
ホモ・アンテセッサー (学名:Homo antecessor 、和名の表記揺れ:ホモ・アンテセッソール、ホモ・アンテケッソール)は、約120万年前から約50万年前にかけて生存していた[51] [52] 。スペイン とイングランド から化石が発見されている[51] [52] 。
ホモ・ケプラネンシス(学名:Homo cepranensis 、和名の表記揺れ:ホモ・セプラネンシス)は、イタリア半島 から一つの頭骨片として発見されている[53] 。約80万年前のものと推測されている[53] 。
ホモ・ハイデルベルゲンシス
ホモ・ハイデルベルゲンシス (学名:Homo heidelbergensis 、別の和名:ハイデルベルク人)は、約80万年から約30万年前にかけて生存していたタクソン である[54] 。
より高度な進化を遂げた人類としてホモ・エレクトゥス の系統群 から分岐したタクソンであるが、階級的位置づけについては大きく分けて2つの見解がある。一つは原人 の進化段階を脱していないという捉え方で、これを反映して提案された学名は Homo erectus heidelbergensis (ホモ・エレクトゥス・ハイデルベルゲンシス)である。次に、過渡期にあることを重視して提案された学名 Homo heidelbergensis (ホモ・ハイデルベルゲンシス)があり、これが多くの支持を集めている。これらに加えてハンガリー の人類学者アンドール・トマが後頭骨 化石標本サム (英語版 ) を論拠として唱えた仮称 Homo erectus seu sapiens paleohungaricus (ホモ・エレクトゥス・セウ・サピエンス・パレオフンガリクス。意訳 :ホモ・エレクトゥス・パレオフンガリクス、もしくは、ホモ・サピエンス・パレオフンガリクス)もあるが、支持者が多いとは言い難い。
現生人類へ到る進化の道筋を"本流"とするなら、まさにそれ以前に本流を内包していたエレクトゥス系統群から分岐し、次の時代の本流そのもの、あるいは本流への繋ぎ役になったと考えられている。
ホモ・フローレシエンシス
ホモ・フローレシエンシス (学名:Homo floresiensis 、別の和名:フローレス人)は、約19万年から約5万年前という比較的最近を生存期間とするタクソン である(※発見当初は約10万年~約1.2万年前と推定された)[55] 。彼らの体格は極めて小さく、これは島嶼化 によるものと考えられている[55] 。「ホビット 」という愛称もこれに由来する[55] 。
フローレシエンシス種の主要な発見は、2003年、ニュージーランド の考古学者 マイク・モーウッド (英語版 ) によってインドネシア のフローレス島 から発見された30歳前後と思しき女性の骨格化石であり、彼女の生存年代は約1.8万年前と見積もられた(※この数値は今では支持を失っている)。この女性の推定される生前の姿は、身長わずか1メートルで、脳容量は380cm3 とチンパンジー 並みに小さく、現代人女性(平均1400cm3 )の3分の1程度でしかなかった。
フローレシエンシス種は、その矮小さと年齢から、実際に最近まで生きていた現生人類と共通しない特徴をもつホモ属の興味深い例と考えられている。すなわち、いつの時点かで現生人類と祖先を共有するが、現生人類の系統群とは異なる独自の進化過程を辿ったと思われ、多くの研究者はエレクトゥス の系統群に共通祖先が含まれると考えている。しかし、彼らが本当に別の種であるかは未だ議論が続いており[56] 、小人症 を患った現生人類と考える研究者も一部にはいる[57] 。この [どこ? ] 仮説は、フローレス島に住む現代人が小柄であるために、ある程度説得力がある [要出典 ] 。小柄さと小人症によって本当にホビットのような矮小な地域個体群 が生まれた可能性はある。別種説への他の主要な反論は、現生人類と関連した道具類とともに発見されたという点である[57] 。
しかしいずれにしても、現在知り得る進化系統樹 を結果から見れば、彼らの枝の先には何も生まれなかった。その意味で、進化上の完全な傍流で終わった。
旧人
ホモ・ヘルメイ
