| この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "全日本柔道選手権大会" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2016年1月) |
全日本柔道選手権大会(ぜんにほんじゅうどうせんしゅけんたいかい)は、年に一度開催される男子柔道の無差別級日本一を決める大会。後援NHK、朝日新聞社、日本武道館。
概要
戦後、全国柔道人が一堂に会して互に久闊を叙し、平和日本の再建について語り合い、技を競い合う大会として、嘉納治五郎没後10年の催しを開催したのが全日本柔道選手権大会の始まりである[1]。
のちにオリンピック・世界柔道選手権の開催年には体重の重い階級の代表選考会となる[注釈 1]。毎年4月29日に日本武道館で開催。優勝者には天皇杯、朝日新聞優勝旗、日本武道館杯など、副賞として特別協賛の東洋水産よりマルちゃん赤いきつねと緑のたぬき1年分が贈られる。大会の模様はNHK BSおよびNHK総合テレビにて生中継されている。前日には講道館で全国柔道高段者大会が開催されることが慣例となっている。
日本人柔道家には五輪、世界選手権と共に柔道三冠の1つとされている。
なお、戦前の1930年から1941年まで[注釈 2]は、日本全国から男子の選手を招集する大会として、全日本柔道選手権大会の前身とも言える全日本柔道選士権大会が開催されていた。しかしこの大会は、「専門」・「一般」の2つに分類されていたのに加え、第8回大会(1938年)までは4つの年齢別[注釈 3]に細分化されていたため8人の優勝者が存在していた。第9回大会(1939年)および第10回大会(1941年)は大会名も日本柔道選士権大会と改称し、年齢別が廃止され「専門」・「一般」の2区分で開催されている。このように、唯一無二のチャンピオンを決める現在の大会とは、かなり質を異にするものであった。
また、1949年の決勝戦は2度の延長戦にも拘らず両者とも技が殆どなく、主審の三船久蔵の判断により引き分けとされたため両者優勝という記録が残っているが、ポイント、判定およびゴールデンスコア方式による延長戦で勝敗を決するのちの試合規定では起こりえない裁定である。
かつて当大会での審判員は男性のみと規定されていたが、2017年からは審判員15名のうち、女性の審判員を3名登用することに決まった[2]。
2019年の大会では史上初となる両者反則負けが言い渡された[3]。
2020年の大会はオリンピック代表の選考対象から外されることになった。また、従来は前回大会の決勝進出者や前年のオリンピック、世界選手権の各階級優勝者、最重量級のメダリストらが推薦で大会に出場できたが、今大会では大会の価値を維持するために、それらに加えてオリンピック各階級の代表及び補欠選手、さらにはグランドスラム・大阪2019の各階級優勝者にも出場資格が与えられることになった[4][5]。また、東京オリンピックに向けての日本武道館改修により千葉ポートアリーナで開催することに。しかしながら、新型コロナウイルスの影響により、4月に開催予定だった今大会を史上初めて延期することになった[6]。その後、12月26日に講道館の大道場において無観客で実施されることに決まった[7]。
2021年の大会は新型コロナウイルスの影響で地区予選の実施が困難となったために、通常の4月開催から前年同様12月26日に延期されることとなった[8]。
ルール
- 2010年までは講道館試合審判規定、2011年からは国際柔道連盟試合審判規定に基づいて行われている[9]。
- 2016年までは試合時間は6分、同点の場合は延長は行わず旗判定を行っていた。
- 2017年は大会規定が一部変更され、旗判定を廃止しゴールデンスコア方式による時間無制限の延長戦を採用するとともに、試合時間を6分から5分に短縮した[10]。一方、2017年の国際柔道連盟試合審判規定で「有効」と「合わせ技一本」が廃止されたが[11]、本大会においてはこれらの規定は存続することになった[10]。しかし2024年大会から再び旗判定復活[12]。
- 2018年以降試合時間を4分に短縮[13]。2024年の大会から試合時間を5分、決勝のみ8分に変更した[12]。さらに指導4回で反則負けとなった。
過去の大会
記録
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氏名 |
回数等 |
年度
|
優勝回数 |
山下泰裕 |
9回 |
1977-1985年
|
連続優勝記録 |
山下泰裕 |
9連覇 |
1977-1985年
|
最年少優勝記録 |
石井慧 |
19歳4ヶ月 |
2006年
|
最軽量の覇者 |
岡野功 |
80kg |
1967年、1969年
|
関根忍 |
1972年
|
出場最多回数 |
棟田康幸 |
15回 |
1999-2013年
|
出場連続最多回数 |
棟田康幸 |
15回 |
1999-2013年
|
高校生の全日本選手権出場者
脚注
注釈
- ^ 男子100kg級、100kg超級、無差別級、女子78kg超級、無差別級は、全日本柔道選手権大会後に代表が決定する。その他の階級は全日本選抜柔道体重別選手権大会後に代表が決定されている。
- ^ 1933年と1940年は除く。
- ^ 壮年前期(20歳-29歳),壮年後期(30歳-37歳),成年前期(38歳-43歳),成年後期(44歳- の4区分。
- ^ 1956年には公式には大会中止という扱いになっているが、世界選手権の代表決定戦として、事実上の全日本選手権とも言える「世界柔道選手権日本代表決定戦」が世界選手権直前の4月29日に蔵前国技館で慌ただしく開催されている。この大会は、全国10地区選出の32選手をA,Bの2ブロックに分け、それぞれのブロックの優勝者2名を日本代表として選出するというものだった。Aブロックでは決勝戦を夏井昇吉と醍醐敏郎で争い2分22秒に夏井が体落で一本勝ち、Bブロックでは松本安市と吉松義彦という武専出身者同士の顔合わせで試合時間20分一杯を闘い、判定の末に吉松が勝利を収めた。柔道評論家の工藤雷介によるこの大会の戦評が、ベースボール・マガジン社発刊の雑誌『近代柔道』(1981年3月号)の「名勝負シリーズ」という特集記事で詳しく紹介されている。なお、4日後に開催された世界選手権では夏井が金メダル、吉松が銀メダルを獲得している。
- ^ この年の全日本選手権では、指定選手16名と全国10地区から選出された32名の計48名による出場者が3名1組によるリーグ戦を初日に行い、各組の勝者16名が翌日の決勝トーナメントで優勝を争う形式で大会が開催された。
出典
関連項目