吉田 日出子(よしだ ひでこ、本名:平松日出子、1944年1月7日 - )は、石川県出身の女優。
来歴・人物
石川県金沢市生まれ[1]。
日出子の祖父である平松福三郎(弁護士)には11人の子がいて、娘の1人は芥川龍之介の秘書だった平松麻素子。麻素子の弟にあたる日出子の父・豊彦は1928年に東京美術学校(現・東京芸術大学)彫刻科を卒業しフランス留学[2]、彫刻家を目指すが徴兵を受け、石川県金沢に駐屯、身重の母親が臨月近くに金沢に来て次女・日出子が生まれる[1]。生後1ヶ月で父は出征、母子は新潟県に疎開した[1]。豊彦は1944年にフィリピン・レイテ島で戦死。1947年、医師だった母は娘二人を連れて東京に戻り、赤羽で医院を開業した[1]。母はその後再婚。一女をもうける。日出子は三姉妹の真ん中[1](長女は精神科医、三女は建築デザイナーである)。
東京都立北園高等学校卒業後、俳優座養成所に入る。後に劇団文学座の研究生となる。
文芸座退団後、串田和美と1966年に自由劇場を立ち上げた。
1967年、「あたしのビートルズ」「赤目」で紀伊國屋演劇賞受賞[3]。
1976年には「盟三五大切」「天守物語」で紀伊國屋演劇賞受賞[4]。
1979年の『上海バンスキング』が好評を得て、15年間の長期公演となった[1]。
1986年に「ドタ靴はいた青空ブギー」で菊田一夫演劇賞を受賞[4]。
1989年の『社葬』にて第14回報知映画賞最優秀助演女優賞・日本アカデミー助演女優賞を受賞。
1996年2月「黄昏のボードビル」の公演を最後にオンシアター自由劇場は解散した[4]。
独特の声質の持ち主であり、清水ミチコのモノマネレパートリーの1人である。
九条の会の賛同者にも名を連ねている。
2014年11月、著書「私の記憶が消えないうちに」の中で、2007年に主演舞台を降板したことに触れ、それ以前からセリフを覚えることが困難であったこと、普段通っている道でも迷ってしまうことがたびたびあったと告白。脳の検査・診断の結果、前頭葉に傷が見つかり高次脳機能障害であることが判明したと明かした。
出演
テレビドラマ
映画
舞台
- 山襞 (1966年)
- イスメネ・地下鉄 (1966年)
- もっと泣いてよフラッパー (1977年)
- 上海バンスキング (1979年)
- 海神別荘(1980年、博品館劇場特別公演辻村寿三郎の世界) - 美女(声の出演)[5]
- クスコ‐愛の叛乱‐ (1982年)
- 阿呆劇トゥーランドット姫 (1997年)
- 浅草パラダイス (1998年)
- 愛の勝利 (1999年)
- 花 (2000年)
- 母アンナ・フィアリングとその子供たち (2005年)
- 獅童流 森の石松 (2006年)
- 上海バンスキング(再演)(2010年)
テレビアニメ
劇場アニメ
ラジオ
- ラジオドラマ
バラエティ
CMナレーション
- 明星食品 チャルメラ(1990年)
- イオナ(2002年)
- 大鵬薬品・チオビタドリンク(2002年)
- 純米焼酎白岳しろ(2004年)
- ユニチャームペットケア「猫元気7才以上」(2004年)
- アテント(2004年、2006年)
- サントリー銀座カクテル(2006年 - 2008年)
テレビCM
著書
ディスコグラフィ
シングル
- ウェルカム上海(1991年9月25日)
- あどけない話(1992年6月25日)
アルバム
オリジナルアルバム
- 上海バンスキング(1981年)
- もっと泣いてよフラッパー(1982年)
- 上海バンスキングII(1983年、トリオレコード、3B-28010)
- ドタ靴はいた青空ブギー(1986年10月25日)
- 上海バンスキング2 & 自由劇場オリジナル・バンド(1988年2月21日)
- セントルイス・ブルース(1988年5月21日)
ベストアルバム
- 上海バンスキング ベスト・セレクション(1987年6月21日)
- 吉田日出子『上海バンスキング』ベスト撰集 〜懐かしきジャズ・ソング…それは夢の前借り<バンス>〜(2001年9月21日)
- 上海バンスキング ツイン・ベスト(2001年9月21日)
- ショートボート・イヤーズ 吉田日出子(2004年8月25日)
- 究極のベスト! 吉田日出子/上海パンスキング(2005年7月27日)
- 上海バンスキング/吉田日出子 名選集(2007年2月21日)
脚注
- ^ a b c d e f 『週刊朝日』1882年10月29日号、46-50頁(本人のインタビューも含む記事)。
- ^ “「戦没画学生人名録の決定版」”. 日本経済新聞夕刊 文化面. (2022年7月2日)
- ^ 朝日新聞人物データベース
- ^ a b c 日外アソシエーツ現代人物情報
- ^ 芸能学会(編)『芸能』12月号、芸能発行所、1980年12月、44頁。
- ^ “迷宮物語”. マッドハウス. 2016年6月26日閲覧。
外部リンク
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