ホモ・ヘルメイ(仮称:Homo helmei )は、約26万年前 (259±35 ka) に生きていたと推定されるフロリスバッド人 (1932年出土。cf. en:Florisbad Skull ) に与えるべく提案されている仮の学名の一つ。パラントロプス あたりから分岐して独自に進化してきた原人 と見なす学説の下では、Africanthropus helmei (アフリカントロプス・ヘルメイ)の学名が提案されている。しかし、原人ホモ・ハイデルベルゲンシス に含まれるとする説が有力であり、この説の下で提案されている学名は、当然ながら、ホモ・ハイデルベルゲンシスと同じである。また、ホモ・ハイデルベルゲンシスから分岐したタクソン と見なす説もあり、この場合に Homo helmei (ホモ・ヘルメイ)という学名が成立し得る。このヘルメイ種は、古代型ホモ・サピエンス(早期ホモ・サピエンス;en:early Homo sapiens )の一種である可能性が唱えられている。
ホモ・ローデシエンシス
左は「ブロークンヒル・スカル」こと頭蓋骨化石標本 "
Kabwe 1 "(複製)。右は生態復元図。
ホモ・ローデシエンシス (学名:Homo rhodesiensis 、別の和名:ローデシア人)は、約30万年前から約12.5万年前までの間、アフリカ の比較的広範囲地域(南アフリカ 、東アフリカ 、北アフリカ )に生息していたと考えられている。
現生人類(ホモ・サピエンス)の古拙(アルカイック)形の一種、すなわち原始的1亜種 と見なして、Homo sapiens rhodesiensis (ホモ・サピエンス・ローデシエンシス)という学名 と、"Archaic Homo sapiens (アルカイック・ホモ・サピエンス)" の一種という英語名が提案されもしたが、多くの研究者は、本種をホモ・ハイデルベルゲンシス と同じか極めて近い類縁種と考えている。原人よりは進化し、現生人類よりは原始的であるため、旧人段階にあるという見解もある。一時期はホモ・ネアンデルターレンシス の1亜種と考えられることもあったが、現在ではそれとは種 レベルで異なる旧人と見なされている。
ガーウィーズの頭蓋骨
2006年2月16日、エチオピア はアファール盆地 の一角を占めるガーウィーズ川流域 (Gawis river basin) にあるガーウィーズ (Gawis) [注 6] にて、おそらくホモ・エレクトゥスとホモ・サピエンスの中間か、それに近い進化的傍流(行き止まり)に属する種のものと思われる頭蓋骨上部の化石が発見された[58] 。「ガーウィーズの頭蓋骨 (ガーウィーズ・クレイニアム、- クレニアム)(en )」と呼ばれるこの化石標本は、層位学的 には約50万年から約20万年前に属するものと推定された[58] 。推定された生息年代と生息地は、ホモ・ローデシエンシスと重なるところが多い。ただ、知られているのは概要のみで、発掘チーム[注 7] は査読付き論文を発表していない[58] 。標本の特徴は、彼らが中間種であるか、ボド・マン の女性のものであるかを示している[58] 。
ホモ・ネアンデルターレンシス
ホモ・ネアンデルターレンシス(学名:Homo neanderthalensis 、別の和名:ネアンデルタール人、異称:古典的ネアンデルタール、ネアンデルタール人類 )は、
約40万年前に出現し、2万数千年前に絶滅したとみられる。ただし、新しい学説(2014年発表)は約4万年前に絶滅したとする[59] 。
ネアンデルタール人は、ホモ属の独立種ホモ・ネアンデルターレンシスと見なすのが今日の世界の定説であるが、未だ発見されていない理論上のサピエンス種の原初的グループから早期に分岐した1亜種 ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシスと見なす説が一部にはある[60] (cf. 学名と異説 )。既知で最古のサピエンス種であるイダルトゥ の出現時期は約16万年前であるから、それより大きく先行していることになる。
ネアンデルタール人と現生人類(ホモ・サピエンス)の間での大規模な遺伝子 流動、すなわち「混血」の可能性については、マックス・プランク進化人類学研究所 所属の人類学者マーク・ストーンキング (英語版 ) が、ペンシルベニア州立大学 所属時代の1997年に「これらの(ネアンデルタール人の骨から抽出されたミトコンドリアDNAに基づく)結果は、ネアンデルタール人がミトコンドリアDNAを現代人に与えなかったことを示している。(...略...)ネアンデルタール人は我々の祖先ではない。」と語っており、ネアンデルタール人のDNAの塩基配列研究もこの結果を支持した[61] 。また、多地域進化説の支持者は最近の非アフリカ人の核DNAが100万年前まで遡る可能性を示すことを研究した[62] が、現在この研究の信頼性は疑われている[63] 。古植物学 者で地球生物学 者 (geobiologist ) のミヒャエル・クリングス (Michael Krings) らが2008年に発表したミトコンドリアDNA 解析に基づく分子系統学 的知見[64] [65] は、大規模な混血が起こらなかったことを示す[64] [65] とともに、両者が約66万年前という一層遠い昔に共通祖先 をもつことをも示唆した[64] [65] (cf. 現代人との混血 )。ところが、2010年になると混血の痕跡があるとする研究結果が[誰? ] 『サイエンス 』誌上で発表され、議論が収束する様子は見られない。
絶滅については、アメリカの人類学者ナオミ・クレッグホーン (Naomi E. Cleghorn[注 8] . テキサス大学アーリントン校 所属) は、イタリア半島 やコーカサス山脈 で約4万年前に相次いだ火山噴火 を理由に挙げている[66] 。このような環境的要因を指摘する説は以前にも発表されていたが、約4万年前に起こった事象はその種の災害とは規模が違っており、例えば、複数の火山がほぼ同時期に噴火する苛烈なものであったという[66] 。なかでもヴェスヴィオ山 周辺地域で約3万9000年前に発生したプリニー式噴火 であるカンパニアン・イグニンブライト噴火 (英語版 ) は、ヨーロッパ大陸 における過去20万年間で最も規模の大きい噴火であった[66] 。「当時のヨーロッパ大陸には現生人類の小集団も住んでいたので、噴火の影響を同様に受けたと考えられる。しかしながら、ネアンデルタール人のほとんどがヨーロッパに居住していたのに対し、現生人類はアフリカやアジアにより大きな人口を抱えていたため、絶滅を避けられたようだ。」とクレッグホーンは考える[66] 。
ネアンデルタール人は約3万年前に滅亡したと長らく考えられていたが、2005年、イベリア半島 南端にある「ジブラルタルの岩 」に属するゴーラム洞窟 [gm 1] が化石人類の遺跡であると判明し[67] 、ネアンデルタール人に特有の石器類や、洞内で火を利用していた痕跡(炭化 した松かさ 〈イタリアカサマツ の球果〉や焚火 跡)が見つかったことで[67] 、細々にではあってももっと若い時代にまで命脈を保っていたことが分かった[67] 。これらの遺物のうち最も古いものは約12万5000年前に属し、そして、最も若いものは約2万8000年~約2万4000年前に属しているという、放射性炭素年代測定 の数値が出たからである[67] [68] 。洞窟の奥には約2万300年~約1万9500年前のものと推定されるネアンデルタール人以外の人類の手形 が遺されており、住人の入れ替わりがあったことを確認できる[67] 。ゴーラム洞窟遺跡が真に最も若い時期のネアンデルタール人の痕跡であるなら、かつて豊かな草原の只中にあったのが厳しい半乾燥地帯に変わってしまい[67] 、いつしか侵蝕 を受けてアルボラン海 に面してしまった地域と考えられる[67] ヨーロッパ大陸南西端部の小さな洞窟で、彼らは最期を迎えたことになる[67] 。しかし当節の冒頭で述べたように、新たな学説は大きく異なる時期を示しており、統一的見解を得るには程遠い。
新人
ホモ・サピエンス・イダルトゥ
ホモ・サピエンス・イダルトゥ (学名:Homo sapiens idaltu 、和名の表記揺れ:ホモ・サピエンス・イダルツ、別の和名:ヘルト人)はエチオピア で発見されており、16万年前頃生きていたと考えられる。それは亜種 として扱われてはいるが(ただし、ホモ・サピエンスの亜種分類法については学説上統一した合意はない)、解剖学的には現代人であり、知られているなかで最も古い新人 段階の人類である。彼らの直接の子孫がネグロイド であり、モンゴロイド とコーカソイド はネアンデルターレンシスとの混血種であるらしいという最近[いつ? ] の研究結果がある。これによると、イダルトゥは系統的にネグロイドに属することになる。
イダルトゥよりさらに古いサピエンスの直接の祖先としては約26万年前のフロリスバッド人 (1932年出土。cf. en:Florisbad Skull ) や金牛山人の人骨が発見されているが、これらは進化段階としては旧人 とみられる。ただし、イスラエル で約40万年前の最古のホモ・サピエンスである可能性がある人骨が発見されている。ネアンデルタール人との共通祖先との分岐年代が40万年以上前であることから、分岐直後の時期にはホモ・サピエンスが存在していたという解釈も可能であり、その場合、上記の人骨化石はイダルトゥよりさらに古いホモ・サピエンスの発見ということになる。
ホモ・サピエンス
著名な古生物画家チャールズ・ナイト (英語版 ) の手になる、フォン・ド・ゴーム洞窟 (英語版 ) とクロマニョン人 の生態環境復元画。洞窟壁画 に描かれているのはケナガマンモス 。1920年発表。
ホモ・サピエンス(学名:Homo sapiens )は、解剖学 的に何ら違いが認められない現代の人類と化石人類 とを同一の種 と認めたうえでの、1タクソン (1分類群)である。“解剖学的現代人”の意味合いをもって呼ばれる「現生人類」と、同じものを指す。ラテン語 sapiens は「wise 、賢い」の意。約25万年前に出現したと考えられ、その後、唯一の残存種となった。
現代人と上記のイダルトゥには亜種レベルの相違があるとみなして、亜種「Homo sapiens sapiens 〈ホモ・サピエンス・サピエンス〉」として扱うこともあるが、ホモ・サピエンスの亜種については統一した合意はないため、本項目は「ホモ・サピエンス」とする。
47万年〜66万年前に上記ネアンデルタール人との共通祖先から古代型サピエンスが分岐した。ここでは旧人時代の古代型サピエンスについても記述する。40万年前から25万年前の中期更新世の第二間氷期までの間に、旧人段階であった彼らが頭骨の拡張と石器技術が発達したようで、この事がホモ・エレクトゥスからホモ・サピエンスへ移行の証拠と見られている。移行を示す直接の証拠は、ホモ・エレクトゥスがアフリカから他の地域へ移住した間にアフリカで種分化が起きたことで(アフリカのどこで起きたかについてはわかっていない)エレクトゥスからホモ・サピエンスが分かれたことを示唆している。その後アフリカとアジア、ヨーロッパでエレクトゥスがホモ・サピエンスに入れ替わった。このホモ・サピエンスの移動と誕生のシナリオは単一起源説(アフリカ単一起源説 )と呼ばれていて、現在古人類学において多地域進化説と単一説で激しい議論がされている。また、人類の遺伝的多様性が他の種に比べると非常に小さいことを確認されているが、これは比較的最近に各地に分散したか、トバ山噴火 の影響の可能性がある。
約7万5000年前から約7万年前に、インドネシア 、スマトラ島 にあるトバ火山 が大噴火を起こして気候の寒冷化を引き起こし、その後の人類の進化に大きな影響を与えた。トバ・カタストロフ理論 によれば、大気中に巻き上げられた大量の火山灰 が日光を遮断して火山の冬 を引き起こし、地球の気温 は平均5℃も低下したという。劇的な寒冷化 はおよそ6000年間続いたとされる。その後も気候は断続的に寒冷化するようになり、地球は最終氷期 [注 9] へと突入する。この時期まで生存していたホモ属の進化的源流にあたるタクソン (ホモ・エレクトゥス など)の主要なグループは絶滅したと考えられる。トバ事変の後まで生き残ったホモ属はネアンデルタール人 と現生人類 のみである。現生人類も、トバ事変の気候変動によって総人口が1万人までに激減したという。かろうじて生き残った現生人類も人口減少によってボトルネック効果 が生じ、その遺伝的多様性は失われた。現在、人類の総人口は70億人にも達するが、遺伝学的に見て、現生人類の個体数のわりに遺伝的特徴が均質であるのは、トバ事変のボトルネック効果による影響であるとされる。遺伝子の解析によれば、現生人類は極めて少ない人口(1000組~1万組ほどの夫婦)から進化したことが想定されている。遺伝子変化の平均速度から推定された人口の極小時期はトバ事変の時期と一致する。この学説は約6万年前に生きていた“Y染色体アダム ”や約14万年前に生きていた“ミトコンドリア・イヴ ”を想定した学説とは矛盾しない。また、現生人類の各系統が約200万年〜約6万年前の時期に分岐したことを示している現生人類の遺伝子の解析の結果も、トバ・カタストロフ理論とは矛盾しない。なぜならば、トバ・カタスロトフ理論は総人口が数組の夫婦まで減少したという学説ではなく、そこまで凄まじいボトル・ネック現象を想定しているわけではないからである。現生人類の遺伝的多様性は、トバ事変によって現生人類の人口が一度減少したことを示唆している[69] 。
また、衣服 の起源をトバ事変に関連づける向きもある。ヒトに寄生 するヒトジラミ (人虱、Pediculus humanus )は2つの亜種 、主に毛髪 に寄宿するアタマジラミ(頭虱、P. h. capitis )と、主に衣服に寄宿するコロモジラミ(衣虱、P. h. humanus , P. humanuscorporis )に分けられる。近年[いつ? ] の遺伝子の研究からこの2亜種が分化したのは約7万年前であることが分かっている[70] 。つまり、約7万年前にヒトが衣服を着るようになり、新しい寄宿環境に応じてコロモジラミが分化したと解釈される。そこで研究者らは、時期的に一致することから、トバ火山の噴火とその後の寒冷化した気候を生き抜くためにヒトが衣服を着るようになったのではないかと推定している[71] 。
近年[いつ? ] では、ヨーロッパに進出したホモ・サピエンスはネアンデルタール人と、メラネシア方面へ進出したホモ・サピエンスはデニソワ人 と交雑したという研究結果も発表されている[72] 。
なお、ヨーロッパ人 と日本人 の共通祖先の分岐年代は、7万年前±1万3000年であると推定されている[73] 。
印象的な遺伝的特徴(例えば皮膚の色 )は、主に小集団が新たな環境へ移住した結果として起きた。これらの適応 形質はホモ・サピエンスのゲノム の非常にわずかな部分によって引き起こされるが、皮膚の色のほかに鼻の形態や高高度地域で効率的に呼吸する能力など様々な形質を含む。
現生人類(左)とネアンデルタール人(右)の頭蓋骨の比較写真
心と行動の進化
人類の心と行動を進化させた要因については異なるいくつかの説がある。かつては脳の巨大化が二足歩行といった「知的な」行動の原因となったと考えられていた。しかし進化は目的論 的には働かないと言う認識が深まりこの説は放棄された。何故ならヒトの祖先であるアウストラロピテクスはチンパンジー並みの440mlという非常に原始的な形態を示す脳を持つと同時に、完全に直立した下肢を持ち、大頭骨孔も頭の真下に位置し、二足歩行をしていた。脳 の発達が人類進化の原点であるという20世紀初頭の考えは、アウストラロピテクスの発見により完全に否定されたのである[76] [信頼性要検証 ] 。
知能の発達に関する説の一つはレイモンド・ダート の狩猟仮説 である。動物を追い、効率よく狩りをするために予測や想像といった知性の発達が必要である。肉食による摂取エネルギーの増加は脳の増大を許容したかもしれない。狩猟仮説は戦争 や暴力 も狩猟活動の名残ではないかと予測する。しかし多くの生物で攻撃行動 は捕食行動とは異なる部位の脳を活性化させる。また種内と種間の攻撃性は区別する必要がある。
一方、ドナ・ハートとロバート・サスマンは『ヒトは食べられて進化した』でヒトは長い間、捕食者ではなくてむしろ被食者であり、捕食を回避することが知能発達の選択圧になったと主張している。人類学者パスカル・ボイヤー は暗闇に対する恐怖、幽霊 の錯覚のような認知的錯誤 の一部が捕食者回避によって発達したのではないかと考えている。
米国・ユタ大学 のデニス・ブランブル (Dennis Bramble) とハーバード大学 のダニエル・リーバーマン (英語版 ) は2004年 、初期人類は、動物遺体から屍肉を集め、石を使って骨を割り、栄養価の高い骨髄 を得ることを生息手段とする、一種の腐肉食 動物であったとの仮説を提唱した[77] 。
人類は競合者に先駆けて動物遺体を手に入れるため、発汗による高い体温調整能力を始めとし、弾性のあるアキレス腱 や頑丈な脚関節といった「速いピッチでの長距離移動 の能力」を進化させ、広い地域を精力的に探し回る者として特化したとするものである。
このような適応 の傾向と栄養価の高い食物が大きな脳の発達を可能にしたのではないかと説いた。
心理学者ニコラス・ハンフリー は複雑化する社会活動が重要な選択圧だと考えて社会脳仮説 を提唱した。協力行動や騙し、騙しの発見などを行うには相手の心を読み、複雑な人間関係を理解する必要がある。心の理論 の発達はこの一部であったかもしれない。霊長類学者ロビン・ダンバー は霊長類の大脳新皮質の大きさと様々な生活上の変数(食性、配偶システム など)を比較し、群れの大きさとのみ相関があると指摘した。群れの巨大化は個人関係の複雑さに繋がる。社会脳仮説の支持者はダンバーの発見を証拠の一つと考えている。
認知考古学者スティーブン・ミズンは心のモジュール説 を受け入れ、異なる神経構造を基盤に持ついくつかのモジュール化された心的機能(例えば言語能力、心の理論、直観的な物理の理解など)が個別に発達し、一般的知能が異なるモジュールの相互作用で完成したのではないかと考えている。
言語の利用
発声を扱ううえで、初期のヒト属(250-80万年前)の言語を扱う能力に関して著名な説がある。解剖学 的に、350万年前ごろのアウストラロピテクス において発達した二足歩行という特質が頭蓋骨 に変化をもたらし、声道 をよりL字形にしたと信じている学者もいる。頸部 の比較的下の方に位置する声道や喉頭 といった構造はヒトが作り出す多くの音声、特に母音 を作るうえで必須な必要条件である。喉頭の位置に基づいて、ネアンデルタール人 ですら現生人類が作り出す全ての音を完全に出すのに必要な解剖学的構造を具えていないと信じている学者もいる[78] [79] 。さらに別の考え方では、喉頭の位置の低さは発声能力の発展とは無関係とされる[80] 。詳細は「言語の起源 」を参照のこと。
道具の使用
道具の使用は知性の存在の象徴と解釈され、また道具の使用は人類の進化の特定の面(特に脳の継続的な増大)を刺激したかも知れないと推測されている。研究者は何百万年も続くこの負担の大きな器官の増大をまだ説明できていない。現代人の脳は20ワット(一日400キロカロリー)を消費し、人体の全消費量の20%にも達する。さらなる道具の使用は狩りと、植物よりエネルギーが豊富な肉の消費を可能にした。研究者は初期のヒト科が道具の作成と使用能力の増大を促すような選択圧 のもとに置かれたと主張している[81] 。
初期の人類が道具を使い始めた正確な時期を特定するのは難しい。というのも原始的な道具(例えば鋭利な石)は人工物なのか自然にあるものか判別できないからである。アウストラロピテクスが400万年前に骨を道具として用いていた可能性を示す証拠があるが、これは議論の的である。
石器
石器 は、約260万年前に初めてその証拠が現れる。東アフリカ のホモ・ハビリス はいわゆる礫器、単純に打ち付けて割った丸い小石を用いていた[82] 。これは旧石器時代 の始まりを意味する。旧石器時代は最終氷期 の終焉期(約1万年前)に終わる。旧石器時代は前期(約35万年~約30万年前まで)、中期(約5万年~約3万年前まで)、後期に分けられる。約70万年から約30万年前の時代はアシュール文化 (cf. en:Acheulean ) としても知られている。ホモ・エルガステル (またはホモ・エレクトゥス )は火打石 と珪岩 から大きな石斧 を使っていた。最初(初期アシュール時代)には全く粗雑な作りであるが、のちには破片の縁で微妙に打ち付けることでより「加工された」道具を作った。
約35万年前にはより洗練されたルヴァロワ技法 (英語版 ) による石器作りが行われた。ルヴァロワ技法による石器の作成は完成予定の石器の形を正確に思い描かなくてはならず、抽象思考の証拠と考えられている。打ち付ける技術が洗練されると、鏝 (こて) 、スライサー、針 なども作られるようになった。約5万年前にはネアンデルタール人と移住してきたクロマニョン人 によって、より洗練され、特化された火打石やナイフ、刃物、毛皮などを剥くスキマーなどが作られた。この時期には骨からも道具が作られた。
火の利用
ヒトは、火を調理 に使い、暖を取り、獣から身を守るのに使い、それによって個体数を増やしていった。火を使った調理は、ヒトがタンパク質 や炭水化物 を摂取するのを容易にした。火を利用することによって寒い夜間にも行動ができるようになり、あるいは寒冷地にも住めるようになり、ヒトを襲う獣から身を守れるようになった[83] 。
ヒト属による単発的な火の使用の開始は、約170万年から約20万年前までの広い範囲で説が唱えられている[84] 。最初期は、火を起こすことができず、野火 などを利用していたものと見られる[85] が、日常的に広範囲にわたって使われるようになったことを示す証拠が、約12万5000年前の遺跡から見つかっている[86] 。
周口店の北京原人遺跡 。北京原人 はホモ・エレクトゥスの一種であり、火を使っていたと考えられている。
ヒトの生活は、火とその明るさで大きな影響を受けた。夜間の活動も可能となり[87] 、獣や虫除けにもなった[83] [84] 。また、当初は火を起こすのが難しかったため、火は集団生活で共用されるべきものとなり、それにより集団生活の必要性が増した[88] 。
火の使用は栄養価の向上にも繋がった。タンパク質は加熱することで、栄養を摂取しやすくなる[83] [89] [90] 。黒化した獣の骨から分かるように、肉も火の使用の初期から加熱調理されており、動物性タンパク質からの栄養摂取をより容易にした[91] [92] 。加熱調理された肉の消化に必要なエネルギーは生肉の時よりも少なく、加熱調理はコラーゲンのゼラチン化を助け、炭水化物の結合を緩めて吸収しやすくする[92] 。また、病原となる寄生虫や細菌も減少する。
また、多くの植物には灰汁 が含まれ、マメ科 の植物や根菜 にはトリプシンインヒビター やシアングリコーゲン などの有毒成分が含まれる場合がある[88] 。また、アマ 、キャッサバ のような植物に有害な配糖体 が含まれる場合もある[93] 。そのため、火を使用する前には植物の大部分が食用にならなかった。食用にされたのは種や花、果肉など単糖 や炭水化物を含む部分のみだった[93] 。ハーバード大学 のリチャード・ランガム (英語版 ) は、植物食の加熱調理でデンプンの糖化が進み、ヒトの摂取カロリーが上がったことで、脳の拡大が誘発された可能性があると主張している[94] [95] [96] 。
実際、ホモ・エレクトゥスの歯や歯の付着物から、加熱調理無しには食べるのが難しい硬い肉や根菜 などが見つかっている[97] [98] 。
現代人と「偉大な飛躍」論争
約5万年から約4万年前にかけて、石器の使用は徐々に進歩していったと思われる。おのおのの段階(ホモ・ハビリス 、ホモ・エルガステル 、ホモ・ネアンデルターレンシス など)は前の段階よりも高いレベルで始まり、後退したことはなかった。しかし一つの段階の中の技術の進歩は遅かった。言い換えると、これらの種は文化的に保守的であった。しかし、約5万年前以降、現生人類の文化は明らかに大きな速度で変わり始めた。『人間はどこまでチンパンジーか?』の著者ジャレド・ダイアモンド や他の人類学者はこれを「大躍進」と描写する。
現代の人間は丁寧に死者を埋葬し、隠れ家で衣類を作り、高度な狩猟技術をあみだし(穴を罠として使う、崖に動物を追い詰めるなど)、洞窟壁画 を描き出した[99] 。この文化の変化のスピードアップは、現生人類、つまりホモ・サピエンスの誕生とその習性に関係しているようにみえる。集団の文化が進むと、異なる集団は既存の技術に新しい知識を取り入れる。釣り針 、ボタン と骨製の針のような5万年以前は存在しなかった人工物は異なる人類の集団間の差異を示唆する。一般的にネアンデルターレンシスの集団は同時代の他のネアンデルターレンシス集団と同じような技術を用いていた。
理論的には現代の人間行動は次の4つの能力を含む:
抽象思考(具体的な例に依存しない概念)
計画(さらなるゴールを目指すためのステップを考える)
発想力(新たな解決法を見つける)
記号的な行動(儀式や偶像)
人類学者は現代的行動の具体例に以下を含める:
道具の専門化
宝石 の使用や洞窟壁画 のようなイメージの使用
居住空間の整備
副葬品を伴う埋葬のような儀式
専門的な狩猟技術
厳しい環境への進出
貿易 ネットワークの構築
など。
しかしこれらの急激な出現が生物学的な革命的変化、「人間の意識のビッグバン」を意味するのか、より段階的な変化であったかの議論は続いている。コネチカット大学 のサリー・マクブレアティとジョージ・ワシントン大学 のアリソン・ブルックスは5万年以前の現代的行動の遺物を示し、革命説がアフリカの一部しかサンプルとしていないと主張して革命的進化はなかったと指摘した[100] 。
人類進化のモデル
ミトコンドリア DNA のハプログループ の分布から推定した人類伝播のルートおよび年代
ミトコンドリアのハプロタイプ L0からL3がアフリカにのみ存在する一方その他の地域はMかNどちらかしか存在しない
現生人類 のミトコンドリアDNA ハプログループ の分岐と移動
南方出アフリカ説
Y染色体ハプログループ (父系)に基づく現生人類 の移動
今日、全ての人類はホモ・サピエンス・サピエンスに分類される。しかしこれはヒト属の最初の種ではない。ヒト属の最初の種、ハビリスは少なくとも200万年前に東アフリカで進化した。そして彼らは比較的短い時間でアフリカ各地に生息するようになった。ホモ・エレクトゥスは180万年以上前に進化し150万年前にはユーラシア大陸各地に広がった。実質的に全ての形質人類学者はホモ・サピエンスがホモ・エレクトゥスの子孫であることに同意する。人類学者はホモ・サピエンスが大陸各地で相互に関係しながら同時進行的にホモ・サピエンスになったのか(多地域進化説と呼ばれる)、東アフリカで現れた一派がユーラシア大陸各地のエレクトゥスと置き換わったのか(出アフリカ説、またはアフリカ単一起源説)で議論を行った。議論は未だ続いているが、大部分の人類学者は出アフリカ説を支持している。
多地域進化説
多地域進化説の支持者(主にミルフォード・ウォルポフと彼の同僚)は、ある程度の遺伝子流動があればヨーロッパとアジアの異なる地域で並行的に現生人類の進化が可能であったろうと主張した[101] 。古代ヨーロッパと中国のホモ・サピエンスの形態的な類似性と、それぞれの地域の古代と現代のホモ・サピエンスの類似性は地域的な進化を支持しているとウォルポフは主張する[102] 。彼らはさらにこの説が表現型多型のクラインパターンと一致しているとも主張する。
出アフリカ説
クリス・ストリンガーとピーター・アンドリューズによって発展した出アフリカ説によれば、分子系統解析 の進展(いわゆるミトコンドリア・イブ やY染色体アダム など)によって、現代のホモ・サピエンスは14 - 20万年前に共通の祖先を持つことがわかり、ホモ・サピエンス は7万から5万年前にアフリカから外へ移住し始め、結局ヨーロッパとアジアで既存のヒト属と置き換わった[103] [104] 。出アフリカ説はミトコンドリアDNA を用いた最近の研究によっても支持された。133種類のミトコンドリアDNAを用いた系統樹の分析の結果、彼らは人類が(のちにミトコンドリア・イブ と呼ばれる)アフリカ女性の子孫であると結論した[105] 。ただしミトコンドリア・イブは全人類の「ミトコンドリアDNAの」祖先であり、人類がただ一人の女性あるいは夫婦のみに由来するという意味でも、この女性が最初のホモ・サピエンスという意味でもない。
ミトコンドリアDNAの分析では、現代人の共通祖先の分岐年代は14万3000年前±1万8000年であり、ヨーロッパ人 と日本人 の共通祖先の分岐年代は、7万年前±1万3000年であると推定された[73] 。
出アフリカの回数が一度であったか、複数回であったかには議論があるが、ユーラシア とオセアニア の住民はみな共通したミトコンドリアDNAの系統に属していることは、複数回出アフリカ説に対する重要な反証である。ほとんどの研究は、一度だけの出アフリカが、アフリカ以外の全人類の起源となった可能性を示唆する[106] 。
出アフリカのルートも複数説あるが、近年[いつ? ] 、遺伝学的、言語学的、考古学的な証拠の支持を得ているのは、およそ7万年前にアフリカ東部の突端であるいわゆるアフリカの角 からアラビア半島 に渡った、「南方出アフリカ説」である[107] 。
二つのモデルの比較
二つのモデルは非常に異なる。リチャード・リーキー は次のようにこの違いをまとめている。
多地域進化モデルは集団の置換が起きず、移住もわずかで、旧世界各地でホモ・サピエンスの進化的傾向があったと述べている。一方、出アフリカモデルでは一カ所でのホモ・サピエンスが進化し、そして旧世界全域への広範な人口移動と既存の前現代的な集団との置換が起きると述べる[2] 。
多地域モデルは化石記録が現在見えるような地域ごとの解剖学的特徴を示さなければならないと提案する。そして人種的な違いは根深く、200万年遡ると主張する。アフリカ単一モデルでは化石記録は時間に従った連続性を示すとは主張しない。そうではなくて、以前の地域ごとの化石記録の特徴は現代アフリカ人的な特徴を持つ化石史料によって置き換えられる。人種的な違いは浅く、比較的短い期間で人種的差異は進化したと主張する[2] 。
アクア説(水生類人猿説)
現在のところ主流派からはあまり支持されていないが一部でこのアクア説 (水生類人猿説)が唱えられている。
ヒト がチンパンジー 等の類人猿 と共通の祖先 から進化 する過程で、水生生活に一時期適応 することによって直立歩行 、薄い体毛 、厚い皮下脂肪 、意識的に呼吸 をコントロールする能力といった他の霊長類 には見られない特徴を獲得したとするもので、解剖学者 と海洋生物学者 が提唱し、脚本家 であるエレイン・モーガン (英語版 ) の著作で知られるようになった仮説 である。
研究者
ここでは、人類進化の研究分野において特筆性の高い [要出典 ] 人物を列記する。
種リスト
ヒト属に属する種は「ヒト属:分類 」を参照のこと。
脚注
注釈
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出典
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関連項目
外部リンク
ヒト科 Hominidaeヒト亜族 Homininae
用語 関連項目 起源